時計塔のリリス(4)
――ととさまはしんぱいしていないかしら。
――ととさまはいつも、とてもやさしくて、さみしそうなひとなの。
「あのなあ……その”ととさま”っていうの、やめてくれない?」
一刻も早く時計塔に向かうべく必死で走っている最中。
……だというのに、少しの緊張感もなく、ととさま、ととさまと何度も繰り返すリリスに、トトがうんざりしたようにため息を吐いた。
彼が”こっちは急いでいるのに”と言わんばかりにわざとらしく顔をしかめてみせると、リリスは不思議そうに目をしばたたいて問い返す。
「どうして? わたし、ととさまのことがきになってしかたがないの。なにもいわないででてきてしまったから。きっと、とてもしんぱいしているとおもうわ」
リリスの言葉に、トトはそっぽを向いた。
リリスの”ととさま”にまつわるおしゃべりは、夢中で走るトトに向けたものというよりは、彼女のひとりごとに近かった。トトが、それを無視できなかっただけで。
――たいしたことじゃない。いつも一人で時計塔にこもっていたから、誰かに名前を呼ばれたんじゃないかと思うと妙な気分になってしまうだけだ。彼女が呼んでいるのは”ととさま”であって、”トト”じゃない。単純に響きが似ているだけなのに、いちいち淡い期待を抱いてしまうなんて馬鹿みたいだ。
急に愛想をなくしてしまったトトに、リリスは首をかしげる。
「……トト?」
「え?」
驚いた思わず立ち止まったトトと、平然としたリリスの目が合う。リリスがトトの心内に気づいたはずはない……のだが、まるで考えを覗き見たかのようなタイミングで名前を呼ばれたトトは、たまらず口ごもってしまった。
「な、何だよ……そっそういえば、おまえの名前! まだ聞いてない」
トトはあわててリリスに話をふってごまかす。リリスはそんなトトの様子がおかしかったのかくすっと笑って答えた。
「わたし、リリスっていうの」
「り、リリスだな。別にどうでもいいけど、一応覚えとくよ」
さも興味なさそうなそぶりを見せつつ、トトはまた早足で歩きだす。リリスはトトの背中に優しい笑顔を向け……首をかしげた。
――トトったら、みみまでまっかだわ。
ちらっと振り返り、リリスの視線に気づいたトトは、一つ咳払いをする。
「ごほん。……あのさ、一つ気になったんだけど……”ととさま”って、つまり、おまえを作った人ってこと?」
リリスはトトの不審な態度にくすっと笑うと、うなずいてこう答えた。
「そうよ。ととさまはからくりをつくるのがとってもじょうずなの」
「からくり……」
トトの脳裏に、時計塔の歯車がよぎる。
――ダメだダメだ、時計塔は『クロッカー』じゃないと直せないんだ。どんなにすごいからくり技師だって、クロッカーじゃなければ意味がない。
トトが小さくため息をもらしたのにも気づかず、リリスはにこにこしながら言葉を続ける。
「それでね、ははさまは……」
「……”ははさま”?」
――待て、”ははさま”だって? リリスは人間じゃないのに、彼女を作った”ととさま”だけじゃなく”ははさま”までいるっていうのか?
トトがおどろいて問い返すと、リリスは少し寂しげな表情でこう言った。
「ははさまはね、いまはいないの。とってもやさしいひとだったんだって、ととさまはいっていたわ。わたしも、よくおぼえていなくて」
トトは怪訝そうにリリスを見たが、深く問い詰めるようなことはしなかった。
――今、そんなことは重要じゃないはずだろ? 何よりも、時計塔へ急がなくちゃ。
彼は自らにそう言い聞かせつつリリスの手を強く握りなおすと、重苦しい静寂で満ちた町を躊躇なく走り抜ける。トトに手を握られたリリスも、その手を引かれるまま、彼の後をひた走った。
トトの背中はまだ小さく頼りなかったが、リリスはそれを不思議な心持ちで見つめていた。
”ととさま”以外の他人にこうして手を引かれるのは、リリスにとって初めてのことだった。リリスの作り物の手のひらに、トトの熱が伝わってくる。
――トトのて、あたたかい。
「ねえ、トト――」
――わたしのて、あたたかい? そう尋ねようとしたリリスは、小さな段差に足をかけてその場に倒れ込んだ。トトはリリスの傍に駆け寄り、彼女を抱き起こそうとする。
「おい、大丈夫か……」
ワンピースの裾からのぞくリリスの脚を見たトトは、何も言えなくなってしまった。
確かにリリスの脚は、固い肌に球体関節のついた”人形”だった。だが、太ももの途中から……色が違っていたのだ。あれは、作り物の色じゃない。あれは……
「ごめんね、いそいでいるのに」
リリスは、ぼうっとしたままのトトの手を借り立ち上がった。トトは首を横に振ると、再び走り出す。一つの疑念を胸に抱えたまま。
”ははさま”の存在と、彼女のこの身体……トトはリリスを見やり、疑いに目を細めた。
――彼女は、本当に人間ではないのか?
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