第19話 枯れよ悪花、嵐に巻かれ

ピンクの薔薇はそのどこか気品ある仕草で棘を伸ばす。

遊はその棘をものともせず、しっかりと握る。

不思議と棘のあるを掴むことに忌避感は無かった。

夢のような出来事ゆえだろうか。

それとも棘に見えるそれは棘ですらないのか。

なんにせよ、遊はその棘による痛みを覚えることは無かったし、血が流れるなど肉体的な損傷もなかった。

美しいものには棘があると言うが、その棘は一度刺さったら容易に抜けないようにするための返しであるのだろう。

近付くものを傷つけ、外敵を近寄らせないための凶器であり、熱い抱擁を交わす為の構造。

それに対し、他の麗しい花は憤る。

なぜその薔薇を選び、自分たちは選ばないのかと。

そんな薔薇よりも自分たちの方が優雅で気品のある香りだと。

己の誇りにかけて訴えかけてくる。

しかし遊はその薔薇を手放そうとしない。

花々は怒髪天を衝く勢いで荒々しく、暴れだした。

その怒りは自然の嵐となって吹き荒れる。

まさに、天を揺るがすほどの暴風。

自分たち自身を巻き込んで。

しかし、悲しきかな遊がいる花園までは遠く及ばない。

遊にとっても、同じ囲いの中の花にとっても対岸の火事であった。

鎧袖一触に薙ぎ払われた花びらは、ヒラリヒラリと可憐さを残して散り、辺りには遊の周りに居た植物たちだけが残った。

居なくなった花たちは、綺麗な花吹雪となって、花としての最期を美しく散っていった。

遊が招き入れたピンクの薔薇は変わらず、生き生きとした瑞々しさを発していて、まるで嵐なんてなかったかのようだった。


「大丈夫だったか?」


そう遊が声をかけると、薔薇は抱擁を強め、薄いを感じさせていたピンク色から濃いピンクへと変わったのだった。












薔薇の抱擁の感触が無くなると、段々と、遊にはここが何処なのかわかってきた。

小学校の敷地に座り込んでいるが、これは紛れもなく夢だ。

結衣が教えてくれた、宝物の住処だ。

何故こうも自分は、大事なことを忘れてしまうのだろう。

結衣から聞いた事、元樹や結衣との過去。

その一部始終を。

茜さす世界で、遊は考える。


(また、夢を見ているという事は、昔の記憶が刺激されたってことだよな。とすると、叶依との記憶、か。やっぱり叶依とも小学校から仲良くしていたんだろうな…他のメンバーも多分、そうなのかな)


今にして思えば、引っかかるのは叶依の言葉。


『私も、もし――遊くんがいなかったら――』


もしあの言葉に続く言葉が、この世界を形作っているのだとしたら。


『——私も、遊くんの素の性格が羨ましいですよ…。私の今の外面なんて、前を向くための仮面ですから』


彼女のトラウマを刺激してしまったかもしれない。


(あとで、それとなく謝ろう)


そう思い、立ち上がる。

夕焼けが白かった校舎を焼いて、陰を落とし、昼間では見られない雰囲気を醸し出している。

記憶を頼りに思い出すと、どうやらここは中庭のベンチらしい。

校庭と校舎を繋ぐ道の途中。

ここによく、大休憩に女子が集まって男子のドッジボールに野次を飛ばしていた。

それを懐かしみながら、遊は昇降口へ向かう。

理由は直感と、先程思い出した、この世界の成り立ちを元に、校舎の中の方が再現された記憶に逢えると思ったからだ。

それに、今の遊はランドセルを背負ってない。

つまりは、下校してから来たか、まだ下校していないかだ。

十中八九学校の中の記憶と言っていいだろう。

自分の周りに関する大事な、宝物。

自身の背が縮んでいる所為もあるだろうが、校舎や木の落とす長い影が不気味だ。

昇降口へ着くと、丁度横切ってくる千佳がいた。

小学校高学年くらいだろうか。

この頃から少し、大人の色気が出てきている気がする。


(やっぱり、千佳も同じ学校だったんだな)


遊の胸中に渦巻いたのは、混乱でも、困惑でもなく、やはりかと言う一言だった。

あちらもこちらに気がついたのか、近寄って来る。


「遊、叶依は…彼と図書室の本の整理しているからもう少しかかるって」

「そうか。…とすると、五年生か?」

「はぁ?急に何言ってんの?」

「いや、なんでもない」

「…?まぁいいわ。で、元樹は良い雰囲気作りに全力で協力中だから私が伝えに来たの」

「あー、なるほどな。どうも。つまり俺にそれを伝えに来たってことは、いつものメンバーの残りを探せってことだろ?」

「そうよ。■■が見つからなくて」

「…は?なんて?」

「だから■■よ!」

「は?聞こえねぇ」


急に千佳の声の一部分が聞こえなくなった。

その瞬間だけ、不協和音のノイズが走ったような。

その一瞬だけ、砂嵐に巻き込まれたような。

そんな感覚だ。

慌てて聞き返すが、やはりナニカに邪魔されて聞こえない。

大事な部分だけ、全く聞き取れない。

二度も同じことを聞き返すから、千佳を怒らせてしまう。


「もう、ふざけてないで行くわよ!」

「え、あ、え、いやどこに」


と言っても本気ではなくて、微笑ましい会話の一部ではあるが。

しかし、怒りの言葉としては意外だったため、遊は聞き返してしまう。


「探しに!心当たりぐらい、あるでしょ?」

「まぁ…思い出せば…あー、じゃあ、手分けして探すか。俺はこっち側探すからあっち側は頼んだ」

「え、ちょっと…えぇ。…別に一緒に行ったっていいじゃない」


最後の呟きは廊下を疾走する遊には聞こえなかった。








もはや、沈む夕日と共に溶けていくかのように、校舎は薄暗かった。

教員もほぼほぼいないのか、廊下はもちろんのこと、教室の電気も付いていない。

普通なら、職員室に残っていそうなものなのに、先程見てみたら、がらんどう。

正しくもぬけの殻であった。

その中にはただ整然と教職員の机が並べてあるだけだった。

遊の胸中には、大事な休日に昼寝をして、起きたら一日が終わっていたかのような変な焦燥感と虚しさが去来した。

そう、去来したのだ。

遊は、この感覚を知っている。

確かに心が覚えている。

過去にこの光景を体験しているのだから、それは当たり前といえばそれまでだが。

今までは、『こんなことがあったんだなぁ』程度に感じていたこの夢の光景が、今では確かに在ったと言えるほどに昇華されている。

この出来事はいつだったか。

それともただの既視感デジャブに過ぎないのか。

それはやはり、遊には分からない。

これが本物という確たる証拠も、偽物であるという証明も、証拠は何処にもない。

強いていえば、不鮮明な過去の記憶という曖昧模糊なものの中に存在する。

知恵熱が出るほど考えても、どれだけ長く考えても、脳みそをからっきしにするくらい絞って見ても、てんで分からない。

しかし、やらなければいけないことは思い出した。

叶依に会うということだ。

遊は残りのを千佳と手分けして探していた訳だが、それを放り投げてでも、果たさなければいけない大事な事だった。

ただただ、遊の胸を焼くのは叶依に会って話さなければならないという焦燥感で、その感情は遊の理性を焦がす。

──早く彼女に会わなくては。

──早く声を掛けねば、取り返しのつかないことになってしまう。

焦燥が猛々しく紅蓮に荒れ狂うのだ。

だからこそ、遊はその猛々しい猛火、いや烈火を燃料にするかのように校内を走り抜けた。

理科室や理科準備室、美術室、会議室などを横切って、図書室へ。

千佳が言っていた彼女がいる場所へ。

遊が中に入ると、叶依と思わしき小さな女子生徒は窓際の席で夕暮れを過ぎる頃の空を見ていた。

本来なら、小学生という都合上このような時間に学校に居ないはずなので、物珍しくて外を見ていただけかもしれない。

しかし、遊の目には彼女の中にこのままこの日という時をすぎてしまえば、消えて無くなってしまいそうな儚さが映った。


「…あれ?遊くん…?どうしたんですか、こんな所で。あぁ、私か、彼に何か用事ですか?」

「いや、あいつじゃなくてお前、叶依に用があってきたんだ」

「私に…?あぁ、ごめんなさい、まだ終わりそうになくて…」

「いや、それも、まぁそうなんだが、そうじゃなくて」

「はい?」

「いつまで、続けるつもりなんだ?こんなこと」


それを言った瞬間に、叶依の瞳に黒いような、鈍い光が宿ったような気がした。

ぶわっとナニカが広がり、重力が三倍くらいに感じられる。

目には見えないオーラが立ち込めていて、プレッシャーというものをひしひしと感じるような、形容しがたい何かが今、起こった。

彼女のそれは友人に向けるような目ではなくて、両親の仇を前にしたような、どす黒い、人間の欲望のさらに深いところだけを蠱毒こどくの壺で育てたような、そんな粘着質な嫌な目だった。

その眼は口を凌駕してものを言う。

普段は温厚な彼女を見ていた分、その異質さは更に際立つ。


「なんのことですか?」


すっとぼけて誤魔化そうとするも、先程からの据わった目が図星であることを指し示している。

彼女は、知らないフリをしているだけだ。

本当は気づいている。

他人に沢山の迷惑を掛けていることも、この関係が長くは続かないことも。

幸せを素直に喜べないその胸の蟠りの原因も、彼女にはわかっていた。

彼女には、理解できているのだろう。

破綻するその光景が見えているのだろう。

この先の未来を予測見ているのだろう。


「もう、わかってるだろ?そろそろ限界だ。このまま行けば近いうちにバレて、みんなの不満が爆発する。確かにやり方が巧妙で一部を除いて今まではみんな気づかなかったさ。でも明日は?明後日は?明明後日は?バレる確率はだんだん上がる。もう取り繕えないくらいに不自然だし。それにきっとアイツだって気がつく」

「…」

「今は、多分アイツは…叶依が嫌がらせを受けてるって勘違いしてる。だからさ、決して好意…恋愛感情じゃないんだよ。正義感とか、そんな感情なんだ。元樹も俺もあいつを入学当時から見てきたからわかる。アイツはそんなやつなんだ。だから、高嶺の花。だから王子様」

「じゃあ、遊くんは、私に諦めろ、と?」


絞り出すように言葉を紡ぐ叶依。

そこには遊には到底推し量れないほど膨大な、そして一途な感情が込められていて。

遊はやはり、彼女は恋に恋している訳では無いんだなと悟る。

愛し方は不器用だが、確かにその相手を愛する心は本物だ。

それくらいは、恋愛ド素人な遊にも伝わるくらいの熱量があった。

その感情を抱くこと自体は悪くは無い。

悪いのは、彼に理想を押し付けているが如き依存心と孤立を誘うアピールの方法。

それを説得して、改めさせる。

それが今の遊の目的だ。


「諦めろって言って叶依が諦めるなら、俺たちはもう止めてるよ。俺たちは何度だっていうよ。そんなことやめろって。でもそんな些細なことぐらいで諦めきれないくらいに劇的に恋をしたんだろ?」

「それは…えぇ。私は、あの人が好き。その気持ちに嘘偽りはない」

「だったら、今回で、今日で最後に。終止符を穿とう。これで終わりにするんだって、虜にしてみせるんだって。舞踏会の最後を飾る舞踏ワルツを」

「もう、死んだっていいというくらいに…ですか?」

「そう。恥も外聞も気にせずに。一世一代の告白を」

「ッ!」

「そうして、態度で示すんだ。私はやり切ったって。二度とあんなことはしないって。もうこれからは迷惑をかけないって。そうすればみんな仲良く幸せを感じられる」


そう言うなり遊は廊下に出る。

このまま叶依の告白を見届けると言う出歯亀は彼の選択肢にはなかった。

図書室の扉を静かに閉める。

来た道を引き返すと、今し方階段から降りてきた男子生徒と目があった。


「遊、か?いったいこんなところで何してる?」

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