セラスチウムのせい


 ~ 四月二十五日(木) 一丁上がり ~


 セラスチウムの花言葉 思いがけない出会い



「やっぱり、潮干狩りじゃありませんか?」

「そんな気もするけど、なんか、それだーって感じじゃないの」

「近いの? なにが違和感?」

「……音感?」


 音感ってなに?

 意味が分かりません。

 これだから君の記憶を探すの嫌なのです。


 少し赤くなり始めた空の下。

 地元の駅から降りるなり。


 難問を、さらに意味不明にしてしまうこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 猫と子供をふらふらと追いかけて。

 いつもと違う方向へ寄り道する穂咲の頭の上には。


 雪が降り積もるように。

 セラスチウムの白い花が群れ咲くのです。



 そしてたどり着いたのは。

 小さな頃、おじさんと三人でよく遊んだ公園なのですが。


「こんなとこまで来ちゃいましたし、久しぶりにたこ焼き食べて行きますか。……あれ? 穂咲?」


 今の今まで隣で揺れていた白い鉢植えがどこにもない。

 また、ネコか子供を見つけたの?


 そう思いながら。

 慌てて辺りを探してみれば。


「……ちょっと。とうとうそんなものまで追いかけ始めたのですか?」


 なんと。

 ベンチに腰かけていたおじさんの隣にぽふっと座り込んでいたのです。


「ほら、ご迷惑だから。行きましょう」


 小さな声で、穂咲の手を引きましたが。

 こいつはふるふると首を振ります。


「あたしの、悲しそう探知器が反応したの」

「失礼な子!」


 叱られちゃうよと心配しながら。

 パリッとしたスーツで背筋を伸ばしたおじさんをちらりと横目で見ると。


「正解だ。……大したものだな」


 意外な返事をされて。

 目が丸くなりました。


 ……神経質そうな頬に、油断のなさそうな厳しい目元。

 黒縁の細い眼鏡もちょっぴり近づきがたい。


 そんなおじさんは、穂咲を横目に見つめながら。

 ちょっと冷たげな声音でつぶやくように話します。


「昔、この辺りに住んでいてね。久しぶりに来てみたら、あまりに様変わりしていて胸を痛めていたのだよ」

「……そりゃあしょうがないの。おじさんの中じゃ時間を止めた場所かもだけど、あたしたちにとっちゃ、ここの時間が止まったら大変なの」

「面白い言い回しだな。……お父さんの真似かい?」

「分かんないの。……でも、確かにパパは七面倒な言い回しが多かったかも」


 穂咲の口調は映し鏡。

 話す相手が楽しげなら楽しそうに聞こえるし。

 悲しんでいるなら悲しそうに聞こえる。


 今は、どこか悲しそうに呟いて。

 西の方をぼけっと見上げます。


「……実家を離れて一人暮らしをしていた同級生がいてね。よくお邪魔したんだ」

「分かるの。あたしも隠れ家的な場所持ってるけど、落ち着くの」

「卒業しても、店が落ち着くまでの間は顔を出していたんだが、そのうち疎遠になってね。久し振りに訪ねてみたが……、まさか会うことができないなんてな」


 そしておじさんは、穂咲の頭から無造作にセラスチウムを一本引き抜くと。

 冷たいまなざしのままでこう言うのです。 


「花など、何が楽しいのだね? むしって、香りを楽しんだら捨てるものだろう」

「……それはそれでいいの。でも、種ができるまで摘むのを待ってあげると、お花もきっと嬉しいの」

「ならば花屋というものは、随分と酷いことをする仕事だな。種が出来る前に刈り取って金にするのだから」


 そして、手指でくるくるともてあそぶお花にも。

 冷たい視線を浴びせるのでした。


「好きなのに売り物にする。その意味がまるで分からん。しかも収入も少ないし不安定。私は何度も忠告したのだよ。案の定、苦労して……、バカな男だ」


 ん?

 それって……。


 ひょっとして、この方が訪ねたのは。


 俺が、話しに挟まっていいものかどうか逡巡していると。


 穂咲は自分の頭からお花を一本取って。

 その香りを楽しみながら、先に口を開きました。


「だからね? むしって、香りを楽しんだら捨てるのも、それはそれでいいって言ったの。だって、香りを楽しんでくれたから。お花屋さんは、楽しい気分を売ってるとこだから。だから、お金をいっぱい貰っちゃうのは、なんか違うの」


 するとおじさんの眉が片方だけぴくんと反応しましたが。

 でも、口をつくのはやはり否定的なお言葉。


「…………理解できん」

「ママがね、教えてくれたの。お花を摘むのは、結婚といっしょなんだって」

「結婚?」

「お花は摘まれてお出掛けした先で、周りの人を一杯幸せにするんだって。それがお花にとって一番の幸せなんだって。お花屋さんは、お客さんとお花の幸せをお手伝いするお仕事なの」


 おじさんに説明する穂咲の言葉は。

 夕日に映えて、キラキラと輝いて。

 俺の胸にじわっと染みわたります。


 だというのに。

 このおじさん、真っ向から否定するのです。


「いや、その話は間違っている。……花と結婚は、明らかに違う」


 そして表情も変えることなく。

 穂咲の頭をぽんと一つ撫でて。


「……こうして、種を残すことが出来るのだからな」



 ああ。

 そうか。


 一体どこからなのでしょう。

 気付いていたのですね。



 おじさんは、最初に穂咲の頭から引き抜いたお花の香りを満足そうに楽しんで。

 そして、宣言通り放り捨てると。


 夕日の中を、駅に向かって歩いて行ってしまいました。


「……酷いのです」


 穂咲が、おじさんの娘と気付いていながら。

 花屋の娘と気付いていながら。

 お花を放り捨てるなんて。


 俺はちょっと切ない気持ちになりながら。

 お花を拾い上げると。


「なんで?」


 穂咲が。

 いつもの調子で首をひねるのです。


「なんでって。……おじさん、お花を放り捨てたじゃないですか」

「だって、お花をあんなに幸せそうに楽しんでくれたの。お花が一番喜んでくれることをしてくれたの」


 そして。

 またもや俺の心をポカポカにしてくれました。



 ――お客様がどう楽しまれるか。

 それは人ぞれぞれなわけで。


 例えばプレゼント用なら。

 ご本人が綺麗に感じるかどうかではなく。


 プレゼントされた相手が喜ぶのなら。

 それが購入された方にとっての一番の幸せで。

 お花にとっての一番の幸せなわけで。



 拾い上げたお花を、穂咲に挿しながら。

 俺は気づかされました。



 ……そう。

 俺は、そういう仕事をしたいのです。



「きっと、おじさんが御実家の仕事を継がずにお花屋を選んだのも、そんな気持ちからだったのでしょうね」


 厳しいお家だったとはいえ、あのおばあちゃんや破天荒なおじいちゃん。

 そんなお二人から。


 優しい心を受け継いだのです。


「……穂咲も、しっかりと受け継いでいますよね」

「なに言ってるの? あたしは、しらいひんなんて言わないの。パパの代で江戸っ子はお家断絶なの」

「そんな話してません」


 本気なのか照れ隠しなのか分かりませんけど。

 君はどうして綺麗にお話をしめてくれないの?


 でも、がっくりと肩を落とした俺の耳に。

 気になる単語がリフレインします。


 江戸っ子。

 ん? ……江戸っ子?


「さて! おじさんも、お花のおかげでちょっぴり元気になったっぽいし、これで一丁上がりなの! ……でも、毎度のことながらハズレなの」


 あ。

 あああああ!


「思い出した! これで一丁上がりなのです!」

「だからそれ、ハズレなの」


 いいえ?


 これがアタリなのです。


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