13……マアト神の黒い羽根
***
肥沃地帯を通り越すと、今度は水路。下り坂を越え、カルナヴァル神殿の巨大なオベリスクが見えて来た。周辺に以前の王たちの塑像の残骸が散らかっている。
「ぞっとするわ。父の首がないことを祈りたい」
イザークは手車を掴み、ティティを乗せて引き摺りながら神殿に足を踏み入れた。
「ねえ、まだ怒っているの? 見つかる予定じゃなかったのに。それより少し掃除したら?」
「手車の商品整理を怠った俺を蹴飛ばしてぇだけだ。なんで王女が商人の手車に……」
「だってイザーク、連れて行くのを嫌がったでしょ? 手段がなかったの」
「ティティ、では聞くが、神殿に行く目的は?」
にっこり笑ってティティはスカラベを指に挟んでひらひらして見せた。イザークは再びがっくりと肩を落とした。
「おまえ、紛うことなき、敗北を赦さないラムセスの妹だ」とは厭味か。
「でも、仮に兄としてよ? テネヴェから来たって時点でおかしいのよね」
イザークは「俺は知りませんね」とばかりに無表情になった。再びゴンゴンと進み始めた車の金銀財宝の宝物が賑やかに鳴り響いた。
「こんなに奉納する必要あるの? ラムセス王なんか」
声を潜めて聞くと、イザークは「こいつは取引」とにっと笑った。
「言い伝えられる古文書があるだろ。死者の聖典だ。そいつを見ればこの世界の何たるかが判るという。ラムセスは王になれたら俺に見せると約束した。が、一向に約束を護らない。知ってる? 死者の聖典。あれがラムセスの目的だ」
《死者の聖典》。王族のティティにも在処は知らされていない闇の書物だ。存在は知っているが、未だに見た覚えはない。
「どこから聞きつけてきたの。敵国の王族ならともかく、一介の商人のくせに」
「世界を手にするには、世界の謎を入手したくなるもんさ。ティも悔しいだろ。あんなつまらん伝承の取り合いで、家族と離別したとあっては。足元を見ろ」
会話の途中で、ティティは床に視線を落とした。マアトの特徴ある黒翅がぽつんぽつんと落ちていた。ここに神が手を掛けた証拠だ。それなら、逆賊兄ラムセスをとっとと連れて行ってくれたらいいのに。
「凄い数の翅。神殿にまで散らばっている。ここで裁きがあったんだわ」
イザークは黒翅に怯えているティティに目を細めた。
「暇な鳥がバッサバッサ夜に飛んで遊んで、換羽
とや
を迎えてるだけだ。呪われるなら女神だ。男神はご免被るよ」
(換羽? 鳥の羽替え。神を鳥扱い)イザークに怯えるものはないのだろうか。
ティティはマアトの羽を抓んだが、相当時間が経っているらしく、独特の黒と金の輝きは見て取れない。マアトの翅は金に輝き、悪に染まると黒光りする。身の毛がよだつ。自分を自分で抱き締めたところで、イザークが車を手放した。
「ほう、おまえは男が嫌いか。いいぞ、男は逞しくて、親友をも裏切る種族だ」
忍び笑いが聞こえ、ティティは声のした方向に視線を向けた。
「……ラムセス……っ!」
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