テレピン油の流れる川
テレピン油のにおいが鼻を突いた。目の前にあるのはさわやかな川辺の風景なのに、どうしても締め切った美術室で描いているとなにもさわやかに感じない。
仕上げをしたいのだけど、どうにも同席する男の視線が気になって仕方ない。彼は私が絵の具を溶いているのを興味深そうに見ている。飽きないのか、臭いが気にならないのか、毎度不思議だ。記憶がリセットされたり嗅覚がなかったりするのだろう。
「そういえば、前話してた劇団あるじゃない?」
彼は無邪気に切り出した。記憶はあるらしい。
「うん」
「チケット取れそうなんだけど、良かったら二枚取っていいかな?一緒にどう?」
私はす、と視線だけで彼を見た。耳まで真っ赤になっている。わかりやすい。誘われている。あまりにもわかりやすく誘われている。
「なんて劇なの?」
「モン・サン・ミシェルの秋の空って劇なんだけど」
知ってる。
「どんな話なの?」
「あらすじは……」
彼は、私に説明するために覚えてきたのであろうあらすじを、一生懸命語ってくれる。知ってる。だって観たから。はっきり言ってつまらなかった。彼がこの劇団のどこを評価してるのかわからなかった。これに二時間使うなら、私の絵を二時間見てくれた方がいい。
「面白そう」
私は微笑みを作った。彼の顔がぱっと明るくなる。
「日曜日の昼の回!どう?遅くならない時間で…」
「いいよ」
私は頷いて、川面の仕上げに入った。
「ありがと!予約しとくね!」
彼は嬉しそうだった。ああ、当日は、寝ないようにちゃんと前の日に早寝しないと。
彼となら面白い?
いや、多分つまらない。
彼を見てる方がきっと楽しいから。
私はこの日それを日記に書き損ねた。
後で先に観てた事がバレないからちょうど良かったのだけど。
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