第27話 食セ貪レ欲望ノ儘ニ

遊が気がついて直ぐにここがどこか、と意識したのはここで四回目だ。

どうやら先程まで地面に倒れていたらしい。

背に大きな大地を感じる。

全ての源であり、母なる存在。

草の匂いが鼻腔を擽る。

心地いい楽園のような場所。

ただ先程までの光景がふとした瞬間にはフラッシュバックするし、また霧が立ちこめて周りは何も見えないし、こうまで踏んだり蹴ったりなのは初めてだ。

はっとしたらここにいた。

なんの前兆もなく唐突に。

倒れたと思ったら何かの回想が始まり、危機になったと思ったらいつの間にかここにいた。

先程の光景はなんだったのだろうか。

それが一瞬で遊の脳裏を駆け巡る。

これもまた遊を苦しめる疑問だ。

白昼夢や幻想と片付け忘れ去ることは簡単だが、そう判断するにはよく出来すぎている気がする。

詳細はよく思い出せないがまるで過去に実際にあったかのような言動や行動。

一時の幻想と判断を下すには出来すぎている。

しかし遊は自分が何を話したのか曖昧で覚えていない。

記憶にない。

記憶に残らないように作られたと疑ってしまうほどに。

でも、大切な何かがあったことは確かだ。

この心に誓って嘘はないだろう。

しかしだとしても継ぎ接ぎのフィルムでは内容が取れない。

記憶が無いせいでどこかは分からないが、気がつく度にその前の記憶の場所とは全く異なる場所にいるらしい。

これを見せた誰かは何がしたいのだろう。

そして唯一と言っていいほど覚えている一つ前の出来事。

千佳が攫われている光景。

あの時自分は何をすればよかったのだろう。

あの後はどうなってしまったのだろう。

あのまま事態が発展したとして、連れ去られるのは確実だろう。

それなのに高校で彼女は明るく振舞っている。

何があったのだろうか。

気になりはするが、

どうせ何やったって干渉出来ないのだから関係ない、無駄だ。

そういった無気力感が遊を支配する。

結衣といた時はあんなにも過去と向き合うことに前向きだったのに少しの障壁でもう音を上げている。


(ほんっと情けないな…こんな情けない俺を結衣が見たらどう思うんだろう…失望、されるだろうな)


急に何もやりたく無くなった。

丸くなって、暖かい腕の中でただ咽び泣いていたい。

辛い過去を、あったはずの悲劇を見たくない。


『――あんなに勇敢だったコロ助が――』


高校での彼女の口ぶりからしてコロ助が関わっているのは想像に固くない。

と言うより遊の目の前で連れ去られる所に待ったをかけるように何度も、何度も、抵抗していた。

あの時一緒にいたはずの遊は何をやっていたのだろうか。

まさか、怖くて逃げ出したとか。

まさか、見捨てて逃げたとか。

あんなに冷たい態度を取っていたのだ。

有り得なくはない。

そしてそれを千佳が知っている可能性は低いだろう。

遊の疑問は尽きない。

そして何より自分自身が信用できなくなってきた。

度重なる記憶喪失に記憶の齟齬。

昔との性格の不一致。

もはや助けに入ってこなかった過去の自分にすら殺意を抱く。

それでも進むことを強要されるのだろう。

ここにいるということはここで何か重要なことをするんだろう。

多分だが、遊の記憶に関する何か重要なことを。

遊としてはさっきの続きを見たい。

もちろん、千佳が助かること前提の物語を。

それてそれで証明するのだ。

自分は夢になんか逃げていないと。


(でも見たいからって何か出来るわけじゃない…手も足も物理的に出ないじゃないか)


どうやら遊にとっては先程の出来事が精神的に相当きたらしい。


?辛いことから目を逸らして、ただ蹲るのか?』


もう1人の遊が語りかけてくる。

言葉に嘲りを乗せて、既に傷ついた心を更に抉っていく。

力が無いものは所詮、なすがままに、流されるままに、なるようになるしかないのだ。

それでも大海を知ってしまった蛙は流れに逆らう鯉を羨む。

そんなことを思うようになってしまった。

無気力という沼に肩まで浸かるような心地だった。


「せめて、俺に足掻くだけの度胸があればなぁ…」


流されるままに流される旅の終着点には何が待つのだろう。


『そうやってまた都合のいい言い訳を考えて、自分には無理、無駄って諦める理由付けをする。の目的にも、お前が何をするべきなのかも、この世界がどんな場所なのかも知っているくせにそうやって知らないふりをする。最近のお前はいっつもそうだ。都合の悪いことを考えないのようにしてる。逃げている。だからいつも負け続けている。だから後悔が増えていく。考えて、学ばないからあいつらにいつまでたっても追いつけない』


きっとそれ相応の結果が待っている。

だからこそ過去を振り返れば振りほど、古傷が痛むのだ。

何故過去にそうしなかったのだと過去が糾弾する。

でも遊はそれに目を背けて、聞こえないふりをする。


「先に、進もう…もう考える時間が苦痛だ。今、千佳はいるんだし、どうでもいいな…そう、もはやどうでもいいんだ」


もう過去は気にしない。

どのような結果であれ今が大切だ。

その瞬間彼の決断に応えるかのように霧は一瞬にして晴れて、目の前に大きな石碑のような物が現れた。


「…石碑?」


なにやらその石碑の正面には小さな文字がズラズラと並んで彫ってある。

だがここからでは遠くて読みにくい。

所々に苔が生えたその石碑が異様な存在感を放っており、少し不気味だ。

遊は石碑の文字を読むために恐る恐る近づく。


『私はまるで澄んだ深海にいるかのよう。

あなたの輝きは私を照らすのに、手を伸ばせど伸ばせどこの手は届かない。最初はその輝きが眩しくて、その強すぎる光は澄んだ深海にすら濃い影を落としていたけれど、いつの間にか私は物凄く惹かれた。けれど、ただ私は沈むだけ。ただ私は息を吐き出すだけ。やがて光は暗雲によって翳り、私は暗闇に一人。私を照らしてくれたあの輝きはもうない。輝かしい星の道標を無くしてしまった私はひとりぼっち闇に呑まれて消えていく。あれ程星を見失うなと言われたのに。灯れ、と燭台に火を付けようとも恋のロウはもう燃え尽きて、星を無くした今、もう暗闇のようなこの世界を歩くことはできない。今度はもう、私が他の誰かを照らす番だから。さようなら私のお星様。ありがとう。


私の愛しいお星様へ

星に手が届かなかった少女より』


また詩的で奇っ怪な文章である。

今度はどうやら少女が誰かに向けてはなった言葉らしい。

それは多分、遊の大事な記憶宝物に繋がる手掛かり。

詩的な文章に埋め込まれた想いを読み取り、思い出を掬いとり、見つける。

それが今の遊がするべきこと突きつけてくる。


、なんて代名詞で暈すなよ。それは千佳がお前に求めているもんだろ、抱いていた想いだろ!ちゃんと向き合えよ!申し訳ないと思うなら尚更ちゃんと向き合ってきちんと謝れよ!』


その言葉を皮切りに自身の幻影は消えていく。

確かに彼女を当てはめれば全てが合致していそうな感じがする。

また静寂が辺りを蔓延ってその中にひとりぼっちになる。

彼女は遊を許してくれるだろうか。

だが、ここで逃げたら何か今度こそ大切なものを失いそな気がして、踏みとどまる。

そんな自分に思わず苦笑いする。


「ほんとに情けないな…失敗することを恐れて中途半端になって…でも」


自分自身に好き放題悪口を言われて黙っているほどアホでもマヌケでも愚かでもない。

そっちがそう言うなら――


「向き合ってやるよ!どんな辛いことでも!!」


声いっぱいに、後に退けないぐらいに、そして心の奥底に刻み込むように宣言する。


「やっとお馬鹿さんも向き合うことを始めたようね」


そう言って石碑の裏から出てきたのはここに来た服装のままの千佳だった。

何が嬉しいのか今日初の見惚れてしまうほどのニコニコっとした満面の笑みだった。


「一体いつから気づいてたんだ?」

「…いつからも何からも最初からよ。あなたが高校に通う前から」

「そうか…俺はそんなことも知らずに、目を背け続けたんだな」

「でも、コロ助の墓参りに連れてきてようやく少しは思い出したんでしょ?完全に忘れ去った訳じゃなくて蓋をしていただけ。そしてその光景を見て私のために怒ってくれたんでしょ?」

「あぁ、でも俺は…許されないことをした。逃げて、そして二度目も逃げた。逃げようとした…」

「遊、なんか勘違いしてない?私は最初からあんたを責めようなんて思ってないわ。むしろ感謝してるのに…まだ思い出していないのならちゃんと向き合いなさい。全てのことに向き合って。あなたはまだ

「もしその全てに、ちゃんと向き合ったら…向き合うことが出来て、自分を認めて許せたら…その、許して、くれるのか?」

「はぁ?馬ッ鹿じゃないの!?」

「ッ!」


遊の体が強ばる。

もう自分は許されざることをしてしまったのだろうか。

取り返しのつかない過ちを犯してしまったのか。

いいや違うと千佳は言う。


「許す、許さないじゃなくて私はあんたに感謝してるの。だから私は、あんたの事を少なからず想っているわ。最後の方はあんたの想像すのしすぎだけれど」


仄かにはにかむ千佳は優しい口調でそう言う。

甘く蕩けそうな心地だった。

疑念、動揺、不安といった暗い感情が浄化されていくようで…。


「俺、自分にとって辛いことを忘れてるんだ…事実、少し前の記憶が欠落してて、その…大切なことと一緒に。だから、こうしていることも忘れそうで…怖いんだ」


そう言うと千佳は遊の傍に来て、座り込んでいた遊を抱き寄せて、耳元で囁く。


「だから大丈夫。あんたの傍にはいつも、私が、そしてみんながいる。嬉しい時は喜びを分かちあって、辛い時は悲しみを共に背負ってくれる大事な仲間があんたにはついてる。みんな先になんて行ってないのよ。あんたは置いていかれたわけじゃないの。だから恐れないで。そうすれば私が好きなあんたなら必ずやり遂げるって信じてるから。醜いあんたも立派な塚原遊そのものでしょ?」


彼女の吐息一つ一つが擽ったい。

顔が火を吹いているようだ。

それでも二人の距離はだんだん縮まっていき


「大好き。早く帰ってきなさいね。待ってるから」


そして夕陽を背景に二人の唇は重なる。

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