31……ティティインカと罪人王子

***


 ――テネヴェ国を出て、随分経つ……いつまで逃げ続けるんだ、俺は。


 塩の結晶をナイフで丁寧に削る。丁度良い塩梅になったところで、足音。やがてサアラの特徴でもある数重の足環の擦れ合う音がシャラシャラと洞窟に響き始め

た。


 イザークは料理の手を動かしたまま、ぼやいた。


「なあ、なんで俺がティティのそばに行ってはいけない? 俺は夫たる身分だ」


 サアラは冷ややかかつ冷酷な声音になった。


「子供の成長に良くないだろうが。呪われた君たちを助けはしたが、子作りを支援するつもりはない。常識で考えたまえ」


 げほっ。尤もな下心の代弁に、イザークは鍋の蒸気をひっかぶりそうになった。


「大体、どうして人間のきみが神声を発せるのか」

「知ってるのか。マアトの話。アケト・アテンでは単なる伝説になっているようだ」


「知っているか知らないかが、きみに関係があるのかね? それに、単なる伝説? では月と翅もまやかしであると? 大した眼と存在だ。消えてしまっても影響はないな」


 サアラという男が分かってきた。皮肉と正論を併せ持つ神気取り。


「……愛しの女に会いたいか」


 突然訊かれて、イザークは熱々の汁を足に飛ばして顔を顰めた。サアラはちらとイザークの醜態を眼にはするも、興味は無さそうだった。冷たい男だとイザークは息を吐く。サアラの研ぎ澄まされたナイフのような眼が動いた。


「取り繕ってみっともない。男のみっともなさを代弁か。数日待ちたまえ。星

堕し(ド)の夜は、マアトがこの世界から遠ざかる。共鳴も、暴発もないだろう」


「星堕し?」イザークの質問には回答せず、サアラはにっこりと笑った。


「世界とはすべてが細い糸で編まれている平織り布だ。どこかで繋がってゆく」


 サアラはイザークに近寄ると、イザークの眼帯を指で押さえ、低く告げた。間近で見るサアラの顔は、どこか彫刻を思わせる。超越した何かがあった。


「〝そうなるように仕組まれて〟るんだよ、罪人

アザエル

のイザーク」


 ――罪人

アザエル

のイザーク。イザークはぎろとサアラを睨んだ。


(なんで俺が亡命した事実を知っている。神のような俯瞰の態度。気に入らねえな)


 サアラの手が剣に触れた。ところで、うわああん、と聞こえた子供の声が会話を遮断した。サアラは爪先を向けた。


「ここまでだ。子供を泣かせると妻にたたき出される」


 イザークを窺い、シャランと足首の環を鳴らして、消えた。


 ――世界は全てが細い糸で編まれている平織り布……か。


 ティティインカに逢いたい。だが、サアラとネフトはティティとイザークを執拗なまでに引き離そうとする。イザークは鍋のかき回し棒を持ったまま考え込んだ。


 先日のラムセスの追っ手が迫って来た時の記憶が抜けている。


(ティティが歯を鳴らした。その瞬間、怒りを感じたは覚えている。しかし、気付けば俺はサアラの肩に担がれていた……ティティとはあの夜以降逢えていない。待つしかねえってことか。待つは苦手だが、方法はなさそうだ)


 どさっと草の上に横になった。月のない空は、どこからか光を注がれて、やんわりと光っている。見上げるイザークの前に、ぬっとコブラの影が割り込んだ。慌ててイザークは起き上がった。夜空からコブラが降りてきたと思いきや、ティティだった。

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