第72話【エピローグ】高嶺さんが恋に落ちた日

「……氷華」


「えへ、えへへへ……」


「氷華。聞いてほしいのです!」


「お、お姉ちゃん? ど、どうしたの?」


「いえ……氷華、実の姉が言うのもなんですが、先程のニヤケ顔……凄く、頬が緩んでましたよ。まぁ、そんな氷華も可愛くてたまらないのですけど」


「えっ、嘘! 本当!?」


「はぁ……本当に彼で良いのですか? 彼は、氷華の気持ちを踏みにじっていたのですよ? まぁ、土下座までして、真剣に謝られたので反省しているとは思うのですが……それでも、私はやはり……」


「ありがとう、お姉ちゃん。でも、これは、私と思井くんの恋だから。それに、思井くんは――」


「――私の運命の人、なのでしょう?」


「う、うん……」


「はぁ……まさか、入試当日の日に氷華が恋をして帰ってくるとは思いもしませんでした」


「し、仕方ないでしょ……! 好きになっちゃったんだから……!」


(そう……私は彼に――思井くんに伝えてないことがある。

『高嶺さんはどうして僕なんかに興味をもってくれていたんですか?』

 そう言われた時、私は答えることが出来なかった。それは、たんに恥ずかしかったってこともあるけど……何より、私が前から思井くんのことを想っていたと知られたくなかったから……――。


 私は入試当日、緊張しすぎて気分が悪かった。適当に選んだ高校だけど、いざ本番となると気分が悪くて仕方がなかった。気持ち悪くて……不安で泣きそうだった。そんな、時だった。

『あの、大丈夫ですか?』

 隣の席だった男の子が心配して聞いてきてくれた。私はその優しさに応えることが出来ず、見返しただけだった。多分、うっすらと目についた涙を見たんだろう。彼はぎょっとして、そっぽを向いてしまった。


 いよいよ、テストが近づいてきた時に私は絶望していた。あれだけ、家で確認してきたのに筆箱を忘れてきてしまっていた。

 テストを受けられない……終わった……。

 緊張と不安、終了と絶望……私は逃げ出したかった。だけど、そんな時、その彼が何も言わずに鉛筆と消しゴムを貸してくれた。

 私がキョトンとしているとすぐにテストが始まってしまった。とにかく、問題を解かないと……と、思った私は皆と同じ様に必死に問題にとりかかった。そして、チラッと隣を見ると彼は消しゴムを持っていなかった。彼は、一つしかない消しゴムを私に貸してくれたんだ。

 たった、それだけのこと。だけど、私は彼の自分の人生を台無しにしてでも他人の私に優しく出来る心の優しさにときめいてしまった。


 テストが全部終わって、私はお礼を言おうと思って、彼を探した。だけど、彼を見つけることは出来なかった。

 私は彼の名前を知らない。知っているのは彼の優しさと彼が他人より少し図体が大きかったことだけ。


 だから、私は彼を探すと決めた。幸い、彼のおかげで無事に試験は合格した。彼も、合格しているのなら同じ学年だからどこかにいるはず……。会って、お礼が言いたかった。

 そして、私は彼をすぐに見つけることが出来た。彼は、やっぱり、少し目立っていてからだ。

 だけど、いきなり声をかけるのは恥ずかしい。ましてや、同じクラスでもない。そんな私が声をかけても迷惑かもしれない。そもそも、私のことなんて覚えていないかもしれない。そう、考えてしまった私は結局、彼に声をかけることが出来ずに時間だけが流れていった。


 そんな、ある日のことだった。家族でショッピングモールに来ていた私は泣きわめく女の子を発見した。親と迷子にでもなったのかな? 声をかけてあげるべきなのかな? そんなことを悩んでいた。多分、私以外の周囲にいた人達も迷っていたのだろう。

 だけど、私や周囲の人達が悩んでいる中、彼だけがその女の子に声をかけていた。彼がいることにも驚いたけど、何よりも驚いたのは彼は声をかけることに迷っていなかったこと。

『大丈夫? 何があったの?』

 そう、優しく声をかけている彼を見て、私は胸が苦しくなった。

『そっか、お母さんと迷子に……。じゃあ、僕がここで一緒に待っててあげるよ。だから、ほら泣かないで。この、プリッキュアレッドが一緒にいてあげるんだから!』

 彼が何を言っているのか分からなかった。けど、大きな声で力強く告げる彼に女の子は笑顔になっていた。

 その様子を見て、私はまた彼に惹かれた。


 声をかけたい。あの日のお礼を言いたい。

 そう思いながら、どれだけ経っただろう。私は結局、勇気が出ず、実現出来ていなかった。

 そんな日のこと。先生からノートを教室まで持っていってくれと頼まれた私は、前が見えなくなるほどの大量のノートを一人で運んでいた。何故だか、私は友達が出来なくて、誰も手伝ってくれる人がいなかった。

 重くて苦しい……よろよろと転けそうになりながら、危なげに運んでいた。そんな時、誰かに声をかけられた。

『重そうですね。運ぶの手伝います』

 正直、かなり救われた。誰かは分からないけど、私はクラスを伝えて運ぶのを手伝ってもらうことにした。

 ノートが半分以上、私の手元からなくなり声をかけてくれた人の正体が分かった。彼だったのだ。

 私は驚いた反応をしてノートを落としそうになった。だけど、彼は私のことになど気づいていない様子で歩き始めた。

 声をかける絶好のチャンスだった。だけど、私はやっぱり、勇気がなくて声をかけられなかった。私は前を歩く彼の背中を見つめることしか出来なかった。


『それじゃ』

 ノートを運び終えた彼は何も要求せずに教室を出ていこうとした。

 私は、ほんの少しの勇気を振り絞って『ありがとう』……とだけ言えた。

『いえいえ。では』

 彼は、ノートを運ぶのを手伝ってくれて……そう解釈したんだろう。勿論、その意味もある。だけど、本当に伝えたいのはもっと……。

 気づけば、私の鼓動は早くなっていた。今までにない以上に早く……。

 そして、気づいた。私は、あの日から――入試当日の日から、やっぱり彼に恋をしているのだと……!)

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