ヤマツツジのせい


 ~ 四月二十九日(月祝) 強がり ~


 ヤマツツジの花言葉 伝奇



 森は、ところどころを淡い朱色に衣替え。

 春の山を、薄紅に染めたるツツジ狩り。


 バンガローを背にした、ほんの少しの高台から見下ろす湖。

 それを囲む緑が、ところどころピンクに色づく景色が胸を打ちます。


 牛丼より重たい物は持てぬと豪語する父ちゃんが。

 めずらしく運んでくれたキャンピングチェアーに座ったまま。


 俺は穂咲と並んで。

 飽きることなく素敵な景色を見続けました。



 ……昨日の晩、晴花さん経由で、金澤さんにした質問。

 俺たちの暮らすあたりにある、砂浜のある湖を教えてください。


 無茶を承知の問いかけに。

 ノータイムで返ってきたメッセージは。


 『ちょっと待ってろ』


 そして翌朝には、すっかり痩せた晴花さんを助手席に乗せた車が到着して。

 おばさんが運転するバンを先導してくれて。


 到着したのがこちらなのです。


「さすが、全国を飛び回るカメラマンさんなのです」

「凄い人なの」


 金澤さんは晴花さんに千枚ほどツツジの写真を撮らせて。

 自分は崖によじ登って一枚だけ撮影して。


 あっという間に帰って行きました。


「……晴花さん、すっかり痩せちゃいましたね」

「久しぶりに会ったのに、走ってる姿とあああああって声しか見聞きしてないの」


 これがプロの現場、という感想は抱かなかったものの。

 お仕事の大変さは痛いほど伝わって来たのです。


 ……でも。


「なんだか、晴花さんには似合わないお仕事に感じます」

「そう? 晴花さんにはあれくらいの方がいいって思うの」

「あああああって人生が?」

「あああああって人生が」


 そんなものですかね。

 仮に、実は俺にお似合いの人生が同じようなものだったとしても。


 断固としてお断りなのです。


「それにしてもあんたら、良く飽きないね?」


 バンガローから顔を出した母ちゃんが。

 大きな声で呼びかけてきたのですが。


 確かにおっしゃる通り。

 お昼ご飯、晩御飯。

 近所の温泉を堪能している間。


 それ以外の時間は。

 ずーっとここに座ったまんま。


 景色も、既に真っ暗闇なのですが。

 湖畔に映るまあるいお月様と星の天蓋が。

 これまた実に幻想的で。


「ずっとここにいられるの」

「ですね」


 なんだか、そのまま眠ってしまいそうなほど。

 この場所が心地いいのです。


 昼間、風が強かったせいか。

 星が綺麗に輝いて。


「覚えてないけど、パパとこうして見たのかな……」


 お隣りからは。

 しんみりとしたつぶやきが聞こえました。



 …………でもね?



「見たわけ無いのです」

「やっぱり?」


 だって。


「ここじゃなかったのですよね?」

「うん。ハズレ」


 残念ながら、ここは。

 穂咲の記憶とは違う場所だったようなのです。


「宝探しした場所、ゴールデンウィーク中に見つかるのでしょうか」

「宝じゃないの。ひよしがしなの」

「ひよしがりでしょ? きみも江戸っ子?」

「ひおしがしなの。……あれ? ひよ、り、がし。……あれ?」


 ひどいね、滑舌。

 君も江戸っ子でしたか?


 深呼吸して心を落ち着けているようですが。

 そうして意識すると、余計おかしくなるものでしょうに。


「ばっちこいなの。もう一回聞くの」

「やれやれ。……おじさんと砂浜で掘ったのは?」

「ひよしがり。ちがった、ひよしがし」


 言い直す前の方が合ってるじゃないですか。

 おかしいのは滑舌じゃなくて、君の言語野のようなのです。



 ――さて。

 素敵な景色を前に、ここで眠ってしまおうかもと思ったものの。

 ちょっと肌寒くなってまいりました。


 いつまでも芯からぽかぽかという温泉効果も。

 過剰宣伝なのです。


 もうバンガローに入ろうかしら。

 そう思っていたら。

 足音が二つ近付いて来たのですが。


「父ちゃんと母ちゃんも見に来たのですか」


 真っ黒な、薄手のダウンのせいで闇夜に溶け込んだ母ちゃんと。

 逆に、大仰なシルバーのベンチコートを着込んだ父ちゃん。


「ママは?」

「朝早かったし、もう寝ちまったよ。ほら、こんな寒いとこにいたら風邪ひくから、穂咲ちゃんもバンガローに入んな」


 そうですよね、ごもっとも。

 俺は母ちゃんの勧めに従って椅子から立ち上がろうとしたのですが。


「べつに寒くないの」


 強がりでしょうか。

 穂咲は、そんなことを言うのです。


「道久君だって、大して寒くないの」

「え? ……ええ」


 どういう訳か対抗意識が芽生えて。

 俺こそ強がりを言ってしまったのですが。


「……そんなことを言うなら、肝から冷える話をしてやろうか?」


 父ちゃんが。

 なにやら不穏なことを言い出します。


「俺はそんなの平気ですが、穂咲が怖がるのでやめて欲しいのです」

「そんなことないの。全然へいちゃらなの」


 おいおい。

 怖い話と授業中の勉強。

 どっちも大嫌いでしょうが。


 やっぱり、強がりを言っているように聞こえるのですが。

 父ちゃんはどうやら真に受けて。

 肝が冷える話とやらを始めてしまったのです。


「若い頃、千葉へ旅行に行った時に聞いた話でな。それ以来、俺は躑躅つつじという字を見ると、髑髏どくろと書かれているように見えるようになった」


 そんな、絶妙な掴みから始まったお話は。

 本当に、肝が冷え切ってしまうような物でした。




 ヤマツツジに魅せられて

 山に分け入った若者は


 歩き慣れた場所というのに

 気付けば知らぬところに出ていました


 日も傾きはじめ

 野犬の唸りも耳をつき


 必死な思いで歩き続けると

 不意にあばら家が姿を現します


 ごめんくだされ

 どなたかおいでならば

 助けては下さらぬか


 するとあばらやから

 薄紅の羽織りをした女性が現れて


 若者を迎え入れてくれたのです


 ありがたし

 だがなぜこのようなところに


 若者はうす粥を馳走になり

 割れ椀と女性とに深々と頭を下げつつも

 気になるところを訊ねると


 つまらぬ話と前置いて

 女性は語り始めます


 ――私は江戸にて父母を失い

 喪として誼のすべてを避けていたところ


 なにを迷うたか

 斯様につまらぬ私に

 色の良い言葉を下さる方が現れたのです――

 

 そう話す女性の鬢髪と

 白いうなじに漂う色香


 若者はさもありなんと

 生唾に喉を鳴らして聞き入ります


 ――ですが私はその方と袖を分かち

 耳と目を塞ぐことしばらく


 されど鼻ばかりは塞ぐに能わず

 風に乗りし噂の香りが伝えるには


 その方が

 病から亡くなられたとのこと


 せめてお花でも手向けねばならぬと

 手入れもしない庭からツツジを摘んで

 門扉の外からお祈りすると


 どういう訳か

 私の素性を知る家の者が

 手紙を差し出してきたのです――


 女性はそこで身を崩し

 裾から覗いた白い内ももに

 若者は目を奪われるのですが


 警鐘と共に

 頭の奥にジンと広がる眠気に

 思考が一つに結びません


 ――そちらにしたためられた

 私への熱い想いは本物で


 何と罪深きことをしたものかと嘆き

 こうして世を捨てることにしたのです


 ですが


 ヤマツツジのごとく燃える愛

 あの言葉を私は忘れ始めております


 どうか添うて寝て下さり

 同じ言葉を下さるよう――


 そんな言葉に若者が我に返ると

 寝ぼけまなこに差すのは朝の薄明り


 汗と朝露に湿り切った着物に

 ぶるりと体を震わすと


 ようやく結び始めた意識が

 二つのものを見つけます



 知らぬ間に横になった地面

 そこを覆い尽くしたツツジの花と


 目の前に横になった

 白い骨



 若者は肝を冷やして

 山から転げるように逃げ出したのでした





「……どうだ?」


 父ちゃんの話。

 あまりの怖さに指一本動かせなくなりましたが。


「ふーん。なかなかだったの。でも、もうちっと怖いのを期待してたの」


 ……穂咲がこう言うのではやむを得まい。


「た、大したこと無かったのです」

「そうか……。俺はこれを聞いた晩はトイレにすら行けなくなったもんだがな」


 父ちゃんは、ちょっとしょんぼり肩を落とすと。

 あんたの話し方が下手なんさねと、母ちゃんに肩を叩かれながら。

 バンガローに戻ってしまったのです。


 でも、穂咲。

 なんで平気なのかな?


 洋風のとか、パニックホラーとか。

 そういうのが苦手なのでしたっけ?


 ……などと考えている余裕が、実はあまりなくて。

 父ちゃんが余計なこと言うから……。


「あ、の。ほ、穂咲さん?」

「なあに?」

「す、すみませんがそこの野外トイレまで一緒に行ってくれないでしょうか?」


 緊急事態ですし。

 強がりなんか言ってられないのです。


「ふう……。やれやれ、仕方ないの。怖くてトイレに行けない道久君を連れて行ってあげるの」


 うう、情けない。

 でも、助かります。


 ぎしぎしと音が鳴るほど固まり切った体を何とか立たせて。

 暗闇にびくびくしながら穂咲が立つのを待つのですが。


 こいつ。

 一向に立ち上がる気配がありません。


「……どうしたのです?」

「なんでも無いの。でも、トイレに付き合ってあげるから、ちょいとおんぶして欲しいの」


 …………それは。

 一ミリでも動くと決壊しそうなほどになっていると?


 事情を察したことで、すっかり怖さが霧消した俺は。

 怖い話が大の苦手な穂咲をおぶって。

 トイレへ連れて行ってあげました。




「…………強がり」

「ハズレなの。あと、もちっと急ぐの」


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