第16話今、幻想の獣の来たる

 ゴブリンはもういない、皆が一息ついてさぁ戻ろうとした時だった。




「お前等ヒトか!?何故こんな所にいる!?」




 茂みの向こうからガサガサと走る音が聞こえ、何者かが飛び出してきて言った。


 身の丈はミリアムより少し小さい。魔狼ではないが狼だろうと思われる獣の皮をマントの様に被った少女の姿がそこにはあった。




「今すぐ逃げろ!ここは危険だ!」




 少女が叫ぶ。なりふり構っていられないといった感じだ。


 突然の事に唖然としていると先ほど少女が飛び出してきた方向から大きな足音がする。




「速いな、もう追いついてきたのか。」




 アルベール達が話しかける暇もない。少女が振り向くのに合わせて向こうを見やるととんでもないものが見えた。




 アルベールの打ち出した光の球に照らされたそれは巨大な獣の姿だった。いや、果たしてあれは獣なのか。巨大な獣の体に昆虫の様な尾、蝙蝠の様な羽を持ち顔は人間のそれの様に見える。




 獣とは到底呼べない、化け物の姿がそこにあった。




「アイツはマルティコラス、人食いの化け物だ。お前ら戦えるか?見つかった以上倒すしかないぞ。」




 唖然としていた皆が我に返った。人食いの化け物と聞けばぼうっとしている訳にはいかない。とは言うものの、そんな名前の化け物は今まで皆聞いた事も無い。




「お前さん、何者だ?お前さんは知ってるようだが、俺はあんな化け物今まで見たことも聞いた事もねぇぞ。それになんであんなのがこんな所に・・・」




 ジョンは早口でまくしたてる。今の状況は訳が分からなさ過ぎる。せめて少しでも何か情報が欲しかった。それで何か変わるとは思えなかったが。




「ガアアアァァァァァァァ!」




 化け物が吠える。腹の底に響く声だ。いや、もしかしたら大地まで轟いているのかもしれない。それほどまでに大きな鳴き声だった。




「セリエとミリアムは木の陰を移動して矢を射かけてくれ、私は前に出る。」




 咄嗟にアルベールが指示を出す。ジョンはまだ少し混乱しているようだし、セリエとミリアムは轟く鳴き声に圧倒されていた。相手の事は分からないが動く必要があった。




「ジョンは二人の援護に回ってくれ。コイツがどんな奴か見るにしても下手に動く訳にはいかない。しかし動かない訳にもいかない。」




 そう言ってアルベールは光の球を四方に打ち出す。位置を指定して打ち出してしまえばこの魔術は効果の続く限りそこで光を放ち続ける。これでひとまず明かりの心配だけは無くなった。




「金髪のは後ろに回り込め。正面は俺に任せろ。」




 少女がアルベールに言う。名前を名乗っていないので金髪呼ばわりだ。アルベールは移動の魔術で以てマルティコラスの後ろに移動すると振り向きざまに一太刀入れた。




「何と言う硬さだ!」




 切り込んだ剣が弾かれた。そして驚く暇も無くマルティコラスの尻尾がアルベールを襲う。




「ぬお!」




 辛うじて尻尾の一撃をアルベールはかわす。アルベールの代わりに尻尾の叩き付けを受けた地面には尻尾がめり込んでいる。それを見てアルベールは顔を青くするが、飛び退き様に風の刃を打ち出した。




「ギャァッ!」




 これは多少効果があったようで、マルティコラスの胴体に傷がついていた。とはいえ少しばかりの切り傷が出来たに過ぎない。咄嗟に放った魔術であったとは言え、先ほどゴブリンを真っ二つにした魔術が殆ど効いていない。




「セリエ、魔術なら少しは効く。魔術で応戦してくれ。」




 セリエもミリアムも矢を射かけはしたものの、矢は当たりはすれども刺さりはせず地面に落ちた。いずれも胴を狙ったものであった。短弓では威力が足りないと言う訳でも無いだろう、単純に刃物を通さないように思えた。




 マルティコラスは自分に傷をつけたアルベールに向き直る。巨体だが恐るべき速さだ。いや、この巨体だからこそというべきか。


 この化け物、体を見るに猫の様な獣の体をしているとアルベールは思った。だからこそ、あそこまで近づかれても気が付かなかったのだ。ならば思った以上に俊敏であるはずだと。そしてそれは実際その通りであったのだ。




 マルティコラスが前足でアルベールをなぎ倒そうとする。喰らえばひとたまりも無いだろうことは想像に難くないので決して喰らう訳にはいかない。アルベールは冷静にマルティコラスの前足での一撃を移動の魔術で避ける。


 アルベールは無事である。しかしアルベールの後ろに生えていた木には気の毒な事となった。浅く当たったので倒れるとまではいかなかったが、爪痕は深く残っている。




 自分にもし当たっていたらと思うとアルベールは気が気では無かった。




「ウィンドカッター。」




 セリエの魔術がマルティコラスを傷つけた。セリエは後ろの木の陰からマルティコラスの一番弱そうな翼の部分を狙って撃ったのだ。いやらしくて効果的な一撃だ。


 翼、しかも飛膜の部分を狙った為効果は思った以上にあった。胴体部分はかすり傷であったが飛膜の部分は結構すっぱり切れたのだ。その代わりマルティコラスも痛烈な痛みに「切れた」様であったが。




 しかしその怒りは更なる痛みにかき消された




「俺を忘れてくれるなよ、な!」




 今までマルティコラスの横合いにいたもののアルベールやセリエの攻撃に気を取られていたためノーマークだった狼皮の少女が踏み込んでマルティコラスの横っ腹をブン殴った。




 ズドンという音がした。




「俺はライカンスロープ。赤い瞳のジルベルタだ!」




 ジルベルタと名乗った少女が殴りつけた右腕は獣の様な毛が生えていた。部分的なものなのか左腕には生えていない。


 そして右腕を引いた瞬間、右腕の毛も消え去っていた。




「おい、セリエ。お前さん確か魔術を武器に付与できたよな?」




 ジョンが木の陰でセリエに問いかける。




「俺の剣とお前さん。それからミリアムの矢に魔法を付与して打ち込もう。今あの化け物は坊主と狼の嬢ちゃんに首ったけだろう。俺たちは視界の外のはずだ。」




 聞くが早いかセリエは三人の武器に魔法を付与する。いずれも風の魔術だ。剣ならば切れ味を増し、矢ならば切れ味に加え速さを増すことが出来る。




「いいか、今あいつは狼の嬢ちゃんの方に向いてる。つまりコッチに尻向けてるよな?俺は横合いからアバラに突き込んで下がる。お前さんらはアソコを狙ってくれ。」




 そう言ってジョンが指さしたのはマルティコラスの股間だった。この化け物、雌雄があるようでどうやらこの個体は雄の様だった。




「あらあら、いい的二つも用意してくれちゃって。」




 ジルベルタは向き直ったマルティコラスを相手取って正面から仕掛けている。マルティコラスの前足を掻い潜って殴りつける胆力は凄まじい。




 それを見てジョンは駆け出した。ジョンにはジルベルタの攻防が見えていないので、早めに仕掛けなければ彼女がやられてしまうかもしれないと危惧したのである。あの巨体を怯ませるほどの拳を放つとは言っても、一撃貰ってしまえば命が無いだろう事は明白だからだ。




「こいつを喰らいな!」




 ジョンの突き込みと同時に矢も命中した。突き込んだ剣は深々と刺さったが、どうやら心臓の位置からは逸れていたようだ。矢の命中も合わせてマルティコラスは絶叫を上げる。


 ジョンは刺さった剣を手放して下がった。もんどり打ってのたうち回られたら、そしてそれに巻き込まれればそれだけで危険だ。




 すんでの所で危機を脱したアルベールは、ジルベルタがマルティコラスを殴りつけた瞬間に自らがマルティコラスに付けた風の刃の傷を見て閃いた。いや、閃いてしまった。


 剣は弾かれる。魔術は通るが胴体にかすり傷しか付けられない。しかしその傷に剣を突き立てたならばどうだろうか。きっと突き刺さるだろう。それは致命の一撃とはいかないだろうが小さくはないダメージを与える事が出来るはずだ。




(アレに突っ込んでいくのは流石に恐ろしいが。)




 しかしやるしかなかった。今この瞬間ならばジョン達の攻撃でマルティコラスも泡を食っている。自分達が死ぬ訳にも行かないが、もし取り逃がせばこんな化け物が村の近くの森の中を闊歩することになる。そうすれば将来的にどうなるか容易に想像できる。


 ジルベルタの言を信じるならば、この化け物は人食いなのだから。




 だから逡巡するわけにはいかなかった。意を決してアルベールは飛び出す。狙いはマルティコラスの胴体の傷だ。力いっぱいに突き込む。




「ガギャアアァァァァァァ!」




 まずは上手く行ったというべきか。剣は傷を割って深々と刺さった。しかしこれが決め手になりえない事はアルベールにも分かっている。アルベールは剣の柄をしっかりと握って叫んだ。




「ライトニングボルト!」




 アルベールそのまま魔術を放つ。稲妻の魔術を。


 魔術は手から発され剣を伝ってマルティコラスの体内を駆け抜ける。そしてその稲妻はジョンの剣を伝って行く。間にはマルティコラスの心臓がある。アルベールは自分に出来得る最大の威力で稲妻を撃ち込んだ。これで倒れてくれれば非常に有り難いと思いながら。




 しかして結果はと言えば、マルティコラスは断末魔の叫びをあげる事も出来ずに斃れた。




「おぉ、やるねぇ金髪の。」




 ジルベルタがヒュゥと口笛を吹く。アルベールはその場にへたり込んだ。生きた心地がしなかったろう、ホッと胸を撫でおろした。


 短い時間の戦闘だったが、一瞬一瞬が長かった。行動の一つ一つ、どれをとってもそこには命が懸かっていたからだ。


 ともあれ戦いは終わった。森は静寂に包まれている。ジルベルタに聞きたい事もあるが、先ずは村に戻って休みたい。四人全員そう思っていた。

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