A定食か、B定食か。

 本村もとむら莞治かんじは口をぽかんと開けながら、手書きの献立ボードを見つめていた。

 スマホの学食アプリで、『A定食』を選ぶ。平田ひらた高校こうこうの学食はいつも混み合っている。といっても、注文してから食事が提供されるまで、待たされることはほとんどない。

「ええー! シュウマイさんついてるのー?」

 学食のトレイを手にした女子生徒が、隣に立つ友人のトレイを覗き込みながら声高に叫んだ。

「そうみたい。なんで? 食べたかった?」

 グラスに水を汲みながら、至って冷静に、友人の女子生徒はたずね返した。

「食べたかったも何も! 私といえばシュウマイさんでしょ?」

「知らないよそんなの。ていうかなんで『さん』付けなの」

「シュウマイさんはシュウマイさんでしょあんな味よし食感よしビジュアルよしの人類を幸せにする食べ物。もう最悪。私も定食にすればよかった。ていうか定食のメニューに『シュウマイ』って書いてあった?」

「ううん。『副菜(写真は一例です)』としか書いてなかった」

「何それなんのための学食アプリなの副菜シュウマイさんって決まった時点で更新しなさいよ!」

「シュウマイごときに何熱くなってんのあんた」

 二人は温度差を開いて話し続けながら、奥のテーブルの方へと去っていった。


「おお。いいね。カレー。サラダ付き」

 早々とできあがったA定食をテーブルに置き、本村は言った。

 ボタンのない、平田高校のシンプルなグレーの学ラン服。髪は、扇のように広がった寝癖頭だった。

「昼休み前に注文できんだろ。そこで献立見てたのお前だけだぞ」

 向かいの席で大盛りのカレーを食べながら、池脇いけわき徹也てつやは言った。

 ボタンのない、平田高校のシンプルなグレーの学ラン服。無造作だが、目立った寝癖のない短髪。

「だってさ、メニューなんてアプリで全部見れるのに、わざわざ学食の人たちが僕らのために手書きで用意してくれた、あったか〜いメッセージだよ。この、なんでもデジタル処理されてしまう時代にさ。売り手と買い手のやり取りが希薄になった時代にさ。僕らが、学んで食ってまた学ぶだけの、ディストピアの狂った英才教育で生み出された機械人間みたいになってしまわないように、短い昼休みを、ちょっとでもアットホームな雰囲気で過ごしてもらおうと考えてくれているんだよ? それを見もしないでモバイルオーダーが早い早いって? 何意識高いぶってんの? どうせ浮いた時間でやることといったらSNSかまとめサイトかゲームでしょ?」

 席に着きながら、特徴的な凛々しい瞳を燃やすように本村は言った。それから、その特徴を忘れさせるほどの腑抜け顔に戻った。

「っていうのは冗談で、ほんとは昼休みになってからやっぱりB定食がいいなとか思ったら事故だからぎりぎりに頼むことにしてる。朝イチでオーダーしちゃう人って勇者だよね。自分の人生疑ったりしないんだろうね。いただきます」

 誰もお前の熱量など信用していない、と、池脇は本村の冗談に少しも動じずにカレーを食べ進めた。

 命を懸けて世界を救うなんて割に合わない。そもそも巨悪の根絶という重大な任務をレベル1の若者に託すような国家に属すとか大事故、などと並べて永遠に勇者にはなれないであろうこの男、本村は、デジタルデバイスにおんぶに抱っこどころか、紐で繋がれているような、完全なスマホリックだ。

「で、最近どうよ」

 みそ汁を一口飲むと、本村は言った。

「どうもこうも。学んで、食って、また学ぶだけ。十分だろ」

 まるで作業のようにカレーを口にはこびながら、池脇は言った。「お前は。どうなんだよ」

「どうもこうも」

 本村は箸で麩をつまみ上げた。「学んで、食べて、また学ぶだけ。十分だよ」

「ふーん。お前のことだから周りの話題にいちいち首突っ込んで交友関係広げてんのかと思った」

「うん、それも、有りなんだけど」

 むしゃむしゃとサラダを咀嚼しながら、本村は険しい顔を作った。「面倒くさい。フレンド百人と学食とか」

「おめーみてーなやつがギスギスした世の中作るんだよ」

 お友だち作りには不利と思われる険しい目つきで池脇は言った。「そういえばあいつは?」

「あいつ?」

 メインのさばの煮つけを口にすると、不可解そうに本村は発した。

「あれだよ、人形」

「ああ、メイリスのこと?」

『メイリス』は、本村が幼い頃から大切にしている、ソフトビニールの着せ替え人形だった。正式には『カレンドール』と呼ばれるその人形を、本村はメイリスと名付け、服や髪型を選び、時にはカバンに粗雑にぶち込んで、行動を共にした。

「今日、持ってきてんのか?」

「うん。ちゃんとロッカーに入ってるよ。なんで?」

 ぬかりない、という風に本村は言った。

「いや、久しく会ってないから————」

 池脇はスプーンを持つ手をとめ、ぼんやりと宙を見上げた。

「拝んでおこうかなって」

「は?」


「本村ぁ」

 二人が座るテーブルに、一人の男子生徒がふらりとやって来た。

 ごく平均的な体型、耳が隠れた、少し野暮ったいミディアムヘア。少年向けのフィクションにひょんなことから重宝されそうな平凡な見た目の男だと、池脇は思った。

浦和うらわ君。どうしたの?」本村は言った。

「悪い、今日、行けなくなった」

 浦和は申し訳なさそうに言った。

「え、なんで」

「スマホ、どっかで失くしたみたいでさ」

 浦和は、泣いてしまいたいとばかりに顔をくしゃくしゃにした。

「そっかぁ」

「ほんとごめんなー。あ、何これ定食? 初めて見た」

「Aのさばの煮つけ定食だよ。ちなみにBは濃厚デミグラスハンバーグだった」

「へー。いいけど、なんで和定食なのにシュウマイついてんの?」

 浦和はトレイの上の小皿を見て言った。形の揃ったシュウマイが二つ、のっている。

「え? だめ? 全然ありじゃない? ハンバーグの方にシュウマイついてても全然気にしない」

「いや、俺も全然ありだけど。なんか定食っていうより親が冷食棚卸しして無理やり用意した感あるよな」

「分かる? そこがね、ここの学食の裏コンセプトだと思うんだ」

「は? 分かんないけど。とりあえず結構ボリュームあるんだね。俺いっつも弁当だから。たまには学食来ようかな————」

 浦和は、本村の向かいに座る男を見やった。

 浦和の視線にはっとし、本村は言った。

「あ、四組の池脇君です。池脇君、こちら同じクラスの浦和君」

「あ、どうも」

「あ、どうも」

 同級生。共通の知人。アットホームな昼休み。

 だのに、けしてお友だちにはなれそうにない、気まずい空気が流れていた。

「じゃ、俺行くわ」

 本村に向かい、浦和はからりと言った。「今日、ほんとごめんな。スマホ全力で探すから」

「ううん。気にしないで。わざわざありがとう」

 浦和は目立つ素振りも見せず、昼休みのにぎわいにまぎれて学食を出ていった。

「なんだ今の空気」

 カレーをすくいながら、池脇は言った。「ていうかクラスメイトと上手くやってんじゃん、お前」

「別に僕の社交スキルが高いわけじゃないよ。浦和君は誰にでも分け隔てなく優しいの」

「まあ、悪いやつには見えなかったな」

「僕が落としたメイリスのローファー、拾ってくれたりしたんだよ」

「訳分かんねえだろ。拾った方からしたら」

「うん。手でつまんでしばらく考え込んでた。ちょっと怖かったって言ってた」

 本村は言って、白米を口にはこんだ。「ところで池脇君、何か部活は入る気でいるの?」

「どこに? 『犯罪心理研究部』とか?」

「池脇君、そういう冗談も言えるんだね」

 くすりともせずに、本村は言った。「今日、放課後、暇だったらさ、一緒にゴミ拾いしない?」

「は? ボラ部なの? お前」

「ううん、ちがうよ」

 本村はシュウマイを箸でつかみ、一口でぱくりと食べた。

「あおいろをまもる会」

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