時計塔のリリス(5)

 昇る。昇る。この町で最も、”空の限界”に近い場所へと。

 時計塔の昇降機は、きりきりと音を立てながら二人を高みへと連れて行く。


 あれから、どれほど走り続けただろうか。ようやくたどり着いた年の時計塔は、トトが離れたときと変わらず、沈黙を保っていた。彼は、十二の目盛りを持つ年の時計盤を見上げて目を細めると、再びリリスの手を握り、時計塔に駆け込んだ。


 走り続けてすっかり息を切らせた二人は、昇降機の壁に背を預ける。

 ――もし、ここにも何もなかったら? 嫌な想像に身を固くしたトトの目に、リリスの横顔が映る。そこには、確信だけが宿っていた。


「……それなら、おれも信じるよ」


 トトの小さなつぶやきに、リリスは明るく微笑んで応えた。

 軽いベルの音と共に、扉が開く。二人はうなずき合うと、最上階で停止した昇降機から足を踏み出した。互いの手のひらをしっかりと結んだまま。


 時計塔の最上階。その最奥――時計盤の裏面に詰まった歯車はどれも止まったままで、少しの物音もしない。そんな中、トトが何かに気づいたらしく、はたと足を止めた。

 ――時計塔の最上階に立ち入れる者は、塔の番人と、番人に選ばれた者のみであるはず……これまでは、そうだったのに。

 トトは一歩下がると、時計盤の前、部屋の中央に据えられた台座を睨む。いつもならトトが座っているはずだったその台座には、一人の男が力なく腰掛けていた。

 ――どうしてこいつは、この部屋に入ることができた? 思い当たる理由は一つだ。


「……あんたが」


 間違いない、こいつが……こいつこそが、『クロッカー』だ。

 奇妙なことに、その男は少女の顔を持つからくりの頭をわきに抱えていた。トトはそれを認識すると同時に妙な寒気を覚え、もう一歩退いた。

 そんなトトに対し、同じく男をじっと見つめていたリリスが、戸惑ったように口を開く。


「……ととさま?」


「”おかえり”――リリス」


 クロッカーはトトの方を見もせずに、リリスに向けて優しげな微笑みを浮かべる。

 トトは目を見開き、クロッカーとリリスを交互に見やった。

 ――ととさま? この男が、リリスの? 

 呆然と立ち尽くすトトの手をするりとほどいて、リリスが男のもとに駆けていく。


「ととさま、ここでなにをしているの?」


「おまえがここに来るんじゃないかと思って、待っていたんだよ。……さあ、帰ろうか」


 クロッカーはゆっくりと立ち上がると、リリスの手を取り、昇降機の方へと歩みを向けた。トトははっと正気に戻ると、あわててその背中を咎める。


「何する気だよ」


「帰るんだ。見れば分かるだろう?」


 クロッカーは何でもないようにそう答えた。

 ――帰るだって? 時計塔をこのままにして?

 怒りに燃えたトトの瞳が、クロッカーの冷めた目とぶつかる。

 ――時計塔が止まったって、おれにはどうすることもできない。ずっとこの塔を見てきたのに。どうにもできないんだ。だけど、あんたは違うんだろ? 


「あんたなら直せるんだろ、時計塔を! なあ、『クロッカー』!」


 クロッカーは答えなかった。代わりに、リリスの髪を優しくなで、こう言った。


「私は、時計塔を直しに来たんじゃない。彼女――リリスを迎えに来たんだ」


 クロッカーの暗く沈んだまなざしに、トトはぎょっとして後ずさる。クロッカーは先ほどまで腰かけていた台座に歩み寄ると、その中央の小さなくぼみを指し示した。


「これが何か、知ってるかい」


 トトは警戒しながらも、首を振って否定する。クロッカーはそのくぼみを指でなぞると、寂しげにこう言った。


「このくぼみにパーツをはめて、ねじを巻くんだ。そうして、時計塔は生きている」


 パーツをはめて、ねじを巻く――その言葉に、トトは弾かれたようにリリスの方を見た。正しくは、リリスのその頭のぜんまいを。古びたぜんまいはちらりを光を跳ね返したが、それきりだった。


「何百年かに一度、時計塔はぜんまいを巻かなければいけない。けど、その間にぜんまいが紛失してしまったら困るだろう? だから私は彼女にぜんまいを預けていたんだ」


 リリスはその言葉を理解しているのかいないのか、クロッカーになでられ、嬉しそうにしている。トトはその様子に眉をひそめはしたが、黙ったままクロッカーの言葉を待った。


「リリスはね、頭のぜんまいを外すと壊れてしまうんだ。……私は、彼女を心から大切に思っている。私の最高傑作なのだから。壊してしまうのはあまりにももったいない。だから、彼女を連れて帰るよ」


 トトはリリスをじっと見つめる。

 時計塔を再び動かすためには、リリスの持つぜんまいが必要だ。だが、あのぜんまいを外せば、リリスは……


(――わたしもいっしょにさがすわ)


 リリスの言葉がよみがえる。

 彼女のおかげでここまで来られた。ようやく、クロッカーを見つけたんだ。なのに、こんなのって、あまりにもひどすぎやしないか。


(――トト?)


 トトは両手で顔を覆った。

 ――無理だ。おれは、彼女に……リリスに、”世界のために死んでくれ”だなんて言えない。世界が終わるのを知りながら、救う方法を知りながら……あの二人の背を見送ることしかできない。


「ととさま」


 ふと、それまで黙ってこれまでのやり取りを聞いていたリリスが口を開く。

 彼女は不思議そうに首をかしげると、クロッカーに向け、問いかけた。


「ととさまは、どうしてうそをついているの?」


「……嘘?」


 クロッカーが、リリスの言葉に足を止める。

 リリスは再び首をかしげ、言葉を続ける。


「わたしは、ととさまのさいこうけっさくなんかじゃないわ。だって」


「――やめろ」


 男の制止もむなしく、からくり少女はこう言った。


「ととさまのさいこうけっさくは、ととさまがこわしてしまったでしょう?」


 ごろり。クロッカーが抱えていた人形の首が、床を転がる。衝撃でわずかに開いたその目は、リリスの瞳と同じ――優しい紫色をしていた。

 リリスはその場に屈みこむと、人形の頭をそっとなでる。……クロッカーが、彼女にそうしたように。


「ととさまは、このこをずっとすてなかった。それが、ととさまのいちばんだいじなものだったからでしょう?」


「……違う」


 クロッカーは苦々しい声で答える。だがリリスの耳には、彼の言葉は肯定として届いていた。

 ずっと部屋の隅で眠る”がらくた”。クロッカーがそれを見るまなざしは、とても廃品を見るそれではなかった。もっと温かくて、どこか切ない、そんなまなざし。

 だが、彼がリリスを見るまなざしは常に寂しげだった。そのことに気が付いてしまうたびに、リリスの胸はきゅっと痛んだ。

 ――いいのよ、ととさま。もういいの。これで、とけいとうはもとにもどるの。ととさまも、しななくていいのよ。だから、そんなさみしそうなかおはしないで。

 リリスは、自らのぜんまいに手をかける。クロッカーが真っ青になって止めようとするが、あと一歩、届かない。


「待ってくれ、リリス――!」


「ごめんなさい、ととさま」


 リリスの頬を、一筋の涙が伝った。


「……だいすきよ」


 ぜんまいをつかんだリリスの手に力がこもる。

 その時だ。リリスのふいを打って、トトが彼女を突き飛ばした。トトはなすすべもなく倒れ込んだリリスの両手を押さえると、彼女の目をまっすぐに見据え、感情のままに怒鳴りつける。


「おまえを見てると苛々するんだ。気持ち悪くてしょうがないよ。おまえがもしこのために生まれたんだとしても、そんな簡単に応じるその態度がさ! 何でそうやすやすと死のうとなんてできるんだよ!」


 リリスは戸惑ったようにトトを見返す。

 ――しぬ? わたしはしんだりしないわ。


「だって、わたしは……」


「『ヒトじゃないから』? ふざけんな! おまえは……」


 トトはリリスの頬に触れた。

 ――温かくて、柔らかい。球体関節のついた腕や脚は確かに固かったけれど、それ以外は人間とどこも変わらない。彼がリリスの首に手を当てると、確かに……心臓の音がした。

 ”だいすき”――リリスは確かにそう言った。その言葉が、回路から生まれたものなどであるはずがなかった。あの言葉には、涙には、確かに”心”があった。

 クロッカーは、リリスが自分の最高傑作だと言った。リリスは、自らがクロッカーの最高傑作ではないと言った。けれど――


「……ウソつき」


 ――どちらも、正しくなんてなかったんだ。

 『クロッカー』……いや、今はただの一人の男か。彼は床にうずくまり、トトの怨むような視線を避けた。その口から、何度も何度も、謝罪の言葉がもれ、こぼれていく。


「すまない……リリス、本当にすまない……」


「……どういうことだよ」


 男はトトの問いには答えず、ひたすら、縋るように謝り続ける。

 トトは確信した。

 ――リリスは、機械なんかじゃない。機械だったのは、両腕と脚だけだ。それ以外はどう見たって生身の人間だ。感触だってそうだ、身体だって温かい、心臓だって打っている。あの”大好き”の言葉も何もかも、全部……彼女の本当の思いだった。彼女が一人の人間として抱いた感情だった。

 トトは男を見おろし、舌を打つ。


「こんなやつに世界が回されてたなんて笑えてくるな」


 彼はそう言うと、リリスを助け起こした。

 彼女が生身の人間ならば、ぜんまいを引き抜いても死ぬことはない。失うものは大きいとしても――

 トトはリリスの手を取ると、男を見下ろしてこう言った。


「――ぜんまいを巻けよ。あんた自身の手で。……何より、リリスのために」

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