17……左眼


***


 ティティの手からスカラベが落ちた。スカラベは赤く燃え上がり、欠片が眼に飛び込んだ。


(何という愚行をしでかしたの。わたしは、包んでくれる相手を呪いに突き落とした)


「ごめんな、さい……」ティティは何に謝るでもなく項垂れた。諱が違っているなど、考えもしなかった。疑いもせず、ラムセスの奸計

かんけい

に嵌まった事実を思い知る。イザークがあれほど止めた理由など、考えもせず!


(イザーク、どうして言ってくれなかったの……言ってくれていたら!)


 ――どうなるのだろう。呪術を憎しみに使ったら、どうなるかなんて……。


 手を床に置き、項垂れたティティの前に、影が過ぎった。慌てて顔を上げると、イザークが屈み込んだところだった。


「ティティ、立てるか」

「あの、わたし……とんでもないことを……呪い……諱の呪い……」


 言葉が出ないティティにイザークは「ん?」と目を見開き、強く言い放った。


「呪いなど俺は信じちゃいなかった。だが、こうして呪われた。ということは、呪いが解けるものであるという話だ。変わらずある。――生きる資格があるというだけだ」


「生きる資格って?」


 イザークは口端を上げて見せた。


「奪われちゃなんねぇもん。世界で一番最初に神に与えられた、大切なもの。それが諱だ。この世界で生きようぜって証拠。じゃあ一緒に生きて行くか、なァ?」


(やめて。一緒になんて。呪術の恐ろしさを判ってて、利用しようとしたよ、わたし)


 お姫さまだっこされ、ティティは眼をぱっちりと開けた。イザークは長い足を振り上げて、神官を蹴飛ばしたところだった。


「地下井戸に行けと言うなら、行く。俺たちが大人しくすれば、誰一人と王に首を飛ばされはしないから大丈夫だ。神に従うか、呪いを受け入れるかは別問題だろ」


 イザークはサンダルでマアトの翅をぎゅうぎゅうに踏みつけて、ふふんと笑った。


「俺は神には従わんが、愛する妻(予定)と己の心に従う――退け! 俺も、裁けよ。ラムセス王、マアト神よ!」


 ティティはイザークの顔を見て、息を飲んだ。


 イザークの美しかった左眼は、今や真っ白で何も映してはいなかった。

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