ワスレナグサのせい


 ~ 四月二十四日(水) 逆上がり ~


 ワスレナグサの花言葉 真実の友情



 さて。

 スタイリストを目指すことを辞め。

 随分と時は経っているのですけれど。


 自分の進路を改めて探しているのですが。

 やはり未だにピンと来るものが見つからず。


「……どうしよう」

「お花はね? 売るばっかじゃなくて、育てるお仕事もあるの」

「……ありがとう。君もいろいろ調べてくれて」


 珍しく。

 優しい言葉をかけてくれるのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をソバージュ風にして。

 耳の横に、ワスレナグサを一輪挿しています。


 ワスレナグサ。

 忘れないでと言われても。


 その鮮やかな水色の美しさ。

 忘れようはずもありません。


「……じゃあ、お花を育てる人になるの?」

「いえ。正直、ピンと来ないのです」


 そう。

 お花農家というものも考えたのですけれど。


 自由業なら、ひょっとして藍川家のお手伝いもできるかなとか。

 お花を安く仕入れさせてあげることができるかなとか。

 メリットはいろいろ思い付いたのですけど。


 何と言いましょう。

 それならお花やさんのように。


 お客様のご希望を聞きながら選んであげたりアレンジしたり。


 そういったお仕事の方が。

 まだピンとくるのです。


「難しいの。……そうだ、今度おばあちゃんに聞いておくの。お花のお仕事、他にありませんかって」


 俺の悩みだというのに。

 こんなにも悩んでくれて。

 こんなにも積極的に動いてくれて。


 会話だけ聞けば。

 感謝する点しか見当たらないのですけれど。


 でも。


「…………それ、やめません?」


 歩きスマホならぬ。

 歩きあやとり。


「危ないのです」

「平気なの」


 しかも、毛糸玉からちょきんと切り出してあやとりを作っては。

 無くして、無くして、誰かにあげて、また無くして。


「そいつは何代目でしたっけ?」

「彼は、最後の皇帝なの」


 にわかには信じがたいのですけれど。

 たった一日で。

 まるっと一個の毛糸玉が無くなったのです。



 一人あやとりをしながら教室を出て。

 階段を降りて。

 階段から落ちかけて。


 俺に鞄を持たせて。

 俺に靴を履き替えさせて。


「……どちらかと言うと、皇帝は君の方では?」

「むう……。指がつりそうなの」


 よく見れば。

 薬指にかかった二本の紐のうち。

 一本だけ外そうとしていたのですが。


 毛糸のあやとりって。

 指を抜くときには、その伸縮性が邪魔で抜きづらくなるのですね。


 しかしそれにしても。

 君の器用と不器用は。

 どちらも俺の度肝を抜くのです。


「すごい創作あやとりなのです」

「まだなの。もうちっとで完成なの……」


 穂咲の驚くべき作品は。


 両手の真ん中に。

 まるで毬が浮いているように編みあがっているのですけれど。


 毛糸玉を一つ無駄にして。

 そうまでして君が作りたかったもの。


「それは、何を模しているのですか?」

「毛糸玉」


 ……なんでしょう。

 世の中の不毛を感じます。



「……あれ? あの二人……」

「誰かいるの? ……あ! こないだの一年生!」


 そう叫ぶなり穂咲が駆ける先には鉄棒がありまして。

 一番低い鉄棒に両手をかけていたのは、穂咲と一緒に道路に落書きをした一年生なのでした。


「こんにちはなの!」

「こ、こ、こんにちは、お姉さん……」


 そして、ジャージ姿の。

 パッとしない少年の隣にいるのは。


「こんにちはなのです」


 ……俺の挨拶に舌打ちすら返すことなく。

 そっぽを向いた女の子。


 今日も煌めくシャギーの髪がお似合いで。

 そしてふてぶてしい態度もお似合いなのです。


「こんなところでデートかい?」

「ち、ち、違います……。ボク、あの、できなくて、逆上がり……」

「ハズレ!」

「え? な、なにがハズレ?」

「ああ、気にしないでいいから。確か運動力検定の科目でしたよね? それで特訓してるのですか?」

「は、はい……」


 入学してすぐ、俺たちもやらされたな。

 高校というものについて。

 右も左も分からない頃に。


 このタイム、回数に満たない者は失格だとかプレッシャーをかけられて。

 穂咲も、べそをかきながら特訓したっけ。


 今考えれば、失格などと言ったところで単位を落とす訳でもなく。

 普段通りの運動能力を見せればそれで良いだけだったのですが。


 ……でも。

 彼が必死にやろうとしている気持ちを。

 わざわざ折ることも無いでしょう。


「アドバイスなんておこがましいけど、力になりたいのです。どの程度なのか見せてもらえるかい?」

「は、はい! ……とお」


 うわあ。

 こいつは望み薄。


 腕が伸び切って。

 お尻もまったく上がってない。



 ちょっと離れたところを歩く一年生の女の子二人組も。

 彼の姿を見て、ぷぷぷと噴き出しているのです。


「ああもう、恥ずかしい。アタシ帰りたいんだけど」

「そ、そ、そう言わないで、教えてくれよ……」

「だってさ、どんだけ説明しても無駄なんだもんお前。もう諦めろよ」

「お、お願いします……」


 男の子が子犬のように見上げる先で。

 めんどくさそうにため息をつく女の子。


 俺も穂咲の相手をするときはこんなテンションだよね。


 はたから見ると。

 なんて冷たい態度なのでしょう。


「だから腹を鉄棒にぶつけながら……、どうしたアンタ。頭抱えたりして」

「気にしないで。鏡に映った自分を見つめて、急に悲しくなっただけなのです」

「はあ。……お大事に」


 俺が、そんな心にもない同情の言葉をかけられていたら。

 女の子の端正な切れ目が。

 ぱっと見開かれたのです。


 その訳は……。


「あのね? くしゃみなの」

「え?」

「地面を蹴る時、えっくしょって思いっきり体を丸めるの」

「おい、あんた。そんないい加減な説明……」

「や、や、やってみる!」

「ちょっと待てお前!」


 女の子の制止もきかず。

 男の子は穂咲のアドバイス通りに。

 地面を蹴る瞬間、思いっきり大きなくしゃみをすると……。


「おお! できたのです!」

「ウソ……、だろ?」

「や、や、やったー! あ、ありがとうございます! 皆さんのおかげです!」

「ううん? これが君の実力なの」


 先日同様。

 またも先輩風を吹かせた穂咲が偉そうにふんぞり返っていると。


 女の子は小さく舌打ちなどして。

 鞄を持って帰ろうとするのです。


「……そんなに怒ることは無いのです。彼は君のアドバイスにもちゃんとお礼を言ってくれていますよ」

「そうか? 役に立ったとは思えねえけどな」

「いえいえ。だって、穂咲のおかげじゃなくて、皆さんのおかげだって言っていたじゃないですか」

「そ、そうだよ? ボク、君にももちろん感謝してるよ?」


 どうにも不器用で。

 でも、一生懸命で。


 穂咲のコピーの様な彼が。

 あっけらかんとお礼を言うと。


 女の子は少しだけ微笑んだ後。

 一回できたくらいで調子に乗るなと。

 再び彼の元に戻って来てくれました。


 そんな二人は。

 近寄りがたい、特別な空気に包まれていて。


 こんなぶしつけな質問が。

 思わず口をついていました。

 

「二人は、付き合ってるの?」

「んなっ!? そっ、それは……」


 女の子は、いつもの堂々とした態度をどこかへしまい込んで。

 急にもじもじし始めたのですが。


「ち、ち、ちがいます」


 男の子がきっぱり否定したので。

 がっくりと肩を落としてしまいました。


 ありゃりゃ。

 なんてかわいそうなことをするんだい?


「で、でも、ただの友達とかじゃなくて……」


 ただ、男の子の言葉にはまだ続きがあったようで。

 女の子は一縷の期待を込めて彼を熱いまなざしで見つめます。


 友達以上。

 恋人未満。


 そんな言葉が彼の口から出てくるのか。

 そう期待していたのですが……。


「ボ、ボク達は、真の友情で結ばれているんです!」


 …………それ。

 友達のカテゴリー。


 せっかく期待していた女の子も。

 そりゃあ大爆発しますとも。


 穂咲からあやとりを取り上げて。

 男の子の両手首を鉄棒に縛り付けると。


 彼が着ていたジャージを裾からぺろんとひっくり返しにめくりあげて。

 鉄棒の上でかた結びにしてしまいました。


「ま、まっくら! こ、こ、これ、どうしたらいいの!?」


 まるでホオズキのようになったジャージの中から。

 男の子の泣きそうな声が聞こえてきましたけど。


 穂咲は、優しい声で。

 そこから脱出するにはどうしたらいいのか教えてあげたのでした。



「簡単なの。反省したらいいの」



 ……どうしてでしょう。

 俺も反省しなきゃいけない気分になりました。


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