第28話 真実は目を背けては見えなくて
「やめろぉぉぉぉぉ!」
少し高いテノール辺りの声が公園に響く。
それはどう間違えようもなく、当時の遊の声だ。
鋭い刃のような剥き出しの怒気にうなじがゾワゾワする。
まるで先程の遊の鏡写しのようだ。
やはり何年経っても遊は遊であってそう簡単には変わらないのだろう。
でも、後で羞恥で転げ回ろうとも、誰かに指をさされて感情的で普段の遊らしくないと言われようとも、ただ怯えているだけで何も出来ないよりはマシだと思うし、その思いは変わらないだろう。
恥の変わりにかけがえのないものが守れるのだから。
(俺らしいって何だ…?俺は確かにこの時とは違って今はおちゃらけたかもしれない。口調も丸くなったかもしれない。この時の俺が密かに憧れたように。でも根幹は変わってなかったんだ!千佳や結衣、元樹、叶依、凛華が好きでからかわれたら拗ねる俺なんだ。酷く利己的で、醜いくらい愚かで、目を背けたくなるほど汚い人間らしい一面を持った俺なんだ)
何かが遊の心から剥離していくようだった。
それも悲劇的な物ではなくむしろ喜ばしい方向で。
悪い腫瘍が剥がれ落ちていくように何かの悪意が零れていく。
久々に枷が外されたかのように伸び伸びとした心地だった。
狂いそうな怒りが浄化されていく。
変わりに心に注入されるのは冷静な怒り。
我武者羅に突っ込むことはせずに、虎視眈々と合理的な復讐を果たそうとする意思。
統合されていく記憶と思考。
『なんだよ、心配で見に来てみれば
どこからか聞こえてくる声。
グルグルと頭の中を巡り、反響する。
だんだんそれもフェードアウトしていき、聞こえなくなっていくけれど。
その言葉を胸にしかと刻んで。
少し立ちくらみと目眩でよろけつつも、立ち上がる。
そして遊もその言葉に賛同する。
「俺はもう絶対ッ!諦めねえかんな!逃げるなんてダサいことしたくねぇ!目を背けずに見届けてやるからな!」
ここぞと言うところで格好がつかないのはご愛嬌だろう。
それでも進むことを止めない。
行動することを止めようとしない。
「千佳を離せぇぇぇぇぇぇ!」
どこからか拾ってきたのか自身の身長以上の木の棒を振り回して撃退しようとする。
男は千佳と荷物を車に乗せ終わったのか無手だった。
遊は男に向けその枝を振り下ろすが、身長以上の枝を上手く制御出来るはずもなく、ど素人の動きなので一撃で昏倒させるには至らず犯人の右腕に当たるに留まる。
しかしそれでも犯人を刺激するには充分だった。
「テンメェッ!こんのクソガキがァ!」
大人と子供。大と小。デカとチビ。
力の差は歴然だった。
枝を掴まれて、あっという間に奪われ、遠くに放り捨てられる。
そもそもの問題として子供が大人に勝つなど到底無理で、そんな物語上の都合のいい能力などこの世界にはない。
「うぐっ!」
左頬を蹴飛ばされた遊が呻きをあげて倒れる。
「テンっ!メェ!ざけてんじゃッ!ねぇぞ!舐めとんのか!オラァ!死ね!」
「―――!!ッ!――!」
頭部を覆うように蹲った遊の側頭部を力いっぱい蹴り出す男。
その顔は怒りと嗜虐心に満ち満ちていて、吐き気を催す邪悪な人間性だった。
遊は亀のように頭を引っ込めていることしか出来ない。
その様は有り体に言って浦島太郎の冒頭のような状態である。
そのあとも男は執拗に遊を蹴りつけていたが、時間が惜しくなったのか舌打ちをし、車に乗って逃走を始めた。
それを見たコロ助は一目散に公園を出て駆け出して行った。
一体どこへ行くのだろうか。
遊はまだ動けないままだった。
無気力さに打ち拉がれながら、遊は呟いた。
「あの頃に戻っていれば…きっと!俺が救うのに」
「おい、おい!坊主!大丈夫か?」
遊が目を覚ますと目の前にはチカチカした公園の景色と強面もしっぽ巻いて逃げるレベルの凶悪な顔が至近距離で覗き込んでいた。
(あれ…さっきまで確か、こう…夢を見てたような…?まるで夢の中の現実みたいな…)
しかしよく思い出せない。
何か大事な事があったような気がするが思い出せない。
そして目の前には髪は丸刈りにし、鋭い目付きに厳つい服を着こなした男がいる。
姿はまるで組長だ。
任侠っぽい雰囲気はあるが。
サングラスを外し、前頭部に掛けているのがまた不良っぽさに磨きをかけている。
もはや眼光だけで死者が出そうほど怖い。
どこの組の頭だろうか。
(…キーンって音しか聞こえねぇ…)
耳から入ってくるのは甲高いキーンという音だけでその音にかき消され、ほかは何も聞こえない。
右耳からは仄かに温かいものが流れてきているし、左は感覚がない。
全身は倦怠感と激痛に苛まれてとても起き上がれる状態には無い。
何かを問いかけてきているようにも見える強面の人にそれを伝えようと動きにくい唇を動かす。
「何を、言ってるか…よく聞こえない…」
「そりゃ坊主お前、右耳から血流して…やっぱ鼓膜が破けてんのか。今痛み止めと簡易治療の魔法掛けて、救急車を呼んだからな。取り敢えず患部を冷やしとけ、あと数箇所はあるようやしな」
そう言って強面極道男性は遊の頬に凍った保冷剤のようなものを当てる。
そして遊はベンチに横たわっていたのだが、上半身を起こして保冷剤を固定してくれた。
犯人にやられた時には地面に突っ伏していたからどうやらこの男性がベンチに寝かせてくれたようだ。
人は見た目に寄らないとはこの事か。
暫く無言の時間が過ぎる。
遊が焦燥するには十分すぎる時間が経過する。
「おっさん、なんでここに」
「あぁ、うちのワンコがな脱走したと思って探しとったらうちのワンコがうちにいきなり戻ってきてな、ワイに着いてこいって言ってるように吠えやがってまたどっか行こうとしよった。だからワイが追いかけとったら坊主をここで見つけちゅぅ訳や」
ほれ、と指を指す。
その方向を辿るとコロ助がいた。
つまりコロ助はあの後、飼い主を呼んできてくれたらしい。
ガッ!と擬音がつきそうなほど勢いよく飼い主の服を掴んだ遊は必死に訴える。
「オッサン!友人が…俺と同じくらいの女の子が連れ去られてっ!助けてくれ!」
「…坊主、お前まさかその傷その時のやつか?したら随分と命知らずなことしたもんやな。分かった警察にも知らせちゃる。安心せぇ」
何とか耳鳴りが収まった遊ははその言葉を聞いて、更に怒鳴る。
「そんなんじゃ遅い!遅いんだ!俺が守れなかった…だからすぐにでも探さないときっと殺される!」
「坊主、落ち着け。連れ去るっちゅうことはなにか目的があるはずや。だから焦るな。あとは大人に任せてはよう傷を治せ」
「だから――」
「落ち着け言うとるじゃろがい!だいたい坊主に何が出来る!?怪我でろくに動けなくて一体どうするっちゅうんや!」
「…ッ!だからって、何もしない訳には…俺が目を離したから…それにあの子は俺が助けたい!そのために何か、何か出来るはずなんだ。犯人を突き止めるだけでも…今ならまだ出来るはずなんだ」
中学生がいかにも極道っぽい男の襟首を持つシュールな光景。
服を掴んでいた遊の手が力なく垂れ下がる。
彼は自分の力が分からない程愚かではない。
愚かであれなかったのだ。
愚直に自身のエゴを貫き通す
「……はぁ。坊主、覚悟はあるんか?」
「は?」
「覚悟や覚悟。事件に関わる事の覚悟や。己の力で解決しようっちゅうことは己の身を危険に晒す事や。いくら大人がいようが危険は付き物。その渦中に飛び込む覚悟はあるんか?もし万一があったら自分のせいになる覚悟はあるんか?」
「ある!」
「ホントやな?」
「ある!絶対に曲げないって約束もする!だから――」
「ならもうとやかくは言わへん。坊主、けつ青い癖によう吠えよったな。ワイの昔を思い出したわ。犯人の所に連れてっちゃる。ただし危険なことすれば家に叩き返すかんな」
「ありがとうおっさん!」
「阿呆、オッサンちゃうやろ」
そう言ってサングラスを掛けて、白い帽子を被って
「組長やろ組長。牧野組長って呼べい」
そう言って不敵に笑うのだった。
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