12

『よいかニコラス。そとには魔物がいっぱいじゃ。くれぐれも用心するのじゃぞ。』

『王さまへ兵の要請を頼みに行くんだって? 気をつけて行くんだぞ、ニコラス。おれ? おれは村を守らないとな。』

『やれやれ。魔物がいっぱいでとなり村へ買い出しに行くのもひと苦労だよ。となり村へはどうやって行くかって? 東の森を抜ければすぐさ。』

『ニコラスにいちゃん、お城に遊びに行くんだって? ぼくも連れていってよ!』

『王女さまが魔王にさらわれて、城下は大混乱しているらしいわ。』

『おとといやってきた旅人さん、一文なしで村をふらついているけれど、なんだかぶきみな感じさ。魔王の手先なんじゃないのかね。』

『ああ……。腹が減ったなあ……。』

『この村唯一の名物、『ヒューマナーズパイ』はいかが? ひとくち食べれば身も心も、みるみる回復するって!』


「あー」

 スマホをいじりながら、本村は覇気のない表情でテーブルに突っ伏していた。

 翌日のイワツキ支部。

 魔物に脅かされる日々から村を救うため、重要な使命を託された若き村人、『ニコラス』こと本村が装備する蛍光グリーンのショルダーバッグの中に、メイリスは入っていなかった。

「てつみちのせいだよ」

 大槻は、非難のまなざしを池脇に向けた。「さっさと店出ろって急かすから、きっとロッカーに置き忘れてきたんだよ」

「けど、ゲーセンの店員もないって言ってたじゃん」

 池脇は言った。「あのあとはここ来ただけだろ」

「誘拐されたんだよ」

 本村はつぶやいた。

 池脇と大槻は振り向いた。

「誰に」

 池脇は聞いた。

「魔王」

「あ?」

「メイリス、かわいいから。僕のあとにあのロッカー開けたケダモノみたいな野郎に盗まれたんだよ。うっ……。うううう……」

 本村は涙なき泣き声を上げながら画面を連打し続けた。

『よいかニコラス。そとには魔物がいっぱいじゃ。くれぐれも用心するのじゃぞ。』

『よいかニコラス。そとには魔物がいっぱいじゃ。くれぐれも用心するのじゃぞ。』


「うさぎ君」

 水祈夜が、ふらりと三人のいるテーブルへやって来た。

 先日と変わらない、こなれた美装と、落ち着いた笑み。テーブルへ歩み寄り、イスに腰かけるまでが、出来のいいスナップ写真のようだ。

 だが、池脇と大槻は初対面のように、水祈夜の一挙一動をさりげなく、じっくりと観察していた。

 すべてはリセットされた。その、体のいい装いと健全な言葉には、信用がない。

 名前も、人間関係も、セルフプロデュースの上に作られたキャラクター。ならば、お前はいったい何者なのか————。

「こないだのラジオの件、聞いた? みんりえの二人が放送開始直前にドタキャンしたって話」

 失墜しかけた自身の状況など知らぬようすで、水祈夜は話し出した。

「あれは、ドタキャンっていうか————」

 大槻が、これまでと変わらぬひょうひょうとした態度で答えた。「度を越した嫌がらせのせいでしょ?」

「そうなの?」

「そうなんだよね? 貴公子」

「さあ。どうかな」

 本村は突っ伏したまま、心ここにあらずという調子で言った。

「ふうん。確かに最近ヘンリエ界隈が荒れてるのは知ってたけど」

 水祈夜は、さっぱりとした雰囲気で考え始めた。

「俺には理解できないな。俺たち、新しい情報や面白いネタがすぐ手に入って、みんりえみたいな人たちを近くに感じられる、すごく便利な世界にいるのに————。ああいう書き込みをする人たちは、ブラックホールみたいなものの中にでもいるんじゃないかな? 一瞬、すごい場所にいて、すごい力を手にしたような気分になれるけど、実際はなんにもなくて、ただ脱出できなくなってるだけっていう。それも、自分が感じるよりずっと長い時間。俺なら、もっと有効活用するのにな」

 それから、長らくスマホに向かったままの本村を気にかけて言った。

「あれ、貴公子君、やっとあおいろをまもる会プレイする気になったの?」

「ちがうの。RPG。しかもちょー古典的なやつ」

 大槻が言った。

「へえ。いいじゃん。俺もたまにやるよ、王道RPG」

 水祈夜は、ほとんど本村に向かって話しかけていた。そこから、たわいもない会話が広がるはずだった。

 だが本村は少しも面白くはなさそうに、生気のない瞳で画面を見つめていた。

 水祈夜は腫れ物に当たったように身を引いた。「何か、あったの?」

 大槻は言った。

「今度は貴公子の人形が消えたの」

「人形?」

「そう、人形。あ、そんな繊細なやつじゃないよ? こんな落ち込んでる風だけど、割とおもちゃみたいに雑に扱ってたんだから」

 大槻と水祈夜は伏せっている本村を見下ろした。本村はぴくりともしなかった。

「心当たり、探した?」

 水祈夜は大槻に向かって言った。

「うん。ほとんどは」

「交番には行ってみた? あ、落とし物ってネットでも検索できるって————」

 突然、本村は顔を上げた。

「水祈夜君、顔広そうですよね」

「え?」

 本村は力なくスマホの画面を切り替え、ふるえる腕を上げると、水祈夜に見せつけた。

 花柄のドレス、くるくるの巻き毛、プラスチックのティアラで、完璧にめかし込んだお人形。かわいく撮った、最高の出来栄えの写真だ。

「僕の大切なものなんです。あとで送るんで、見かけた人がいないか、拡散してもらえませんか?」

「うん、分かった。できる限り協力するよ」

 事もなげに、水祈夜は頷いた。

「はぁ……交番かぁ……」

 まったく晴れないようすで、本村は言った。「明日行ってみようかな」

「行くなら早い方がよくない?」

 大槻は言った。「ここから一番近い交番どこだっけ?」

「いやぁ……今日はもうHPが……」

 本村は再びテーブルに突っ伏し、現実逃避しはじめた。「お姫様ってさ、なんで囚われてるんだろうね」

「魔王がお嫁さんにしたいからじゃないの?」

 大槻は言った。

「ちげえだろ。人質にして王を自分の言いなりにさせるためだろ」

 池脇は言った。

「まあ、どちらにせよ、魔王の私利私欲のためだよね」

 水祈夜は言った。

「だったらさ、先々のために王を倒しちゃった方が手っ取り早いよね。大体、魔王ってボスなんでしょ? 肩書きだけじゃなくてちゃんと魔力が備わってるからその地位にいるわけでしょ? 引きこもって何してんの? ネット? 下っ端徘徊させてないで自分から来ようよ。そして若い芽を摘もうよ」

 村長から譲り受けた、超近距離でしか戦えない短剣と、古びた防具。

 不安を煽る割には、人任せな村人たち。

 ニコラスは、閑散とした食堂をさまよう。

『この村唯一の名物、『ヒューマナーズパイ』はいかが? ひとくち食べれば身も心も、みるみる回復するって!』

『この村唯一の名物、『ヒューマナーズパイ』はいかが? ひとくち食べれば身も心も、みるみる回復するって!』

「いいからさっさと最初の村から出ろよ。それとヒューマナーズパイ買って腹減ったぼやいてるおっさんに食わせろ。耳寄りな情報教えてくれっから」

 池脇が、苛立ちながら急き立てた。

「うっ……。ぶっちゃけ世界平和も面識のない王女もどうでもいい。村長には悪いけど、村に留まってパイ食べながら少年と滅びゆく世界を眺めていたい」

 本村は完全に顔を伏せて使命を放棄した。大槻が本村の肩をたたいた。

「まあまあ。そう悲観しなさんな。こういうときこそ、ぼっちでゆらゆらぐるぐるよ」

「ゆらゆらぐるぐる?」

 水祈夜は言った。

「こいつ、夜中に宮の城公園ほっつき歩いてるらしいっす」

 池脇が説明した。

「ええ! 大丈夫なの? それこそ補導されるでしょ」

「大丈夫。今のところは」

 余裕の顔で大槻は答えた。

「でも、気持ちはちょっと分かるかな。俺もたまにまいまいと夜の公園ふらつくけど、割と癒されるよね」

 池脇と大槻ははっとした。水祈夜は悠々と続けた。

「そういえば最近、まいまいのフォロワーがすごい勢いで増えてるらしいんだよ。嬉しい反面、俺、心配なんだよね。ヘンリエの件とか見ちゃうと、人気者になるのも大変だろうなって」

「へーえ。それは心配だね」

 大槻は自然な素振りで返した。

 池脇は黙った。本村は突っ伏したまま、そっぽを向いていた。

 水祈夜は一瞬で、場の空気を察知した。

「あれ? もしかして、バレてる?」

「えへへ……」

 かわいこぶって、大槻は白状した。

「あ、やっぱり? てつみち君、ただの寡黙な人っぽく見せてるけど、表情が俺の発言に興味津々なんだもん」

 なんのことはないという風に笑ってみせながら、水祈夜は言った。池脇は、融通の利かない自分の顔を呪った。

「そっかぁ。バレちゃってるのかぁ。でも俺たち、ちゃんと仲いいし、事件の日の夜に一緒にいたのは本当だから、そこら辺は誤解しないでほしいな」

 和やかに、水祈夜は言った。そしてたずねた。

「軽蔑した?」

 池脇は何も答えなかった。本村はテーブルに頰をつけ、そっぽを向いたまま、三人の会話を安聴していた。凛々しい瞳が生きていた。

 大槻は言った。

「まあ、ぶっちゃけ、ちょっとは……」

「そりゃそうだよね」

 ため息混じりに、水祈夜は言った。

「でも俺は、みんなの方がどうかしてると思うんだよね。会の人たちがよく、ヘンリエとみんみんどっちが好き?って話をするけど、最低だなって、思ってた。頑張ってる人たちのこと天秤にかけるなんて、失礼だなって。俺、本当は、どっちも好きだよって言いたかったんだよね。それを言うと会話の流れが止まるから言えなかったんだけど、本当はそうなんだ。人って、それぞれまったくちがう個性があるし、魅力があるんだから、一人に絞る必要なんてないと思うんだ。自分が素敵だと思ったなら、両方好きでも、いいんじゃないかって」

 水祈夜はおかしそうに微笑みながら、本村の方を見た。

 ふて寝のような、後ろ姿。頭髪が、ヤマアラシのようにとげとげしく立っている。

「まあ、俺の考えを押しつけるつもりはないけど」

 水祈夜は、いかにも穏便な口調で述べた。

「貴公子君みたいな一途な人とはちがった考えを持つ人もいるってことは、分かってほしいな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る