心の隙間の小さな悪魔

第21話 何気ない日常に怪物は潜む

大切な思い出とはなんだろう。

遊は最近そればかりを考える。

就寝前、登校中、授業中、帰り道からぼーっとしている時もふとした弾みで考えている。

大切にするからにはそれなりの理由がある筈だ。

例えば一生に一度の思い出足りうる出来事や、衝撃的すぎて忘れられない思い出、自身の存在や思想、行動に多大なる影響を及ぼした出来事などから、何度でも思い出したいと思えるような


(前から好きだったとすれば、結衣との馴れ初めとかか?一生に一度の出来事だしな。となるときっかけか…俺だったらどこデートする?いや、結衣が主導権を握っていたという可能性も無きにしも非ず、か)


ふぅぁっ、とため息混じりに欠伸をかく。次いで凝り固まった身体を解し「んーっ!」と一つ背伸びをすれば目の前には美しい女の子が――!?


「んあッ!?」


驚いて思わずひっくり返りそうになる遊。

体制を立て直すとそこには驚いたような表情をしている千佳がいた。


「な、何よそんなに驚かなくてもいいじゃない。失礼ね」


衝撃から立ち直っていないのかたじたじに糾弾してくる千佳。

遊はそれに若干の申し訳なさを感じて謝る。


「スマン…少し考え事してたからつい驚いて」

「またぁ?あんた最近考え事多くない?虐められてんの?」

「…すぐにその発想に至るのはやばいぞ。虐められてはいないが、弄られてはいるな」

「……そう」


千佳に相談するのも何かと癪なので茶化して煙に巻く事にする。

ウケを冗談半分で狙ったのだが全く相手にはされず。

冷たく「そう」、と一蹴された。

それに対して千佳は本気で心配してくれていたのか目を細めて…


「けれどまぁ…そんな軽口叩けるなら大丈夫ね…心配して損したわ」

「本気で心配してくれてたのか?」

「そうよ、悪い!?」


千佳は極当たり前のことに突っ込まれ心外だという声音で怒鳴った。

しかし遊からしたら千佳がこんなにストレートに言うことは珍しい。

が、別に悪い気もしないので素直に感謝を告げる。


「ありがとな」

「べ、別に…なんか悩み事あるんなら相談しなさいよ」

「あぁ、頼りにしてるよ」


果たして昨日あったらしき出来事を語ったところで信じてもらえるかどうか、それは遊には分からなかった。

それはそれとして遊には何だか千佳がやつれているような気がした。

何となくだが彼の第六感が告げていた。

曰く、厄介事の匂いがすると。

こういう時の理屈に縛られない直感というのは的中率が段違いに高いことを遊はこれまでの経験から知っている。

危険の前触れというのは何気ない時に訪れるものなのだ。

大事になって対処しにくくなる前にここは直接聞くべきだろう。


「そんなことよりも千佳、どうしたそんな暗い顔して」


先程からいつもと雰囲気が違う千佳を遊は心配して、会話を切り出す。

それに驚いたような顔を一瞬浮かべ。

ぷいっとそっぽを向いてしまう。

しかし遊は確信を得たのか視線をそらさない。

静かでそれでいて熾烈な争いは僅か五秒で決着が着いた。

バレたかとでも言いたげな視線で顔を三度見られる遊。

それでも視線をそらさずにいると観念したかのように千佳は口をひらいた。


「その…ここでは話しにくいわ」


ここで話しにくい話というのはどういう意味なのか。

時間が足りないというのは兎も角、無関係な人に聞かれたくないというのが一番の理由だかろうか。

そこまで鈍感ではない遊は話してくれて幸いと提案をする。


「……昼に屋上で話しながらでも食うか?」

「…牛タンカレー」

「はッ!?」

「奢って」

「?…ぁあ分かった。取り敢えず牛タンカレーを食べるか」


華麗なカウンターを食らわせたと思ったらあちらの綺麗なクロスカウンターが飛んできてノックアウトに追い込まれた遊。

後で元樹に話をつけなければ、と考える遊は四校時の授業に集中していくのだった。








午前の授業が終了した学校の昼休み。

ガヤガヤと賑やかに騒ぎ立てる喧騒をBGMに遊はいつものメンバー四人衆で食堂へと続く廊下を早足で歩いていく。

その様は正に競歩だろうか。

周囲から奇異の眼差しを頂戴しそうな光景ではあるが、そんなことよりも三人の醸し出す、というか三人から溢れ出る高貴なオーラと言うやつはその様すら凛々しくするらしい。

まぁ遊も1番後ろから見る限り、姿勢を正して、胸を張り(女子はその嫉妬されそうな豊満さを強調して)歩く姿は非常に絵になると思っている。

しかしそれは他の三人のことであって遊では無い。

つまり、遊だけが皆の衆から滑稽だと揶揄されるに足る奇行をしているのである。

先程からちょくちょくと感じる厭な視線はその類いだろう。

最も大半は呆れ半分、理解半分の視線が突き刺さっているだけだが。

何故こんな衆人監視の最中を奇行で通り抜けているかと言うと、問題は目的地にある。

この楓華弍凛高校の学生食堂ではなんと豪華なことに1日何食限定メニューという物が出現する。

もちろんそれ以外のメニューも充実しているのだが、その限定メニュー何某は「牛タンカレー」だの「海鮮丼」だの「回らないお寿司」だの「本格家系とんこつラーメン」や「ステーキ定食」だのともう学生食じゃないだろ!、とツッコミを入れたくなるようなメニューが学生に払える金銭の範囲で販売されるのだ。

正しく全校生徒の垂涎の的であろう。

そしてそれの為にグルメな生徒は、いやもはや全ての生徒は戦争を辞さないだろう。

実際『学食競争』という戦争が起こっている。

もはやこの学校の伝統芸能となっている戦争だ。

ただ、毎日昼時になると学生食堂が戦場になることはない。

なぜなら毎日買って食べているような猛者も少ないがいるからだ。

事前に誰か食べるかというのをローテーションで回している生徒もいるらしい。

だからその昼に飛び込みで買うのは少数なんだとか。

戦地になるのは大抵、選ばれた猛者が権利を他のものに譲る時である。

しかしそれに毎日ありつくには速さだけでは到底無理だ。

まず毎日買うための財力。

学食として安く提供されているとはいえ、それは本場を本場で食べようとした場合に比べてであり、学生の財布には決して優しくはない。

それを毎日に等しいほど買うことの出来る金持ちの道楽。

湯水の如く溢れる金銀財宝の無駄遣い。

貴族の嗜み。

そして不平不満を言われないような立場校内権力である。

その条件にこの3人はピッタリと合致していて、実際味に飽きたりしなければ、限定メニューを優先的に購入させてもらっている時もある。

しかし頻度はあまり多くはない。

多くはないが、一般の生徒よりは確実に多く食べられる機会がある。

今日は訳あってみんなで牛タンカレーを食べようとなったのだ。

しかしいくら並んで買う必要もなく手に入れられるからと言って余裕綽々と登場し、食べ始めるというのも譲って貰った身としては居心地が悪い。

居心地が悪いからこそ彼らは食べるのを偶ににしているのだ。

それは彼らの立場上の問題ではなく精神性によるものだが。

そんな事だからせめてとか的な雰囲気だけでも作ろうということになったのだった。

結局無駄だろうがなんだろうが、これはそんな建前を利用した良心の呵責の回避法、別名御為倒しであり、考えるだけ無駄だ。

ちなみに遊は実際三人のお零れに預かっていると思っているので甘んじて全ての視線を受け止め、辱めを受けている気分になりながらも、胸をときめかせて、学生食堂に向かっているのだった。


「そ言えば遊よぉ、なんでいきなり牛タンカレーなんか食いたいって言い出したんだ?」


もう少しで食堂という所で前を行っていた元樹が遊と並走して来た。


「ん?あぁ。千佳が食べたそうだったからな」


別にやましい事も何も無いので素直に伝える。

食べたそうというか食べたいと言っていたが。

そこまで元樹は気にしないと踏んで素直に誤魔化しに行った。


「おぉ?おーおーおーやーっとこさ鈍感君も女子の気持ちとやらがわかってきたみたいだなぁ?そしたら俺が直弼に譲ってもらったかいがあるってもんよ」

「それはマジでサンキューな。俺なんかが言っても渋られるだろうし」

「相変わらず自己評価が低いやつ…もうちょい自信持てよ」

「そんな自惚れるほど俺はアホじゃない」

「あっそ。俺は遊は遊で才能あると思うんだけどなぁ…学力が全てって訳じゃないし。世の中には二パーセントしか天才は大成しないんだぜ?」

「…おい、それさりげなく俺の事バカにしてるだろ」

「アハハ、意外に鋭いな。女心には鈍感なくせに」

「コノヤロウ」


意外といえば意外な元樹のストレートな褒め言葉に若干照れ、照れ隠しに軽口を叩く。

追加の嫌味も忘れない。


「それに才能の塊のようなやつに言われると嫌味にしか聞こえんわ」


話し込んでしまったからか若干遅れて食堂に入る二人。

正面には嘆息しながら列に並んでいる千佳とニコニコと柔和な笑みを浮かべている叶依が居る。

席取りは元樹に任せて遊は一緒に並ぶ。

この学校の食堂には主に三つのエリアに別れる。

ひとつはバルコニーのような所や窓に近い眺めがいいスクールカースト(生徒が勝手に付けていているのであって学校側からは何も強制はしていない)上位御用達の席。

二つ目はスクールカースト上位から中位までが大人数で談笑する為の真ん中ら辺の席。

最後は入口に近く、カウンター席で勉強など一人一人のスペースが多めに取れる席。

ちなみにスクールカースト上位グループの席には部外者はあまり近づかないという暗黙の了解がある。

逆はもちろんありだ。

そしてスクールカースト底辺組は食堂の雰囲気に耐えかねて教室で購買部の商品や弁当、酷い人(他人から見たら)は便所なんてこともあるらしい。

当代の生徒会長が頭を抱える問題である。

問題と言っても被害者側から避けている事なので自業自得は言い過ぎだが、そうなる感は否めない。

意識の改善は彼らに施すべきだろう。

食堂は生徒みんなが集まれる場所なのだから。

ちなみに何故元樹が席取りに行ったかと言うと、遊の考え方ではスクールカースト底辺組である遊が席取りをするとあまりいい気持ちにさせないからだ。

だから全校生徒に割と顔が知られている元樹が四人分確保することで波風を立てないようにしているという寸法だ。

さすがに元樹に喧嘩を売るやつはいないだろうと考えて。

実際にそんな生徒はいなかった。


(すまん、元樹)


と心の中で謝っておく。

それと同時に感謝も忘れない。

なんやかんやでこいつには世話になりっぱなしだなと自嘲する。

頼り切りすぎて恩の着膨れを起こすほどには頼りきっている。


「はい、いらっしゃい。…おや?久しぶりねぇ、と言っても一週間ぶりくらいだけどね。今日は何を頼むの?」

「こんにちは坂井さん。今日は牛タンカレーを四人前でお願いします」


坂井 榛名。

食堂にいる女性。

見た目30代くらい。実年齢も多分そのくらい。食堂のおばちゃんと呼ばれるには肌に年齢を積み重ねていないので、食堂のお姉さんで通っている。


「あら?今日は誰かの誕生日だったかしら?」


あらあらと首を傾げる食堂のお姉さん。


「いえ違いますよ、今日はたまたまそんな気分だったんです」


事実をありのままに伝えるのはどうかと流石に思った遊は適当に誤魔化すことにした。

いくら顔見知りだからといって『千佳がいきなり言い出したんです』とは言いづらい。

プライベートな情報は必ず伝えるべき人と誤魔化してもいい人がいるのだ。

というか無闇矢鱈に言ったら最後どうなるかは火を見るより明らかだ。


「へぇ、特別な日以外に食べに来るなんて珍しいねぇ…牛タンカレー4つね…遊くん2つ持てる?」

「あー、怖いので2つ重ねたお盆にカレーもスプーンもふたつ乗せて貰えますか?」

「はぁーい、牛タンカレー4つお願いしまーす」


食堂のお姉さんが元気に厨房へと声をかけると、3人は受け取りのカウンターの方にズレる。

そして、およそ三十秒ほどで出てきた牛タンカレーを持って元気よく手を振っている元樹の元へ向かうのだった。

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