酉飾町とりしかちょうにはサバンナがある。

「『ライオンの孤独』『キリンの夢』『ゾウの棺桶』『ヌーの大脱走』————」

 佐野はメニューを読み上げた。「なんだ。本格的なアフリカ料理が食べられるのかと思って期待しちゃったよ」

「酉飾に本格派とか求めるの無しですよ。一周回ってどうかしちゃった町なんで。ここは自然回帰と弱肉強食をテーマにした、いかつい創作料理カフェレストランです」

 サイケデリックな青いシャツに、ライオンの立髪のような寝癖頭をした本村は言った。

「君たち、元気だねえ」

 伸びをし、野性味あふれる店内を見渡しながら佐野は言った。吹き抜けになった二階席。川のせせらぎと、動物たちの声が響いている。「朝も早よからカッフェーなんて」

「朝っつってももう十一時ですよ」

 本村の隣で、ジャパニーズメタルバンド『雷陣髃らいじんぐ』のTシャツを着た池脇は言った。

「この歳になるとね、正午過ぎるまではずっと朝なの」

 獲物にもならない鮮度の落ちたくたびれ顔で、佐野は言った。

「クロコダイルの涙三つ、フラミンゴミルクお一つ、お持ちしましたー」

 長髪を頭の上で束ねた大らかそうな店員が、泡立った真緑色の飲み物と、桃色の飲み物をテーブルに並べた。

「ラストオーダーは三十分です。ごゆっくりどうぞー」

「はあい」

 本村が言い、店員は危機感のないようすでサバンナの二階から立ち去った。

「ラストオーダーって? まだ十一時だよ?」怪訝な顔で、佐野はたずねた。

「あ、ここ、朝四時オープン十二時クローズの超朝型営業なんですよ」

 本村は説明した。「夜がいいときは金土限定でナイトサファリ営業やってるのでそっちに行ってください」

「へえ……」

 生命力の尽きた目で、佐野はフラミンゴミルクをかき混ぜた。それから、手すりの下を覗き見た。相原が、木の葉を立ち食いするジェレヌクの置物の横で電話をしている。佐野は言った。「平岡空翔と言い争ってたっていう、女のことだけどね」

「佐野さん、話が早いですね」

 クロコダイルの涙を摂取し、本村は言った。

「食うか食われるかのこんな殺伐とした店にいたらね、こう、五感が研ぎ澄まされるっていうか————君たちが、『たまには文明というネットワークから離脱して野生の心を取り戻しませんか?』なんて言って俺を呼び出した理由もね、察知できるようになっちゃうんだよ」

 へらへらと冗談を飛ばす佐野を尻目に、池脇は手すりの下を覗き見た。

 スマホを耳に当てた相原が、捕食者のような鋭い眼光でこちらを見上げていた。

 池脇は佐野の方へ向き直った。

「確かに、君たちが遺体を発見したあの日の前日、夜遅い時刻に、女の泣きわめく声が聞こえたって、アパートや近隣住民の証言があった。平岡空翔の両隣と真下の住人の証言からして、騒音は間違いなく平岡空翔の部屋から出たもの。気になってアパートを出ていく女のようすを覗いていた住人がいるけど、フードとマスクをしていて、顔まではよく分からなかったらしい。ただね————」

 佐野は本村たちにぐっと顔を近づけ、ささやいた。

「その女の服装が、例の、ヘンリエッタ45にそっくりなんだよ」

「コスプレって、ことですか?」

 本村はたずねた。

「さあね。断定はできないけど。水色のパーカーに水色のスカート、グローブとブーツ、筒型のリュックを背負っていたらしい」

「平岡空翔が殺された時間も、ほんとにその時間なんですか?」

「そうだね。死亡推定時刻は夜中の十一時から一時までの間ってことになってる。でも、先走らないでよ。その女が犯人って確証は、まだないからね」

「凶器は見つかったんですか?」

「それがまだなんだ。アパートの周辺も捜索してるけど、見つからない。平岡空翔の部屋のキッチンにあった包丁は形状がちがう。もっと、サバイバルナイフみたいなものらしいよ」

「水祈夜君の、アリバイは?」

「それがちょっと、君たちお仲間には伝えにくいところでね……」

 佐野は片方の口角を上げ、きわどげな表情を作った。

「確かに、鞠尾の防犯カメラのいたるところで、水祈夜君とその彼女の姿は確認できたんだ。でも、どれも断片的なものでね。平岡空翔のアパートまでの移動時間を考えると、彼女を含め、死亡推定時刻の十一時から一時までの間、一瞬も現場に行けなかったっていう証拠には、ならないんだよね」

「そんなあ。水祈夜君は地球にやさしい王子ですよ」

「うん。すまんね。疑うのが仕事なもんでさ」

 佐野は渋い顔でフラミンゴミルクを飲んだ。「あと、からすうさぎ君、だっけ?」

「大槻ですか? 本名でも大丈夫です。リアルの仲なので」

「そうそう、大槻みやび君。彼も、現場にがっつり足跡残しちゃってるし、アリバイもないんだよね」

「え? でも大槻の家は久碁ですよ? 電車の乗降履歴、見れば分かるんじゃないですか?」

「それが、その日は家に帰ってないらしいんだよ。どこで何してたのって聞いたら、『岩月市内ふらふらしてました』って。もう、疑わずにはいられないっていうか」

「あいつは疑われても仕方ないと思います」

 池脇は言った。「突発的に何かやらかしそうなタイプだし」

「それは僕も否定しません」

 真顔で、本村も言った。

「おいおい。君たち仲間じゃないのかよ。とにかく君たちの中で現場に侵入した痕跡があって、アリバイがないのは、その二人だけかな」

「ほう」

「で、面白いのはここからでね————」

「本物のシウマイさんの件ですか?」

 本村は言った。

「え?」

 佐野はフラミンゴミルクのグラスをつかんだまま停止した。

「平岡空翔の前に、『シウマイ』のアカウントを使ってたやつがいるんじゃないすか」

 池脇は言った。

「え、知ってたの? 君たち」

 眉をひそめ、佐野は言った。

「いや、かなり憶測っすけど」

 池脇は言った。

 本村が続けた。

「大槻たちが、シウマイさんはソファで寝落ちもザラで食事はコンビニかデリバリーで済ます人だって言ってたのに、平岡空翔の部屋にはソファが置いてなかったですし、キッチンには基本的な調味料と洗った食器がそのまま放置してあったので、熱意があったのかはともかくとして、それなりに自炊してたのかなって。それにこないだみんなが、シウマイさんがヘンリエのファンだったなんて話、聞いたことがないって話してたんですよ。その時は、シウマイさんがヘンリエと付き合ってることを隠してたんじゃないか、ってことになったんですけど、空白の一ヶ月から考えられるもう一つの理由は、そもそも大槻たちの知ってるシウマイさんと、死んだシウマイさんとは、中身は別人なんじゃないかって」

「ほー。やっぱり若い脳みそはちがうねえ」

「平岡空翔は、オリジナルのシウマイさんのアカウントを乗っ取ったってことですか?」

 本村は聞いた。

「いいや。平岡空翔のスマホを確認したら、『ゆずるくん』っていう譲渡アプリを利用した形跡があった」

 池脇は眉をぴくりとさせた。

 佐野は言った。「君たちもよく知ってるよね」

 知っているも何も、と、池脇は罰ゲームのような顔でクロコダイルの涙を飲んだ。『ゆずるくん』は池脇と本村を結びつけた、難のある思い入れが深すぎるアプリだ。

「それを使って平岡空翔は先月の中頃に、オリジナルのシウマイさんからあおいろをまもる会のアカウントを譲り受けたんだ」

「本物のシウマイさんは、どこへ消えたんですか?」

 本村は聞いた。

「普通に生きてたよ。事件のこと話したら、信じられないくらい動揺してたけど。でもその人は、平岡空翔にアカウントを譲っただけで、面識も、譲ったあとのネット上でのやり取りもないって。証言の真偽は現在調査中。でも、たとえば譲渡のときになんらかのトラブルがあって、オリジナルのシウマイさんが平岡空翔を殺したって可能性は限りなくゼロに近いね。シウマイさんの自宅は、エントランスにも廊下にも防犯カメラがついたハイセキュリティなマンションなんだけど、事件の日に外出したようすはないし、それどころかシウマイさんはほとんど引きこもり状態で、事件が起こる何日も前から一歩も外に出てない。出入りがあったといえば、ほんと、宅配業者くらいだよ」

「オリジナルのシウマイさんが、アカウントを譲った理由は?」

「それなんだけど……。大槻君たち、あおいろをまもる会のイベントで、シウマイさんと会うことになってたんだって?」

「そうらしいです。でも、結局シウマイさんは来なかったって」

「そのイベントにね、シウマイさん、ちゃんと行ったらしいよ」

「え。そうなんですか? 見つけられなかったってことですか?」

「ううん。事前に伝えられてた目印を頼りに、シウマイさんは、大槻君たちを見つけたらしい。けどそこで————」

 佐野は、悩ましげにフラミンゴミルクをかき混ぜた。

「シウマイさんが言うには、だよ? なんか、気が引けちゃったんだって。まぶしすぎて」

「ま、まぶ?」

 本村と池脇は揃って、サバンナの窓から燦々と注ぐ大いなる日の光に目を細めた。

「うん、なんか、きらきら華やいでて、青春を謳歌してる学生に見えたんだって。あまり深くは言えないけど、オリジナルのシウマイさんは君らより少し年上なのね。で、現実が、あまりうまいこといってなくて、自分は場違いだって、感じたらしい」

 VRに、のめり込むかのごとく。

 池脇には、オリジナルのシウマイが見ていた景色が、まざまざと感じて取れた。

 サバイバルなどと縁がない、厳重に守られたマンションの、快適な一室で、ソファに座り、デリバリーを食べ、お手軽に地球を守っている方が、どんなに幸せだったか。どれだけ、傷つかずに済んだか。

 光り輝くシロクニビル。

 踵を返し、振り返れば。それは、選別淘汰で狂ったディストピアのように、冷たく、辛辣に映ったにちがいない。

「で、シウマイVer.2.0バージョンツーこと平岡空翔の方だけど————」

「あの」

 池脇は手すりの下を指差した。

 相原が、苛立った表情で電話を続けている。

「大丈夫なんすか?」

 佐野は、はなから心配の一つもなさそうな顔で下を見た。

「ああ。しばらくは戻ってこないよ。この春一課に転属してきた新人にこの時間だけさも重要そうな無駄話であいつのこと引き留めておくように頼んであるから」

「そうっすか……」

 少し惨めな気持ちになって、池脇は言った。

 現代社会では、汗水垂らさず規律を守らず、品のない策を易々と施行する結果オーライな男がのうのうと生き延びるのだろうと、池脇は思った。

「平岡空翔は、岩月市内の大学に通う学生でね、身辺調査をしようとしたんだけど、あまり親しくしてる人がいなかったみたいで、同じ学部の人たちからも、『そんな人いたっけ?』みたいな感じなのよ。スマホに、家族と、高校の友人の連絡先がごく少数入ってたんだけど、それもほとんどやり取りがなくてさ。で、君たちなら分かると思うんだけど、あおいろをまもる会の、『パートナーシップ』って、あるでしょ? もうそこくらいしか、つつくとこがなくてさ。平岡空翔のパートナーシップ、照会かけてもらったら、誰に行き着いたと思う?」

「ヘンリエですか?」

 本村は言った。

「えー。なんで当てちゃうの。つまんねえ」

「そんなもったいぶって言われたらもうほぼ答えっすよ、それ」

 池脇は言った。

「マジか。研ぎ澄まされてるね、君たち。順を追って説明すると、パートナーシップになってたのは、まず、水祈夜君」

「はい」

 本村は言った。

「事件の日の待ち合わせも含め、何度かやり取りがあったけど、特別トラブルに至るような会話は残ってなかった。むしろ、中の人が入れ替わってるなんて知らずに、シウマイさんの近況を心配するようなメッセージばっかりでさ。次に、ヘンリエッタ45————といっても、こっちに残ってたのはヘンリエッタ45じゃなくて、『エーリス』って名前なんだ」

「裏アカってことですか?」

「そうらしい。本名は伏せるけど、ヘンリエさんも話を聞かせてくれたんだ。そしたら、イワツキ支部のアイドルとしてゲームをプレイすることが、窮屈になったんだって。だからサブアカウントを作って、エーリスの名前でのびのびプレイしてたらしい。顔を隠して、こっそりイワツキ支部に遊びに行くこともあったらしいよ。でも彼女が言うには、平岡空翔とは会ったこともないし、自分がヘンリエッタ45だってこと、打ち明けてもいないって」

「ヘンリエと平岡空翔の、やり取りの内容は?」

「こっちも、トラブルになったようすはうかがえないよ。平岡空翔の方が『ヘンリエのファンなんです』って発言しても、ヘンリエの方は『そうなんですか』って、上手くかわしてた感じだし。で、最後に、『レッドアロー』」

「レッドアロー」

 本村は復唱した。

「そう。この子がちょっとやっかいでね」

 佐野は椅子にもたれて腕組みをした。「大槻君のもとにメッセージを送った、紅人べにとって、いたよね?」

「はい」

「その子と、同一人物なんだよ」

「また裏アカかよ」

 池脇はうんざりとばかりに吹き抜けに顔を投げた。

「いやほんと、君たちは当たり前のように裏の顔を持って生きてるんだね。おじさん、怖くなっちゃうよ」

「レッドアローさんにも、事情聴取したんですか?」

 本村はたずねた。

「うん。かなり手強かったけどね。まず、レッドアローと平岡空翔は、あおいろをまもる会とはちがう別のゲームを通じて、もう何年も前から交流があったらしい。そっちのゲームでの平岡空翔のユーザー名は『バク』。ゲームの中では、お互いの愚痴や悩みを打ち明けるほどの仲だけど、顔も本名も知らない。で、レッドアローが自分がハマっていたあおいろをまもる会を平岡空翔に勧め、平岡空翔は、初めからレッドアローと同じレベルでゲームを楽しむために、先月の半ばに、オリジナルのシウマイさんからアカウントを譲り受けた。ゲームを始めて、平岡空翔はすぐにヘンリエッタ45のファンになった。ここまでは、おっけー?」

「はい」

「それで、しばらくして平岡空翔は、レッドアローに言ったんだ。『ヘンリエの裏アカと遭遇した』『パートナーシップも組んでもらえた』って」

「え? でも、エーリスのときのヘンリエは、自分がヘンリエだってこと、打ち明けてないんですよね」

「ヘンリエ自身はそう言ってる。でも、平岡空翔はレッドアローとのやり取りの中で、エーリスがヘンリエッタ45だって、断言してたんだ。『ファンには分かる』とか、『玄人になればなるほど、掃除の手順に規則性が出るんだ』とか」

「すごい。ヘンリエ愛」

 ぽうっと、本村はつぶやいた。

「ね。で、こっから平岡空翔と、エーリスことヘンリエッタ45とのやり取りに戻るんだけど————。大槻君たち、例のイベントで、ヘンリエと直接会ってるんだって?」

「だそうです。でも、握手にはたくさんファンが並んだだろうし、大槻たちだけが、特別ってわけではないですよ」

「でも、ヘンリエ側はよく覚えてたらしいよ。しかもヘンリエは、平岡空翔にすり替わったシウマイさんのこと、大槻君たちとよく一緒にプレイしてる、オリジナルのシウマイさんだと思い込んでたわけよ。それで、イベントが終わったあと、ヘンリエは平岡空翔に、エーリスに徹して言ったんだ。『この間のイベントで、からすうさぎさんたちが、みんりえさんたちと話してるの見ましたよ』って。それで、平岡空翔が『からすうさぎ』っていうユーザーのことを調べたら、からすうさぎ、ラケル、水祈夜、シウマイの四人で、チームを組んでいたことが分かった。で、譲り受けた自分のアカウントには、『水祈夜』という人物からパートナーシップの申請が届いている。リアルのヘンリエと繋がれるチャンスだと思った平岡空翔は、すぐに水祈夜君のパートナーシップを承認して、会う約束を取りつけた。ここまでが、レッドアローの証言と、チャットの履歴から導き出される、シウマイVer.2.0の空白の一ヶ月の動向かな」

「それで、レッドアローはどうして、平岡空翔が殺されたのを知ったんですか?」

「いいや。レッドアローは知らなかったよ。平岡空翔が殺されたことは」

「じゃあ、大槻に送ったメッセージは?」

 池脇が聞いた。

「レッドアローはね、最初から、何もかも心配だったらしい。平岡空翔が、ゲームの規約違反であるアカウントの譲渡を受けたことも、貯金を切り崩してグッズを買い漁るくらい、ヘンリエにのめり込んだことも、オリジナルのシウマイのふりをして、水祈夜君に会いに行こうとしていたことも。それで、事件の日の前日を最後に、毎日続いていた二人のやり取りが、急に途絶えた。レッドアローはゲームのランキングで大槻君たちのことを見つけて、本当は、水祈夜君にコンタクトを取りたかったけれど、メッセージを受け付けてるのは大槻君だけだったから、そこに送ったってわけ」

「シウマイが消えたって?」

 池脇は顔をしかめた。

「もっと、なんかなかったんですかね」

 本村も言った。「連絡が取れなくなっちゃったんですけど、心当たりありませんかとか」

「その点についてはね、大槻君と似たようなこと、言ってたよ」

「似たような?」

「ネットで知り合った相手と、ちょっと連絡が取れなくなったくらいで、警察なんか頼れないって」

 佐野の顔は笑っていた。だが、そこに冗談や嘲りはない。

「顔も名前も知らない相手のこと、必死で探してるの、悟られたくなかったって。探して、見つけて、自分が切られたことが分かったら、もう、自分の居場所がなくなるんだって」

 佐野は憂いて、そして笑った。

「あの漠然としたメッセージは、あの子が自分を傷つけずに誰かに助けを求めようとした、表立てないSOSだったんだよ」

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