前編 異世界転生すなわちチート?

   

 そもそもチートって何でしょう?


 カタカナ三文字で『チート』と書きますが、これ、おそらく英語の cheat ですよね? 「チートとはなんぞや」に対する答えが人によって異なるとしても、チートが cheat であることは共通認識ですよね?

 その前提で書いているエッセイですので、これが私の誤解であるならば、いい笑いものとなってしまいますが……。


 さて、cheat。

 英語と日本語は一対一では対応していないので、直訳は難しいかもしれませんが。

 私が「cheat」と聞いて、真っ先に頭に浮かぶ日本語は、


「カンニング」


 ですね。

 脳内メーカーみたいなもので表せば、90%を「カンニング」という言葉で占めている状態です。

 辞書で cheat を調べると、一番上に出てくるのは「騙す」とか「欺く」とか、そんな感じの言葉でした。

 でも私の頭の中では「騙す」「欺く」は1%くらいですね。90%の「カンニング」も、辞書では――私が使っている辞書では――二番目の項目に書いてあるので、私の『cheat』という言葉に対するイメージも、あながち間違っていないようです。


 では、転生チートものの『チート』にも、カンニングというニュアンスがあるのでしょう。

 ここに、チートものが好まれる理由、逆に嫌われる理由の鍵がありそうです。



 私は、が怠け者な性分です。

 だから「ラクして結果を出したい」という気持ちは、とてもとても理解できます。

 娯楽小説を読む時も「自分が感情移入する主人公には、苦労して欲しくない」という方々はいるのでしょう。

 そういう読者が好むのが、転生チートものであるならば、やはり「チート」は「カンニング」と置き換えることが出来そうです。

 カンニングならば、びっくりするくらい答えがドンドン出てきますし、バレない限り、ほぼ正解になります。『元の世界の様々な知識を用いて、無双する』とか『次から次へと異世界に新しい概念を持ち込んで、異世界人に賞賛される』とかの話と、重なりますね。

 なるほど、なるほど。


 さて、私は怠け者だ、と書きましたが……。そうなると、一見「カンニング肯定派ならば、チート肯定派だろう?」と思われるかもしれません。

 しかし逆に、現実で怠け者だからこそ、娯楽小説では、そういうのは嫌なのですよ。ノーストレス、ノーカタルシスとなるのは、身に染みていますから。

 特に、小さい頃に見た昭和のアニメ・特撮やスポ根では、必ずと言っていいほど、主人公の修行シーンがありました。そういうものを見て育ったせいで、

「結果を出すには、努力や苦労の過程が必要だ。努力に基づいた結果でなければ、説得力がない」

 と、いっそう強く思ってしまうわけです。

 カンニングとは正反対の方向性ですね。



 さて。

 では、以上のような「チートとはカンニングである」という見方から「転生チート・非チート転生の線引き」という話に戻りましょう。


 異世界転生において。

 どこからがチートになるのでしょう?

 どこからがカンニングになるのでしょう?


 前項で述べたように、私は、各自の生前の知識や経験を活かす物語は「チートではない」と思ってきました。

 しかし。

 チートとはカンニングである、という前提に立つと、私の思う「非チート」を「チート」と認識する方々の考えも、理解できる気がします。

 だって。

 たとえどれほど個人の努力や苦労に裏打ちされた経験であっても、それが異世界にないような知識や概念に関わるものであるならば「本来その異世界には存在してはならないものを持ち込んだ」ということになってしまうのですから!


 カンニングの例で言うならば、辞書を持ち込んだら、当然カンニング。誰が見てもカンニング。

 丁寧に要点をまとめたノートを試験会場に持ち込んでも、やっぱりカンニングになるわけです。どんなにしてして『丁寧に要点をまとめた』ノートであっても、持ち込み禁止のものは、持ち込んではいけないのです。


 なるほど、なるほど。

 その意味では、私の好む「非チート」も「チート」に含まれるわけですね。

 でも、やっぱり……。

 個人的には『各自の生前の知識や経験を活かす』のであれば、それはチートとは呼びたくないですね。

 それすら「チート」と言うのであれば、それまでの人生を否定するものになりますから。

 ……と、ここまで考えたところで。

 再び私の頭の中で「あれ?」という疑問の声が上がりました。


「それまでの人生を否定する」


 この言葉が、引っ掛かったのです。

 そもそも。

 今でこそ「転生」というと前世の知識・経験持ち込み可が当たり前になりましたが。

 ネット小説を読む前の認識は、少し違っていたはずです。

 昔々。

 よく「人は死んだら転生します。生まれ変わります」という宗教家のお言葉に対して「そんなはずない! だって前世の記憶なんてないから!」という反論がありました。

 それに対して宗教家は言います、

「当然です。新しく生まれ変わる時には、前世の一切を捨て去るのですから」

 と。

 幼い頃の私は「それじゃ意味ないじゃん! 意識とか記憶とか人格とか、そういったものが消えちゃうなら、やっぱり『死』は『死』じゃん!」と失望したものです。


 そんな転生観と比べてみると……。

 ネット小説の異世界転生は、異質ですね。転生者の皆様は、捨て去るべき前世の記憶を、バッチリ持ち越しているのですから。

 そもそも転生者が前世の一切合切を忘れていたら、もう異世界の現地人と全く同じです。『転生』という設定が、死に設定になってしまいます。

 いや、もしかしたら、私が知らないだけで「最初から最後まで、主人公自身は転生者であることに気づかない。作者と読者だけが知っていて、ニヤニヤする」みたいな作品も結構あるのかもしれませんが。



 転生チートをいとう方々の中には、昔ながらの『転生』という概念――私が小さい頃に思っていた『転生』に対する考え方――をしっかりと持ち続けいる人も多いのかもしれません。

 こうして「チートはカンニングである」「転生とは生前の全てを捨てて生まれ変わることである」という立場から見てみると、またひとつ、わかってきたような気がします。

 私の好む「非チート転生」が「チート」扱いになるのも当然です。

 そもそもが、前世の経験なんて持ち込めないはずなのですから!

 持ち込んだからチートなのではありません。持ち込めるという時点で、既にチートなのです。

 いわゆる「転生もの」における「転生」の仕方自体が「そんなの転生やない! それこそチートや!」と言われてしまうでしょう。


 そう。

 この考え方に従うと「非チート転生」というジャンルは、存在そのものが成り立たなくなるのです。

 だって「転生もの」は全て「チートもの」ということになるのですから!

   

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