13

 本村は街灯を見上げていた。

 見慣れたはずのそれが、ずいぶんと年季の入ったものであると、そのとき初めて気がついた。

 本村は歩きだした。

 メイリスのいないカバンを揺らしながら、夜の宮の城公園をふらついていた。

 宮の城は美しい町だった。ことに、緑が多く、透きとおった池水のある宮の城公園は、それを象徴するような場所だった。

 遊具やベンチでは、新しい出会いにはしゃぐ人々が、まだ冷めないとばかりに2.5次会を開いている。

 わいわいきらきらできる場所だけが、求められるとも限らない。ゆらゆらぐるぐるできる空間が、切望されるときもある。

 本村は簡素な宴を横目に、園内を漂いつづけた。

 ダイアモンド×ベリーベリーのギター・ギャンが、音もなく近づいていた。

 闇夜でも浮かびあがるアソートピンクと、水色のプラスチックパーツのスニーカーが、後ろから、飛び込むように、本村との間合いをぐんと詰めた。

 本村は振り返った。

 さらさらと風にそよぐ髪、Tシャツとジーンズ————。

「大槻」

 至極驚いて、本村は言った。「何してるの? 終電は?」

「スルーして戻ってきちゃった」

 いたずらっぽく笑い、大槻は言った。「分かってんだからね探偵ごっこするつもりだってことは。せっかく高校生活が始まったんだから、部活代わりにこういう活動もいいかなって。ほら、個性が求められる時代だし。ありきたりな活動だと埋没しちゃうでしょ? てつみちどこ」

「おめえよ」

 木々の間から、突然、凄んだ顔が現れた。「毎度毎度飛び出してんじゃねえ」

「え、何? どゆこと?」

 池脇は大槻を引きずり、歩道の脇の林の陰に戻ると、木々の間から捕食者のような目つきで園内のようすをうかがい始めた。

 本村は歩き出した。

 ゆらゆら。ぐるぐる。

 明らかに学生と分かるその装い。何かを憂う、その表情。恰好の獲物。

 だが、久碁市民の大槻にも、ここがサファリパークなどではないことはよく分かっている。

「ねえ、説明は?」

 おまけのように小さく、池脇の後ろにつきながら、大槻は催促した。

 先をゆく本村を沿うように追いながら、池脇は小声で言った。

「来るかもしれねんだと」

「誰がよ」

「なんか……」

 暗闇で、池脇は複雑な表情を浮かべた。「こっちの都合のいいようにコスプレしてくれる犯人————らしい……」

「は?」

「『は』じゃねえ」

 小声だが息巻いて、池脇は言った。「あいつがそう言うんだよ。俺はよー知らん」

「じゃあ、もとむはおとりってこと?」

 大槻はうっすらと微笑み、闇夜に似合いのカラスの顔に成り代わった。そして言った。

「危険な賭けだねえ」


 宮の城公園は広々とした敷地にあった。

 園内を囲むように散歩コースがついており、所々にベンチが設置されてあるが、深夜ともなれば無人の場所も多い。

 現れた空席のベンチに、本村はふいに腰かけた。蛍光グリーンのショルダーバッグを傍らに置き、ベンチの背にもたれると、特段、絶景でもない空を仰いだ。

 地面に波紋を打つように、ひっそりと、厚底のパンプスが近づいてきた。

 本村は顔を向けた。

 目の前に、バラ柄のワンピースを着た、すらりとした手脚の女が立っていた。

 半月型のショルダーバッグにグローブ。きつく巻かれた長い髪。頭には、小さなシルバーのティアラが載っていた。

「こんばんは」

 女は言った。

「こんばんは」

 本村は言った。

「何してるんですか?」

「人を待ってます」

「彼女ですか?」

「いいえ」

「お友だち?」

「いいえ」

 本村は言った。「萌えないごみ」

 女ははっとして、ショルダーバッグに手をかけた。

「あの、いいんです」

 落ち着いた姿勢を正さず、本村は言った。「僕、どうせ殺されるんですよね?」

 顔の中で、女は小さく、怯えにも似た動揺を見せた。

 本村は自身のバッグを持ち上げ、ベンチの片側を空けた。

「よかったら座りませんか」

 女はバッグに手をかけたまま、何も答えなかった。

「何もしませんよ。超無防備です」

 本村はショルダーバッグを開き、逆さにして勢いよく何度も振り下ろした。教科書、ボールペン、豆の缶詰、スマホのバッテリーなどが、舗装された地面に痛々しく落ちた。ほとんど白紙のルーズリーフが、風に吹かれてどこかへ飛んだ。本村は立ち上がると、学ランのジャケットからスマホを取り出してベンチに置き、それを脱いで激しく振り回した。それから、スラックスのポケットの袋布を引きずり出した。

「はい」

 本村は空の両手を肩の位置に上げた。女は警戒を解かなかった。

「どうぞ」

 本村は学ランのジャケットを差し出した。

 夜を壊さぬよう、緑を食ってしまわぬよう、ささやかな照明が灯っていた。

 それでも、たった数歩の距離ならば、互いの表情はうかがえる。

 冷たく静かな夜が、瞳の、切実さを際立たせた。

「僕は話がしたいだけなんです。あなたと」

 二人は、長い時を感じていた。

 女の表情からは、その心情がまったく読み取れなかった。

 焦りか、迷いか、それとも、もっと図太い企みがひそんでいるのか。

 どれもそうだが、どれも薄っすらとしか見えない。

 女は片方の腕を伸ばし、ジャケットをつかむと、くるまるように肩から羽織り、ベンチの片側に浅く腰かけた。

 表情は固いが動きは淡々としており、恐れは見せなかった。

 本村はベンチにかけ直した。

「僕、本村莞治っていいます」

 女は歩道を見つめたまま、何も答えなかった。膝の上に、しっかりとバッグが載っている。

「名前、聞いちゃだめですか? 人のこと、『ごみ』だなんて呼びづらくて」

「下の名前だけなら」

 ぽつりと、女は言った。

「はい」

萌野もえのです」

 消え入りそうな声で、女は言った。

「萌野さん」

 本村は言った。「どうしてシウマイさんを殺したんですか?」

「ゲームで、ちょっと親しくなって。付き合おうって言われて。すごくしつこくて。それで」

 迷うようすもなく、萌野は答えた。

「ゲームって、あおいろをまもる会のこと?」

「はい」

「そのバッグに入ってる、ナイフで?」

「はい」

「麗薇姫さんも、殺しましたよね?」

「はい」

「理由は?」

「あおいろをまもる会で、話してたら、意見が合わなくて、口論になって」

「ああ。ありますよね、そういうこと。やっぱり、そのナイフで?」

「いえ」

 萌野は言った。「ビルから突き落としました」

「他には?」

「誰も。その二人だけです」

「そうなんだ」

 本村はベンチに手を突き、夜空を見上げた。「僕はどうして殺されるのかな?」

 萌野の、簡潔な返答が途切れた。

 これから仕留められる恐怖など少しも抱いていないようすで、本村はだらりと脚を伸ばした。

「僕ね、あおいろをまもる会、登録はしてるけど、真面目にお掃除してないんだよね。あ、もちろん出会い目的のパートナーシップ申請とかもね。だから、リアルはもちろん、ゲーム内のトラブルで萌野さんに殺されるいわれなんて、ミリも思いつかないんだ」

 萌野は黙りこくっていた。

 本村はのびのびとした体勢のまま、萌野の方へ顔を向けた。

「僕を殺すよう、萌野さんに指示した人は、誰?」

 自ら蒔いた沈黙が、身をひるがえし、こちらをにらむようだった。

 萌野は歩道を見ていなかった。頭の中に、ただ、その笑顔が浮かぶ————。

「萌野さん」

 本村は言った。「水祈夜君は相当なガービッヂだけど、頭のいい人だよ。履歴が残ったら困るから、殺しの指示はチャットでは一切話さない。リアルで落ち合って、口頭で指示されたんじゃないの? あおいろをまもる会のフィールドは、現実が下敷きになってる。『イワツキステーション前で遊ぼう』『ランプタワー清掃しよう』。そういうメッセージが、現実で落ち合う暗号になってたんじゃないの?」

 萌野は、沈黙を守った。

 本村はたずねた。

「萌野さん、水祈夜君の本名、知ってるの?」

 ブツリと、頭に小さい衝撃が走るように、萌野は鳥肌の立つリアルに引き戻された。この視覚が、聴覚がうとましい。

 本村は続けていた。

「年は? どこの大学通ってるかとか、知ってる?」

「それってそんなに重要なこと?」

 力強く、萌野は発した。

 そして、本村の方を見た。

「名前とか、年とか、それが何? 名前なんて親が勝手につけた記号みたいなものだし、年齢で人を判断する時代なんてとっくに終わってる。私は、水祈夜君の名前や、年や、学歴を好きになったんじゃない! 私は、ちゃんと、水祈夜君の中身を見てるの!」

 本村は、するりと脚を収めて姿勢を正し、萌野の言葉を受け止めていた。

 萌野は話し続けていた。

「私、かわいくないし、頭も良くないし————。でも水祈夜君は、『そんなのどうでもいいよ』って。『人を外見や学歴で判断するなんて浅はかだ』、『俺たちが惹かれ合ったんだから、他に理由なんて要らないでしょ』って。こんな、ゴミみたいな人間しかいない世の中で、そんな心のきれいな人、HRハイパーレアに等しい。水祈夜君、かっこいいし、優しいから、すごくモテるし、いろんな人と付き合ってた。まいまいさんとか、麗薇姫さんもそうだった。私は、それでもよかったの。自分はその子たちとはちがう、水祈夜君の本命だって、分かってたから。だから————」

 萌野は自らの手で、片方の手首を強く握った。

「水祈夜君に麗薇姫さんを殺してくれって頼まれたとき、私がやるしかないって思った。水祈夜君のこと、汚したくなかった。どうせ他の子たちは、水祈夜君の顔とお金しか見てない。だから水祈夜君は、私に助けを求めたの。水祈夜君のためにここまでできるのは、私だけなの。私は水祈夜君にとって、本命以上の、ARオールマイティレアな存在なの」

「よっぽど愛されてるんだね、萌野さん」

 本村は言った。「どうしてそこまで自信が持てるの? 水祈夜君は、萌野さんに何をしてくれるの?」

「だから、分からない? そういうのじゃないの、私たち」

 はかなく笑い、萌野は言った。

 つかみ損ねぬように、本村は萌野の顔に現れる、動揺や、葛藤や、悦びを、食い入るように見ていた。

 だがその感情は、小さく現れては、申し訳ないとでも言うように、逃げるように消えてしまう。

 萌野は言った。

「水祈夜君、パートナーシップのリストをフォルダ分けしてるの。『ビジュアル要員』とか、『サイフ要員』とか、いろいろ。一番上には、『P要員』っていう特別なフォルダがあるの。意味分かる? 『プリンセス』の『P』。そこには、私一人なの。たった一人のためのフォルダなんて、無駄みたいに思うでしょ? でも、それくらい、私のこと、一人しかいない、最高上位のお姫様だって思ってくれてるの。それって、ブランド品をもらったり、高級なお店に連れていってもらうより、ずっと愛のある行為だと思わない? だから、他の子たちとおんなじみたいに思われたくないの。麗薇姫さんみたいに水祈夜君と付き合いたいがために借金までして切られた途端にヒス起こしたり、まいまいさんみたいに見栄とお金のために猫被って水祈夜君の隣にいるような人とはちがうの。私は、純粋に、水祈夜君のことが好きなの」

「うーん。まいまいさんねえ……」

 本村は頰を掻きながら、空を見上げた。「水祈夜君のそのフォルダ、まいまいさんも、見たことがあるらしいよ」


〝かわいいは正義と思ったら大間違いだよ〟


 イワツキ支部のカフェテリアで、本村は清いほどの無表情に帰って言った。

 まいまいは、もう後のないイスの背もたれにじっとりと身を押しつけた。恐怖さえ感じていた。

「僕にも言論の自由があるけどね。『まいまいは裏では相当あくどいことしてるSS級ガービッヂ』とかは、書き込まないでおいてあげるよ。だから、質問には答えてくれるよね」

「あんたも相当ガービッヂじゃん」

「答えてくれるよね?」

「分かったってば」

 まいまいは疲れきったようすで、すっかりすり切れた瞳をテーブルの脇に投げた。

「水祈夜君が付き合ってる人っていうのは、他に何人もいるの?」

「いるよ。ビジュアル要員だけで三人いたし。あとはサイフ要員と、コネ要員と、ローカル要員と————」

「待って待って何それ」

 大槻が飛び入った。

「だから、サイフ要員と、コネ要員と、ロ——」

「そうじゃなくて————。かわいい子だけを集めてるわけじゃなく、他にもたくさん役割があるの?」

「そうだよ。あの人マメなのかキモいのか知らないけど、あおいろをまもる会のパートナーシップリスト、きっちりフォルダ分けしてあるの。『ビジュアル要員』とか、『サイフ要員』とか名前つけて。私はビジュアル要員に入ってたの。ちょっと嬉しかったかも」

「いやそこ喜ぶとこ?」

「だってぇ。かわいいのは認めてくれてるってことでしょ? 言っとくけど私はまともな方だからね。もっとひどい任務に就いてる人だっているんだから」

「どういうこと?」

 本村が聞いた。

「リストの一番上に、『P要員』っていうフォルダがあるの。しかも、そこには一人しか登録されてないんだよ? 意味分かんなくて、これ何?って水祈夜君に聞いたら、いつものナルシスト顔で笑いながら、『SS級のパシリ要員だよ』って言ったの。『どうかしてるやつだ』って。『呼べばすぐ来るし、なんでも言うこと聞くし、王子様みたいなセリフ言っとけばそれだけで気分よくして何も求めてこないから、最強に使い勝手のいいやつだ』って。ね? そんな扱いに比べたら、ビジュアル要員なんて全然マシどころか、自信持てるポジでしょ?」

「いや、ごめん。水祈夜君のイメージがバブル並みに崩壊しててビジュアル要員のくだりが入ってこない」

 表情を萎えさせ、大槻は言った。

「P要員のフォルダに入ってた人の名前、覚えてる?」

 本村は聞いた。

「うん」

 軽くまいまいは答えた。それからもったいぶった笑みを浮かべ、じろりと大槻の方を見た。「うさぎ君も知ってる人だよ」

「え?」

 大槻は身構えた。

「私も最初はびっくりしたんだけど、私たちとよく交流のある人なの」

「誰?」

 駆け引きを許さず、本村は言った。

 まいまいは着席したまま、正義を振りかざすようにつんとあごを上げ、答えた。


〝萌えないごみ〟


「嘘!」

 萌野は、感情の爆発とともに叫んだ。

「嘘だ! 嘘つき! あの人、自分がプリンセス要員になれなかったから、プライドを保つために嘘を言ったのよ!」

 本村は、最後まで燃え尽きて、枯れ果てるまで、その女の血と涙を感じていたかった。

 止めないで。どうぞそのまま。

 火達磨で野に放たれたような、その、ういういしい表情を見ていたい————。

「萌野さんが、本当に水祈夜君のことが好きなのは、よく分かったよ。僕は、今となっては水祈夜君のこと、ひどい人だなって思うけど。でも、いい部分もあるよ。少なくともネットに悪口書き込んで時間潰すタイプの人じゃないし、ネガティブなこと言わないし。もう一つの顔さえ知らなければ、一緒にいて気持ちのいい人だよね」

 萌野はグローブで顔をこすりながら泣きじゃくっていた。透明な肌がまだらに濡れて、ささやかにマスカラの塗られた睫毛が垂れた。

「でも、シウマイさんが死んで、絶望してる人がいるんだよ。その人は、シウマイさんの本名も、年も、職業も、顔すらも知らないけれど、シウマイさんとネットで繋がってるときだけが、唯一の救いだったんだって。すごいことだよね。所詮ネットの繋がりだろって、言われるかもしれないけど。その人と通じることで、生きる価値を見い出せるなら、現実の薄っぺらな人間関係よりも、ずっと強い繋がりだよね」

 本村のスマホが光った。

 現実よりも、仮想世界よりもずっと博大な空間の誰かが、呼び声を上げていた。

 本村は萌野の横顔を見ていた。

 足元に転がったままの荷物を、拾い上げてしまおうか迷った。

 風が冷たい。呼吸が浅い。脳が、じわじわと絞られている。これは確かに現実だ。

「そういう人を、これからも消していく? 自分の、好きな人のために。お願いされたらなんでも聞いて、誰でも殺す? そのナイフで、何人も、何人も、何人も————」

 萌野はうめくような泣き声を上げながら激しく首を振った。

 確固たる自信。働く理由。簡潔な答え。

 それが、安住のような片時とともに流れてゆく。

 なんで。

 あれは現実だったのよ。

 声を聴いたわ。かおりを纏ったわ。なんて、優しい目をするの。

 なまものみたいにうごめく、柔烈な気持ちを飼っていたわ。

 熱を持つと、ここじゃいられないみたいに私の中を馳けずり、流れ、爪の先まで浸みるほどに、脈動を感じたわ。

 なのに、なんで。

 なんで。

 今は、すべてが————。

「あの日————シウマイさんが殺された日————夜の八時頃に、水祈夜君にゲーム内で呼び出されたよね?」

 本村はたずねた。萌野は身をふるわせるように頷いた。

「それで、水祈夜君が自分のアリバイを作ってる間に、シウマイさんを殺しに行くよう頼まれた?」

 本村は言った。萌野はさらに頷いた。

「シウマイさんの部屋にはどうやって?」

「あ、あの人、本物のシウマイさんじゃないの。シウマイさんのふりして、水祈夜君や、その周辺の人たちのこと利用するために、近づいてきたらしいの。わ、私は、元のシウマイさんとゲームの中で本当に交流があったから、しょ、正直にそれを話して、私もヘンリエのファンなんですって、仲よくするふりして————。水祈夜君から、ヘンリエの、レア物のフィギュアのこと聞いたから、見せてもらえませんかって————」

 つっかえながら、萌野は答えた。

「ヘンリエのコスチュームを真似たのも、水祈夜君に頼まれたから?」

「それは、私が勝手にやったの————。その方が、シウマイさん、私がヘンリエのファンだってこと信じて、部屋に入れてくれると思って————」

「わめき声を上げたり暴れたりしたのは、シウマイさんが殺されたのがその時間だって、アパートの人たちに強調するため?」

「それも、ある————けど、あと、犯人が女だって、思ってもらうために————」

 少し落ち着き、萌野は話し出した。

「殺すのは、そんなに大変じゃなかった。あの人、私のこと、まったく警戒してなかったから。フィギュアを見せてもらって、こういう風に、話をして、それで————。なんでかな、私、普段はあんまり話すの得意じゃないのに、この人、これから死ぬんだって思ったら、なんか、どんな人なのかとか、何を考えてるのかとか、全部聞いてみたいって思って————。あの人と話をするの、嫌な気分じゃなかった。突然やって来た私のこと、すごく気遣ってくれて。私も、みんりえや、あおいろをまもる会が好きだから、話が合って、居心地がよかった。だから、気づいたら、殺すのが深夜になってた」

「ナイフを持ち去ったのは、また次があるって、分かってたから?」

「分からない————けど————」

 萌野は、可哀想なものでも見るように、膝の上のバッグを見つめた。「また、お願いされたら、すぐできるように————」

「シウマイさんの手に、壊れたヘンリエのフィギュアを握らせたのは、萌野さん?」

「あれは————」

 萌野は思い返していた。

「あの人が、自分で握ったの。刺されたあと、這いつくばって、テーブルに手を伸ばして————。あのフィギュア、私が部屋に入ったときから、壊れた状態でテーブルの上にあったの。うっかり落としちゃったんだって、言ってた。私、怖かったけど、とどめをさす気になれなかった。最後まで、ずっと見てた。テーブルのフィギュアをつかんだあと、なぜか、ほっとした顔して、そのまま動かなくなったの、あの人。ほんとに好きみたいだった、ヘンリエのこと。それから————」

 萌野は、大切な思い出でも見返すように、すっと前を向いていた。

「レッドアロー」

「レッドアロー」

 本村は繰り返した。

「うん。ずっと昔から、毎日のようにゲームで話すんだって。どのゲームのランキングにも絶対に登録はしないけど、すごいプレイヤーだって言ってた。あの人きっと、そのレッドアローさんと、ヘンリエのこと、重ね合わせてたんじゃないかな。いつか会ってみたいけど、もしも拒否されて、今の関係が崩れたらって思うと、なかなか言い出せないって————」

 萌野は勢いよく振り向き、本村を見た。「もしかしてその人が、さっき話してた————」

 林の陰から、二人の男がゆっくりと現れた。

「こんばんは」

 佐野は言った。「あ。平田高校の制服。君たち高校生? こんな時間にこんなところで何してるの?」

「佐野さん、猿芝居が過ぎますよ」

 言って、相原が萌野のもとへ歩を進めた。

 萌野はうつむき、何かを抑えつけていた。どくどくと何かが込み上げ、腹の内から溺れてしまうようだった。

「あのう、相原さん」

 本村は言った。「僕さっき、カバン落とした拍子に、ルーズリーフどっかに飛ばしちゃったんですよ」

「へえ」

 常に真摯な態度の相原にしては、素っ気のない返事だった。

 佐野と相原は、本村が自らショルダーバッグをひっくり返し、中を撒き散らすところを、林の陰から見ていた。

「捜索してきてもらえませんか?」

「はい?」

「だめならいいですよ。僕がこの広大な夜の宮の城公園をたった一人で探しますから。高校生の僕が。こんな時間に。こんなところで」

 相原は顔をひきつらせ、ゆっくりと佐野の方へ向けた。

 首がまわりきる前に、そのお伺いが空業務だと分かっていた。

 佐野は言った。

「あ、俺、ここで待ってるから」

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