キキョウのせい


 ~ 四月二十三日(火) へそ曲がり ~


 キキョウの花言葉 変わらぬ愛



 学校から一旦帰って。

 わざわざ着替えて。

 おばさんを伴ってやって来た駅の前。


 そんな面倒なことをする理由。

 今日は、ある人とここで待ち合わせなのです。


「海へ貝を取りに?」

「はい。穂咲とおじさん、行ったことありません?」

「ないと思うけど」

「そうですか……。昨日、みんなが貝を掘ってる姿を見てなにか引っ掛かったのですが……」

「貝を? 学校で?」


 眉根を寄せたおばさんですが。

 これを説明するのは面倒なのでスルーです。


 それにしても。


「さすがにもうお手上げなのです。何を狩りに行ったかなんて推理のしようもありません」

「情けない道久君なの。あきらめるということは、夢を見るためのエンジンを一つ止めてしまうということなの」


 知った風な、お姉さんぶった発言をするこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、一輪挿しのように結って。

 そこにキキョウを一輪挿しておりますが。


 君が頭を下げるたびにぽろりと落っこちて。

 いちいち拾うのが面倒なのです。


「狩り、ちゃんと探すの」

「最初っから丸投げの君に言われましても」

「そうよほっちゃん。そういう時はお色気でお願いするの」


 いえ、そんなものでお願いされましても。

 無理なものは無理。


 しかもその不思議なポーズ。

 お色気もなにも全くなし。

 無色透明なのです。


「もっとこう! 体をSの字に!」

「こう?」

「そのまま右手は腰! 左手は髪をかき上げて耳のうしろあたり!

「こう?」

「最後に腰を、こう、くねくね回す!」

「……天下の往来で、恥知らずなことですね、芳香さん」

「ぎゅぴっ!?」


 滅多に人類から出ない音を発したおばさんは。

 くねくねとしたポーズのまま固まってしまいました。


 狐の目をした『厳格』という漢字。

 それにきっちりと和服を着せたよう。

 こちらの方は、穂咲のおばあちゃん。


「おばあちゃん、こんにちはなの」

「こんにちは」

「はい。お二人とも健勝なようでなによりです。……若干一名ほど、不健康な心根の者もいるようですが」


 辛辣なお言葉をくらったおばさんは。

 S字のままで言い訳開始。


「こっ、これは違いましてですね……、実は……」

「実は?」

「実はこれ、ロシアでは目上の方を敬うときにとるポーズなのですよお義母さま!」

「……では、昨日帰国されたダリアさんになぜそのポーズをしないのか聞いておきましょう」

「すいませんでした!」


 固まったままだったおばさんは。

 ほんの一瞬で地面に平伏。


 もっと深く頭を下げなさい。

 おばあちゃんとロシアに。


「……ママ。それは日本で、にっちもさっちもいかない時にとるポーズなの」

「仕方ないでしょう!?」


 半べそをかきながら穂咲を見上げるおばさんでしたが。

 おばあさんに手を差し伸べられると。


 今度は顔を真っ赤にしながらその手を掴み。

 不器用に、嬉しそうな笑みをこぼすのでした。 



 さて、そんなおばあちゃん。

 近くへ寄ったついでに会いに来たとのことなのですが。


 おばあちゃん大好きな穂咲に。

 素敵なサプライズとなりました。


 俺もおばあちゃんのお話、大好きですし。

 だって、まるでおじさんのお話を聞いているようで。


 さて、どこかお店に入ってゆっくりと。

 そう思っていたところへ。

 おばあちゃんは、予想外なことを言い出します。


「今日は私のわがままに付き合っていただきありがとうございました。みなさんの健やかな様子を見ることができて安心です。では、ごきげんよう」


 そして折り目正しくお辞儀をすると。

 驚いたことに。

 駅へ向かおうとするのですけど。


「え? 帰っちゃうの?」

「もうちっとお話したいの」


 俺に声をかけられ。

 穂咲に袖を引っ張られては足を止めざるを得ないのです。


「困ったお二人ですね。時間で戻らねばならないのです」


 そう振り向いた厳しい狐の目が。

 穂咲の涙を見ると、あっという間にふやけて落ちました。


「……いつまでもそのようにすがる子では困りますよ、穂咲さん」


 おばあちゃんはやさしく諭して。

 袖にすがる穂咲の手をやさしく離したのですが。


 穂咲は、そんなおばあちゃんの手をぎゅっと握って。

 鼻をすすりながら言うのです。


「だって……、ぐすっ。……急に呼び出されたからケーキくらいご馳走にならなきゃ割に合わないの……」

「それを泣きながら言いますか!?」


 さすがにそのボケは事前に察知できませんでしたが。

 こんな失礼な話はありません。


 正座以上の厳しい沙汰を覚悟して。

 ドキドキと見守っていたのですが。


「仕方ありませんね。そういうことでしたらご馳走いたしましょう」


 おばあちゃんはそう言うと。

 穂咲の手を引いて、こじゃれたスイーツショップへ入ってしまいました。



 ……ああ。

 そうでした。


 この冷徹な狐さん。

 洋風のものには目が無くて。


 へそ曲がりな言い方で誤魔化していましたが。

 ほんとは、口実が出来て嬉しかったのでしょう。


「やれやれ。俺達も行きますか」


 俺は、緊張で汗びっしょりなおばさんの手を引いて。

 かわいらしいお店のドアベルをからころと鳴らしたのでした。



 ――空席はほんの五つ、六つ。

 そこそこ混みあった店内には女性ばかり。


 紅茶の香気と最新のポップミュージック。

 華やかな笑い声はまるで妖精の舞うお花畑。


 真っ白な丸テーブルに四人で腰かけて。

 メニューと格闘すること五分強。


 さらに待つこと数分後。

 ようやく、目にも美味しそうなスイーツが届いたのです。


「おお。レモンパイ、実にいい香りなのです」

「どれどれ」


 俺が注文したレモンパイ。

 いつものように、自然に。

 穂咲がひょいと持ち上げて。

 自分の顔の前に掲げると。


「ほんと! いい香りなの!」

「な」


 後で、君のショートケーキと一口交換だ。

 そんなうきうき気分でフォークを握ると。


「……穂咲さん。なんですみっともない」


 おばあちゃんが狐のお面を装着して。

 その吊り上がった目を穂咲へ向けたのです。


 なるほど。

 香りを楽しむくらい良いとは思いますけど。

 おばあちゃんにとっては恥ずべき行為。


 でもね。


「ええと、こいつの場合はちょっと違いまして……」

「何が違うというのです」

「……それ、パパから教わったんだもんね」


 おばさんがふんわりとほほ笑みながら穂咲を見つめると。

 二人で同時に首を傾け、同じ音程で、ねーとデュエット。


 するとおばあちゃん。

 狐の目を丸くさせながら。


「なんということでしょう。あの子がそんなことを教えたのですか? 余計な小言と承知で言いますが、みっともないので、そんな教えはお忘れなさい」

「いえ、おばあちゃん。これは教えというか、愛情なんですよ」


 ……お花の種とか、ボタンとか。

 穂咲はなんでも食べちゃう子だったので。


 だから、知らないものは香りをかいで。

 おいしそうだったら食べなさいと。

 おじさんから教わったのです。


 俺の説明に、おばあちゃんは少し呆れた顔をして。


「もっと違う教え方があったでしょうに。……穂咲さん」

「なあに?」

「いつまでも、変わらないといいですね」


 そんな優しい言葉に。

 穂咲はぱあっと笑顔の花を咲かせながら。


「でもね? そのせいで、香り付き消しゴムを食べちゃったの」


 …………余計なことを言い出しました。


「体を壊さなかったのですか?」

「壊さなかったの。でも、真似して食べた道久君はおなかを壊したの」

「……穂咲さんの行動を止めるどころか真似をして、ご自分だけ体調を崩したというのですか?」

「ちょっと! 今の流れで、なぜ俺がにらまれるのです!?」


 なんて不条理な。

 でも、この言葉には逆らえません。


「道久さん。そこに正座なさい」


 条件反射。

 素早く床に正座すると。


 にわかにお店がざわつきます。


 おばあちゃん。

 ご機嫌だったと思っていたら。

 今日はやさしいなと思っていたら。


 急にへそを曲げてしまいました。



 ……なんてことを考えていたら。

 以心伝心。



「おばあちゃん、へそ曲がりなの?」

「言いやがった!?」


 無論。

 おばあちゃん、怒髪天。


 穂咲も正座させられました。


「……なんで余計なこと言ったのさ」

「だって、ハズレだったの」

「なにが?」

「へそ曲がり……」


 ああ、『がり』探し?

 いくら何でもそんな思い出ありません。


「なにをこそこそ話していますか。反省なさい」


 あいた。

 雷ぴしゃり。


「……おばあちゃんの雷は、最強の道久君シールドを楽々貫通するの」

「なんという言いぐさですか。道久さんを扱いするなどもってのほかです」


 ……ん?


「しらいひん?」

「しらいひん?」

「しらいひん?」


 …………おばさん。

 いまさら口を塞いでも手遅れだから。

 俺の右隣で座りなさい。


 それにしても、おばあちゃんは江戸っ子だったのですね。

 そういえばおじさんも苦手だったな、は行。


 親子だなあと感じながら。

 ちょっと照れくさそうに頬を赤くさせたおばあちゃんを見上げたのでした。

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