6……世界に用意された夫
「こっち来ないで! 放っておいてくれないなら、スカラベに封じちゃうから!」
ティティは上布にくるまって蓑虫になっていた。
裁きの前の暴風の中、既に険悪な暴風がハピの家に吹き荒れた。
「いいぜ、好きにしろよ。寂しくなったら俺の腕に潜り込め。裁きもそのうち怖くなくならァ。俺は床で寝るから構わない。おやすみ」
(信じられない! 床? 床って! 絶対、頼るものか!)
意地を張っていたが、深夜になると、暴風は遠慮なく家を軋ませた。
神殿と違って火がすぐに消える。マアト神の裁きの気配が近づいて来た。
神は邪悪と思しき生命を狩りに夜現れる。狂った月が悲鳴を上げ始めた。
ティティは蓑虫になったまま、背中を丸めた。嵐に晒されるなど、生まれて初めてだ。どの神さまを呼んでも、きっと世界に嫌がらせをするマアト神には適わない。
(うう、耐えられない! 神殿に戻りたいよ……っ! 小屋、潰れちゃうよ)
「ほら、意地張ってんじゃねえ。おまえは俺の妻(予定)だ。こっち、おいで」
眠さと恐怖で震えた腕を引き寄せられて、ティティは素直に床に足を下ろそうとした。が、イザークが気付いて起き上がる音。むっくりした上掛けの上に、重量感を感じ、ティティはもそっと顔を出した。イザークがティティを上から抱き締めている。すん、と鼻を啜った。
「やっぱり泣いてたな。ティティインカ、俺を信用しろ。――おまえが生きるために、世界に用意された夫(予定)だ。悪いようにはならんよ」
「そんなの、あいつが勝手に決めたんでしょ」
イザークは闇の中で、ティティの手を握った。裁きの赤い光が姿を浮かび上がらせる。分かる、微笑んでくれてる。同情はごめんだといいかけたところに、先手が来た。
「俺が一緒にいてやりたいと思った。……と言ったら?」
ティティはがばりと起き上がった。コブラ髪をふわんと揺らして、僅かに驚いた様子のイザークの手を握りしめ、矢継ぎ早に問うた。
「なら、一緒に父、母を探してくれる? それと、ラムセスの諱も、あと――」
「分かった、分かったから。一緒にいるし、ラムセスにゃ悪いが、俺は業突く張りで分からず屋の親友なんぞ、平気で裏切るタダの商人ですのでね」
(くすす)笑いの滲んだティティの濡れた頬に大きな手が添えられた。頬を撫でられる経験すら初めてのティティは大きく目を瞠った。
(男の人の手って、なんて心地良いの。お母様とは違う。なんだろう……わたしは、こんな感触は知らない。心まで届くような、こんな安定した安心感は知らない)
「いい子だ」きょと、と瞬きを繰り返していたが、ほんのりとした砂の匂いに瞼が重くなってくる。
出逢ったばかりだ。なのに、どうして安心なんか出来るの……。――ああ、駄目。裁きの雷が怖い。
(それより、これ、あったかい。うん、悪くな……い。でも一応、用心はしておこう)
ティティはむぐむぐと神への呪文を呟き始めた。
「……嘘を裁いてくれるのはネフティス神……呪文は……」
微睡む直前、唇を撫でられた気がする。瞬間、呪文も何もかもが真っ白になった。
「嘘を裁く? 鋭いな。ティティインカ。俺と貴女は――」
いつになく真剣な優しいイザークの声がティティを包む。しかし最後は微睡みの波に呑まれ、聞き取れなかった。
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