第7話 天翔ける黒煙、呪い託して

「ヒナコ、人間は何のために生きているのだろうか。」

靴を脱がずに玄関を抜け、冷蔵庫を開ける。

卵を二つ取り出し、グラスに割って入れる。

二つの卵黄がなまめかしく煌き、グラスの中で揺れる。

軽く回すが触れ合うことのない黄身が、磁力のように反発する。


「生存のために生きるならば人間よりも動物の方が向いている。もっとも人間も動物ではあるが、そこには明確な境界が存在すると私は考える。」

グラスを仰ぎ、卵を飲み込む。

体の中に異物が通り抜ける感覚。命になる予定だったもの。

ひやりとのどを通って何も感じなくなる。

一瞬だけ私に感覚を与えて消えていった。


「物語だよ。人と動物との違いはそれでしかない。人間に潜む人間性は物語を紡ぎたがる。」

殻をくしゃりと握り、床に落とす。

中身も、殻も、私に感覚を残して役割を終えた。

意味なんてない。だけど私はそこに意味を与えることが出来る。


「そう。人は意味を与え、一貫性を持って生きることを無意識で望んでいるのだよ。なんとなく決めた判断でさえも、無数に埋もれた物語の上に紡がれた回答であることに人は無意識なのだ。」

そんなことは誰も教えてくれなかった。

こんなにも私は自由なのに。私の選択を拒むものなど何もないのに。

自分で決める。それだけで多幸感が波のように押し寄せる。


「心地よいだろう。自ら決めた道こそが紡ぐべき物語なのだ。直観に従い求めることを行う。さすれば来るべき責任さえも愛おしくなることを何故人は忘れたのだろうか。」

足取りは軽い。私は天国への階段を上るように二階へと向かう。

ライターを握りしめて。


「無論、紡ぎ忘れた人の物語でさえも救いは存在する。自覚したその時、これまでの人生に意味を与えるため、人は自らの命の答えを導くだけの知性が与えられている。」

ドアを閉め、カギをかける。

この部屋を訪れる人なんて、誰もいない。だからこそ、まさにこの部屋は私のための神殿となる。

カーテンを閉め、光を遮る。私の最後を雲に見られたくはない。


「ヒナコ。私たちは人の知性から生まれ、人になれなかった水子なのだよ。境界から人を見守り、物語の読み手として行く末を見届ける。」

ベットの羽毛布団をどかし、乱雑に物を投げてゆく。

なんとなく気に入っていた洋服。結末が最高につまらなかった小説。なぜか途切れることがなかった日記帳。

全部連れて行って終わりにしよう。

中途半端には終わらせたくないから。せめて、私のお別れを一緒に祝ってほしいから。

数分も経たずに出来上がった私のお墓は、まるでごみの城のようで滑稽だ。


「自殺に勝る終焉があっただろうか。誰が自殺が辛いなどと吹聴したのだろうか。誰も見ることのない終わりを共に見届けよう。人は死ぬ時も一人なのだから。」

シーツの四隅に火をつける。誕生日ケーキのろうそくのように順番に。

私はお城の王様のように布団を羽織り、ベットの中央に座った。

薄暗い私の部屋が少しずつ陽炎に染まる。

私を包むように手を伸ばした火は、四隅でしっかりと結び合い、私を暖めた。

これから私が終わる。たった数十年の命だったけど。

そのすべての時間がこの時のためにあったのだと。

そう、強く、強く私の中で激情が燃えていた。


「首を括った男も。ビルから身を投げた女も。皆、自ら選択し、還ったのだ。ヒナコ。今君はそれと同じものを見て、感じている。どうかね、どう感じる。痛みも苦痛もなく死と対面する感動!人には生まれた時から死と再会するための機構が備わっているのだから!」

火は本に、服に、燃え移り、そしてようやく布団に灯る。

静かに、美しく燃える火に抱かれ、ようやく私は鳥になった。

大きく火の羽を広げた私は美しい。

私を見て!こんなにも美しく私は輝いて!


やがて私はこの家を燃やし、煙を追って天まで昇るだろう。

そうして雲となり、世界に散らばって影を落とそう。

暖かな日の光を背に受けて、影で生きるお前らの不幸をずっと祈り見続けてやろう。


皆影の中で死ぬまで生きればいい。

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