第43話 find a horrible scene

それは恐ろしい光景だった。

今まで見た事がないくらい。

見たくないと懇願するくらい。

それでもまだ気づかずにいる自分に吐き気を催す。

――あぁ誰かいっその事指摘してくれ。

――裁いてくれ。

そう何度願っだろうか。

神とも言われ、崇め、奉られ、身勝手な願いを押し付けられた存在に。

叶わぬ願いと知っていながら。








無我夢中で走っていたらいつの間にか見覚えのある街に着いた。

今はその街に続く階段を昇っている。

正確に言うとその街から海へ続く階段を。

永遠の日差しが降り注ぐ朝焼けに包まれた街を。

その街の名前までは分からないが、何となく郷愁めいた感覚がある。

都会の郊外にありそうな小洒落た街並み。

飲食店やカフェや洋服屋などが並んでいそうな通り。

ビルとまでは行かないまでもそこそこ高い建物の群れ。

天気は快晴と言ってもいいくらいの雲の無さ。

空気はいくら吸っても気持ち悪くならないくらい心地いい。

心が浄化されていくような心地。

しかし喉が異様に乾く。

カラカラを通り越してピキピキと音を立てひび割れていそうなほど喉が渇く。

もはや渇きを通り越して痛みだ。

それが我慢ならないほど気持ち悪く感じた。

堪えようとも不快感が何よりも優先され、本能に訴えかけてくる。

早く喉を潤せ、と。

困ったように遊が視線を巡らせれば天の采配かこの通りに相応しい小洒落た木製のカフェが塀の向こうにあった。

営業中という看板も出ており、タイミング的にちょうどいい。

遊は喉が張り付く様な感覚を覚えていたため、結衣に提案する。


「なぁ…結衣?のんびりできる…そうだな、カフェかなんかに寄らないか?話したいこと聞きたいことが沢山あるんだ。あと喉が乾いた」

「…うん」

「じゃあ、適当な所探そうぜって…言うところなんだが、もう見つけてあるんだよな…」

「……」


そう言って塀の向こうを指さす。

少し、いやかなり沈黙が痛い。

実は喉が渇きまくっててもう歩けないほど、などと急いで場を取り繕いつつ歩き出す。

海岸から残り少ない階段を上がって街の通りに出る。

海の街とも言えるであろうこの街はビルなどは少なく、レンガの洋風な建築が目立つ。

通路は石畳のような少し凹凸のある材質で、小洒落た雰囲気を出すことの一助になっている。

塩の街や海沿いの街と言われたら百人が百人ともこんな場所をイメージするかのような本当にそのイメージにピッタリと合致する街だった。


(それにしてもこの街、少し静かすぎやしないか?…もう少し活気がありそうだけどな)


そう思うと、ヒリヒリとした喉の渇きとは別に不気味な感覚が遊を襲う。

まるで脊髄を取り出され、感覚があるまま舐られているかのような不快感。

しかしいくら考えようともその不快感の正体は掴めない。

もう少しで違和感の正体が掴めそうなのに、掴めそうな瞬間には散ってしまう。

それがとてつもなくもどかしい。

しかしいつまでも余計なものに構っている精神的な余裕が無いのもまた事実。


(珈琲でも飲んで落ち着こう。…珈琲って喉潤ったっけ…?…まぁ他にも頼めばいいか。きっと喉が乾きすぎてイライラしてるんだ)


そう強引に自分を納得させて平静を保つ。

やがて瀟洒な造りの街並みに併走しながら目的のカフェへ着く。

何処と無く『ダナ・ト・タル』に似ている。

本当に、…かもしれない程度のことだが。

強いて共通する要素をあげるならば雰囲気が似ている。

しかし、開放感溢れる内装故に大きな窓から見える内装はファミレスとカフェを足して二で割ったような感じで何となく似ているに留まっている。

誰でも気安く入りやすくなったけれどオシャレさは残っているなんとも絶妙な塩梅だった。

あと見た限りウエイトレスも三人ぐらい常駐しており、客足も多い。


(それに、強面マスターもいないし)


確実に客寄せで二手三手先を行かれているだろう。

ガラスのドアを開ける。

カランカランカラン、と小気味良い音を出して上に付いているベルが入店を知らせる。

すると待つまでもなく店員が駆け寄ってきた。


「いらっしゃいませ。?」

「いえ、二人です」


店員はきっと結衣のことが見えなかったのだろう。

遊の方が明らかに身長が高いのだから。

見えなくて当然だ。

遊は傍にずれる。


「…?…ご案内致します」


遊が傍にズレたことに少し首をかしげながらも業務をこなす。

それにムッとしてしまう遊。

普段なら気にもとめない些細な不快感すらも敏感になったセンサーには引っかかってしまうらしい。

先走る感情。

それを理性が叱咤する。


(落ち着け…リラックスだリラックス…。怒ったところで夢なんだから)


案内されたのは外からも見えたファミレスのような席。

店内を通って席に案内される際に見たがバーのような席も設けてあるようだ。

個人客が座って珈琲と優雅な一時を過ごしている。

人が疎らな店内は異様に居心地が悪い。

それにさっきから恐怖を感じているのだ。

誰か特定の個人が、ではなくこのカフェ全体が。

しかも角度的にどの人も顔が見えないので恐ろしい。

何故か恐怖を感じている。

気のせいかどうかすらも分からない程気が動転している。

怪物の口内に居るかのようなそんな錯覚さえする。

誤魔化すように話をし始める。


「本当にびっくりしたよ。まさか…ここが夢だなんて…な。それに、俺の記憶にあるのも全部夢だなんて…到底信じられない…」

「…」


結衣は俯きながらただただ話に耳を傾けている。

それをお構い無しに遊も話を続ける。


「学校にさ、千佳が元気そうにしてたんだ…なんて言うかさ伸び伸びとしてて…自由で、楽しそうで…本当に理想の高校生活を満喫してた。俺の心からのぞむ理想の高校生活だったんだろうな…千佳と、元樹と、叶依と、…でもさ笑っちゃうよな。…居なかったんだぜ、二人とも」


そう言うと、結衣はすっと顔をあげて変に冷静に言葉を紡いだ。

そこには底冷えするほど感情が乗っておらず。

ただただ淡々と義務をこなしている様だった。


「それは…私も凛花ちゃんも、邪魔だったから。きっと私や凛花ちゃんがいたら、貴方は事実に気づいてしまうから」

「事実に気付く?…俺の夢ってことはやりたい放題だろ?どうにかなるんじゃないか?」

「欲しかったものはここに全て揃っているのになぜ今に満足出来なかったのか、わかる?」


氷柱の様な言葉が刺さる。

鋭く、それはもう鋭利に心臓に突き刺さる。

そう錯覚するほどその言葉は深く響いた。

遊ははっと息を飲んだ。

話をぶった切られたことも気にならないほど衝撃を受けた。

心に残ったモヤモヤは消えたが、代わりに変な焦りは加速する。

何に焦っているのかは相も変わらず解らない。


「それはね、欲しかったものは沢山あっても…大事なものはここに一つもないから」

「大事な…もの」

「楽しかった思い出。お父さんとした約束。そして凛花ちゃんのことも。


その言葉が遊の琴線に触れて。

途端に理不尽な怒りが遊を満たす。

激情が荒れ狂う。

体に龍が宿ったかのように。

荒れ狂う激情を抑える術を生憎と遊は持ち合わせていない。


「一体…俺は何を自分の都合のいいように改竄したって言うんだ…!」

「私、という存在。私に関する記憶の全てと言っても過言じゃない。そもそも私は…」

「…」










「あなたの妄想でしかない」












「は?」


空白があった。

ただただそこに空白があった。

何色でも染められない白。

明白の白。

一生掛かっても埋められない溝がその会話にはあった。

深淵を覗き込んだ時に足が竦むかのように、それにただただ息が漏れるだけ。

気の抜けたような呟きが遊の口から無意識に漏れる。

しかしそれを気にしている余裕すら今の遊にはなかった。

しかしそれを気にもとめずに話が続く。


「あなたは、塚原遊は心が弱かった。強くあろうとはしていたけれどあなたを取り巻く環境は目まぐるしく変わっていくの。特に憧憬と尊敬の象徴であった父親と同じ悩みを持つ仲間だった早乙女千佳。その二人を時の憔悴ぶりは特に酷かったわ」


思い出すように目を伏せて語り出す結衣。

喉のヒリつきがいっそう強まった。

これ以上は本当にまずい。

何かは分からないが体が暴力を持ってしても止めろと叫ぶ。

しかし、遊は拳を握れない。


「父親を失くした塚原遊は変わりの存在を求めた。しかし、塚原遊は人付き合いが得意ではなかった。そこで産まれたのが私。いつもあなたの側にいて、塚原遊を助け、楽しませ、諭し、見守るような存在。そうのような存在意義レゾンデートル。でも、他の人からは見えない。知覚できない。話を聞くことが出来るのも、叱られることが出来るのも、話しかけられるのも、見ることが出来るのも、塚原遊だけ。塚原遊だけの特別な存在…といえば聞こえは言いけれど他人から見たら虚空に向かって話しかける変人。塚原遊を見る目はどれも哀れみに満ちていたの」

「いやいや、ありえないだろ…お前が…俺の、妄想?…ここが夢ってのはわかるんだ…理解出来るし、納得もいく。でも、現実ですら俺はかのようだったって?…夢と現実の境が曖昧だったって?…そんなの…そんなのって!…ねぇだろ…」

「事実、さっきも街を歩いている時もここに入った時もあなた以外に話しかけられもされず、店員もあなたに一名かと聞いたわ。それが何よりの証拠。そんな些細な齟齬に遊は気づいてしまったの。自己矛盾に、ね」

「それは!夢だから…それに、お前がチビなままでいるから見えないんだろう」

「…違うわ。確かに一番初めにコンタクトをとった時は夢は正に夢だったわ。魔法もない、欠けている存在はあれど欲しかったものは全てそこにあった。でも、そこでも…理想の中でもあなたは至極つまらなそうにしてた。いっそ向き合っていた時の方が生き生きとしていたわ。でもね、記憶を取り戻すうちにあなたは心の奥底で現実への帰還と夢への堕落という背反した感情を持っていったの。だからこの世界は現実あの世界に近づいている。けれどあなた自身は大切なものを思い出せない。だから私が、宝物を思い出させてあげるの。あの子たちは見つけてと願うことは出来るけれど、あなたに会いに来ることは無いから。宝物に手足は生えないの」

「分からない…理解ができない。教えてくれよ、一体どういう…」

「分からないはずはないわ…あなたはわかりたくないだけよ」

「嘘だ…」

「私はあなた。あなたの中でしか生きられないの。魚だって水の中でしか生きられないでしょ?淡水にしたって鹹水かんすいにしたって…それがある限られた空間でしか存在できない」

「だって…あいつらがお前に話しかけていた記憶も…ちゃんとここにある!」

「あなたが、そう思っていただけ…見せかけなの。偽りなの。真実はいつだってあなたを傷つける。辛いけど、みんな、私のことを見れないのよ」

「……もう聞きたくない…」

「喜んでいいのか分からないけれど、あなたの大事な拠り所のひとつに私はなれていた。塚原遊あの人はそのうち、私とあなたと塚原遊に別れた」

「…やめろ」

「塚原遊はね、人格障害を患ったのよ。精神に掛かる負荷が強すぎたの。だから塚原遊はあなたにもなった。ふとした瞬間に心に孔が空いて自分の知らない自分が出てくる。体の操縦権が剥離していく感覚。でもそれをあなたは自覚できない。だってあなたは」

「やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろ!」

「その権利を剥奪する側だから。…やがて肥大化したあなたというもうひとつの自意識は私という歪な存在を創り上げた。…あなたは夢に縋り、あの人は友との約束を重んじて、私は塚原遊あの人の幸せを願って。そんな歪な関係。…それでも、また、大切なものを失ったあの人は…症状を悪化させた。だからあなたが都合のいいように夢を見ることが出来た」

「信じッ――信じられるか!そんな与太話!証拠もろくに無い!」

「あなたの知るはそんな事をに言うの?そんなに声を荒らげるの?」

「―――ッ!」

「誰でも存在意義レゾンデートルを否定されたら悲しい…信じたくないのはわかるわ…でもね、これが現実なの」














「あなたは塚原遊のもう一つの人格。あなたは、塚原遊が目覚めるのを良しとしない。むしろ積極的に邪魔をする存在なの」










「───。────。───」


言葉もなかった。

ただ空虚な白い物が思考を妨げて、何も考えられない。

もはや呼吸すらも忘れたかのような空白があった。

何も考えられない。


「不思議な話よね。そんなあなたが目覚めを望んでいるなんて…なんて皮肉な話」

「───ちがう…違う!違う違う違う!!俺が塚原遊だ!邪魔なんてしてない!みんなとの記憶だってここにある!俺が…俺が塚原遊だ!他の誰でもない!俺自身が!」


その言葉がそれこそ根拠が薄いことを他でもない彼自身が一番理解していた。

だがここで彼女の言う全てを否定しなければ。

自分は一体どうなるのだろう。

きっとドッペルゲンガーを見た人みたいに死んでしまうだろう。

精神的にも肉体的にも限界が来て、二度と立ち上がれなくなってしまう。

人間としての限界すらも超えて廃棄物のゴミゴミとした山に突っ込まれて生涯を朽ち果てるままにする。

それがわかっているからこそ遊は、いや遊のなり損ないはそれを頑なに認めない。

理論も論理も何もかも投げ捨てて、唾棄すべき邪悪な方法だろうとも手を染めてしまわねばここで何もかもが潰えてしまう。

だからこそ理論の飛躍も何もかも彼の知ったことではない。

記憶の齟齬も自分が感じていた違和感も状況証拠も物事の整合性も何もかも踏み躙って己の正しさを一生吐き出し続ける。


「俺は正しい!おかしいのは結衣であって俺が間違っているはずなんかない俺は正しい間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない間違ってない絶対に間違ってない」


壊れた機械のように譫言うわごとを繰り返すを見て、結衣と呼ばれた少女はなおも現実を突きつける。


「大事な少女を失って精神的な傷を深くした塚原遊は深い、深い眠りについた。それをこれ幸いと心の奥底に巣食う怪物は穴から這い出てきた。無知を装った醜悪の権化は考えたの『どうすれば一番幸せなのか』って」

「――――」

「それでその怪物はひとつの結論を出したの」

「――あぁ―――嘘だろ…俺が正しい筈なのに――――どうして…」

「記憶を全て封じてしまって、そこに望むものだけを与えたら全てが丸く収まるって、そう考えたの」

「は、はははははははは」

「でもそうはならなかった。手からこぼれ落ちたものは確かに、そこにあったという残滓を残していったのね」

「ふ、ふふふ、あははは、あははははははは」

「無知は免罪符にはならない。思い出は消し去れない。断罪からは逃れられない。怪物は群れをなせない。至極当たり前の事なのにね、どうして失念していたのかしら」

「あひ、あはは、あひゃ、あはは!ははっ!」

「切っ掛けを与えてしまった。幸せになって欲しくて。幸せになりたくて。ただただ心の安寧が欲しくて望んだものを手繰り寄せたのに、憧憬も近づいて見ればガラクタだった。ただただ胸中に渦巻くのは満たされることを知らない幸せ。怪物はどうしようもなく、愚かだった」

「あはは、ははっ!あははHAHAHA!――もう、もううんざりだ。詭弁だ…そして偽善だ。そうやってすぐ欠点を指摘してだいたい気に食わないんだよ…そうやって人の失敗を嘲笑って見下して何様のつもりだよ!」


椅子を蹴って立ち上がり、言葉の刃を叩きつけて店を駆け出していく。

薄モヤを切り裂いて、飛び出していく。

それを見ても眉一つ動かさず不動を演じる結衣。

やがて何もかもが消え去ると、呟き始める。


「ごめんなさい…騙してしまって。勘違いさせたまま訂正もしないで。ごめんなさい…悪いのは全部、私なのに。ごめんなさい、幸せに出来なくて…ごめんなさい…ごめんなさい。きっとあなたはどうしようもなく傷つくでしょう…でも、彼がきっと」


その謝罪は薄もやの奥に届かぬまま誰の記憶にも残されずに消えていった。

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