くすんだ日記

沢崎善

くすんだ日記

 皆さんが将来なりたくないものを書きましょう、と先生は言った。

 いつもどおりの抑揚のない声だった。

 クラス全員に、何も書かれていない紙が配られている。ほとんどの児童が、困惑した表情で先生と机上の白紙を見比べていた。僕も先生の意図が掴めなくて、ただ茫然と、眼前に広がる白色を眺めていたように思う。

 断片的な記憶だ。紙のサイズがA4だったかB5だったかとか、その日の天気がどうだったとか、細かいことは覚えていない。

 その先生は、普段から小学生が理解するには難しいことをよく言っていた。長い髪を後ろで束ね、丸い眼鏡をかけた細身の教師で、表情に乏しく、覇気のない人物だったが、何故か子供たちからは好かれていた。先生が僕の担任だったのは小学校三、四年生の頃だったから、そのくらいの時期の出来事だろう。

 総合学習か、道徳の授業だったと思う。先生は全員に白紙を配った後で、何の前置きもなく、静かに言った。

 皆さんが将来なりたくないものを書きましょう。

 余計なことは何も言わない先生だった。必要最低限の言葉で、必要最低限の情報を提示するような人物だった。先生は、挨拶を返すことはあっても、自分から進んで挨拶をすることはなかった。

 どうしてですか、と誰かが先生に質問した。

 それは皆さんが答えを書いてから教えましょう、と先生は言う。

 教室がざわつき始める。皆、近くの席の人と何を書こうか話し合っているようだった。教室中を言葉が飛び交っている。

 いじめっこ。

 犯罪者。

 下水道で働く人。

 怪人ジャガバスター。

 僕が、将来なりたくないもの。

 しばらく考えて、一つの答えを紙に記す。隣の席の少女も既に書き終えていたようだったから、声をかける。

「ねぇ、何て書いたの?」

 当時、隣の席だったこの少女のことを、僕は急にはっきりと思い出していた。ショートヘアで左目の下に泣きぼくろのあるこの女の子は、僕の初恋の相手だった。

 彼女は自分の机上にある紙を、左端に寄せて僕に見えるようにする。紙の中央に、綺麗な字で、小さく「お父さん」と書いてあった。

「……その、お父さんは、男の人でしょ? なりたくても、なれないから安心していいんじゃないかな」

 子供の頃から、気の利いた言葉なんてちっとも言えやしなかった。相手の望んでいる言葉も、相手を笑わせる言葉も、その場を取り繕う言葉も、僕の口から出ることはほとんどなかった。自分のことしか見えていなくて、相手の心情を察することが苦手だった。

 彼女は感情の読めない瞳で僕を見た。「そうね」とだけ言うと、「君は?」と僕に訊く。「なんて書いたの?」

 僕は自分の机の上にある紙を右端に寄せる。不細工な字で、大きく、「おばあちゃん」と書いてあるはずだった。

「……おばあちゃんってどんな人なの?」

「すごく、優しい人だよ。僕が幼稚園くらいの頃かな。おとうさんもおかあさんも仕事がものすごく忙しい時期があってさ、家にもあんまり帰ってこれなくて、その時期は、おばあちゃんに毎日ご飯作ってもらったり、お風呂沸かしてもらったりしててさ。よくお小遣いもくれたし。あと、おばあちゃんの作るおはぎがとってもおいしいんだ」

 話しているうちに、言葉が止まらなくなった。彼女は僕の話を静かに聴いている。時折、クスリと笑ったり、優しく微笑んでくれたりするのがたまらなく嬉しくて、僕は夢中で話した。

「君は、どうしておばあちゃんになりたくないの?」

 今思うと、彼女がその質問をするのは当然のことだったけど、当時の僕にとっては、それがとても意外なことに思えた。たぶん、当時の僕にとって自分の感情と真剣に向き合うことは珍しくて、他人にそれを促す人物はもっと珍しかったからだろう。

「おばあちゃんはもう、僕のことが分からなくなったんだ。ううん、僕だけじゃなくて、おとうさんとも、おかあさんとも、初めて会う人みたいに接するんだ」

先を促すように、彼女は相槌を打つ。

「だから僕は、おばあちゃんみたいにはなりたくない。家族のことを、大切な人を忘れるような人にはなりたくない」

 不意に涙が出そうになって驚く。自分の中に、これだけ大きな悲しみが潜んでいたという発見。授業中に、隣の席の女の子に見られながら泣くなんてのは恥ずかしいから、涙をこらえる。

「きっと君は」

 彼女は言う。

「ただ悲しいだけなんだよ」


       


「皆さんは、それぞれに将来の夢、あるいはこうなりたいなーという目標を持っていると思います。例えば、プロ野球選手だったり、パティシエだったり、何かしらあると思うんです。なりたいものがあって、それに向かって努力するということは、もちろんとても大事なことです」

 一度言葉を区切り、先生は沈黙を作る。ここからが大事だぞ、と言わんばかりの静寂だった。

「ですが、なりたいものになるというのは、皆さんが思っている以上に難しいことなんです。今はピンとこないかもしれませんが、これから先、皆さんが自分の人生を歩んでいく中で、段々と分かってくると思います。なにかになりたいと思って、それを目指して、前を向いて歩いていくことの辛さを。皆さんはきっと、これからつまずいたり、転んだりします。道の途中にすごく高い壁があることだってあるかもしれません」

 先生は続ける。

「だから皆さんには覚えていてほしい。歩くことに疲れたとき、思い出してほしい。なりたいものになることと同じくらい、なりたくないものにならないことも大事なのだということを。時には後ろを振り返って、足跡を辿り、自分の歩いてきた道のりに思いを馳せることも必要なのだということを」

 先生の言うことは難しくて、僕にはよく分からなかった。先生が言っている言葉の意味は分かる。そうなんだと思った。だけど、だからどうしたとも思った。僕は物事について深く考えることなく、漫然と生きていた。普段の僕だったら、先生の言葉は、次の日の昼休みには意識の外に追い出されているはずだった。

 だけど。

 クラスの皆が、よく分からないという顔をしている中。

 隣に座る君が、よく分かるという顔をしていたから。

 僕も、分かろうと思った。理解したいと思った。

 それにね、と先生は言う。

「なりたいものになるのはとても難しいけど、なりたくないものにならないということは、そう難しいことではないんです。だから、なりたくないものを目指すことはとても大事だけど、皆さんには、なりたくないものにならないことを心がけてほしい」

 僕はその日、自分のお小遣いで初めて日記帳を買った。忘れないようにしようと思った。先生の言葉は理解できなかったけど、理解するために、文字として残しておきたいと思った。

 家に帰って、記憶を頼りにしながら先生の言葉を、彼女の答えを、僕の答えを、彼女とのやりとりを、日記に綴っていく。

 大切な人を、大切なものを、覚えていようと思った。

 大切な人を、大切なものを忘れてしまう人間にはなりたくないと思った。

 そうだった。

 小学生の僕が日記をつけ始めたのは、そんな理由からだった。

 

       ◇


 小学生の頃に書いた日記は、最初の一ヵ月は毎日欠かさずつけられていたけど、次第に日付が飛ぶようになり、三日に一回になり、一週間に一回になり、最後には白紙が続くようになった。日記帳の三分の二が白紙だった。

 日記帳を閉じて、段ボール箱の中に戻す。この段ボール箱には、日常生活で使うことはほぼないけれど、捨てるのも躊躇われるようなものを雑多に押し込んでいた。閉じ込めるようにガムテープで封をして、上面に油性マジックで「思い出の品」と書く。

 伸びをして、自分の部屋を見渡す。自分の持ち物はほとんど段ボール箱に詰めてしまっていたからやけに広く感じた。

 自分の人生が、一つの終焉を迎える感じがした。僕は来週、親元を離れて東京で一人暮らしを始める。

「ちょっとそのへん散歩してくる」

 車に気をつけるのよ、という母親の返事を聞き流しながら僕は家を出た。住み慣れた土地。田んぼばかりの田舎町。東京に行く前に、もう一度自分が生まれ育った町の風景をじっくりと見ておきたかった。

 歩きながら考える。

 僕は一体、何になりたいのだろう。

進学先に東京の大学を選んだ理由にも、理系の学部学科を選んだ理由にも、明確な根拠なんてなかった。ただ都会暮らしがしてみたかっただけだったし、理系を選択したのは、なんとなく、就職に有利そうだと思ったからだ。

 特にやりたいことがあるわけでもなく、見据えている目標があるわけでもない。十年後の自分が何をしているのかなんて想像もつかない。

 じゃあ、逆に。

 あの覇気のない教師の顔を思い出す。

 僕は一体、何になりたくないのだろう。

 とりあえず、事務職は無理だろうな。一日中パソコンの前に座るのなんて想像するだけでも辛い。じゃあ、研究職はどうだろう。理科の実験は好きだったけど、それを職業にするのってどうなんだろう。かといって肉体労働も嫌だ。体力にはあまり自信がないな。同僚や上司も体育会系の人ばっかりだろうし。じゃあ、接客業はどうだろう? でも愛想笑いは疲れるしな……。

「結局、婆ちゃんにはならずに済むのかな」

 祖母は僕が小学五年生だった時に他界した。最期まで、祖母は僕が誰なのかを思い出すことはなかった。だから僕は、祖母の病室にいながら、祖母の最期を看取ることはできなかった。

 散歩を終えて、家の前まで来たとき、今日はカレーかと思った。ここ最近、夕飯のメニューは僕の好物ばかりだ。

 母と、僕と、仕事から帰った父の三人で食卓を囲む。テレビではニュース番組をやっていた。我が家には食事中はテレビをつけないというルールがあるのだけど、僕が東京に行くまでの間、二人は僕の多少のわがままには目を瞑る気でいるらしかった。

 次のニュースです、と女性キャスターが重々しく告げた。

 ニュースは、両親からの虐待により、まだ一歳の女の子が死亡したという痛ましい事件を報じるものだった。母が悲痛な表情を浮かべる。父は黙々とカレーを口に運びつつも、視線はテレビの画面から外さない。

 事件が起きたのは隣町らしく、なんと死亡した子の母親は僕と同じ十八歳らしい。未成年ということで、容疑者の名前は明かされていなかった。

 夕食を終え、リビングでくつろいでいると、友人からLINEが送られてきた。

「久しぶりー。ニュース見た? 母親が子供を虐待して死なせたってやつ」

 その友人は、小学五、六年生のときのクラスメートで、普段あまり連絡を取ることのない人物だ。

「久しぶり! 見たよー。それが、どうかしたん?」

「いや、それがさ。人から聞いた話なんだけどさ」

 友人とのトーク画面を開いたまま、次の言葉を待つ。何故か少しだけ、嫌な予感がした。

「子供を虐待してた母親ってのがさ」

 友人は、一人の少女の名前を記す。

「お前結構仲良かっただろ? びっくりだよな。真面目そうな子だったもん。なんか、彼氏の子供妊娠しちゃって、高校中退してたらしいぜ。そんで、彼氏の方は姿をくらまして、女手一つで子供育ててたみたいでさ。まぁいろいろ耐えられんかったんだろうな」

 友人と二、三回メッセージをやり取りして、また今度遊ぼうぜと互いに言い合ってからスマホを手放す。ソファに背中を預けながら、ゆっくりと息を吐く。

僕は今、静かな苦しみの中にいる。

 混乱していたし、胸を締めつけられる感じがあった。自分の辿って来た道を振り返ると、後悔ばかりが積もっているような気がした。

 自分の部屋に行き、「思い出の品」と油性マジックで書かれた段ボールの箱を開け、日記帳を取り出す。表紙には不細工な字で僕の名前が書かれている。これは僕の過去だ。

 日記の一ページ目に、先生が「なりたくないもの」について授業をした日の出来事が書かれていて、読み返すたびに、後悔が押し寄せる。

 小さい頃からそうだった。僕はいつも自分のことしか見えていなくて、誰かから与えられる優しさに鈍感で、だから誰にも何も与えることができない。

 どうすれば良かったのだろう。隣の席に座る少女に向かって、「どうしてお父さんになりたくないの」と問えば、少しは違う結末が待っていたのだろうか。いや、きっとどうにもならなかっただろう。だけど、自分にできることをやらなかった後悔は、全力を尽くさなかった未練は、僕の心の深いところに鎮座している。

 忘れてはいけないことだったのだ。

 忘れてはいけないことだったのに。

 大切なものを忘れるような人にはなりたくないと願ったのに。

 先生は、なりたくないものにならないことは、そう難しいことではないと言った。

 そんなことないよ、先生。僕らにとっては、なりたいものになるのと同じくらい難しいことだったよ。

 もう一度、日記を綴ろうと思った。この日記帳の続きを書こうと決めた。今度こそ忘れないように、誰かの優しさに気づけるように、誰かに優しさを与えられるように。

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くすんだ日記 沢崎善 @shoseki_zen

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