4……もうわたしは王女じゃない

***

「父と母を探すの。ついて来なくて結構。ひとりで、生きて行きますしっ」


 慣れ親しんだ神殿は、まるで異世界。裏切られた気さえする。すぐにイザークが追いかけて来た。早足になったが、追いつかれた。


「――ちょっと、ついて来ないでってば。結婚なんてしないから」

「マアトの裁きの夜の赤い突風の恐怖は一人じゃ耐えられないぜ」


「マアト神……」マアト神とは、アケトアテン王国含む、この世界の裁きの神だ。三柱神から外れ、悪の神と囁かれる金の鷲の神は一定周期で世界を裁く神雷を落とす。


 足を止めた。身元不確かな男の妻になるも嫌だが、マアト神の裁きはもっと嫌だ。


 ――ひとりぼっちはいや。ひとりで裁かれるなんて考えるだけで寂しすぎる。


「な? 一緒にいてやる」


 涙目にイザークの困惑した顔が見えた。赤い瞳はやはり獣の眼だ。いっそ甲虫石のように乾かして宝玉に固めれば、すごい呪術が使えるかも知れない。


「あんたもケッタイな兄を持って。あんなのが兄では苦労するだろ。俺にしておけよ。護るから。泣いてもいいんだぜ、ほら、腕を貸して……お?」


 広げた腕を横目で見て、ティティは勝ち気にスタスタ歩いた。黙ってついて来るイザークに気づき、しぶしぶ足を止めた。振り向かずに聞いた。


「ねえ、父と母が生きているって本当?」


 後で息を吐く気配。先程と同じ、ゆっくりとした刻みつけるような口調だ。


「本当だ。俺は騙しても嘘は言わん。信用するかどうかは別だが――」

 イザークが顔を顰め、外に視線を向けた。


「月が鳴いてんな……いや、泣いて、か」


 遠くに埋もれた球体が、悲鳴を上げる。マアト神の裁きの前触れの風の音。ティティはぐっと肩を強ばらせた。


「従いてってあげる。どうせ、どこも同じだもの。わたしが自決しないのはね」


 ティティは一度だけ神殿を振り返った。


「何としても、あんたの諱を見つけて、闇に葬るため! 覚えていらっしゃい! わたしには呪いを可能にする力があるのよ! 逆賊ラムセス! 兄なんて大嘘つき!」


 ハアハア。捨て台詞を思い切り大声で吐き出したところで、イザークに肩を叩かれた。大きい手を見詰める。呪術をかけようとしたティティを強く引き戻した……。


(考えたら、早計だわ。ネフティス神にとんだご迷惑をかけるところだった)


 ――しきり直し。ティティはスカラベを握りしめた。チャンスはきっとある。それまでに、ラムセス王の本当の名――諱を暴いて運命を変えてやる。


 イザークの視線。文句を言いたいのかと身構えた前で、イザークは、にっと笑った。


「さて、思う存分啖呵切って、気が済んだところで、行きましょうかね」


(この人、軽い。拍子抜けする……)


 神殿の外の差し掛かると、手車が見えた。いや、駱駝を括り付けて使うモノだが、駱駝が見当たらない。手車には、色取り取りの壺やら、絨毯やら、食べ物やらがわんさかと乗っていた。砂漠地帯を通ったのか、砂が降り積もっている。


「悪い。ごちゃごちゃしているが、急坂を歩くよりはいいだろう。来る途中に駱駝に逃げられたから、俺が引くしかないが」


 イザークは力一杯商品を足で蹴り退かすと、ティティの手を引いた。


 空いた場所に座り込むなり、ズズ、と車が動き始めた。


(楽なんだけど、こう、自分だけ優位にいる状況は苦手なのよね。借りは作らない)


 神殿は低い場所に建っている。象徴のオベリスクを建てるためだ。ハアハアゼイゼイのイザークが汗を滴らせて振り返った。


 ティティは神殿を超えた地点で、とうとう車から降りた。


「乗ってろよ」

「わたしも押す。見たところ、駱駝二頭でやっと引けるほどの重量よ」

「いや、王女にそれは頼んでいいものか、自問自答したくなるだろ」


 ティティはきっぱり告げた。


「もう王女じゃない。わたしは、お父様とお母様に会うの。どんな環境でも、生きなきゃならない。こんな、こんな……車くらい、押せないとっ! 何なの、この商品の数は! 業突く張り!」


「俺は有能な商人ですのでね。売り捌くには商品がなきゃ……ああ、くそ、重いな! せーのでいくぜ! ここを超えてしまえば、あとは楽なんだが! ラムセスに駱駝くらい貰えば良かった。今更遅いか。あのドケチ!」


「ご免だわ。何が兄よ。絶対、呪術かけてやるんだからっ! んん~っ」

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