第31話 水底でその手を伸ばせ鸚鵡貝

遊は今、一種のトリップ状態にある。

彼の世界では重力が眠りについて、己の才能はなんでも切り裂く刃の如く磨き抜かれ、ひとっ飛びでありとあらゆる場所にどこまでも飛んでいけて、夢はなんでも叶えられて、目標に追いつくどころか追い越して次のステージに引っ張りあげることすらできるだろう。

親しい間柄で優劣が付けられない平和な世界。

そんな理想の世界だ。

信じる力とはなんとも偉大なものである。

そんな強大な力があれば一人でもなんでも出来るだろうと高を括って遊は工場の裏手に回ってきた。

もちろん夢だとはいえバレたら面倒くさそうなので犯人をやっつけてそうそう夢から醒めることにした。

どうやら遊の読み通り組長はまだ正面付近に居るらしい。

そして裏口らしき場所の扉の取っ手を掴む。


「あれ?開かない…。どれだけの力で押しても押しても開かないし」


進行方向に開かずの扉があろうともそれを乗り越えられるだけの力が今の遊にはあるだろう。

蹴破るも良し、吹き飛ばすもよし。

思いの丈が、余裕がそのまま力になる。

人を人たらしめる力。

遊を遊にしてくれる力。


「押してダメなら引いて…開くじゃん。にしてもドアがこっち側に開くって失礼な建造方法だな。あーでも中から重いもの運ぶ時には便利かもな」


どうやら彼が力を発揮するまでもなかったらしい。

少し拍子抜けな気分になりつつも進んでいく。

歩きながら遊はもしこれが明晰夢だと、夢だと気づかなかったら自分はどうなっていたのだろうと考える。

恐れを生して逃げ出しただろうか。

大人の言うことを大人しく守ったのだろうか。

それとも、果敢に立ち向かったのだろうか。

無意味とは知りながらも考えてしまう。

そんな思考に没頭できるのは現状に余裕があるからだと知りながら。

大丈夫、大丈夫と言い聞かせるように。

思考する価値を見つけられないまま、それでも惰性で自分に押し問答を繰り返す。

無価値で無意味で無臭で無安打で無味乾燥な問い。

もしくはそこから先を考えることを無意識に恐れているのかもしれない。

考えてらいとも簡単に分かってしまうから。

理解出来てしまうから。


「ここ、だいたいどこら辺だ?」


無意味な思考に気を取られながらもやることを淡々とこなす遊。

その背中には陰ができていて。

掻き消せない不安が隣に寄り添っていて。

なんだか少し、頼りなかった。

言動と思考と行動がまるで別々の生物のように動いている。

と例えればいいのだろうか。

考えていること感じていることしていることの全ての情報が頭を駆け巡って引っ掻き回している。

意識の端っこに引っかかったものだけが他の部分にも影響を及ぼす。

何をしたいのか全く自分でも分からない。

生憎と分かろうと冷静に考えられる状態でもない。


(多分夢を見ているからこんな不思議な感覚なんだろうな。何かを並立してできるほど俺は器用じゃないしおツムも利口じゃない。あいつらでもあるまいし)


ぼんやりと彼は思う。

まるで水底から送られてくる潜水艇のライトのようなぼんやりとして、輪郭すらも危うい思考。


(まぁ、多少遠回りになってもいいだろ…夢だし。目的さえ達成出来れば未練はないしな。考える必要も無い)


ふぅっ、と息を吹きかければ簡単に飛んでしまいそうな正気を必死に握りながらうつらうつらと現を抜かす。

目的を達成さえすればあとは消え去るのみなのだから。

砂上の楼閣の如くあっさりと。


ガタッ!


と物音一つで掻き消されるほどにその妄想すら薄っぺらい。

なんの音だろうか。

小動物だろうか。

誰かの身動ぎ。

なんにしても確かめない手はない。


「なんだ…?この奥か?」


物音がしたのは今遊が進んでいる道の途中にある通路からだった。

今は昼間であるはずなのにそこにある暗闇は引き摺り込まれたら抜け出せないような闇を抱えているように見える。

ゴクリ、と無意識に喉が鳴る。

唾を呑み込む。

一瞬にして渇ききった喉に張り付くような痛みが奔る。

湧き上がる恐怖心を痛みと唾で胃に流し込み、歩を進める。


「……?」


ふと違和感を感じ、歩みを止める。

遊はこの建物に入る時外観を目にしたのだがここまで大きかっただろうか。

いくら考え事をして歩いていたからと言って建物の端から端までくらいの距離は歩いたはずである。

ここまで工場が入り組んでいるのは少しおかしい。

工場の生産ラインを今まで見かけなかったが工場自体がこんな入り組んだ構造をしていて本当に効率がいいのだろうか。

裏口を使わないにしても裏口にそれなりの規模の駐車場があることも気になる。


「夢だからヘンテコで当然か。所詮だしな」


また彼の進行方向に扉。

ドアノブに手をかけて、今度は慎重に音を立てずに開ける。

すると奥の方から言葉にならない叫び声が聞こえてきた。


「―――――!!!」


どうやらこの先になにか音の発生源がある、または居るらしい。

十中八九犯人だろう。

さすがに廃工場に自縛の幽霊がいましたは笑えない状況だ。

夢だから有り得そうというのがまた困りものだが。

そしてこの廃工場の雰囲気的には物凄くでそうだが。

そうであって欲しくないと強く願う遊。

これで音の発生源は小動物というのと機械が音を立てているということではないことはわかった。

そっと身を屈めて移動を始める。

奥へ奥へまっすぐ、時に曲がりながら居場所を探す。

この空間は窓から斜めに少しオレンジ掛かった光が漏れているので影に隠れながら二人を探す。

どうやらここは2階部分に繋がっているらしい通路の手前に出るようだ。

見晴らしがいい方が探しやすいだろうと階段を上がる。

何かの機械が神々しく薄いオレンジ色にライトアップされて鎮座している。

所狭しとと並んでいる作業場を抜けて、ベルトコンベア地帯。

その上を隠れながら進む。

どうやらどちらにも二人は居ないらしい。

そもそも捕まえておくスペースもない。

もし犯人が単独で居るのだとしたら隠れるのには最適なのだろうが現に2階部分にいる遊に丸見えである。

だとしたら残るは…

倉庫地帯だろう。

どうやら運ぶための機械が放置されているのを見る限り、このまま進んだ先に倉庫があるらしい。

扉を押し開けて倉庫に入る。

するとそこには――――。







暗闇に包まれた辺りを病んだような緑色が内側から染め上げる。

ビュウビュウ、と周りの風が渦巻いて一点を目指して凝縮される。

起点となっているのはフルフェイスヘルメットを被っている黒のライダースーツの男の指先。

その手は銃のつもりなのか親指と人差し指だけがピンと伸ばされている。

その人差し指に緑色の弾が渦巻いており、その人差し指を男は開け放たれた窓から出している。


「ケヒ、ヒヒヒ、アハ、アハハ!」


奇っ怪な笑い声の直後けたたましい音を引き連れて緑の弾丸は外へと放たれた。

それはこの廃工場の玄関にあたる部分の外壁にそれなりの大きさの弾痕を残して消えた。

お返しとばかりにあちらからも物凄いスピードで緑の弾丸が飛んでくる。

先程の攻撃への意趣返しだろうか。

それとも俺の方が魔法が上手いという煽りだろうか。


「シャラくせぇ!無駄無駄無駄ァ!無意味ィ!」


そういうと男は両手を禍々しく広げ、その指全てに病んだような緑を宿らせた。

そして攻撃も指先から放たれた同じ緑の弾丸がひとつ残らず消し去っていく。


「アハハ、アヒィ!アハハァ!」


奇声、嬌声をあげる度にけたたましい音と共に緑の弾丸が飛び出していく。

時に複数同時に、時に狙いを澄まして、時に無造作に。

その様は縦横無尽に飛びまわる緑の妖精の如し。

しかし奇声ひとつで美しさは欠けらも無い。


「アバン!アバン!アヒャアヒャ!死ね、死ねぇ!死ねぇぇぇ!……ォイッ!なんで当たんねぇんだ!クソが!」


一向に当たる気配のない攻撃に痺れを切らしたのか近くの物に当たる男。


「あーぁ。やめたやめた。つまんねぇーの。飽きた」


そう言って背を向けて遠ざかる男。

そこを逃がすまいと追撃の魔法が飛んでくる。

そして――


「ばぁ〜か!俺が戦いから逃げるわけねぇだろぉ!?」


くるりと勢いよく身を翻し先程とは比べ物にならないほど大きい紅い球を打ち出す。

それは容易く緑の弾丸を呑み込み、外壁に衝突して大爆発を起こした。もう跡形も無くなるような攻撃。


「アヒィヒャヒャ!!!おいおい、もう死んじまったのかよォ!…ま、なんせ俺様は優秀、エリートもエリートだからなぁ。あのガキを鉄パイプで殴ったから魔法もろくに使えねぇ出涸らしの魔法使いだと思ったんだろぉ?残ねぇぇぇぇぇん俺様、エリート様。火葬も済ませてやったし俺超優しいなぁ!」


何が面白いのかそこで転がり回って笑う男。

何十秒と笑い続けて、器官に詰まったのか急に勢いよく咳き込む。


「ゲボっゴホッ!…あ〜笑った笑った…。ンにしても中西のやつおっせぇ…あのガキ攫ったらここに来いって言ってたくせに何処にもいねぇじゃねぇか。早いとことんずらしてぇんだが。これは処刑コースかぁ?」


手の平を握ったり離したりして、男は立ち上がる。

そして憑き物が落ちたようになった男は奥へと進んでいく。

躁鬱が激しい男。

今度は何をしでかすか分からない。

思考がイマイチ読めない。

奥へ奥へと進むと場違いな程高級そうな赤い高級そうなソファーがあり、そこには目隠しをされ、猿轡を噛まされて手を後ろで縛られて横たわる少女の姿があった。

一人の少女に対して過剰なまでの仕打ちだが魔法が平然と使われるこのご時世仕方ないのかもしれない。


「まぁだ目覚めてねぇか…。どんな薬なんだろうな?ったく…俺様にガキのお守りなんてさせんなよなぁ…ッ!中西の奴来なかったらこのガキ諸共ぶっ殺してやるぜ」


そう言って仰々しい動作で別のソファーに腰かける男。

ソファーで寛ぐと同時にフルフェイスのヘルメットを投げ捨てる。


「あーあちぃ…たく身バレしねぇ為に顔を隠す物被れって俺様は道化師ピエロかっての。変な髪型になってねぇだろうな」


そう言って薄いクリーム色の髪を無造作に掻き上げる男。

にィっと笑う男の突き出された舌には複雑な蛇の刺繍が施されており、ピアスが二つ取り付けられている。

目も右が紫、左が金色のオッドアイで、髪色も含めて常識ではありえないような人物だった。

魔法とかいう超自然的神秘と超がつくほどの非常識をごった煮にしたような法則があるとはいえ受け入れ難いものだろう。

男の独り言はなお続く。


「ふぅ〜暇だ。さっきのやつをとっととやっちまったのは失敗だったか?まぁ俺様が強かっただけだから仕方ねぇな!アハハ、アヒャアヒャヒャヒャ!…本当に鬱だ。暇、つまらん、退屈、鬱だ。鬱憤が溜まる」


死んだ魚のような目で虚空を見つめる男。

するとポケットからケータイの着信音が鳴り響く。

取り出して怒鳴り散らしてやろうと心に決めて電話に出た男だが。


「おい!中西ィ!お前今まで何やって――」

「――仁村!それどころじゃない!さっきお前のとこに向かっていたんだがッ!」

「あぁ?予定よりだいぶ遅せぇじゃねぇか」

「それが、途中で――うおっ!――とんでもないバケモンに遭遇してな!」

「バケモンだぁ?んなもの木っ端微塵にしちまえばいいだろ」

「脳筋ッ!理論はやめろ!それが出来ていたら苦労してない!とり、あえず、俺は駆けつけられそうもないから誘拐した女の子を連れて予定地へ向かっ――がァ!」

「あ?そんでてめぇはどうすんだよ」

「こいつを!撒いてから後で合流す―――あがァ!…ッ!コイツほんとに―――かよ―――あぁ!くそっ――――――やら―――」

「おい!聞こえねぇよ中西!中西!?」


フルフェイスヘルメット男こと仁村は繋がらなくなったケータイ電話片手に途方に暮れた。

あまりの急転直下の出来事についていけず暫し呆然とする。

それから自らのやるべきことを整理して、いざ行動を開始しようとしたその刹那。

仁村の優れた第六感が上を見ろと言っている。

バッ!っと顔をあげると頭上の足場から飛び降りてくる人影があった。

その人影を認識してから世界が間延びして、全てがコマ送りのように映る。

まず空中で姿勢を整えた小柄な人影は棒状の物を仁村の頭目掛けて振り下ろそうとしてくる。

彼には咄嗟に魔法は組み上げられない。

それに対して仁村は腕で防御しようとするが、間に合わないことを悟った。

瞳孔が拡大する。

そして。

鈍い音が響き。

カランカラン、と転がる音とダンッ!!という着地音が響いた。


「痛っつ!?…あ、気のせいか」


マヌケなセリフとともに落下してきたのは遊だった。

どうやら上からずっと男の隙を狙っていたらしい。

落下する際に振り下ろしたであろう鉄パイプが冷たい床を転がる。


「あ〜清々した!」

「ん〜!!!!」

「千佳?」


遊がキョロキョロと辺りを見回すと縛られた状態でもがく千佳の姿があった。

目隠しをされており、一瞬誰かと戸惑うも千佳だとわかると飛び出して解き始める。


「む、結び目きついッ!」

「ンンン〜!」

「さ、猿轡?!一人の女の子に対してやりすぎじゃ…。あれこれどうやって取るんだ?目隠しは簡単に取れんのに…うおっ!」


硬い金属音と共に猿轡が外れる。


「ちょっと!痛いじゃない!」

「わ、悪ぃ。猿轡を外すのは人生初なんだ」

「私だって猿轡噛ませられるのは初めてよ!」

「俺にキレても仕方ないだろ」

「…そうね。助けに、来てくれたのね」

「あんなボコボコにされて流石に黙っちゃいられないから。男の子のケジメだよケジメ」

「ありがとう…怖かった」


抱きつく千佳を拒むことなく遊は迎え入れる。

そこには二人の空間が形成されつつあったのだがそれを破る人物が一人。


「なぁるほどねぇ…気絶したフリだったわけだァ!よくも謀ってくれたなクソガキ。あと上から降ってきたそっちのガキ。惜しかったなぁ中々に、良い、一撃だった、ぜ?」


そう言って仁村は瞬く間に遊に肉薄し、フルスイングで後ろ回し蹴りを繰り出す。

もちろんそれを遊が躱せるはずもなく怖気が走るような音と共に壁際に吹き飛んでいく。

ありえないような飛び方。

当然ろくに受け身も取れずに咳き込む。


「ゔえ!…ゲボっゴホッ!なん、……夢、のはず……なんで痛い……」


仁村は余裕綽々と言った動きで近づいてくる。

壁際に横たわる遊の首を割れ物を扱うようにゆるりゆるりと締め、一転、容赦なく壁に叩きつける。


「ぁぁぁ…ァあ!」

「ヒヒヒ、どうだ?俺様のことを鉄パイプで殴ってスッキリしたか?ありゃあきれーなクリーンヒットだぜ?お前が死んでも俺は忘れねぇよ。たぶんな!アヒャアヒャヒャヒャ!」


仁村の手はまるで万力でビクともしない。

次第に視界が黒く墨が垂れたようになってくる。

ゆっくり確実に命の灯火が消されていく。

じわりじわりと力が抜けていく。

そして、まるでシールのように遊の意識はいとも容易く剥がれ落ちた。


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