初心者パティシエ!(俺はスーパーヒロイン!)

「こんな……こんなはずじゃなかったんだ……!」

 目の前に広がるのは、惨状としか言いようのない光景。その壮絶さに私は思わずがくりと膝をつく。こんなことになるなんて、思ってもみなかった。私は、ただ。

「アルマ殿……」

 側に立ったドライが、そっと目を伏せて静かに首を振る。外見が変わっても変わらなかった真っ直ぐな赤い瞳に滲む諦念に、私は悔しさから唇を噛み締めた。もう、どうしようもないというのか。こんな、こんなことで私は……私達は諦めなければならないのか。

 目の前の光景を睨みつけながら、ドライも私も全身をべたりとした飛沫で汚して呆然とする他なかった。

 どうしてこんなことになってしまったのか。発端は、数時間前に遡る。



「ケーキを作りたい? ドライがかい?」

 ある平日の昼下がり。ツバサの家でのんびりとワイドショーを眺めていたところにきた突然の申し出に、私はぱちくりと目を瞬かせる。言い出したのは、私よりも少し小さくなってしまったドライだ。私の方もこの世界に来て体が変化したときに身長が元より伸びたし、ドライは身長が高かったから未だに違和感がある。

 ドライは豊かな胸を張り、自信満々に私へと頷きを返す。

「そうだ。サクヤ殿とツバサ殿、ユマ殿には色々世話になっているであろう。我輩は三人に礼がしたいのだ」

 そういえば昨日ドライがサクヤの家から遊びにきて、ユアと一緒にお菓子作りの本を読んでいたなと思い出す。ケーキは元は粉なのか!?と、やけにはしゃいでいたから覚えている。なるほど、それでこんなことを言い出したのか。

 元は料理など全く関わらない生活を送っていたドライにとっては、レシピ本は新鮮だったのだろう。私もあの非常時に皆の手伝いとして厨房に入らせてもらえたので知っていたが、日常であれば私達王族は完成したものしか見る機会は無いのだ。あの時初めてユマによって粉からまるで魔法のようにサヌキができていく様を見て、こっそり感動したので気持ちはよくわかる。

「そこでだな! ユア殿から借りたこの書物で、ケーキを作ろうと思うのだ!」

 あの本をそのまま借りていたのか。キラキラとした瞳で可愛らしい絵で彩られた本を見せてくるドライに、私は思わず口元を緩めてしまう。お礼云々も少しはあるだろうが、ようするにドライは自分でケーキを作ってみたいのだろう。

「しかし我輩だけだとさすがに手に余りそうでな……アルマ殿に助力を頼みたいのだ」

「構わないよ。だが、なんで私なんだい? ドライと同じように私も料理をしたことがないから、役には立たないと思うけど」

 ケーキ作りには私も心惹かれていたので、断る理由もない。だが、もう少し頼れるような人間が手伝った方がいいのではないか。そう思って苦笑を返した私に、ドライは難しげな顔をして重々しく頷く。

「確かにそうだとは思うのだが……ツバサ殿やサクヤ殿、ユア殿は学校に行っておるし、セカイ殿は神出鬼没、ユマ殿はツバサ殿の母君と買い物であろう。サクヤ殿のご家族もおらんし」

「つまり消去法、と」

 言われてみれば頼れるような者は皆出払っていた。リリとセツは確かナグモにこっそりついて学校に行っているはずだし、確かに選択肢は私しか無いようだ。待っていれば誰かしら帰ってくるはずだが、思いついたら即座に実行したくてたまらなくなったのだろう。

「そ、それも確かにあるが! 我輩一人でやるよりも、絶対にアルマ殿がいた方が心強いだろうと思ってだな!」

 仕方なく選んだ訳ではないと天辺のくせ毛をみょいんみょいんと動かしながら、ドライは必死になって訴える。その様子に、私は少しおかしくなって、くすりと笑みを零した。

 ちょうどワイドショーの終わったテレビを消して、よいしょと立ち上がる。

「それじゃ、がんばってケーキを作ろうか」

「ああ! 共にがんばろうではないか! 目指すは美味しいケーキだー!」

 私の言葉にぱっと表情を輝かせたドライが、右手の拳を上げて宣言する。そんなドライの様子を微笑ましく思いながら、私も初めての体験へと胸を高鳴らせていたのだ。



 それが、まさかこんな事態になるなんて。

「何がどうしてこうなったのだ……目の前で焼く前の生地が爆発したぞ……」

「わからない……私達には何もわからないよドライ……」

 開始から三時間。あちこちに粉をこぼしたり、卵を割ろうとして殻ごと粉砕してしまったり、混ぜる段階で牛乳の分量を間違えて粘土のようになってしまったり、砂糖を入れ忘れていたりと様々な苦難を乗り越えて焼くところまでようやくたどり着いた私達だったが、何故か突然その生地が爆発したのだ。おかげで台所はべちゃべちゃ、爆心地にいた私達も当然べちゃべちゃである。

 サクヤの家であるし即座に片付けなくてはいけないのはわかっているのだが、ここまでの苦労と期待感が粉々になってしまった喪失感が凄まじくてへたりこんだ体が動かせない。隣で虚ろな顔をしているドライも同じ気持ちなのだろう。

 絶望。その言葉が私達を支配しようとしていたその時。

「サクヤくーん? ユマくーん? 誰かいないのー?」

「あそびにきてあげた」

「むかえもないの」

 ガチャリと玄関が開く音がして、続いてナグモとリリとセツの声が飛び込んできた。少しして台所へとそろそろと顔を出したナグモは私達を見て、ぎょっとしたような顔をする。

「な、何よこれ……」

「だいさんじ」

「これはひさん」

 続いてひょこひょこと顔を出した双子はいつもの無表情のまま、他人事のように零した。その姿を認めて、ぼろりとドライの瞳から大粒の涙が溢れる。

「り、りりどのお〜せつどのお〜っ‼」

「よしよし」

「ドライなきむし」

 声を上げて泣き出したドライを、リリとセツの二人が少し面倒そうに宥める。少年二人に慰められる成人女性という図は少しちぐはぐだが、泣き出したくなるドライの気持ちもよくわかる。

「それで、その……これはどうしたんですか、アルマさん」

 賑やかな三人を横目に、ナグモはおずおずと私へと問う。負い目なのか、私が『お姫様』だからなのか、それともその両方なのか。ナグモは少し私に遠慮がちだ。別に普通に接してくれて構わないのだけれど。

 そう思いながら、私は簡潔に事の次第を説明することにする。

「実はツバサとサクヤとユマにケーキを作ろうとしていて……そうしたら生地が爆発して、こんなことに」

「ばく……⁉ え、えっと、焼こうとしてって事ですか?」

「いや、オーブンに入れる前に爆発した」

「なんで⁉ 何があったんですか⁉」

 驚愕するナグモの様子から見るに、どうやらあまりないことのようだ。なんでと言われても本当に何が原因かさっぱりである。一体私達は何をしてしまったんだ……多少手間取りはしたが、おそらくそこまで手順書から外れたことはしていないはずなのだが。

「ううん……何が原因なんでしょうね……爆発なんて、よほどでないと起きないと思うんですが……」

 ナグモと一緒に悩みながらちらりと生地が入っていたボウルを覗いてみれば、何故かそこには光る靄のような物が浮いていた。爆発の余韻か何かだろうか……再び爆発したら怖いのであまり近寄りたくはない。

 と、そこへ新たな人物がひょこりと台所へと顔を出した。セカイである。いつの間にこの家に来ていたのだろう。神出鬼没なところのあるこの子供は、未だに謎の存在である。

 一見、綺麗な子供にしか見えないが、サクヤとツバサが言うには私達が住んでいる世界の化身らしい。私達をこちらの世界に連れてきた所から、それは間違いないのだろうなと思うのだが飄々としていて、どうにも掴みどころがないのだ。

「あらまあ、皆さんお揃いでー」

 この惨状が目に入っていないのか。そんなのんきなことを言いながら、セカイはきょろきょろとあたりを見渡しこてんと首をかしげる。

「ねー、みんな。このへんに置いておいた僕のインスタントビッグバン知りません? あれ無いと『月刊仮想世界創生』が完成しないんですよね……卵の形してるんですけどー」

「卵、ってもしかして……」

 私の視線が、つい先程卵を入れたボウルへと移る。そういえば卵はどちらが冷蔵庫から出したのだったか。よく考えてみればその記憶が思い当たらない。手元にあった卵を二人で割った記憶がフラッシュバックする。まさか、そんな。思考が止まった直後、ナグモの絶叫が台所へと響き渡った。

「原因がディア○スティーニー‼ なによ月刊って! お気軽に創生してんじゃないわよ!」

「さすがにレプリカですよー。大抵最後までセット揃えられなくて挫折してたんですけど、今回揃いそうで……って、おー」

 ナグモの怒りも何のその。のんびりと応えながらボウルを覗き込んだセカイは、感嘆の声を上げる。つられて私も覗き込んで見れば、その靄の中に広がっているのはまさにこの間テレビで見た宇宙というもののようだった。

 ちかちかとあちこちに小さな光が瞬き、丸い石のようなものがくるくると回ったり、塵が集まって輪を作っていたり。箱庭の中のその世界は見ているだけで楽しい。

「おっかしいですねー? インスタントビッグバンだけでは世界は作れないはず……大地の素とか水とか……他にもいくつかあるんですが……」

 不思議そうに首を傾げるセカイに、ようやく泣き止んだドライがぽつりと声を上げる。

「小麦粉の大地に牛乳の水分……?」

「あまいせかい?」

「ケーキはせかいとおなじ?」

 そんな馬鹿な。続く双子の言葉にそうは思うものの、目の前にあるのはたしかにケーキの材料でできてしまった新世界である。何ということだろう。ケーキを作ろうとして世界を作るなんてそんな事があっていいのだろうか。

「えー! それなら創刊号のインスタントビッグバンだけあればよかったことになるじゃないですか! 一生懸命にあつめてきたのにそんなのってないですよー!」

「確かにあれって、最後まで集めるの大変なのよね……」

 セカイの嘆きに、ナグモがしみじみと頷きを返す。よくわからないが、そんなにあれ大変だったのか……たまにCMで見かけるロボットとやらを作るやつがちょっと欲しかったのだが。

 セカイはしばらく悔しそうに地団駄を踏んでいたが、やがて諦めたように大きくため息を吐いてひょいと世界の入ったボウルを持ち上げた。

「うー……あー……まあ、できたならいいです……全然納得できませんけど……これ、もらっていきますね」

「構わないけれど……どうするんだい、それ?」

「創成期から滅亡までを眺めて楽しみますー。手入れをきちんとしていれば一ヶ月くらい持つんですよ。まあ、よく手入れうっかり忘れて一週間で滅亡させちゃったりするんですけど」

 けろりと返された言葉に、この子供が自分達の世界の化身であることが妙に不安になってしまった。さすがに自分自身の管理とこのインスタントでは扱いが違うだろうが……違わなければうっかりで殺されてしまう……そんな滅亡理由は嫌だ……。

 思わず黙り込む私をよそに、今の話が聞こえていなかったドライが涙目でセカイの袖をくいくいと引く。

「なあ、それはくれてやるからケーキ……我輩はケーキが作りたかったのだ……」

「ケーキ? ああ、そういうことだったんですね」

 頭のくせ毛を萎れさせてのドライの訴えに、初めて周囲の惨状に気がついたようにセカイが辺りを見渡す。材料は四散、それどころか掃除するだけで大変な手間になるであろう現場に、セカイは少し考え込んで、それから無造作に指を一振りした。

「えい」

 そんな気の抜けた一言と同時に、あちこちにこびりつき散らばっていた生地がぱらぱらと空中に浮かび上がってやがて一纏りになる。超常的な光景を皆でぽかんと見つめていると、元々生地をこれから流し込もうとしていた焼き型へとそれは緩やかに降り立ち、そして綺麗に型へとおさまった。

「はい、これであとは焼くだけです。それじゃ僕はこれで」

 そんな言葉にはっとして我に帰れば、すでにセカイは台所から出ていくところだ。礼を言う暇もない。セカイにとって、これはもしかしたら何でもないことだったのかもしれない。改めて、自分達とは違う存在なのだと思い知らされたような気分だ。

 なんとも言えない空気の中ぽかんとしたまま立ち尽くす私達だったが、やがて気まずそうにこほんと小さくナグモが咳払いを零す。

「ええっとその……それじゃ、ケーキ作りましょうか……」



「たっだいまー! 翼とー、帰りにばったり会ったユマちゃん連れて帰宅したよー!」

「おじゃましまーす。お、南雲とリリとセツきてたのか」

「戻りましたっす、アルマ様。ドライ様もこちらにきてたんすね」

「おかえり、みんな。実はケーキを私達で作ったんだ。食べてくれないか?」

「私とリリとセツは最後のお手伝いくらいしかしてないわ。ほとんど、アルマさんとドライで作ったのよ」

「リリ、なまクリームぬった」

「セツ、いちごのっけた」

「おーすごいね! 初めてでしょ? 大変じゃなかった?」

「途中でケーキじゃなくて新世界を作ってしまったが、ちゃんと完成したぞ! 頑張ったのだ!」

「は? なんて?」

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