鞠尾まりおの外れのカラオケ店。

 そこから、にぎやかな歓楽街を背に少し歩き、比較的車通りの多い道を抜けると、ひっそりとした、アパートやマンションの立ち並ぶ住宅街が現れる。

 シウマイさんの住居は、そんな目立たない場所にある、二階建てアパートのうちの一つだった。

「あそこだよ」

 水祈夜は、アパートの二階の右から二番目の部屋を指して言った。

「もうカーテン閉まってますね」

 本村は言った。夕刻とはいえ、外はまだ明るかった。

「それか、昨日の夜からずっと閉まったままとかね」

 一行の不安をわざとあおるように、からすうさぎは言った。

「どうする? 誘拐とかだったら」

 からすうさぎの冗談に乗り込み、慌てるようすもなくラケルは言った。

「犯行声明文の送り先が警察やシウマイさんの家族じゃなく、ゲーム仲間なんて、紅人って人も相当仮想世界に浸かってるね」

 水祈夜も冷静に、相乗りをしてみせた。

「そもそも犯行声明っていうなら、からすうさぎ君に届いたあのメッセージは、やっぱり漠然とし過ぎてますよね」

 アパートの窓を見つめながら、本村は言った。「てつみち君の言うように、いたずらだって思われてしまうだろうし」

「でも俺ら、その〝漠然としたメッセージ〟に釣られてここに来てるんだけどな」

 四人の後ろで、スラックスのポケットに手を突っ込み、一人気怠そうに立ちながら、池脇は言った。

 四人は、くるりと首をまわして池脇を見た。

 池脇は言った。

「や。なんでもないす」

「もしかして僕たち、紅人って人にあのメッセージでまんまとおびき出されたんじゃないのかな?」

 アパートの方に向き直り、ラケルは続けた。「紅人は、すぐ近くで僕たちのこと見てたりして。僕たちのこと、生ゴミとして回収するつもりだったりして」

「うわあ。やだなあ。ゲーム内ですら会ったこともない完全に見ず知らずの他人に回収されんの、やだなあ」

 一本調子で、からすうさぎは言った。

「いや、分からないよ。紅人って、名前変えてるのかもしれないし。うさぎ君、あおいろをまもる会で、誰かと揉めたりしたんじゃないの?」

 わざと深刻そうな顔をして、水祈夜はたずねた。

「ないよう。俺、煽りプレイとかしないし。新米清掃員にだって超絶丁寧に指導するもん」

 からすうさぎは言った。「何かの誤解で向こうが勝手に腹立ててるとかなら別だけど」

「何かの誤解があったとしても、報復にしては結構雑めですよね」

 道路脇にしゃがみ込み、アパートを見上げながら本村は言った。「からすうさぎ君がシウマイさんと交流あるのはゲーム内のランキングで知ることができたとしても、住所知ってるなんて分からないのに、シウマイさんのこと、ダシに使うなんて」

「まあ、今日ここに来れたのも、昨日まさに水祈夜君がシウマイさんと初めて会えたからなわけだしね」

 からすうさぎが言い、池脇以外の四人は顔を見合わせた。

「言われてみれば、そうだね」

 冗談ではない、真剣な表情になって、水祈夜は言った。

「どうします? これ。シウマイさんが動画サイトの再生数稼ぎのために仕掛けた盛大なドッキリだったら」

 本村は言った。

「あのカーテンの後ろから、心配してる僕たちのこと、にやにやしながら撮影してたりして」

 アパートの窓辺を目を細くして見つめながら、ラケルは言った。

「うーん、あのカーテンはねえ、多分シウマイさん的には平常運転だと思うよ」

 本村の隣にしゃがみ込み、アパートの窓辺を見つめながら、からすうさぎは言った。

「どういうこと?」

 本村が聞いた。

「自分のこと、怠惰な人間だって言ってたもん」

「ああ、言ってた言ってた」

 思い出したように、水祈夜は頷いた。

「一日中、カーテン閉めっぱ、エアコンつけっぱ、電気つけたままゲームしたままソファで寝落ちすることもザラだって」

 苦笑しながら、からすうさぎは言った。

「食事もほとんどコンビニかデリバリーだって言ってたよね」

 ラケルも言った。

「そうそう。だからゴミの量がすごくって、ゴミ処理ゲームしてるくせに何してんのって、話したことあったよね」

 からすうさぎは言った。

「まあ、そういう自分のだめなところも言える距離感が、ネットのよさでもあるよね」

 さらりと、水祈夜は言った。

「会ったこともない完全に見ず知らずの他人に嫌がらせできる距離感も相当うざいですけどね」

 しゃがみ込んでアパートを見上げたまま、本村は言った。

 水祈夜とラケルは、本村の物言いに少し動揺したようすで扇頭を見下ろした。

 からすうさぎは、「あはは」と、言葉にして笑い声を上げた。



 一行はぞろぞろと並んでアパートの階段を上がった。シウマイの部屋の外には表札もなく、ここまで来ても実名は不明のままだった。

 からすうさぎがチャイムを鳴らした。応答はなかった。

 からすうさぎはもう一度チャイムを鳴らした。それでも、応答はなかった。

 池脇は嫌な予感がした。

「いないのかな」

 ラケルは言った。

「そりゃ、消えたんだもんね」

 からすうさぎは言った。

「出かけてるんだよ、きっと」

 水祈夜は言った。

「戻るまでここで待ちますか?」

 本村は言った。

「えー。きついなあ」

 からすうさぎはすがるようにドアにもたれた。「シウマイさあん」

 ガチャリと、音を立て、隣の部屋のドアが開いた。

 一行はびくりとし、振り向いた。

 ヨレヨレのシャツを着た、お世辞にも清潔とは呼べない男が、気怠そうな、眠たげな目をして、一行をじっと見ていた。

「あんま調子に乗んなよ」

 意外にも穏やかな口調で、男は言った。「新しいお友だちができて、はしゃぎたくなるのも分かるけど、近所迷惑考えな」

「あ、はい。すみませんでした」

 からすうさぎが言った。他の四人も頭を下げた。

「君がお隣さん?」

 手のひらで顔をこすりながら、男はからすうさぎにたずねた。

「いえ、ちがいます。僕らは、訪ねに来ただけで————。この部屋の人は、留守みたいです」

「あそう。でも、知り合いなんでしょ?」

「まあ、一応は……」

 顔も名前も知らないが、と思いながら、からすうさぎは答えた。

「お友だちにさ、伝えておいてよ。昨日みたいなのはやめといた方がいいよって」

「昨日みたいなのって?」

 本村がたずねた。

「夜中に、女とぎゃあぎゃあケンカしてたんだよ。もう、壁吹っ飛んでくるかと思った。俺は基本夜いないし、昨日たまたま聞いただけだから、あれが日常なのかは知らないけど、他の部屋の人は迷惑してたと思うよ。管理会社にチクられる前に、一言くらい詫び入れといた方がいいんじゃないの?」

 男は背中を掻き、サンダルを引きずりながら、内廊下を渡っていった。

「あ、はい……。すみませんでした……」

 からすうさぎは小さく、男の背中に向かって返事を投げた。

 池脇は、これから起こりうることを想像していた。

 どのような手順で、どのように対処すればいいのかも、慎重に、頭の中で再現していた。

 そうしている、目の前で、からすうさぎがシウマイの部屋のドアノブに手をかけた。

「やめろ」

 反射的に、池脇は言った。

「なんで?」

 からすうさぎは言った。

 不穏なようすがうかがえる。互いに、同じ胸騒ぎを感じているのが分かった。

「警察、呼んだ方がいい」

 真剣な表情で、池脇は言った。

「なんて?」

 からすうさぎは吐き捨てるように笑った。「『ゲームの中のお友だちが行方不明なんです』って、言うの?」

「いいから、警察呼べって」

 ほとんど脅しのように、池脇は言った。

 自分が、一番よく分かっている。扉を開けたが最後。村人の息急く善意は、暗闇に散って消える。

 誰も、勇者にはなれない————。


大槻おおつき!」

 本村が叫んだ。

 からすうさぎはドアを開けた。

 小さなワンルーム。

 玄関から、一直線に見通せる室内の、小さなローテーブルに、男がうつ伏せになっていた。

「シウマイさん!」

 水祈夜が叫んだ。

 からすうさぎはスニーカーのまま部屋にかけ込み、男の息を確かめた。

 短い髪を後ろで束ねてはいるが、それ以外に特徴を見つけられない、平々凡々とした見かけの男。腕を伸ばし、脚を引きずり、テーブルにすがりつくような格好だった。

 腹部が、黒々とした血で染まっているのが見える。からすうさぎは玄関へ顔を向け、首を横に振った。

 ラケルは呆然と立ち尽くしていた。

 本村は、ドアには手をつけずに、首だけを部屋の中に覗き入れた。

 手前にある小さなキッチン。ささやかな作業台には、調味料のボトルや、洗い上がった食器や包丁が、シンクの中には、数本の空き缶が置かれてあった。

 狭いワンルームの中で、ひと際場所を取る大型の棚に、水色のコスチュームを着た、ツインテールの少女のフィギュアがあった。

 他に、フィギュアと同じ少女のイラストが入ったタンブラー、エコバッグ。棚の周りには、壁を埋め尽くすようにポスターが何枚も張られてあった。

「もとむ」

 小声で、からすうさぎは本村をそう呼び、男の手元を指差した。

 本村が首を伸ばして見てみると、男の手の中に、破損したフィギュアが、その傍らには、倒れたグラスが二つと、フィギュアの破片が散らばっていた。

 池脇は玄関の外で、スマホを取り出し、電話をかけた。

 ああ————。

 内廊下の窓に歩み寄り、池脇はふと顔を上げた。

 やけに青い空だな————。

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