地味な喧嘩の話
真名瀬こゆ
ヒーローへの羨望
「別に、善意で助けたわけじゃないし」
派手な喧嘩、といえば街中の人通りが多いところで勃発する、というイメージがわたしの中にはあった。それは間違ってはいないと思うし、"派手"の指す意味が違えば、間違った答えにもなると思っている。
ただ、今、わたしが巻き込まれたのは、間違いなく、"地味"な喧嘩であった。
人通りのない街外れ、薄暗い、狭い路地の先。
立っているのは、ひょろひょろの男が一人。
「……しゃ、謝礼でずか?」
痛い。喉が声を発するのを拒否している。自分のものとは思えない掠れた声を絞り出してみれば、血反吐も伴って出た。
彼は、不治の病を患ったかのように咳き込むわたしを一瞥した後で、すぐに鼻で笑った。どうやらわたしの仮定は間違っていたらしい。それとも、この惨めな姿をみて嘲ったのだろうか。どちらにしても、いけ好かない。
「喋らない方がいいんじゃないのか」
男を見れば見るほど、納得がいかなかった。彼のどこにあの巨漢を吹っ飛ばす力があったというのだ。男の顔をどうにか目だけで確認する。まるで人形みたいだった。造形が綺麗、とかではなく、瞳に光が届いておらず、動かない表情をしていたからだ。
ことの発端は、完全にわたしに責任があったと自覚している。
護身術、という名目で格闘技を習い始めたわたしは、勝つことへの爽快感と強くなることへの憧れに、その世界に簡単にのめりこんでいった。そうして、技術が向上すればするほど、ちょっとした自尊心と正義感も一緒に育っていっていた。
そして、私はドラマのようなワンシーンに遭遇する。
か弱い女の人が、肉と脂肪を余分にまとった小汚い男に絡まれていたのだ。ちらほらと見える人々は遠巻きに視線をよこすだけで、誰一人声も手も出しはしない。
「待ちなさい!」
これはわたしへ与えられた使命なのではないか、と思ったときには声が出ていた。
「……あんたが」
「?」
「知り合いに似てたから」
無表情を貫いていた彼は、眉間にしわを寄せてつらそうに声を絞った。突然に変化した男の表情が気になって、わたしは独り言みたいな言葉へと、会話をつなぐように「顔が?」と尋ねていた。
たぶん、彼が何を思って、殴られ、蹴られのわたしの前にしゃしゃりでてきたのかを、わたしは知りたいのだ。
「顔も似てる」
ゆっくりとわたしに視線を向けた彼は、ゆったりと瞬きをした。瞬きする度に、わたしと似ているという人物が重なっているのか、表情が微妙に変化した。
場違いなことに、私は楽しくなっていた。決していいような感情を晒しているわけではないのに、彼の表情が変わったということに面白いと思っていたのだ。この人は、人間だ、なんて。
「一番は目が似てる」
そう結論を出すと、動けないわたしの目前に立った。
非常に残念なことに、見下ろす彼の目にはさっきまであった感情が無くなっていた。光の入らない目は、ものが見えているのか不審なくらいに濁っている。
「……まあいいや、危ないヒーローごっこはほどほどにね」
「まって!」
大声を張り上げると、耐え切れなかった喉から血反吐が盛大に溢れかえった。しまった。これはさっきやって失敗したパターンだ。げぼげぼと盛大にむせ返るわたしをちらりとも見ずに、彼はいってしまった。
こんなこと言えた義理ではないが、助けた相手が重症だというのに、なんの慈悲も見せてくれないとは。
助けたこと自体、気まぐれだった。それか、思わず手が出てしまったくらい、わたしは彼の"知り合い"に似ていた。それだけだったのだ。
素直に言うなら、がっかりした。
正義の味方、にあこがれる年齢はとうに卒業したが、あの一瞬をわたしは一生忘れないだろうし、あれ以上に興奮を覚えることは、この先ないだろうと思う。彼は間違いなく、わたしのヒーローだった。
彼への好奇心だけはとどまらない、許されるならすぐにでも後を追いたい。でも、今は少し、寝かせてもらいたい。が、わたしの希望はわたしに裏切られる。妙にハイになった頭と、もう瀕死に近い身体とのギャップに意識を手放したくても手放せなくなっていた。
遠くに聞こえるサイレンを聞きながら、上手い回転をしない頭で、これは地味な喧嘩ではなく、理不尽な粛清だったのかもしれないと思った。
地味な喧嘩の話 真名瀬こゆ @Quet2alc0atlus
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