第3話 クマさん

 唐突に目が覚めた。


 ・・・青い?


「あぁ、空か」


 だんだん意識がはっきりしてくる。


 ベッドから半身を起こして、

「おはよう、今日は良い天気だよ」

 と、写真の彼女に話しかける。


 もう一度、窓に目をやる。


 すっきり晴れた空が気持ち良い。


 素肌に麻の白いホリゾンタルカラーのシャツを引っかけ、Gパンをはく。


 階段を降りて洗面所に行くと、もう瞳がいた。


 瞳はちょうど洗い終えたようだ。


 瞳は大きなロゴの入った白いTシャツと、ベージュのイージーパンツを着ている。


「おじさん、おはようございます。お先に使わせてもらいました。それと昨日は大変お世話になりました」と言って、またペコリと頭を下げる。


「うん、おはよう。ゆっくり眠れた?」


「はい、久しぶりに安心してぐっすり眠れました。ベッド、気持ち良かったです。へへっ!」


「やっぱり野宿じゃあ安心できないよな。顔洗ったら、朝御飯作るから、ちょっと待ってね」


「あっ! おじさん、私も手伝わせてください。してもらってばかりじゃ、なんか申し訳なくて」


「そう、じゃあ手伝ってもらおうかな。厨房で待ってて」


「はい。了解です」と、瞳は可愛いく敬礼して厨房に向かった。



 鏡の中に写る俺の顔は老いぼれていた。


(時は残酷だな)


 瞳の若さ溢れる姿を見た後は尚更、そう思ってしまう。


 気を取り直して、


 髭にシェービングクリームを塗り、カミソリを当てていると、鏡に写る瞳の顔に気がついた。


「ん、何?」


「あの、男の人が、お髭剃ってるの見るの初めてで、何か面白くて」


 瞳が笑いながら眺めている。


「見られてるとちょっと剃りにくい・・痛っっ」


 手元が狂って少し切ってしまった。


「あっ、おじさん、大丈夫?」


 右顎から血が滲んだ。それを見て瞳は


「ごめんなさい、ごめんなさい、私がびっくり

させたせいで・・・」


 瞳は泣き出しそうな勢いだったから


「いやいや、大丈夫。大したこと無いから。瞳ちゃんのせいじゃないし」と言った。


 瞳は上目遣いで見ながら涙目で、


「私、昨日から、おじさんに迷惑ばっかりかけてる・・・」と、涙がこぼれそうになっていた。


「迷惑なんかじゃないよ。瞳ちゃんといると楽しいから」


「本当ですか?」


「ああ、久しぶりに楽しい気分を味わってるよ、むしろこっちがお礼を言いたいくらいだ」


「良かったあー♪」


 瞳はまた直ぐ笑顔になった。

(ほんと、よく笑い、よく泣く子だな)


 顔を洗い終わり、厨房で瞳と一緒に朝食の準備を始める。


「瞳ちゃんは料理するの?」


「はい、おばあちゃんに色々教えてもらいました。女は男の胃袋さえ掴んどけば大丈夫って、いつも言ってます」


「はははっ、間違いじゃないな。まぁそれだけでもないけど」



 朝食はフレンチトーストとベーコンエッグ、サラダにはおばあちゃん直伝の『魔法のドレッシング』が、かけてあるそうだ。


 俺は珈琲を煎れただけ。


 窓際の海が良く見えるテーブル席に運んで、瞳と向い合って座った。


 今日は波も静かで、空には雲ひとつ無い。

「いただきます。へへ♪」と、瞳は嬉しそうだ。


「いただきます」俺はフレンチトーストにかじりつく。


「あれ?」


「どうしたんです? おじさん、美味しくない?」


「いや俺が作るよりよっぽど美味いんで、ちょっとびっくりしてる。ほんとに美味いよ」


「やったー。おばあちゃんに感謝しなくちゃ。このサラダも食べてみてください!」


 サラダも食べてみる


「えっ? このドレッシング・・・」



 懐かしい?


 あの頃、彼女が時々作ってくれた、ドレッシングの味だ。一瞬泣きそうになる。


(なんだ、これじゃあ昨日の瞳と同じじゃないか。これが魔法なのか?)


 なんとか持ち直して、


「うん、サラダも美味しいよ」と、なんとか言えた。


 瞳がじっーと俺を見つめている。


 俺は気ずかれるのが怖くて、海に目を移した。


 食べ終えて、二人でお皿を洗っている時、瞳が


「おじさん、あのーお願いがあるんです」


「どうしたの?」


「厚かましいお願いなんですけど、私をここでバイトさせてもらえませんか?」


「ん・・・」


「あの、お金が・・もうあんまり無くて、野宿もしたくないから・・・駄目ですか?」


「そっか、確かに野宿はさせたくないしな・・・料理が上手いのは助かるけど」


 俺は少し考えて


「うん、分かった。働いてもらおうかな!」


「本当! おじさん! ありがと!」


 瞳は満面の笑顔を見せてくれた。




 カフェは海岸沿いにポツンと一軒建っていて、観光客が殆どだ。夏の間はかなり忙しいが、秋の気配がしてきた、この時期は正直暇だ。紅葉が始まれば、また少し忙しくなる。


 瞳に店の事をあれこれ教えていると、突然裏口が開いた。


 入ってきた男を見て、瞳が小さく悲鳴をあげる。


 2メートル近い巨漢の髭面がダンボール箱を抱えて入ってきたからだ。


「健ちゃん、おはよう」


 男は身体に似合わぬ爽やかな声で挨拶した。


「あぁ、くま、おはよう」


「あれ?可愛い子がいる」


「うん、今日からバイトしてくれる瞳ちゃん」


「へぇー健ちゃんが女の子のバイト雇うなんて珍しいこともあるもんだ」


 俺は苦笑いして瞳に


「このでっかいのは店に食材を届けてくれる、くま。人畜無害だから安心して」


「でっかいのって・・。それに人畜無害って、ひどいな健ちゃん」


 瞳もようやく安心して、笑顔になると

「くまさん、瞳です。よろしくお願いいたします」と挨拶した。


 くまは、

「瞳ちゃん、こちらこそよろしくね」と人懐こい笑顔を瞳に見せると俺に向きなおって

「にしても、女嫌いの健ちゃんがね。ふ〜ん」


「なんだ、くま。そのふ〜んてのは」


「えぇ〜おじさん、女嫌いなんですか?」と瞳が聞き返す。


 すかさずくまは、


「そうなんだよ。瞳ちゃん。昔、彼女に振られてから、ずっと一人なんだ。よっぽど惚れてたんだろな。」


「おい、くま」


「んん、瞳ちゃん、なんとなくその子に似てるような? だから雇ったのか健ちゃん」


 くまはとんでもない事を言い出す。


「おいおい、くま、いい加減な事言わない。瞳ちゃんが信じるだろ」


「だって、健ちゃん・・・」


 放っておいたら、くまは何を言い出すか分からないので、俺はくまの腕を引っ張って、裏口に連れて行き、外に放り出した。


「健ちゃん、まだ話しが・・・」とくまは叫んでいたが、聞こえないふりして、鍵をかけてやった。



 瞳の所に戻り


「瞳ちゃん、くまの言う事は真に受けないようにね。あいつ冗談しか言わないから」


「じゃあ、女嫌いって言うのも冗談ですか?」


「当たり前だよ。むしろ女の子は大好きだよ」


「良かった。瞳の事、嫌いだったらどうしようかと思いました」と、瞳は安心したように言った。


「そんな訳無いだろ。ほんとくまの奴、出入禁止だな」


 俺は少し本気で思った。


「でもおじさんとくまさん、すごく仲良さそう。羨ましいくらいです」


「まぁ長い付き合いだから。もう40年以上になるからね」


「へぇー。すごいですね。じゃあ、くまさんはおじさんの事、何でも知ってるんですね」


「何でもって事は無いけど、まあ大体はね。でも瞳ちゃん、あいつはほんとに冗談ばっかりだから迂闊に信じちゃ駄目だよ。本当にくまの奴は・・・」


 何故か俺は少し剥きになっていた。


「はーい! 気をつけます。ふふ!」


「何、その笑いかた?」


「なんか、おじさん、必死になってるから、なんか、可愛くて、へへっ」


「こらっ! 瞳、おちょくるじゃないの。」


「ごめんなさい。おじさん、ふふふ!」


「また笑う・・なんか調子狂うな・・・」


「違いますよ。今のは『瞳』って呼び捨てにしてくれたんで嬉しかったんです♪」


「あっ、ごめん。つい・・・」


「呼び捨てで良いですよ。何かその方が距離が近く感じます。えへへ」



 一週間が経った。


 瞳の働きぶりは見事だった。


 色んなバイトを経験してきたらしく、持ち前の明るさで接客もそつなくこなす。掃除も洗いものも手際良く惜しみなく働く。俺が手持ちぶさたになるくらいに。料理も少し教えれば、直ぐ覚えてくれる。それに何より店の雰囲気が明るくなった。



「瞳、お疲れ」


「おじさん,お疲れ様でした」


「瞳が良く働いてくれるから助かるよ」


「えへへ。ここで働くのとっても楽しいです」


「はい、お母さんの珈琲」


「えへへ。ありがとうございます。あっ、何かおじさんのお薦めの曲聞きたいです」


 俺はレコードの棚に行って1枚のアルバムを選んだ。


「これなんかどうかな?」


 瞳にジャケットを見せると、


「良い感じです」と言うので、レコードに針を落とす。


『NOT THE SAME』 ーロビーデュークー


 閉店後、瞳と珈琲を飲みながら話をするのが恒例になってる。


「あのさ、明日休みだから買い物に付き合ってくれないかな? 何か予定あった?」


「あっ! 大丈夫ですよ。何買うんですか?」


「う〜んと、内緒かな」


「なんなんですか?それ」


「まぁ明日になれば分かるよ」


「変なの」


「朝はゆっくりしてて良いから。昼前から出かけよう。」


「了解です。えへへへ。」


「何笑ってるの?」


「だって、おじさんと初めてのデートだから♪」


「デートって・・・」


「うふふ、楽しみ♪」

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