第6話 敗走する光、月さえも覆い隠し
昔から保健室が好きだった。
校庭の庭に張られた池の光が天井に反射して、昼のプラネタリウムのように天井に映される。
雲で陰ればそれもまた消え、太陽がの光がまた射せば、終わりのない映画のように投射を続ける。
何も考えず、それを眺める時間が、私にとってはとても贅沢な時間のように思えた。
「ふむ、私たちもそれと同じようなものなのだよ。」
哀愁漂う美しい私の時間も、その一声で台無しになる。
私は授業後、保健室に向かった。私の意思でだ。
体調が悪いというわけでもない。現に、今も自分の感覚が戻っておらず、肉体面においては快調なのか、不調なのかも分からない。
この状況こそがまさに絶不調なのかもしれないが、不思議と心はいつもより気分が良かった。
授業を受けず、保健室で横になる非日常が、少なからず私の心を興奮させているのかもしれない。
「君たちが生きるこの世界が、水に浮かぶ水草なのだとすれば。私たちは、その水面に生きているのだよ。」
「とても残念なことが聞こえたのだけど、私たちって言った?。」
「ん?そうとも。まさか君は私が妄想上の存在で、君がおかしくなったために自分で作り出した仮想人格かなにかと思っているのかな。残念ながらそうではない。私たちは君の意思とは関係なく存在する意思であり、人格だ。もっとも肉体が存在しない分、明確な個の定義は難しいがね。まさにその天井に映る水影のようにおぼろげで、あいまいなものなのだよ。」
太陽に雲がかかり、美しい投影も陰に飲まれる。
好きだったぬいぐるみに泥をかけられたような嫌悪感。
この存在は私にとって害を及ぼす毒虫だ。
今更ながら、そう再認識させられる。
厚い雲が光を奪い去る。
保健室の光の残滓も、日食のような獰猛さで奪い去る。
昼間で蛍光灯も点けられていなかったこの部屋は、ひと時の薄闇に包まれた。
なんなのだろう。
私が何をしたというのだろう。
いつだってそうだ。
みんなこの気まぐれな雲のように私を覆いかぶせて。
私の心を薄暗い世界に包む。
体温がぐっと下がり、どす黒い感情が顔を出す。
ここにいてはいけない。
誰かに言われたわけでもない。
不意に心が弱るとき、この言葉がにじみだす。
ここにいてはいけない。
どこだってそうだ。家も、学校も、私に何をするでもなく、私に影を落としてゆく。
ここにいてはいけない。
皆が生きる恒星なら、私は死んだ惑星だ。
光で窒息する前に逃げ込んだ影の中で、私は居場所を探し続けて。
輝き、快活を正義とするこの世界で、点火することのなかった星は。
誰に見つけてもらえばよいのでしょうか。
「あなたが一人だろうが、何人だろうが知ったことではないけど、いい加減どうすれば出て行ってくれるの!今のご時世テロリストだって声明を出すのよ。目的もなくまとわりつかれる気持ち悪さ、あなた知らないでしょ。もうほっといてよ。淋しくて淋しくて出られなくなった人は内側から聞こえるあなたの声でさえ。」
「無視できなくて死にたくなるのよ!」
感情が嵐に飲まれ、理性でようやく舵を切り、呪いの言葉を紡ぎだす。
あふれ出る呪詛の連弾は、深く、静かに、内に潜む多弁な寄生者に向けられて放たれた。
逆流する水中下の気泡のように、それは徐々に質量を帯び、ぬばたまの言霊となって「それ」に到達した。
「実に、良い。」
機嫌が感じられた。この寄生者はいま喜んでいる。
「まさしく、君の今の状態を作り出すのが私の目的だよ。命が燃え、意味を紡ぎ、感情が湧き、世界に放つ。一つの波紋が互いに連鎖し、滅裂な音階を作り出すところに私は立ち、感じたいのだよ。理解できるかな。私は君が生きる様を見届けたいのだ。」
無垢な子供にありがとうと言われた時のような心地よい胸の焦げ付き。
純粋な感情のうねりが四肢に伝播し、涙腺を刺激する。
憎しみを込めた言葉が、内に潜む何かに跳ね返り、幸福の波形になって伝播した。
理解できぬ戸惑いと、体に満たされてゆく快楽の伝播に、私は嗚咽していた。
「君の心と私の心は繋がった。君の感情の命は今再び産声を上げたのだ。私は君の再誕を祝福しよう。君の喜びを共に喜び。君の嘆きを共に世界に伝えよう。」
雨音が窓を叩く。
太陽は見る影もなく覆い隠され、出し惜しみのないほどの雨が校庭に降り始めた。
ベットから起き上がり、窓の外を見た。
影から逃げるように走り去る光が、私から遠ざかる。
徐々に速度を上げ、遠ざかり、山の頂まで走り、ついにそれは追いつかれた。
私が見た、最後の光だった。
私たちが見た、最初の光だった。
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