11

 牛乳と卵 買ってこいって

 おっかさんの言いつけよ

 急な話だ

 神通力でパンケーキ作るんか


「舐めてんな もう二つくらいいけるわ」

 破咤詈ね


 下駄が痛え

 下駄が痛え


 飛翔 飛翔

 本気出したら な

 徒歩 徒歩

 チートは犯さねえ


 うまくできたら

 鼻がのびーる


 山を下り 谷を抜け

 おっかさんの言いつけよ

 よく聞いたら

 焼くタイプのプリンだった


「舐めてんな 三時までに戻るわ」

 破咤詈ね


 下駄が痛え

 下駄が痛え


 飛翔 飛翔

 本気出したら な

 徒歩 徒歩

 チートは犯さねえ


 うまくできたら

 団扇買ってくれるって


 おつりでグミ買おう


「おー」

 ブースの隅で、VRグラスをかけた本村は手を叩いた。

「あーすっきりした」

 同じくグラスをかけた大槻はコントローラーを置き、ブースの後ろに戻ると言った。

 雷陣髃の公式宿敵ライバル、『紅天颶べにてんぐ』の最新配信曲『おつかい』に乗せ、360度全方向から飛んでくる火球を『ハートのステッキ』で叩き割り、床から噴き上げる風にあおられ、髪が逆立っている。

「これ音ゲーじゃなくね?」

 グラスの向こうに広がる世界に疑問を抱きながら、池脇は言った。「BGM流れてるだけのただのバッティングだろ」

「細かいこと言わないの。概念というものは時代と共に変わりゆくものなんだよ。次、僕ね」

 本村はブースの真ん中に立った。前髪の一部が唐突に立ち上がっているのは、風にあおられたせいではない。

『ぶんまわすものを選んでください』の画面で、本村は『枕』を選択した。先程とは打って変わったポップなテクノサウンドが流れ、本村は枕を振り回しながら、多方から飛んでくるカラフルな球を叩き潰していった。

「てつみちもやればー?」

 音楽にかき消されないよう、大槻は叫んだ。「雷陣髃の『あめふり』とかも入ってるよ。宿敵対決しよう」

「いい」

 グラスを額の上にずらし、池脇は叫んだ。もはやただのバッティングゲームとはいえ、音ゲーは苦手な方である。

 取り囲むウォールディスプレイの真ん中で、本村は目隠しで踊り狂っていた。

 ブース内に、心地よい風が吹く。

「わああ! 飛んでる! 飛んでる!」



 VRゲームを遊び終えると、三人はロッカーに荷物を取りに行った。

「また荒れてるー」

 ロッカーの扉を開けたまま、大槻は自身のスマホを見て言った。画面に、ヘンリエッタ45のSNSアカウントが表示されている。

「昨日のラジオ、欠席したせい?」

 本村は言った。

「うん。多分」

「それはちげえ」

 言ったのは池脇だった。

 本村と大槻は振り返った。一人とっとと荷物を回収した池脇は、ベンチに大股を広げて腰かけていた。

「予定通りラジオ出ててもなんか言われただろ。真面目に仕事しても、世界救ってもなんか言われる。もうそういう状況に置かれてるってことだよ」

 あちいな、ここ、と、池脇はワイシャツの胸で風を起こしながら一人先にゲームセンターを出ていった。

 大槻は顔をゆがませ、自動ドアを見つめていた。

「ねえ、見て見て」

 本村は青いランドセルからメイリスを取り出した。栗毛を華やかに巻き、花柄のミニドレスを着て、存在感のある厚底パンプスとグローブを身につけていた。頭には、プラスチックでできたティアラが載っている。

 楽しそうに抱き上げる本村の目には、VRグラスなどなくとも、メイリスの後ろに映る電子オーケストラやレーザービームを放つ氷の彫刻、浮かんでは消える3D花火、青々とした天然生垣のナイトガーデンが見えているようだった。その光景は大槻にとって、今更驚くほどのことではない。

「珍しくない? メイリス、いつもはストレートかもっとゆる巻きじゃん」

「うん。たまにはね」

「ちょっと派手過ぎて俺の趣味じゃないけどメイリスが着るとなんでもかわいく見えるもんだね」

「そうだよ。ファストファッションだろうが古着だろうがそこはメイリスの生まれ持った品のよさで着衣した瞬間からカバーよ」

「ああ。内からにじみ出る系のやつね。でもさ、それってすげーぼやっとしてるよね。服脱いだら何をもってどう『上品』と捉えるのか分からなくない?」

「『所作』、とかじゃない?」

「メイリス動かないじゃん」

「でも、この、指先がほんのりまとまった手とか」

「うん」

「『哄笑』じゃない『微笑』とか」

「ああ。うふって?」

「そう。うふ」

「うふ」

「ふ。ふ」

「うふふふふふふふふ」

「てめえらばかみてえな顔でばかみてえなことくっちゃべってねえでさっさと出ろや」



 三人はエスカレーターを下り、四階のイワツキ支部へと向かった。

 昨日の混乱のせいか、フロアはいつにも増して会員たちであふれていた。

 ロフトの真ん中のテーブルに、まいまいが座っていた。数人の会員たちに囲まれ、楽しそうに話をし、並んで写真を撮ったりしている。そこに水祈夜の姿はなかった。

 本村たちは短い階段を上がった。入れ違いに、まいまいを取り囲んでいた会員たちがロフトを下りていった。

 まいまいは本村たちの姿にすぐに気がつき、笑顔を向けた。

「まいまいさん、こないだ会ったときより、なんかキラキラしてますね」

 ランドセルをイスの背に掛けると、まいまいの真向かいに堂々と座り、あいさつ代わりに本村は言った。

「え、そ、そうかな?」

 照れながらも少し嬉しそうに、まいまいは言った。

 低く結んだツインテールに、しっかりと上がったセパレートの睫毛、瞼の上で光るラメ。襟つきの水色のワンピースを着て、テーブルの上には、あおいろをまもる会のロゴが入った、ピンクと水色のグラデーションのタンブラーを置いていた。

「何かいいことでもあった?」

 大槻も席に着き、たずねた。

「う、ううん。なんにも、ないよ」

「さっきの人たちは?」

 大槻は、ロフトを下りていった先の会員たちを見下ろした。

「うんと……ね……」

 照れくさそうに、まいまいは言った。「『ファンです』って、言われちゃったの……。ネットにね、私のファンのコミュニティができてるんだって。まだ人数はそんなにいないけど、でも、すごいよね。びっくりしちゃった————」

「ずいぶん古典的なことしますよね」

 本村は言った。

「え?」

 まいまいは、きらめく瞳で本村を見た。

「悪質な書き込みでヘンリエの人気を落としてそのタイミングで自分を持ち上げるコミュニティを作ってファンを吸い取る作戦ですよね」

「え? 何?」

 くすくすと笑いながら、まいまいは大槻の方を見た。「分かんないよう。貴公子君、なんの話してるの?」

 大槻も、まいまいにつられるように笑みを浮かべながら首をかしげた。本村は言った。

「昨日、みんりえの二人がラジオを欠席したことは知ってますよね。『ヘンリエがファンを資に追いやった』っていう書き込みを信じたある人に、楽屋で襲われたからなんですよ。みんみんは怪我まで負ってます。今、身の危険を感じたヘンリエが被害届を出して、書き込んだ人物が特定されたら、せっかく吸い取ったファンも逃げていくんじゃないかっていう話をしています」

 まいまいの顔から、きらめきが消えた。

 ボタンのない、シンプルなグレーの学ラン服。青いランドセルと、唐突に立ち上がった前髪。それが、まいまいの正面に、正義のように鎮座する。

 理解が追いつかないという表情で、大槻は本村とまいまいの顔を行き来していた。

「わ、私は————」

 忙しそうに言葉を選びながら、まいまいは言った。「私は、『ヘンリエがファンを資に追いやったらしい』って書いただけだもん。ヘンリエが人殺しだなんて言ってない」

「そういう、人伝てに聞いた私悪くないアピール、意味ないんだわ」

 池脇が言った。

 池脇はもう一つのイスに後ろ向きに跨がり、散々と疲れ果て、いくつも老いたような表情で下のフロアを見下ろしていた。

「『何々らしい』だろうが『何々っぽい』だろうが、相手を下げる情報広めたんならそれは名誉毀損なんだわ。現に、二人はそれが原因でリアルでもネットでも被害受けてるわけだろ? あんたもう立派な加害者だよ」

「は? ネットの書き込み簡単に真に受ける方が悪いんでしょ?」

 急に、高圧的な口調になってまいまいは言った。

「みんみんが怪我したのは私のせいじゃないから。ネットで雑談なんて、リアルで喋るのと一緒でしょ? それをいちいち名誉毀損だって言われたって困る。うちらにだって言論の自由があるでしょ」

 まいまいはイスの背もたれにどっしりと寄りかかり、脚を組むと、うっとうしいとばかりに目を伏せた。

「じゃあ、例の書き込み、ほんとにまいまいちゃんが?」

 静かに、大槻はたずねた。

 まいまいはでかでかとため息をついた。

「そうだけど?」

「そんなに、ヘンリエのことが?」

「別に。邪魔だなって、思っただけだよ」

 言い終えると突然、まいまいは自身のツインテールに触れながら、きらめく笑顔を大槻に向けた。

「私、かわいいでしょ? みんりえの二人なんかよりもずっと。アイドルなんて楽勝だと思うんだ。ゲームはそんなに好きじゃないけど、上手い人の流れ作業みたいなプレイ動画なんてみんな見飽きてると思うし、これからは一周回って素人ゲーマーの時代かなって。上手くできない子の方が、かわいいでしょ? それに、『まいまい』と『みんみん』のコンビなら、音的にも丁度いいかなって」

「それで、ヘンリエを犯罪者に仕立て上げるために、ヘンリエのファンを殺したの?」

 大槻は言った。

 目の前にいる、露骨な幼さを残した女が、怖くなった。カフェテリアに響く雑音が、細く、冷たい。

「は? シウマイさんのこと?」

 悠々とまいまいは語った。「あれは私じゃないよ。書き込みをするきっかけにはなったけど、私は関係ないから。前にも言ったじゃん。私にはアリバイがあるって」

「水祈夜と共犯なら、できただろ」

 池脇は言った。「そのアリバイってやつ、穴だらけなんだよ。隙を見てどっちかが殺しに行くことだってできただろ」

「共犯? 私たちが? ああ————」

 まいまいは手のひらでテーブルを叩きながら、大口を開けて笑いだした。

「そっか。私たち、お似合いのカップルってことになってるんだもんね。水祈夜君が、私の夢のためにって? あんたたち、ほんと、仮想世界に浸かりすぎだよ。私たち、お互いのこと、自己プロデュースのための道具としか思ってない。確かに、付き合いだす前までは、ちょっと狙ってはいたよ? 水祈夜君、顔いいし、お金いっぱい持ってるし。でも私、水祈夜君のスマホ、こっそり覗いちゃってさ。あの人、他に付き合ってる人がいたの。スマホ見ちゃったこと、水祈夜君にバレたけど、水祈夜君、怒らなかった。それどころか、私がいいなら、偽装カップルにならない?って。浮気じゃないよ。私のこと、最初からただのお飾りとして扱いたいってこと。かわいいから、そばに置いておけば、気分いいでしょ? それで、よくよく考えてみたら、一緒にいて気分がいいのはお互い様なんだよね。だから誘いに乗ったの。使えるものは、利用しないと損でしょ? かわいいと、こういうときに得なんだ」

 軽蔑のまなざしで、大槻はまいまいを見ていた。

 これは自分の知った女か。

 いや、知ったはずがなかった。互いに、『まいまい』として、『からすうさぎ』として、画面の中と同じキャラクターを演じていただけだった。

 池脇はイスの背もたれに覆いかぶさるようにして、再び視線をロフトの下へ落としていた。

 顔を向けるのがばからしいなら、耳を傾けるのもあほらしい。

 この清潔なフロアに散らばる誰かも。仲間のために、世界のためにと勇ましい志しを掲げながら、おのれのために、助け合うふりをしている。人には言えない、下品だが、真っ当な欲を、現実においてもひた隠している。

 きったねえ。

 欲すれば欲するほど、穢れてゆく。

 自分が、嫌厭され、やがては棄てられるくず物に変わっていくことに、気づかない。

 他人も。おそらくは自分も————。

「あのう」

 まいまいのもとへ、二人組の女子高生がやって来た。

「ファンなんです。写真、いいですか?」

 まいまいは、何度も作り倒した高水準の笑顔に戻り、快く申し出を引き受けた。

「あ、僕、撮りますよ」

 本村は立ち上がり、女子高生からスマホを預かった。

 まいまいは、いぶかしんだ目で本村を見た。

 本村は、これまでまいまいから受けたきらめきを、すべて突き返すような笑顔で言った。

「大丈夫。かわいく撮るから」

 本村はスマホをかまえた。

 まいまいは我れに返り、すばやく目をしばたたかせて、映りのいい表情を作った。

「はい、いとをかしー」

 撮れた写真を確認すると、女子高生たちは礼を言い、はしゃぎながらロフトをかけ下りていった。

「どういうつもりなの?」

 口角を上げ、吸引したファンに手を振り続けながら、低いトーンでまいまいは言った。

「うん」

 本村は席に戻ると、いとも容易く人の気を吸い取る笑みを、一瞬で無に帰して言った。

「かわいいは正義と思ったら大間違いだよ」

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