第23話 ガスコンロで燃やしてしまえば大丈夫よ
「……
「やっと起きたか。気分はどう?」
「……?どうして私、ここで寝てるの?」
「覚えてない?まあいいや、体調は?」
「いつも通りだよ。そんなことより、どうして綾人がここにいるの?」
何かを疑って玲子が綾人を睨む。恩知らずな態度に溜息をつきたくなったが、それでも優しく接する。昨晩の出来事は玲子が原因ではないからである。
「朝ご飯作ってくるから。できるまでによく思い出して」
綾人は欠伸をしながら立ち上がり、眉間にしわを寄せている玲子を一人にする。夏乃は玲子に手を出してはいけないと再三にわたって忠告した後、部活のために家を出てしまった。玲子が再び奇行に突き進んだ場合、それを止められる人はもういない。
しかし、そんな心配は無用だったらしく、トーストが焼きあがる頃に玲子がドタドタと階段を駆け下りてきた。
「綾人!」
「な、なんだ」
綾人はフライパンを片手に玲子の顔を覗く。昨日と同じく真っ赤な顔をしているが、今回は別の理由のようだった。
「ごめんなさい!私、昨日綾人に……あ、色々……」
「言わなくていいから。ご飯は食べられそう?」
玲子は小さく頷く。綾人は座って待ってるように指示した。しかし、落ち着いてはいられないようだった。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!」
「もういいって。早く食べて」
朝食を用意しても玲子はなかなか頭を上げようとしない。出会いを除けば、玲子は大人しい生活を続けてきた。昨日の一件で、築き上げた信頼を全て失ったのではないかと怖がっていたのだ。
「綾人を困らせようとしてたんじゃなくて……」
「分かってるってば。そりゃ驚いたのは驚いたけど。でも、あれが玲子のせいだなんて思ってない」
「でも……でも、どうして私、あんなことしちゃったんだろう」
表情がみるみる変わっていく。今にも泣きそうな玲子は見るに堪えない。ここで玲子を信じられるだけの関係はとっくにできていた。
「玲子、いつから体がおかしくなったんだ?」
「……覚えてない。でも、帰ってきたときには頭がぼーっとしてて、横になってからは綾人のことしか考えられなくなって」
「自転車に乗ってたとき、勝手にチョコレート食べたよな。急に飛び出してきた
「うん……何か関係あるの?」
玲子が不思議そうにする。そこで、綾人は昨晩に準備したものを玲子の目の前に出した。醤油さしの上に青色の結晶物が散らばっている。綾人が玲子の世話をする傍らチョコレートから回収した異物である。
「こんな物が入ってた。何なのかは分からないけど、食べ物に入ってて良い物じゃないってことは分かる」
結晶の大きさはどれも米粒大で、中には二粒入っていたチョコレートもあった。水に入れるとすぐに溶けることも分かっている。
「関係があるのかは分からない。でも、俺はこれが原因じゃないかと思ってる」
「……これって」
「取り出すの大変だったんだ。砂岩みたいに崩れるから」
「これ知ってる。でも……あり得ない」
綾人が話している間、玲子は大きく目を見開いて結晶を観察し続ける。嫌な予感がした綾人は皿を自分の近くに引いた。
「食べんなよ?」
「そんなこと考えてない」
視線を上げた玲子がむっとする。綾人はいつも通りの玲子に安心した。
「これは裏社会で一時期流行った薬物よ。でも、危険すぎて製造が禁止になったはず。もう何十年も前の話だけど」
「……薬物なのか、これ」
「この独特な色合いは間違いないわ。これを巡って色々と事件が起きたの。人や怪異関係なくたくさん死人が出て、たくさんのお金も動いて。最終的には製造者が全員殺されて終わったんだけどね」
「終わったっていうのは?」
「誰も作り方が分からなくなったの。残ってた薬物も全部処分された。でも、ここに残ってた」
玲子の説明は分かるようで分からない。綾人は理解できなかったことを尋ねた。
「誰かがこっそり作ったんじゃないか?こんな小さなもの隠し持ってても分かりそうにないし」
「あのね、裏社会を見くびらないで。強盗や殺人が許される社会で禁止されたんだよ?覚醒剤が表社会から一向に消えないこととは比べ物にならないの」
「とんでもないことなのは分かる。でも、どうやって見つかるんだ?」
「裏社会の統制組織は警察の比じゃない。だって、私より強力な能力を操る怪異がたくさんいるんだから。裁判なんてないわよ。見つかり次第その場で殺される」
「え……」
玲子の話は想像以上だった。砂場に落ちていてもおかしくない小さな欠片に、綾人は今更になって冷や汗を流す。しかし、玲子はそこまで心配してはいなかった。
「早いうちに処分すれば問題ないわ。裏社会が表社会に関わることは滅多にないから。ガスコンロで燃やしてしまえば大丈夫よ」
「でも、蒸気とか危なくないか?危険な薬物なんだろ?」
「ええ、そうね。だから万が一を考えて私がする」
「いやいや、それじゃ玲子が危ないだろ。俺がやるよ」
「それは駄目!」
綾人は玲子の心配をしただけだった。しかし、唐突に語気を強めた玲子は怖い顔付きで反発した。綾人は思わず口を閉じる。
「これは惚れ薬なの!それもかなり強力な」
「惚れ薬?」
「そうよ。所有者が対象に服用させることで、対象の意志に関係なく所有者に好意を抱かせられる。所有者っていうのは製造者のこと。解毒はできない。だから危険なの」
「……それを玲子は食べたのか?」
綾人は説明を聞いて唖然とする。それが事実ならば、今の玲子は強制的に綾人の知らない誰かを好きになっていることになるのだ。ただ、玲子は吹き出して笑った。
「大丈夫だよ。私が惚れてるのは今でも綾人だから。これはね、所有者と同性が服用した時、惚れ薬の作用は出ないで副作用だけが出るの」
「副作用っていうのは……」
「媚薬の効果よ。もし綾人がこれを食べてたら、あの女に惚れ込んでとんでもないことになっていたと思う。……食べてないみたいで本当に良かった」
玲子はそう言って大きく胸を撫で下ろす。しかし、自分が標的となった理由が分からない綾人はそう簡単に安心できたものではない。とはいえ、話を聞いて一つ合点がいった。
「実はこんなものが中敷きの下から出てきた。これってつまりそういう……」
「なにこれ……はぁ!?」
箱に入っていたのはチョコレートだけではなかった。綾人への愛の告白と有紗の居住地が書かれた手紙が同封されていたのだ。玲子は汚い物を触るように指先でその紙をつまんでいる。
「何よあいつ、ただの変態痴女じゃない!呆れた!」
玲子は悪態をついてその紙を破ろうとする。ただ、綾人はその前に素早く手紙を回収した。一瞬の硬直の後、玲子が小さく首を傾げる。
「破ったら読めなくなるだろ」
「え……綾人、もしかして食べちゃったの?」
「食べてねえよ」
「だったらどうしてそれが必要なの!?」
そう叫んだ玲子は身を乗り出して手紙を奪おうとする。綾人はその手を払って反論した。
「これを破っておしまいにできるならいいけど、そうはならないだろ?玲子の話が本当なら、鹿野有紗は俺を待ってる。もし反応を示さなければ、次に何をしてくるか分からない」
「……まさか会いに行くなんて言わないよね?」
「そのまさかだよ。どうしてこんなことをしたのか問い詰めてやめさせないと」
「そんなの駄目!危ないよ!あの女は裏社会に通じてるんだよ!?行くなら私もついていく」
「馬鹿言うな。鹿野有紗の目的を分かっててそんなことできるか。余計に問題をこじらせるだけだ」
玲子の心配はよく分かる。しかし、有紗が危険な薬を持っていた理由はともかく、学生という身分は表社会の人間だということを証明している。裏社会が表社会に不干渉なのであれば、裏社会の住人が学生として振る舞うことはできないはずだった。
「今から行こうかと思ってる」
「な、なんで!?」
「今日の午前中までに来るように手紙に書いてた」
「駄目だよ……やめて」
玲子はなおも強く反対して綾人の腕にすがりつく。綾人はそんな玲子の頭に手を置いた。
「今日はゆっくりしてて。お昼までにご飯を買って帰って来るから」
「本当にダメ!待って!」
こうなることはある程度予想していた。そのため、綾人は家を出る準備を既に済ませてあった。話も途中で玄関に向かうと、玲子も後ろからついてくる。しかし、今の玲子はまだパジャマ姿のままだった。
「その格好で外に出るなよ?すぐ帰ってくるよ」
「ばか!」
「じゃ、留守番は頼んだからな」
薬物の話が出る前から会いに行くつもりだった。玲子は心配してくれているが、綾人はそこまで深刻に考えていない。有紗の目的が玲子の言葉通りならば、敵意を持っているはずがないのだ。話し合えばお互いの抱える問題を理解し合える。綾人は楽観的にそう思っていた。
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