モッコウバラのせい


 ~ 四月三十日(火) 猫可愛がり ~


 モッコウバラの花言葉

       幼い頃の幸せな時間



 昨日の場所はハズレだったようなので。

 本日は、違う湖へ車を走らせたのですが。


 穂咲の記憶探しは後回しにして。

 まずは、宿にとった洋館へ向かうと。


 そこで待っていたのは。

 全員が、口をぽかんと開いたままになるほどの光景なのでした。


 洋館を伝うモッコウバラ。

 そのツルから、薄いレモン色の、バラの様なお花が沢山咲いていて。


 お伽噺の世界へ迷い込んでしまったのかと思う程の光景に。

 この言葉が口をつくのも、納得なのです。


「メルヘン!」


 ……ええ、納得はできます。

 でも、承服しかねます。


「母ちゃんが言うと、ちょっと……」

「なんか文句あんのかい?」


 ヘタなことを言うと泥沼化しそうなので。

 俺はすべてを無かったことにして宿の門扉に手をかけます。


 両開きの扉の中も、母ちゃんではありませんが、ほんとにメルヘンチック。


 ロビーにちりばめられたウェルカムフラワーは。

 このお屋敷へ、先に到着した家族によるセンスのいいおもてなしなのでしょう。


「よう! 久しぶり!」

「春休みにはお世話になりました。今回もありがとうございます」


 大階段を背に、広いロビーに立つお二人は。

 まーくんとダリアさん。


 ここは、藍川が持っている別邸のひとつらしく。

 みんなでお邪魔させていただくことになったのです。


 それというのも、日本に戻って来たダリアさんが留守になったお花やを訪ねて。

 穂咲へメッセージを入れたことからとんとん拍子に話が進み。


 湖からはちょっと離れていますが。

 こんな素敵な別荘を宿代わりに提供して下さることになったのです。



 おばさんと穂咲は気軽に。

 うちの父ちゃん母ちゃんは慇懃に挨拶を済ませると。


「ねえ、まーくん。ぴかりんちゃんは?」

「ああ、みんなを驚かせようと思って隠してあるんだ」


 まーくんが。

 ニヤリと企み顔を浮かべて妙なことを言い出しました。


 驚かす?

 どういうこと?


 いぶかしむ俺の目を見て、まーくんは嬉しそうに顎をさすると。

 大階段の上に向けて、大声を張り上げました。


「ひかり! 出てきていいぞ!」


 そんな声につられて、一斉に階段へ向けた俺たちの目が。

 目隠しになっていた壁の向こうから現れた女の子を見て。

 これ以上ないほどに見開きます。


「な? びっくりしたろ?」


 まーくんが何やら偉そうにしていますけど。

 そんなことはどうだっていい。


 大階段の中央に立ったひかりちゃんの。

 なんと可愛らしいこと!


 ダリアさん譲りのプラチナブロンドが、さらりとかかるゴシックドレス。

 黒地に白いフリルで飾られた洋服に、パニエで大きく膨らんだスカートから伸びる真っ白な足と黒い靴。


 メイドさんのカチューシャもお揃いというトータルコーディネート。

 こんなものを見せられたら、この言葉が口をつくのも納得なのです。


「メルヘン!」


 ……いや、だからさ。

 納得はできるけどダメなもんはダメ。


「メルヘン!」

「何度もやかましいぞ、父ちゃん」


 考えなさいな、齢と性別。

 ごめんねひかりちゃん、こんな宿六連れてきて。


 なあんて言ってはみたものの。


「……でも、あの可愛さは危険なのです」

「ぴかりんちゃーん! ぎゅってさせるのー!」

「あ! 待つのです穂咲! 俺も!」


 鼻の下を伸ばした二人が階段へ迫ると。

 ひかりちゃんはびっくりして、慌てて逃げ出します。


 穂咲に取られてなるものか。

 俺は慌てて追いかけたのですが……。


「あれ? どっちに行った?」

「むう……。きっと、こっちなの!」


 洋館の構造が分からずに。

 俺も穂咲も右往左往。


 そのうち穂咲ともはぐれて。

 ひかりちゃんの名を呼びながら。

 屋敷の中をさまよいます。


 ……それにしても。

 本当にお伽噺の世界に迷い込んだよう。


 不思議な雰囲気とお花の香りに包まれて。

 ちょっとめまいがしてきました。


「ひかりちゃーん! ひかりちゃーん!」


 心なしか、声のトーンが高くなって。

 滑舌が悪い気がするのですが。


 おとぎの国の妖精が。

 俺に魔法でもかけたのでしょうか。


 さっき登った三階への階段。

 こんなに段差がありましたっけ?


 どういう訳か。

 うしろ向きに、両手を階段に突かないと降りることが出来ません。


 そして階段を降り切ったところにある部屋のドアノブに。

 めいっぱい背を伸ばしてようやく掴まると。


 少しだけ開いたドアの向こうには。

 椅子に上って。

 出窓から外の景色を見つめる女の子の姿がありました。


「……ひかりちゃん?」


 俺が小さな声で問いかけても。

 女の子は気づきもせずに。


 そばにいた、体の大きな人に声をかけます。


「きれいー。ねえ、パパ、これ、なんていうの?」

「これは……って言うんだよ、穂咲」


 ……窓から見える湖畔の紅葉こうよう

 でも、さっきから視界がぼやけているせいで。

 あまり鮮やかに見えないけど。


 そして俺はようやく気付きました。

 これは夢を見ているんだよね。


 だって、出窓にはエーデルワイスが咲いていて。

 春と秋がごっちゃごちゃ。


 ……でも。


「お兄ちゃん。これは夢じゃないのよ?」


 そう言って、小さな俺の頭を撫でるのは。

 大人になったひかりちゃん。


 プラチナブロンドを腰まで伸ばして。

 ダリアさんに負けず劣らずのスタイルになっているのです。


「うわ……。ひかりちゃん、凄い美人さんになってる」

「え? ほんと、お兄ちゃん」

「ええ。膝枕して欲しいほど美人」

「ふふっ。なにそれ?」

「でもこれ、夢じゃないのですよね」

「そう。夢じゃなくて、ただの記憶」


 なるほど。

 では、エーデルワイスの向こうに見えた紅葉こうようの正体は……。


 ……

 …………

 ………………


 ふわりと浮かんでいた意識が、急に重みを取り戻した心地。

 ぼやけた意識で重たい目を開くと。


「ん? ……ひかりちゃん?」


 俺はどうやら。

 ひかりちゃんに膝枕をしてもらっていて。


 その向こうでは、大人たちがワイングラス片手に大騒ぎをしているのです。


「やっと目が覚めたか」

「……少年。リビングで眠っていたから驚いた」

「え? 俺、眠って……、あれ?」


 いつの間に眠ったのやら思い出せません。

 でも、何か夢を見ていたような?


 バラの香りに包まれて。

 ええっと、それから……。


「しかし、ひかりちゃんと仲がいいのだな、道久」

「ひかりちゃん! ほっちゃんが妬くから、あんまり猫っ可愛がりしないでね!」

「ハズレなの。それよりまーくん、この鮭とばってやつ、もっと焼くの」


 ……どうにも思い出せない。

 でも、ひかりちゃんはなぜだかニコニコ俺を見下ろして。

 俺の頭を小さな手で撫でるのです。


「お前ら、そんなに仲良かったっけ?」

「……ぴかりんちゃん。ナゼ、少年をそんなに気に入っている?」


 まーくんとダリアさんが。

 揃って俺たちに尋ねると。


 ひかりちゃんは、にっこり笑って。

 くちに一本指を立てながら俺を見下ろすと。


 ないしょだよねと。


 小さくつぶやいたのでした。


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