第60話60

 2月30日。僕は朝、はっと目が覚めた。見ると時刻は7時だ。今日の取材は3時にあるから、十分間に合うけど、それでも目が覚めてしまった。

 僕は新たに寝直す気はないので、そのまま、居間に向かって降りていった。

『おはよう、一樹くん』

「おはようございます、康子さん、和也さん」

 僕は二人に挨拶(あいさつ)をして、朝食を食べる。朝食と行ってもトースターだが、それを焼いて、マーガリンをつけて食べる。それを食べながらコーヒーを飲むと、マーガリンの酸味とコーヒーの苦みが融合することがなく、舌の上で戦いあった。

 まずいな。

 そう僕は思いつつもトースターを全部食べた。

「ごちそうさま」

「はい、ごちそうさま」

 康子さんにそう行って、僕は薬を撮って、半裸になる。そして、保湿剤を体に全部に塗って、痒いところに痒み系の薬を塗る。

 そうして、全部塗ると服を着て、歯磨きをする。放出される水に歯磨きを濡らして、歯磨き粉をつける。その淡黄色の天窓のなかで僕は歯磨きをする。

「失礼するよ、一樹くん」

 僕は和也さんを入れるために体を移動させる。そして、一緒に歯磨きをした。ブラッシングの道路を無機的に移動する。そして、僕は歯磨きを終わって、楠をゆすぎ、吐きだして、歯磨きを終了した。

 そのまま、居間に戻って、僕は何をしようかと考えた。しかし、なにも思いつかなかった。時間はまだ十分にある、仕方ないので僕はウォークマンを取って、最近入れたセンターオブライフと電翔の曲でも聴いていながら時間をつぶすことにした。

 貞さんは記者にどう言うのだろう?僕はそのことを思った。貞さんは何を言うつもりなのか?

 想像がつかなかった。多分波田(はた)さんが死んで、殺されてしまった苦しみを語り出すと思うのだが、やはり、想像がつかなかった。

 朝の晴れ渡った、光のカーテンのなか、僕はそのまま、センターオブライフの感情が噴出する荒々しい曲を聴きながらじっと、時間をつぶしていた。




 午前2時半。僕は今貞さんの家に来た。取材は3時だけど、早めに来たのだ。もう、落ち着かなくなって、ここに来たのだ。

 そして、僕はチャイムを鳴らして多佳子さんを呼んだ。多佳子さんはいつものようににこりともせずに僕を居間に通した。

「笹原君、ようこそ来てくれたな」

 なかには貞さんがいた。僕はその貞さんに挨拶(あいさつ)をして、座った。貞さんは平常を装うように見えたけど、幾分、緊張しているのが見て取れた。そして、貞さんが僕を気遣うように声をかける。

「今日は大丈夫かな?緊張はしていないかな?」

「はい。緊張はしていますけど、ちゃんと答えられると思います」

 僕がそういうと、貞さんは、そうか、と言って黙った。それは空を飛び回った小鳥が木の上で休んでいるような沈黙だった。

 時間が過ぎた。あと、20分ぐらいで取材はあるけど、やけにその20分は長かった。僕の心の中にはもう、早く来て欲しいという思いでいっぱいだった。

「長いな、一樹くん」

「はい。貞さん」

 そう、僕たちは行って黙った。あと3分、もう緊張の限界だ。

 そのとき、家のチャイムが鳴った。そして、多佳子さんが扉を開く音ともに何人かの人の気配がする。

「来たな、笹原君」

「はい、来ましたね」

 そう僕たちが肯いた。そして、どたどたと音がして、何人かの人たちが居間に入ってきた。

「失礼します」

 入ってきたのは3人の男達だった。その男たちは眼鏡をかけたやせている男たちだったが、その気配はバニラエッセンスのようにほのかな優しさが香っていた。その男たちは放送のための機材を持って、僕達の前にやってきた。僕たちは立ち上がって彼らに会釈をする。そうすると、彼らも恐縮したように会釈をした。

 僕たちが座っているのは居間のテレビ側のほうの席に座っていて、彼らのために特別に席を玄関方面に用意してあるのだ。その席にマイクを持った男が座った。

「田沢です。よろしく」

 そう、名刺を差し出して、田沢という男が挨拶(あいさつ)をした。僕たちも名前を名乗る。

「笹原です。今日はよろしくお願いします」

「波田(はた)貞です。今日は遠いところからお越しいただいてありがとうございます。あちらが、妻の多佳子です」

 多佳子さんも会釈をした。

 田沢は多佳子さんに会釈をして、席に座った。席に座った田沢はどこかいうのをためらっていたが、やがてこう切り出した。

「それでは、これから取材に移りたいと思いますけど、それでいいでしょうか?」

 それに僕たちが肯いた。

「じゃあ、取材に移らせていただきます。まず、事件の最初から聞かせてください。最初に波田(はた)さんがいじめられたとき、クラスメートの笹原君がそれを目撃したのですね?それはどんなことでしたか?」

 これは何度も聞かされた質問で、もう、この質問を聞くたびに、今まで言ったことの記憶が現れたのだが、しかし、僕はそれを抑えて、できるだけ初めて言うように最初のいじめられた時を丹念(たんねん)に追いながら話した。

「最初のいじめられたきっかけは波田(はた)さんが村田の教科書を踏んづけたことが原因で波田(はた)さんがいじめられました。それは本当にいつもの日常の時に起きました。村田が教科書を落として、波田(はた)さんがそれを偶然踏んづけたのです。


 波田(はた)さんは謝っていました。村田もそのときは運がないことを愚痴りながら教科書を拾いました。本当にそのときはこんな事が、いじめが起きると言うことは僕は予想だにしませんでした」

 僕がそう、ハッキリと言った。田沢は肯いた。そのとき、多佳子さんが礼をして田沢達にお茶を出した。

「なるほど、そういうことでしたか。今まで言った事実となにも変わりませんね?笹原さん」

「はい」

 そして、次の質問に移る。

「それで笹原君。波田(はた)さんが最初にいじめられた時を聞かせてください」

 それに僕が考える。最初にいじめられたときは。

「最初にいじめられたと言う事実に気づいたのは、ある日波田(はた)さんが教科書を忘れたとき、クラスで伝言レターが送られて、そのときに波田(はた)さんがいじめられたことに気づきました」

 僕がそういったら、田沢はふんふんと肯いた。

「それを最初に見たとき、あなたはどう思いましたか?」

「それはいじめを見たときは、ああこの学校でもいじめが起きたか、と思いました。あと、自分がいじめられないように、と思いました」

 田沢は肯きながら、僕にマイクを向けた。カメラマンも微動だにしないままに僕を取った。

 その瞬間、僕は梅雨の日の石の上の苔(こけ)のように感じた。

「じゃあ、次に行きますけど、波田(はた)さんには具体的にどんないじめがありましたか?」

 僕はこれから飛び立とうとする鳥のように、大きく息を吸った。

「これは何度も言っていることですが、最初に波田(はた)さんの本格的ないじめを見たのは、体育の授業の時自習になったときに、僕は自習とかしていたのですが、偶然体育館を通りかかったとき、うん、確かあの時は機材を片付けるために通りかかったときに物音がして、体育館裏に言ったときのことです。


 そこで、波田(はた)さんのいじめを目撃しました。波田(はた)さんは男子に羽交い締めされて、男子からドロップキックを食らわされてました。それを見ていた村田と金田がゲラゲラ笑っていました。そして、波田(はた)さんはドロップキックを食らって吐きました。村田達はそれを見て汚い、とも言ったのです。僕はそれを見て怖くなって逃げました。それが本格的ないじめを見た最初の時でした」

 ふんふん、と田沢は肯いた。

「なるほど、それが最初に本格的ないじめだったのですね。ほかにも何かありますか?」

「ほかには7月の時のことですね。波田(はた)さんががりがりにやせていて登校したときのことですが、そのとき以前は波田(はた)さんのことをデブと言っていじめていたのですが、がりがりにやせたら今度は骸骨(がいこつ)だと言って小突いていたのです。波田(はた)さんまるで暗黒の闇に落ちたようになにも表情を変えませんでした」

 ふんふんと田沢は肯いていた。そして、貞さんにマイクを向けた。

「貞さん。あなたはお子さんの体重の激減についてどう考えましたか?」

 貞さんは山の沈黙のように口を重く動かした。

「あの時は私たちも驚きました。いきなりすごく体重が激変したのでどうしたのだろう、と思いました。こういうことは妻と話したのでしたが、年頃に娘だし、ダイエットかと思って、私たちは見守ること事にしました。


 しかし、あの時にいじめでないにしてもあそこまで急激なダイエットは体に危険だし、あれほどのダイエットをするほどの決意はおそらく相当な理由だと思いますから、ダイエットにしてもちゃんと聞いておけばよかった、と思います。


 とても、あの時の体重の激減は異常だと言うことは誰でもわかることでしたから。私はそんな娘が発した誰にでもわかるメッセージに気づかないことに深く自分を責めています。あんな体重の激減が起きたら、いじめであれ、なんであれ学校は休ませるべきだったと思います」

 貞さんは吐く一つ一つの言葉を静かに僕たちの心をわしづかみにして、心の殻がひびが入るような声で言った。

「そうですか。笹原さん。それ以後、どんないじめを見ましたか?」

「いえ、それ以後、目立ったいじめは見ておりません。だけど、僕が見てないだけどもっと多くのいじめがあったでしょう。そして、僕は夏休みには入って、次に波田(はた)さんのことを知ったのは波田(はた)さんが自殺したときでした」

 僕はそういったら、田沢はうんと肯いた。引っ越しの運送業者が家にポンと荷物を置いたような肯き方だった。そして、貞さんの方を向いてマイクを向けた。

「それで、貞さん。あなたは波田(はた)さんが夏休みに入ってから、いや、いじめを受けていたときの波田(はた)さんの様子で何かあったら教えて下さい」

 貞さんは巨大な石を背負わされたようにどすっと、暗くなりながらもこう話した。

「貴理子がいじめを受けていたときには本当に表情が暗くなっていました。私たちはそれを見ながら、この子はどうしたんだろう?と思いました。


 でも、私たちは見守ることにしました。今、考えれば私たちは貴理子と深く関わろうとしたことを避けようとしていたのかも知れない。深い、心からの本音の話しは私が傷つくことがあるかも知れないのですから。


 だから、私はその自分の怯懦(きょうだ)の心を憎んでいます。あの時、声をかけていたら悲劇は防げていたのかも知れない。と、いつも思考が空回りするほど、悔やんでいます」

 そう、貞さんは言った。田沢さんも貞さんの言葉の水が浸透したようにうんと肯いていた。

「夏休みに入ってから、ますます表情が暗くなってきたと思います。そして、部屋をうろうろしたり落ち着きがなくなっていました。勉強もしていないようですし、私たちは本当に心配しましたが、やはり声をかけることはできませんでした。本当にあんなに貴理子がおかしくなっているのになぜ話せなかったのか、といつも思っています。そして、あの日が来たのです」

 それにみんなが黙った。朝の誰もいない戦場のような張り詰めた静寂さに満たされていた。

「それはお子さんの自殺ですか?」

 田沢さんがそう言った。それに貞さんは重々しく肯いた。

「あの時は真夏でした。気温が熱くて、このまま暑さが続くなら倒れるんじゃないのか、と思うほどの熱さでした。


 家で朝食を食べるときに貴理子がいつまでたっても降りてこないのはおかしいな、と思って多佳子が貴理子の部屋に行きました。


 そのとき、そのとき多佳子の叫び声が聞こえて、急いで2階に駆け上がりました。そうしたら、ベッドのシートのひもで貴理子が首をつっていたのです。私たちは真っ暗になるほど驚きました。私は最初に見たときはこの事が現実でないように思えたのです。


 それで、多佳子に救急車を呼んで、と言われたときにようやく気づいて、私は救急車を呼んで、貴理子を病院に運びました。その間、私たちが何をしていたのか記憶にありません。おそらく、救急車に乗っていたのだろうと思いますが、記憶になくて、気づけば医者から貴理子さんが死んだと言うことを聞かされました。


 そのとき私は真っ白な球体の上を立っているような感じでウソだ、と思いました。これは本当に夢だと思ったのです。それほど、私たちは現実味のない話しでした。これが貴理子が死んだ当初の感情です。深い悲しみと怒りを覚えるのはもう少し経ってからのことでした」

 貞さんの言葉にみんなが黙った。貞さんの深い慟哭(どうこく)を帯びた、困惑の渦に誰も答えることができなかったのだ。そして、まだ、貞さんは話を続ける。

「あの時の思いはこれはウソであって欲しい、という思いでした。そういう呆然(ぼうぜん)とした気持ちを抱えたまま、しかし、感情がどんどん変化をしていきました。段々と貴理子が死んだこと認める悲しみと、そして『犯人』に対する強烈な怒りがわいてきました。


 あんなに苦しんだ、あれほど体重が激変していた貴理子はいじめが原因で死んだのではないか?私たちはそう思って学校側に再三貴理子のことで調査して欲しいと頼みました。だが、学校側は私たちに頭を下げるけど、いじめのことについては『あり得ません』と調査もしてくれませんでした。


 そんななか秋が過ぎ、冬が来て、笹原君がやってきました。彼のおかげで事件の真実が知る事ができました。事件の真相は私たちの心をえぐることもあったけど、とにかく貴理子のことを少しでも知ることができてよかった、と私たちは思っています。だから、彼には私たちは頭が上がりません。


 そして、彼の提案でいじめのことをマスコミに知らせることをして、今現在、あなた方が来てくれたのです。貴理子の事件を報道して下さって、私は感謝に堪えません(たえません)


 。そして、事件が知れ渡った今、私の心は悲願(ひがん)を達成したという思いと、もう、あの子は戻ってこないのだな、と言う思いがあります。変な言い方ですが、こうやってテレビや新聞で貴理子が死んだと書かれると本当に貴理子は死んだんだなという実感がわいてきます。今、思っていることはそういうことです」

 その言葉に誰もが黙った。厳寒地のある冬の湖のような、あまりの厳しさと、そして厳しさの果てにある清澄(せいちょう)な趣に誰もが貞さんに声をかけることができなかったのだ。

「あ、あの。ところで笹原君はどうして、事件のことを貞さん達に知らせようと思ったのですか?よければ、そのあたりの事情も聞かせてください」

 田沢さんは突然、僕に話を振ってきた。田沢さんはおそらく、貞さんの話に圧倒されて、それでぼくに話を振ったのだろう。だから、僕も田沢さんの事を思って、質問に答えることにした。

「なぜ、僕が事件のことをばらしたかというと、その前に話しておくべき事があります。僕には一人の友人がいました。その友人は去年の3月に知り合って、交友関係を始めました。彼女との友情の関係は僕にとって楽しかった。


 しかし、9月に入ってその友情にひびが入ります。彼女が波田(はた)さんに対してさがない噂(うわさ)話をしていたことが友情が壊れる原因です。その後12月のある日、家のインターフォンが鳴りました。見ると友人がいて仲直りをしたいというのです。そして、彼女はまた新たな友情の印にCDを僕に貸してくれました。


 そのとき、僕は気づきました。波田(はた)さんはもうなにも新たに友人が作れないし、仲直りもできない。なにもなくてただ死んでいるのだと。その確信が脳髄(のうずい)にしみ通ったときに、そのときに僕は貞さんに事件の全容を話すことを決めました」


 そう、僕は田沢さんのほうを見ていった。田沢さんは言葉という音楽が鳴り響かないミュージシャンのようにひっそりと黙っていた。

 田沢さんは深いため息をした。それは大樹が光合成を行うような深い呼吸だった。

 多分、田沢さんは何も言えないのだ。

「では、貞さん。最後に一言。この事件のことがよに広く知れ渡って、どんな気持ちかを一言お願いします」

 貞さんは唸った。それは山の神が深い呼吸をするようなうなりだった。

「私がこの事件のことを知れ渡って、どう思うかというと。一番目は貴理子の死を自覚できたことです。そして、それ以外にありません。


 できることなら『犯人』に復讐(ふくしゅう)したい。貴理子と同じ目に遭わせてやりたいのですが、それもかないません。いじめと言うだけで『犯人』を罰することができないなんて、私は今、そのことに対する、大変な不条理を感じています。


 だけど、事件のことがうやむやにされてしまいそうなときに比べたら、今はまだいい方です。この事には本当に笹原君に感謝しています。貴理子がどうして死んだのかという一端を知れてあの子の気持ちを少しでも知れてよかったと思っています。でも、いくら事件の真相が知れたからと言って、あの子は戻ってきません。


 私たちはそのことを実感するだけでつらい。あの子が帰ってこないだと思うだけで体の全身の血が抜けるように強い喪失感(そうしつかん)に襲われてしまいます。私たちの願いはただ一つ。あの子を返してください、と言うことです。今、思っているのはそのことだけです」

 貞さんは抑揚にされた声を、力を入れてそう話した。僕たちは貞さんの喪失感(そうしつかん)に圧倒されて、その場を動けなかった。

 そして、数分が過ぎ、はっ、とした様子で田沢さんが取材の終了を言って、僕と貞さんにお礼を言って帰って行った。これを放送するにはあと1,2ヶ月ぐらいかかるらしい、また、できたら編集されたものを見て欲しい、とのことを言って、帰って行った。

 僕も貞さん達に別れの挨拶(あいさつ)をした。貞さん達は僕に大変な感謝をしていた。僕はなぜかそういう感謝をされると背筋に虫が走るような居心地の悪さを感じるのだ。あまり人に感謝されたことはないので。

 そして、僕は外を出た。そうすると外に白い雪が舞っていた。昼なので積もることがない雪。地面に落ちては消えゆく雪に僕は鎮魂の祈りを思った。

 終章 ヒカリノヤイバ




 今日、最後の授業。その予鈴が鳴り、成田先生が僕たちのほうへ振り返り言った。

「じゃあ、これで授業を終わります。みんな、帰りには気をつけて帰るように」

 そのあとに宿直の二人が言う。

「起立」

 ざざっと、波が立つように一斉に立つ僕ら。

「礼」

 そして、僕らは礼をして、授業は終わった。あとは思い、思いのまま僕らは行動していく。

 そして、僕も教科書を詰めて帰り支度をしていた。そうしたら、シャリリン、と携帯の音が鳴った。確実にメールだ。僕はそれを開く。

 携帯は美春からだった。何々、下駄箱のところで集合、遅れないように、か。

 僕はキャサリンの方を向く。キャサリンは僕に目を合わせて肯いた。どうやら、キャサリンもメールを受け取っていたようだ。僕はカバンに教科書を詰め込んで、キャサリンのほうへ行った。

「キャサリン」

「ええ。一樹。下駄箱に行きましょう。美春が待っているわ」

「そうだな」

 そうして、僕たちは下駄箱に向かって歩き出した。廊下は冬の曇天(どんてん)のなかカビのような暗さがあった。

 今日は今にも降りそうなほど、黒い雲だな。降らなければいいんだけど。

 今日は3月8日月曜日。今日は久しぶりの村田の家にダメ元で話しかけようと思う。

 さっきクラスメートに村田の住所を尋ねたのでそれはわかった。あとはいってみるだけだ。多分拒否されると思うけど、しかし、今はこれくらいしかできない。

 そんなことを考えながら、下駄箱に行くと美春と光がもう待っていた。僕はその二人に挨拶(あいさつ)をする。

「光、美春。待った?」

「ううん、今来たところだよ。それよりさ!」

 美春は首を横に振ったあと、突然、鯨(くじら)が水を出したような勢いで言った。

「それより、今からみんなでカラオケに行かない?!最近、行ってなかったら久しぶりにやるカラオケは絶対楽しいと思うんだ!だから、みんなで行かない?!ねえ、ねえ、カラオケに行こうよう〜、みんな」

 そう、美春は言った。カラオケね。

 確かにここ最近はたさんの事件にかかりっきりで、そんなカラオケなぞには行ってなかった。確かに最近のリフレッシュにはいいかもしれない。

「私は構わないわ。確かに、最近行ってなかったしね」

「俺も構わないぞ。確かに今は歌いたい気分だしな」

 そうキャサリンと美春は言った。みんなももう遊びたいのだ。

「ねえ!それで一樹は!!?」

 そう、顔に満開の笑顔を咲かせて美春は聞いてきた。

「ごめん。僕はいけない。これから行かなくてはならないところがあるんだ」

 僕がそういったら、美春の花はしおれてしまった。

「ごめん美春、僕は行くよ。じゃあ、この埋め合わせはいつかするから、さよなら」

 それに美春も一拍遅れて別れを言う。

「あ、うん。さよなら」

 その美春の声を聞きながら僕はかけだした。村田の家に行くために、そして、罪を償わせるために、僕はかけだした。




 宗堂のコミュニティハウスを左に曲がり、久佐鑑定事務所を右に曲がって、千種小学生との通行路を進む。そして千種小学校の前の小山を裏手に回り自動車が通行する道路をしばらく進み、田園風景の真ん中に村田の住む家がある。

 僕は夕暮れの朱に染まった田園光景を走って、村田の家に行った。

 村田の家は波田(はた)さん家にとてもよく似ていた。当初は白塗りの一軒家がくすんだ灰色になっているとことが本当に似ていたのだ。無機質な家の雰囲気もよく似ている。団地か田んぼのなかという違いはあれ、その家らは不気味なほどにていたのだ。その村田の家に僕は自転車を置いて、インターフォンを鳴らす。今ではすっかり記者もいなくなったようだ。

 さて、どうしようか。最初に謝る言葉は何て言おうか。ごめん、ちょっと言い過ぎた、か?でも、けんか中のカップルじゃあ、あるまいしなんかおかしくないか?前の時はちょっと波田(はた)さんの家に行っていて、ちょっと精神が不安定だった。これからはもっと冷静になる代わりに、君も少し自分の身を振り返って欲しい、か?これがベストだな。うん、これにしよう。

 そう思いながら僕は村田が出てくるのを待っていたが、いくら待っても村田は出てこなかった。僕は不審に思って、もう一回インターフォンを押してみた。

 これは出かけているのかな?最近は記者も少なくなってきたし、気分転換に出かけている可能性もあり得るな。

 そう、思って僕は帰ろうと思ったら、ちょっと目が扉のほうに吸い込まれた。黒塗りの扉。なぜかその黒塗りの扉に目が吸い込まれていったのだ。

 僕はなぜかその扉に触ってみた。ひんやりとした扉の冷気を感じた。

 なぜだ?なぜ、扉に触る?

 そう思いながら、しかし体が勝手に動くように僕はそっと扉を引いた。

 がちゃ。

 驚くことに扉は開いた。鍵がかかっていなかったのだ。

「すみませーん!!誰か、いませんかー!!鍵がかかっていませんけどー!!」

 僕は鍵がかかってないことを知らせようとしたが誰も出てこなかった。僕は、この場から去るべきだと、頭が警報を出していたが、ふらふらと家に入っていた。

 玄関を入り、玄関のすぐにある階段を上がっていた。

 僕は何をしている?なぜ、上がっている?

 だが、僕は吸い込まれるようにふらふらと2階を上り、正面の扉を左折して、左奥の扉にたどり着いた。そこにはこう書かれてあった。

 村田里子。

 僕の手はそのドアに手をかけた。

 開けてはいけない。

 そんな警報が頭にハッキリとした声で聞こえた。

 開けてはいけない。開けては、それを開けてはもう戻れない。

 だが、僕は感情が開けてはいけないという湯気を出す一方、頭の天上にある冷静な部分は開けて確かめろ、と言う声が聞こえた。

 だから、僕は覚悟を決めて、開けた。そこには。

 部屋の真ん中に木が伸びていた。しばらくして、それが人であると言うことに気づいた。首をつっている少女の姿と言うことに。僕はゆらゆらと揺れている彼女の姿をぺたんと地べたに座って、見ることしかできなかった。




 村田が自殺をして、一週間が過ぎた。僕はあのあと、しばらく立って警察に電話をして村田の死を知らせた。村田をベッドのシーツを使ってペンダントライトに巻き付け、自殺をしたのだ。

「まさか、こんな事になるとはな」

 そう光は悼むような口調で言った。

「確かに彼女は悪いことをしたけど、自殺をするほど気をやんでいたとは。冥福(めいふく)を祈らせてくれ」

 そう光は言った。僕も同じ気持ちだ光。村田は悪と呼ばれることをしたけど、自殺はすべきではなかった。これでは本当に事件の究明(きゅうめい)ができないではないか。彼女は全てを話す義務があったんだ。だから、死んではいけなかったんだ。

「残念だったね、一樹」

 美春はそう言った。

「私さ、実は一樹と村田ができているんじゃないかと思っていたんだ。だって、あんなに一樹は真剣に彼女に尽くしていたわけだし。だからさ、今回のことで一樹ショックが大きいんじゃないかと思って心配だったよ」

 美春。それは誤解というものだ。僕と彼女は全くそんな関係はない。

「そっか。まあ、そういえばそうだよね。そんなわけないよね。でも、一樹、村田との関係にどこか安心している風に見えたよ。だから、ショックが大きいんじゃないの?実際に一樹、落ち込んでいる風に見えるよ」

 美春。それは貞さん達に事件の真相を言わせることができなかったのが、心苦しいだけだ。

「一樹、これで事件は終わったわね」

 ああ、そうだな、キャサリン。

「まあ、私には関係がない話だったわ。一樹もこれで終わったんだから、次のことを考えた方がいいわよ」

 そう次の事なんて考えられない。ずっと、村田には貞さん達に謝らせると言うことしか考えていなかったしな。次なんてほんと考えられない。

 僕がそう言うと、キャサリンは目を細めてふ〜ん、と言った。

「まあ、次の年は受験だし早く立ち直った方がいいわよ。こんな事で足を引きずったら、仕方ないしね」

 そう行って僕に肩を叩いて、キャサリンは去っていた。その瞬間、僕は心の中に石油が燃えたような暗い怒りを覚えた。

 こんなのを忘れた方がいいと?忘れるわけがない。忘れられない。この事を忘れて先に進めるわけがない。

「だから、言わんことではない!だから、俺はこの事に話すのは反対だったんだ!村田も死んで、たくさんの生徒を傷つけた責任をどう、取ってくれるんだ。笹原!」

そう、僕に向かって成田先生は怒鳴った。

 どう、取ってもらうと言われても、例えどんな犠牲が出てもこの事は公表すべきだと僕は思います。波田(はた)さんの両親に真実を伝えないことは誰が見ても不当なことだと思いますから。

 僕は成田先生にそういったら、しかし、成田先生は目を充血させ、頬を赤くしながら、ぱっぱと怒ったように言った。

「こんな、こんな生徒が死んでもお前はそんなことをまだ言うか!お前が振りかざした正義感のせいで人が一人死んだんだぞ!人を救えないで何が正義か!何が真実か!俺はこんな事を認めない。人が死ぬ正義なぞ、断じて認めんぞ!笹原!!」

 そう言って成田先生はすたすたと去っていった。

 先生、それは違う。正義とは人名を賭しても(としても)達成すべきものなのだ。人の命をかけてもなお、達成しなければならないものがある、人をひどく傷つけてもなお、達成しなければならない事。


 それが正義。正義は人を救わない。我々がその正義をつかみ取らなければならないのだ。それが誰かの血を流すという結果になっても…………。

「ともかく、これで『犯人』が死んでくれて何よりだ。ようやく、これで貴理子に報告ができる」

 そう、貞さんは言った。だが、そういった割には貞さんの顔は優れなかった。簡単に加害者が死んでも心は晴れないと言うことか?しかし、僕がそう言うとすぐに貞さんは違うと言った。

「笹原君、それは違う。確かに私の最大の望みは貴理子が帰ってくることだけど、でも、一応『犯人』が死んだことによって、心に区切りがついたんだ」

 金田たちも傷害罪の罪で警察に検挙されました。金村は残念ながら検挙はできなかったけど、これについてはどう思いますか?

「確かに金村を逮捕できなかったことは残念なことだ。しかし、一番の首謀者が死んでくれて気持ちの一区切りができたという感じだ。金田のことはいくら逮捕されても刑が軽すぎると言う気持ちだ。あいつらのせいで貴理子が死んだのに罪状は傷害罪なのだからな。とてもではないがいじめに見合った罪ではない」

 貞さんは砂利をかみしめるようにそう言った。

 僕がそんな貞さんはずっと見つめていると、貞さんは僕を不思議そうな様子で見てきた。

「笹原君は『犯人』が死んだのだから、『犯人』を許しましょうとか言わないのかい?」

 僕がですか?

 僕はすぐにそれを否定する。

 いえ、そんなことはあり得ませんよ。僕は村田に事件の真相を話してもらいたいのと、自分の犯した罪をしっかり自覚して生きてもらいたいんです。僕が望んでいたのはそれだけです。


 貞さんの村田の罪を許してもらおうなんて考えていません。許しというのは他人から強制されるものではないし、僕自身安易に罪を許してはならないと思っていますから。

 僕がそういったら、貞さんは向かい風を受けている人のように肯いた。

「全く、その通りだよ。笹原君。簡単に罪を許していいものではない。人が一人死んでいるのに、なんであいつらは加害者を許しましょう、何て言えるのか。私からしてみれば、なぜ、憎き『犯人』を許さなければならないのか、と言う思いでいっぱいだよ。


 あいつらは親しい人が一人死ぬ、殺されると言うことがどんなことがわかっているのか!と言うことを問いただしたい気持ちでいっぱいだよ」

 貞さんからあいつらについて詳しく聞いたら、とあるキリスト系の団体が訪問してきて、『あなたたちの思いも苦しいと思うけど、加害者を許してあげてください。人を許せば、それであなたは加害者から受けた苦しみがなくなります。人を許すというのはだから、すばらしいことなんです。あなたたちも加害者の罪を許しましょう』と言うことを貞さんと面を向かって言ったらしい。

 貞さんはすぐその場で怒鳴り返したらしいのだが、そのことを言われて今でもはらわたが煮えくりかえるような怒りを覚えるのだ。それは僕も当然だと思う。それを話したら貞さんは。

「ありがとう、笹原君。こう言うことでわかってくれるのは笹原君だけだな。笹原君。私たちは貴理子が死んでから世界が一変したよ。それは貴理子が死んだからと言うのもあるけど、もっと、人としての関係で大きく変わってしまった。近所の人たちが私たちを見て、がんばってください、とか気を落とさないで、とか言ってくるけど、私たちにしてみれば簡単にそういうことを言ってもらいたくない。


 がんばってと言われても、もう何をがんばっても貴理子は帰ってこないし、最愛の娘が死んだのに気を落とすなと言われても無理だ。最近、そういう無神経なことを言う人たちに怒りがわいてくる。以前は普通の会話ができていたのが、最近では全然会話ができなくなった。普通の人のささいな言葉に怒りや落ち込みを感じて仕方ないんだ。笹原君。私たちはこれからどう生きればいいのか。そういうことに対する不安が増すばかりだよ、笹原君」

 そういった貞さんの体全体の表情はまるで異邦人のように僕は感じられた。これから、貞さんはどこに向かっていくのだろうか?彼、や多佳子さんが心休まる日は来るのだろうか?と僕はすごくそのことに心配になってきたのだ。

 



 村田が死んだ翌週の日曜日。僕は家の今でぶらぶらしていた。村田が死んでこのところなにも手が着かない。だから、僕は宿題もせずにこの部屋をなにもせずに腰(こし)掛けていた。

 ブルン!ブルルルル!

 そんなとき、郵便局のバイクが家に来た。何だろうか?また、保険の案内だろうか?

 僕はやることがないので、郵便ポストに向かった。ほんと今はなにもする気が起きないのだ。適当に保険の案内を見つけてどうするつもりだろう?

 僕は郵便ポストを開いて、なかのものを取り出す。すると、そこには保険の案内ではなくて、一つの手紙があった。宛先は……………。

 村田里子。

 その瞬間僕の全てのことに倦怠感(けんたいかん)を覚える、見えない重力の世界から、大自然のなか風が吹き渡る緑の世界に変わった。僕はすぐに家に入って、なかを開けた。

 その手紙には件名がなく、文がすぐ書き連ねていた。

「あんたは良い身分でしょう。憎いわたしを地獄に落としてさぞ気持ちが良いでしょうね。わたしは終わりよ。


 ええ、何かもおしまいだ。わかっていた、お父さんが帰りが遅いのは仕事で忙しいんじゃない。あの女がいたからいつも遅く帰るんだ。わたしは見たんだ。お父さんとあの女が手をつないで買い物をしてる場所をハッキリ見たんだ。


お母さんとお父さんはあんまし会話をしない。食卓ではわたしのことを尋ねてくるけど、いつもはそんなに会話をしないって気づいてた。だから…………

 だから、わたしは頑張って良い子になろうとした、していたのに。


 だけど、お前が全部ぶちこわしたんだ!お前さえいなければみんな幸せになれたのに!なれたのに!わたしの幸せと、お母さんとお父さんが仲をお前が全部ぶちこわしたんだよ!


 許さない。絶対に許さない。みんながあなたの行いを賞賛してもわたしは絶対に許さない。もし、地獄に行ったらあなたを死ぬまで呪ってやるからな」

 僕は村田の手紙を全部読み終わった時、自分の足下が崩れる衝撃と、ある一つの光明が差すのを見た。

 その瞬間、僕は自分に纏わり(まと)付いていた、アタタカイヤミがするりと抜け出していくのを感じた。日曜日の朝。燦々(さんさん)と日の光が地に落ちる。

 結局、村田は自分が犯した罰の重みに耐えきれずに死んでしまったのだ。十分な罪の自覚をしないまま。

 それでも、ここに正義は果たされた。アタタカイヤミに守られなかった村田をヒカリノヤイバが貫いた。

 今日も岡山は晴れだ。燦々(さんさん)とヒカリノヤイバが地面に突き刺さっていた。










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マイ フィロソフィ 2 アタタカイヤミ サマエル3151 @nacht459

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