時計塔のリリス(3)

 静かすぎる夜の道を、二人の足音が揺らす。

 早足で”心当たり”へと向かうトトは、それでもリリスの手をしっかりと握っていた。

 リリスは黙ったままのトトを不安げに見上げると、小さな声でこう問いかける。


「とけいとうのとけいがとまってしまったらどうなるの?」


「死ぬんだよ」


 トトが答えると、リリスは首をかしげた。

 トトは面倒そうにため息を吐いてから、再び口を開く。


「時計塔の刻む時間に従って生きているのは誰だ? 鳥か? 水か? それとも……」


「ううん、とけいをみるのは、ヒトだけ」


 リリスは戸惑いつつも答えた。トトが何を言おうとしているのか、分かりかねたからだ。

 探るようなリリスの瞳をけだるげに見返し、トトはうなずいた。


「そうだ。時計塔の時計が止まることによって、時間は止まる。けれど、その影響を受けるのは人間なんだ。この世界の中で、人間だけ」


「……ヒトのじかんがとまったら、ヒトはしんでしまうの?」


「ああそうさ。年の時計塔だけなら、年が明けるまでに元に戻せばなんてことはない。日の時計塔なら、朝が来るまでに戻せばいい。けど秒の時計塔まで止まってしまえば、この世界の人間は生きていかれない」


 時間が止まると、人間は死ぬ。リリスには、どうしてもそれが理解できなかった。

 黙ったままのリリスを上から下まで眺め、トトは首をかしげる。


「おまえは……見た感じ、人間じゃなさそうだな。それじゃあ、分からないはずだ。時間を失った人間がどうなるのか」


「うごけなくなってしまうわ」


 もったいぶったような言い方をするトトにも気を悪くすることなく、リリスは素直にそう言った。

 リリスが怒りだすとばかり思っていたトトは目をしばたたいて答える。


「そうだ。動くこともなく、何かを感じることもなく、そこに在るだけになる。そんなの、とても”生きている”とは言えないさな」


「わからないわ。がらくたとおんなじ?」


「がらくたか。そうだ、時間を失った人間は、ただのがらくたになってしまうんだ」


 トトのこの言葉を聞いたリリスは、思わず身を乗り出してこう尋ねた。


「ととさまも?」


「ととさま? 父親のことか? ……そうだよ、そいつも人間なら同じだ」


 トトが怪訝そうな顔をしながらも答えてやると、リリスはしょんぼりと肩を落とした。

 ――とけいとうがとまると、じかんがとまる。じかんがとまると、ととさまがしんでしまう。ととさまとおはなしもできなくなってしまう。それは、すごくさみしいことだわ。

 だがリリスは、状況を変える手立てを持ってはいなかった。彼女のかかとが、二、三度石畳を打ったきりで。


「……着いたぞ、ここだ」


 トトが足を止めたのは、大通りからはずいぶん離れた、古い――言ってしまうなら、おんぼろな――店の前だった。だいぶ擦れた看板には、”ユークスタイトの傘工房”と書かれているのが分かる。トトが扉を開けると、蝶番の不快な音が辺りに響いた。リリスは耳をふさぎながらも、トトの後に続く。

 そして、店の中に足を踏み入れたリリスは驚いて声を上げた。


「ふしぎ。おみせのなかにあめがふってるわ」


「ここの店主は気がおかしいんだ。……だからこそ何か知ってるんじゃないかと思って」


 トトは振り返らずにそう言うと、店の奥に向けて呼びかけた。


「ユークスタイト! おれだ!」


 しばらくの沈黙の後、奥の方でがさごそと何やら物音がした。続けて、声が飛んでくる。


「合言葉は? ――”今日の傘は”」


「今はそんなことしてる暇はないんだよ! ――”藍”!」


 トトがそう答えると、再び店の奥から音がし……ところせまし並べられた傘のすきまから、一人の男が姿を現した。

 男はにこりと笑むと、手近なところにあった傘を手に取り、さっそくと差してみせる。


「今日は何をお望みかな? 変わった形の傘なんか……」


「あんたは、『クロッカー』について何か知らないか?」


 男――ユークスタイトの軽口を断つように、トトが鋭く問いかける。ユークスタイトは少し黙ってから、肩をすくめて答えた。


「……いいや、知らないね」


 トトは目を細め、ユークスタイトを睨む。

 ――嘘を吐くとき、どうしても少し間をとるのがこいつの間抜けな所なんだ。


「隠してないで教えろ。一大事なんだ」


 ユークスタイトはトトの真剣な顔をしばらくじっと見つめていたが、やがて、くくく、と含み笑いを始めた。


「そうそう、年の時計塔が止まったとか」


「それだけじゃない。さっきの鐘の音、聞いただろ? 日の時計塔もだ」


 トトの言葉を聞いたユークスタイトが、こらえきれずに腹を抱えて笑い出す。リリスは思わずトトの背に隠れてしまった。


「急がなければ朝が来なくなるね。困った」


 ユークスタイトはひとしきり笑うと、そう言って、傘を回した。その一言でとうとう我慢できなくなったトトがユークスタイトにとびかかり、彼の手から傘を叩き落とす。

 雨に濡れるままのユークスタイトは空っぽの右手をしばし見つめ、トトの射るような視線に笑顔で応えた。


「『クロッカー』に関する確かな情報なんてないさ。だあれもしらない、僕も知らない」


「……やっぱり、あんたに聞いたおれが間違いだったよ。もういい」


 トトは怒りを抑えきれないままユークスタイトに背を向ける。ユークスタイトはなおへらへらと笑い、トトの背に向けてこう言った。


「おっと、君たち。困ったときは、黄色の傘だよ。初心に帰るのが一番だ、何か見つかるかもしれないよ」


 トトはその声を無視し、リリスの手を引いてユークスタイトの店を飛びだした。彼は店の中ですっかりずぶぬれになってしまった髪をかきあげると、小さく悪態をついた。


「あのピエロめ……人が焦ってる時にも飄々としやがって」


 リリスはトトのその横顔を眺めながら、一人、全く別のことを考えていた。

 ――たしかにあのひとはおかしなひとだったけれど、きっとうそはついていないとおもうの。なにか、おしえてくれたのではないかしら。それって、いったいなにかしら。


「……とけいとうは、どこにあるの?」


 リリスの問いに、トトは疲れた顔を上げる。


「そんなこと聞いて、何になるんだ」


「こまったときは、さいしょにいたばしょにもどればいい。あのひとは、そういおうとしていたようなきがするの」


 トトは目を丸くし、リリスを見つめた。


「初心に帰る――そうか。……いちかばちか」


 トトはリリスの手を乱暴につかむと身を翻し、彼がこれまで守ってきた――そして今回の事件の発端である――年の時計塔を目指して、駆け出した。

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