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「一種の正当防衛ですよ。麗薇姫だかなんだか知りませんけど。欲しいものなんでも買ってあげる、自分は社長令嬢だからお金の心配はいらないって、そう言ったんです。実際気前もよかったですし、雰囲気にも余裕が感じられたんですよね。だからオッケーしたのに、結局全部嘘だったんですよ。山のように借金して、ギリギリの状態で僕に貢いでたんです。最終的に借金もできなくなって、被害者面で、『もうお金がないの』って。そうなったら、付き合うメリットなんてないじゃないですか。だから別れたんです。最初からそういう契約でしたから、向こうも分かってたはずですよ。なのに全然納得してくれなくて。人格が豹変して、ストーカーみたいになって。ところかまわず追っかけてきてすがりつくわ泣きわめくわ。僕、このままだと、いずれ本当に殺されると思ったんです。『一緒になれないなら、あなたを殺して私も死ぬ!』とかやりそうで。だから自己防衛に出たんです」

 岩月警察署の取調室で、川内かわうち樹誉みきよは述べた。

「萌えないごみさんに、殺害を指示した?」

 佐野はたずねた。

「ええ。萌えないごみさんは、僕の気持ちを理解してくれました。だから協力してくれたんだと思います」

「麗薇姫さんの本名は知ってる?」

「知りません」

「萌えないごみさんの方は?」

「知りません」

「自分が殺そうとした相手や、殺しを指示した相手の本名も知らないの?」

「知らないですね。困ったこともないです」

 あっさりと、樹誉は言った。

 佐野はゆっくりと口元を結びながら、イスの背にもたれた。まるで、性格のいい反抗期にでもぶち当たったような気分だった。

 樹誉は佐野の横に立つ相原の顔をちらりと見た。

 それから、もう一度佐野の方を見て言った。「大丈夫ですか? この流れ、ついていけてない感じですか?」

 有難くもない気遣いだと、相原は痛さを味わわせるつもりで無言を貫いた。

「刑事さんも大変ですよね」

 悪くない立場を呈し、樹誉は喋りはじめた。

「これからこういうケースが、ごろごろ出てくるでしょうね。事件は起こっているのに、関係者同士、名前も、年齢も、住所も職業も知らない。顔も見たことがなければ、性別も嘘でした、なんて事件。そんな、見なけりゃいいだろ、関わらなきゃいいだろっていう、たかがネット上の狭いコミュニティの中で起きたトラブルを片付けるのに追われて、現実の犯人検挙がおろそかになって、税金泥棒だとか言われたら、やってられないですよね」

「やーほんと。やってらんないよねー」

 デスクに頰杖を突き、佐野は笑みを作った。

「でも、本当に、ネット上で誰と誰が繋がってるか分からないっていうか。あの貴公子君が麗薇姫の彼氏だったなんて、意外過ぎました」

「ぇあ?」

 佐野は思わずもらした。

「知らないんですか? あの人、行方不明になった自分の人形だとか言って、僕に麗薇姫の写真見せてきて、警察行くだの人にやらせてないで自分が来いだの、ほのめかしてきたんですよ。僕のこと、脅迫でもするつもりだったのかな。なんだか刑事さんたちと仲よさそうだったから、使えそうだなって思ってたのに、がっかりですよ。大体麗薇姫だって————もう名前言うのもばからしいですけど————『私には水祈夜君しかいないの!』みたいな感じだったのに、結局他に男いたのかよって。しかもいつも派手なバッグで、髪型がだらしなくて、奇をてらった感じの、それも、高校生ですよ? いったいどういうつもりだったのかよく分かりませんよ、僕には」

「いや、麗薇姫さんの彼氏ではないよ、貴公子君は」

 佐野は言った。「面識も、ゲーム中での接触もない」

 樹誉はふと、冷めた表情を浮かべた。佐野は続けた。

「ただ、アカウントを見つけたんだって。麗薇姫さんの、SNSのアカウント。何不自由ない、お姫様みたいな暮らしぶりを披露してて、恋愛も充実してる感じで、借金苦で好きな人に振られたなんてようすは微塵も感じさせてなかったよ。見たことあるかな?」

「さあ。知りません」

 樹誉は言った。相原はその返答を疑った。

 佐野は続けた。

「それからもう一つ、裏アカウントがあってね。そっちは『麗薇姫』じゃなく、『reira♡doll』っていう名前でやってたみたいなんだけど。『ダイスキなmikiyo王子』への愛や、不満が、髪巻いてティアラつけてお人形みたいにめかし込んだ画像と一緒に投稿されてたよ。貴公子君が君に見せた写真はそれ」

「はぁー……」

 樹誉はイスにもたれて大袈裟にため息をついた。

「暇人かよ。なんでもかんでもネットに書くなよな」

 それから、薄っすらと笑みを浮かべて語った。

「あの時気づくべきだったんですよ。貴公子君と初めて会った日————みんなで平岡空翔のアパートへ向かったときに、僕が、ネットの距離感っていいよねって話をしてるのに、あの人、『その距離感がうざい』とか言い出すんですよ。ひねくれた人だな、面倒くさい人だなって、その時は思いましたけど。探偵ドラマなんかだと、ああいう変な格好をした、人とはちょっとちがう考え方を持つ人が、事件を解決に導いたりするんですよね」

 さて、どうだか、と佐野は思った。

 本村という男に関しては、ひねくれた見方をしたか、もしくは、その場しのぎの適当な発言をしたまでだろう。

「平岡空翔を殺した理由は?」

「殺すつもりなんてありませんでしたよ。それどころか、あんな見ず知らずのやつに用もありませんでした」

「じゃあ、どうして?」

「警察ならとっくに調べはついてるんじゃないですかね? 平岡空翔が、本物のシウマイさんじゃないってこと。僕、先月のイベントのとき、シロクニビルで本物のシウマイさんのこと見かけたんですよ。その時すぐ気がついたんです。シウマイさんが、田狭電機の社長の息子だって。前にネットで顔写真を見たことがあったんですよ。僕は、家柄だろうが親の肩書きだろうが、利用できるものは最大限利用して、のうのうと生きていられたら、そんな贅沢なことはないって思うんですけど。世の中にはそれができない真面目な人もいるんですね。『田狭電機の息子は二浪の末に入った大学を半年で中退して現実からログアウトした』って。要は引きこもりですよ。だから、僕が積極的に仲良くして————一番いいのはサイフ要員ですけど————最悪コネ要員にでもなってもらえればいいかなって。田狭電機の内定もらっとけば安泰だし。なのにシウマイさん、先に着いてたうさぎ君とラケル君のこと見つけるなり、引き返して帰ろうとしたんですよ。僕、絶対目が合ったんですけど、知らんふりで素通りされました。そのあとすぐ、シウマイさんの方から一方的にパートナーシップ解除されて。だから再申請して、一ヶ月ぶりに連絡がついたシウマイさんと、ようやく会う約束を取りつけたんです。で、いざ当日鞠尾のカラオケで待ってたら、全然知らない人が来たんですよ! 僕、訳が分からなくて。理由つけてすぐ帰ろうとしたんですけど、強引に家に招かれて————。あの人、ずーっとヘンリエの話するんですよ。かわいいとか好きとか、それはほとんど接続詞みたいに使うんですけど。どのフィギュアがどうとか、自分はヘンリエの裏アカと繋がってるとか。ほんと、ずーっと。僕とうさぎ君たちがイベントでヘンリエと会ったときのこと、根掘り葉掘り聞いてきたり。それで思ったんです。本物のシウマイさんは、僕たちと交流するのが気まずくなって、この人にあおいろをまもる会のアカウントを売ってしまったんだろうって。それでこの人は、SNSか何かで僕らの関係性やイベントのことを知って、僕らがヘンリエと親しい間柄なんだと勘違いして、自分もヘンリエと仲良くなりたいがために手始めに僕に接触してきたんだろうって。なんかだんだん腹が立ってきて。それで言ったんです。『もうバレちゃってますよ』って。『利用規約きちんと読みましょうね』『アカウントの売買は禁止ですよ』って。別に怒ったりとかはしてないですよ。丁寧に、指摘したんです。そしたらあの人、急に焦りだして。『買ったんじゃないです! シウマイさんから譲ってもらったんです!』って。でも、あおいろをまもる会はアカウントの売買だけじゃなく、譲渡も禁止なんですよ? それを言ったら真剣な顔で、『僕、逮捕されるんですか?』って。あれには心の中で超笑いました。あの人多分、僕と同い年くらいですよね? いろいろ経験値が足りてないんだなって。そのあと、『通報しないでください!』って必死な感じで迫ってきて、揉み合いになって————いや、その時はまだ殺してないですよ? ただ、あの祭壇みたいな棚にあったフィギュアが一個落ちて、僕が踏んじゃったんですよ。死ぬかと思うくらい痛かったです。大丈夫?とか言ってもらえると思ったら、あの人が心配なのは、フィギュアの方だけなんですね。今度は強気になって、『どうしてくれるんですか!』『これ、超レアなのに!』って。知りませんよね、そんなの。僕、なんでこんなやつのために時間割いてるんだろうってばからしくなってきて。適当に謝って、『ヘンリエに会わせてあげます』って嘘ついて、帰ろうとしたんです。なのにあの人、僕が部屋を出る間際にぼそっと、『フィギュア、弁償してもらえるんですよね?』って。いや、しようと思えばできますよ。でも、規約違反犯したのも、シウマイさんのふりして近づいてきたのも、僕に突進してきたのも全部向こうじゃないですか。なんで僕が、こんな当たり屋みたいなやつの人形、弁償しなきゃいけないんだろうって思って。僕は堪えた方だと思いますよ。祭壇のヘンリエグッズを一通り見てあげたし、ヘンリエの話にも付き合ってあげたし。その結果が『金寄こせ』ですよ。逆にこっちが手間賃請求したいくらいなのに。だから萌えないごみさんに頼んだんです。もちろん手間賃の取り立てじゃないですよ。清掃です」

 佐野と相原は、今度こそ呆れて言葉も出なかった。たとえ現実のやり取りから生まれた憤懣だろうと、そんなことでいちいち事件を起こされていては、本当に、警察はやっていられない。

「萌えないごみさんは元気にしてますか?」

 唐突に、樹誉は言った。

「平岡空翔を殺すよう頼んでから、一度も会ってないんですよ。正確には事件の次の日————うさぎ君たちと平岡空翔のアパートに行く直前に、イワツキ支部で見かけたんですけど。マスクして、フードかぶってましたけど、あのおどおどした歩き方ですぐ分かりましたよ。僕のために二度も人を殺して、『ありがとう。大好き』とでも言ってもらえると思ったんですかね。そういう子がかわいいって、思う人もいるのかもしれませんけど。僕は無理ですね。会うときは、自分のタイミングで会いたいですし。あの時はうさぎ君たちもいましたし。だから無視したんですけど」

「それは多分、萌えないごみさんじゃないと思うよ」

 佐野は言った。「平岡空翔を殺して、自宅に帰って凶器のナイフを洗って、君からの連絡を待って、気づいたら朝になってて、それから眠って、また君からの連絡を待って、夕方、予定通り仕事に行ったって。だから、イワツキ支部には行ってないと思うよ」

「へえ。背格好のよく似た人が、いるんですね」

「ね。その人もきっと、萌えないごみさんみたいに恥ずかしがり屋で、自分の素顔を隠しながらゲームの世界観を楽しみたかったんだろうね」

 佐野は言った。「許されるなら、会って話したい? 萌えないごみさんと」

「いいえ、まったく」

 考えもせずに、樹誉は答えた。「いろいろと感謝はしてますけど、警察に全部話したってことは、僕に好意がなくなったってことですよね? それなら、もう、使いものにならないですし」

 佐野は樹誉の顔をじっと見ていた。

 此の期に及んで、いまだ立場を譲らない余裕の表情。他人を〝使えるかどうか〟でしか判断できないその思想。

 ゲームの中を生きているのか。自分以外の人間はすべて、自分というプレイヤーのために用意された、精密で機敏なプログラムか。

 弱く、脆くなってしまえば、余計な手間も、情もかけずに、デジタルで管理された関係網から、即刻消去してしまえるのか————。


 樹誉は、佐野の視線の意味に気がついた。

 同意など求めていない。いつもそうだった。

 所詮は個と個。

 人はみな、単独プレイで生きている。

 同調、共感。そこにはいつも、細微なズレがある。

 手を握っても、汗をかいても、体の末端から、脳の隅々まで、ぴたりと分かり合えることはない。

 だが、甘くないリアルを真剣に、おのれの視点で体感してきたからこそ、確信していることがある。

 お前たちは、非情で、身勝手だ。

 人との繋がりを求めるくせに、人の質を、なんとも軽く量るじゃないか————。


「僕、人に自慢できるような生い立ちじゃないんですよ。顔は自前ですけど。そこは親に感謝ですね。幼稚園くらいまでは、割と裕福だったと思います。でも、父が事業に失敗して。ある日突然、家の中の空気が悪くなったのが、子どもの僕にもよく分かったんです。それまで優しくて、朗らかだった母が、急に父を罵倒するようになって、一人で愚痴もこぼすようになって。母は僕に対して、それまでと同じように接してくれたので、僕自身は暴力を受けてるわけでも、罵倒されてるわけでもないんですよ。でも、それが不快で不快で。母が発する父への不満や、将来への不安が、喉にまでねじ込まれる耳鳴りみたいで、本当に気持ちが悪かった。今にして思えば、ですけど、僕多分、それまで、母親のこと、いい意味で人間と思ってなかったんですよ。『お母さん』っていう、そういう特別な存在なんだと思ってました。僕がこの世に産まれたと同時に、一緒に出来上がった人みたいに。母にとって、僕は常にリストの最上位で、愛すべきもので、守るべきもので。母の心の中から、僕が外れることはないんだろうって。それが普通で、そういう生き物なんだって、思ってました。でもちがったんですよね。その時の母は、僕のことを気にかけるふりをして、本当は自分のことで精一杯だったんです。自分が口汚い生き物に成り果てていることに気づけないほど、余裕を失くしていたんです。僕はリストの上から転げ落ちて、母の気持ちに余裕のあるときにだけ、心から相手をしてもらえるようになりました。お父さんも、お母さんも、家も会社も、『昔のように戻って』なんて、言えなくて。不満はありましたけど、どうにかやり過ごしてました。ただ僕は、周りに、自分が感じたような不快な思いをさせたくなくて、自分だけは前向きに、綺麗に生きようと思ったんです。そしたら————ここからが面白いとこなんですけど————だんだん僕の周りに、人が集まってくるようになったんですよ。みんなが僕を求めて、僕を好きだと言ってくれるようになったんです。出来過ぎだと思います? でも、本当にそうなんです。高校生になると、誰かがお金をくれるとか、部屋を貸してくれるとか、そういうことも増えました。僕はなんで生まれた家にこだわってたんだろうって。どうしてあんなに陰気で、居心地の悪い場所で、耳を塞ぎながら、いつまでも心を寄せていたんだろうって。だから家を出たんです。僕のことが好きで、僕と一緒にいたいと思ってくれて、僕のこと、幸せにしてくれる他人がいるなら、たかが血で繋がれただけの不快な家族なんかよりも、そっちの方が大事じゃないですか。壊れて役に立たないものに縛られてるなんて、ごめんなんですよ」

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