第11話 コンフリクト

何時いつ誰に対してどのような意図で何を言ったかなんて一字一句までは誰も覚えていない。

幼稚園児でもわかる当たり前のことだ。

そんな凄いことが出来るのはそれこそ全能とか言われる存在だけだろう。

はもちろんでもどんなだってまだまだ足りない。

どんな人だろうと不完全な人という存在である限りそんなことは不可能だ。

全てを選び取れないからこそ人は取捨選択を強いられるのだから。

でもそう割り切って取捨選択をするのなら大事な事くらいは覚えていてもいいはずだ。

大切な記憶を記憶を失っている。

告げられた時の衝撃は確かに凄まじいものだった。

自分自身に、最も自分の事を裏切らないだろうという者に裏切られたようなそんな気持ち悪い感覚を抱いた。

その次に猜疑心が覗いた。

今にして思えば、そんな自分が一番――


「――気持ち悪い」


思い出したくもない出来事を思考に釣られ思い出してしまい顔を顰め、強く拳を握りしめる。

痛みで忘れ去ろうとした遊だったが、苦い思い出はそう易々と消えてはくれない。


(はぁ…別の楽しい事を考えよう。悲劇につられてはろくな事にならない)


そう思い直し、思考を切り替える。

きつく握り締めていた拳をゆっくり解いて、さて、と何気無く呟く。

考え事を止めると、途端に気になるのは勿論。


(ここはどこで――教室だな!俺のクラスだなぁ!今は何時か考えるまでもない!放課後前のホームルームどころか放課後をすっ飛ばして夕方だなぁ⁉︎西日も元気にまた明日っていってやがるよ!こんな時間まで俺は何考え事をしてるんだぁ⁉︎)


先程まで随分と一人シリアス劇場をムード満載で演じていたのに、急にギャグみたいになりやがったと心の中で困惑を付け加えておく。

幸いと言っていいのか教室内に残っている人は居ないようだ。

もし見られていたと思うと…。

あり得た未来の光景を想像し、ゾッとする遊。

ホームルームから席に着いたまま微動だにしない男子生徒が手を組んで虚空を見つめていたと思ったら拳を握りしめたり、一気に破顔したりするのだ。

それも推定ホームルームから夕方という長すぎるスパンで。

心の中でも覗かない限り何がしたいのか訳がわからないだろう。

実際そんな事をしでかした遊自身も自分自身何がしたかったのかわからないのだから。

それを見た友人やクラスメイト、教師が見ていたらどう思うだろうか。

よくて変人。

悪ければ思春期特有のあの病を患った患者と言うレッテルがもれなく付いて纏うだろう。

そうなれば赤面どころのお話ではない。

男にとって童女の守護者を不審者ロリコン並みの不名誉になるに違いない。

本当の守護者ならば話は別だが。


「あまり話さないクラスメイトに見られたらアウト…知り合いに見られたら…75日は時事ネタとして重宝されちまう。…それにしてもあいつら俺のことを置いて帰ったのか?…いや、誰か一人くらい残っているよな?」


自分がしていたことが事だけに普段を知る遊ですらも友人たちの行動に確信が持てない。

残っていたらいいな程度に思いながら探し始める遊。

いつでも帰れるように、そして教室に戻って来なくてもいいように鞄に荷物を詰めて持っていく。

自分の席を離れ教室を出ようと扉に手をかけた時。

まだ触れただけなのに勝手にスライドしていく扉。

扉の向こう側に立っていたのは最も見慣れたイケメン顔。


「ッ!元樹かよ…驚かせんなよ」

「遊…?こんな時間まで何してんだ?それも一人、教室で」

「いやそれが…俺にもよくわからなくて。元樹何か知らないか?」

「俺が知るか。俺はなんでも知ってるってわけじゃないんだぞ…そういやホームルームの時も心ここにあらずって感じで空返事だったな」

「やっぱ…マジか」

「おう。で、今から帰るのか?だったら少し待ってくれ。俺も帰る」


そう言って元樹は遊の脇を通り抜け自分のロッカーを漁り始める。

その背に向けて遊は戯けてみる。


「…。40秒で支度しな」

「俺は炭鉱で働く勇敢な少年か!…ま、40秒も掛からんが」


どれだけ時代が流れていようと知られているとても有名なアニメ映画のパロディを披露し合いながら元樹が目的のかばんにパパッといくつかのものを入れる。

そして時間制限など気にしないと、余裕綽々といった様子で鞄を肩にひっかけ行くぞとすれ違いざまに肩を叩く。

振り返ると一瞬、教室の窓から傾いて今にも沈んでしまいそうな茜色の西日が遊の目を灼く。

その光景はノスタルジックで何となく哀愁のような感情を掻き立てる。


「今日も、もうすぐで終わっちまうなぁ…」

「いつまでも教室でボーッとしてんのが悪いだろ」


そう言いながら元樹は予め持ってきたのだろう、教室の鍵をかけ、廊下を歩き始めた。

鍵の先に付いた纏めるための輪っかを人差し指でクルクルと回しながら職員室へ向かう。

鍵を返却しなければならないのだ。

その背を追いながら疑問を投げかける。


「…まぁ、それはそうだが。てかお前は何してたんだ?こんな遅くまで」

「ん?あぁ、ちょっとな…あーもう言っても構わねぇか。実は来賓の方々に学年を代表してこの入学から今までで成長したことについて文を作って読んで欲しいって先生から言われてな。自分が今までどんな人間で、どんなことがあって、どう成長して、どうなったのかってのを言うんだってよ。それが、上手く書けないというか自分でもどう変わったのかわからなくてな…先生方に相談して来たんだ。…んで、切羽詰まった状況になって今に至る」


なるほど、通りで教室に教師も元樹自身もいなかったわけだ。

遊は納得した。

だが後ろにいる遊には元樹が今、どんな顔をしているのかわからなかった。

しかし言葉遣いから少なくとも茶化していないのはわかる。

くるくると回していた鍵を一度宙に放り投げて落ちてきたところを右手で勢いよく掴みとる。

それを繰り返しながら話し続ける。

相槌を確認しなくとも話を聞いてくれていると信じているのだろう。

だから遊も元樹に話を振られるまでは黙って聞くことにした。


「偶に怖くなるんだ。って。自分のしたいことは果たして自分が決められていることなのかって。もしかして。自分じゃ自分の行いは上手く見れないからよ。そうだろ?」

「他人から望まれる人間になれるならいいんじゃないのか?」

「まぁ、確かにそう言われればそうだが。俺が自発的にそうなりたいと望んだなら別にいいのさ。でも、誰かの言いなりだけは。あの時からそう、思ったんだ」


ギチギチと音がなるほど強く拳を握り締めた元樹。

そんな姿を初めて見た遊は度肝を抜かれる。

白くなるほどキツく握りしめられた拳は激情の裏返しで、どれ程までに真剣なのかが窺えるというものだ。

そこには『絶対』の決意があった。

梃子でも動かせず、泣く子でも地頭でも勝てない不動の意思。


「そんなこと考えても埒が明かないぞ。たまには気ままに流されてみるのも一興だろ」

「はぁ…そうだな。流石毎回流れに流されてる人は言うことが違うな。尊敬するよ」

「おい。ナチュラルにバカにしてくるんじゃねぇよ。バレバレだからな?馬鹿にしてんのわかってるかんな?」


ありがとよ馬鹿野郎、とお礼を述べて元樹は職員室に入室して行った。

もちろん帰ってきた元樹に遊がキレたのは言うまでもない事だ。

互いに友愛のある本音とも冗談ともつかない言葉で罵り合う。

いっその事コントにも見える。

そんな冗談みたいな軽口を叩き合い、どちらからともなく歩き出す。

並んで、昇降口や校門を駄べりながら通り過ぎていく。

会話の内容も本当にどうしようもなくくだらないもので、ゲームや漫画などの話から友人の武勇伝まで男子が好きそうな話題だらけだった。

その代わり二人の間には下品な話はなかった。

話に夢中になっている間にやがて、前に四人で集まったカフェや商店街を抜け、駅のホームに着く。

ここが二人の目的地。

くだらない談笑の終点だ。

改札前で、じゃあなと挨拶を交わし、それぞれの家路へと帰る。

他愛のない時間が過ぎていく。

過去を置き去りにして。

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