第59話 59
…………………。
日が落ち夕方になった所でようやく痛みが引いていった。僕はまず腕を動かして、そして体を起こす。
「!!!」
だが、体を動かした瞬間、胃が変質した。まだ、かなりダメージが残っているようだ。
「はあ、まだかなり痛いな。……………よっと」
ぎくし!
ぱっと体を立たせたものの、その瞬間やはり体に電流が走り、ぎこちなく体を動かしながら何とか歩いて行く。
体育館を出て、そのまま教室に戻って鞄を持ってから警察に行く予定だった。だが、体育館を出たときにある水の音が聞こえた。
体育館のそばに置かれてあるじゃ口で一人の少女が顔を洗っていた。長い髪をした女の子で、多分村田だ。体格なんかが村田にそっくりなのだ。
「よう、村田、君もひどい目にあったのか?僕達はひどい目にあったな」
僕の台詞(せりふ)に彼女はなにも反応を示さず無視していたが、ひどい目にあった、という言葉にスイッチが入ったように敢然ととした風に振り向いた。
「誰が…………………誰のせいでこんな事になってると思ってるんの!こんな事って、こんな事ってあんまりだわ!そうよ、全部お前よ。お前のせいなのよ!あんたが余計なことをするから、こんな事になったのよ!………………
あんな物を押しつけられて、わたしはもうめちゃくちゃよ。人生でさいあっくな日よ!こんな最悪なんてそうないわよ!こんな事になって、あんたどう責任取ってくれるって言うの!なんで、あの事言ったの?言わなければこんな目に合わずにすんだなのに…………………ねえ、なんであのことを言ったのよ!」
村田は相手を殺すオオカミのような攻撃的な態度に怨念じみた黒い重油が顔からしたたり落ちていた。
その黒の攻撃に僕は少し自分を落ち着かせてから言った。
「何故って。その理由はもうすでに述べた。だけど、別の観点から新たな答えを出そう。
お前はおかしいとは思わないのか?人が一人いじめで死んだのに、なにも何事もないような日常はおかしいとは思わないのか?
人が一人死んでいるんだぞ?それなのになにも罰が与えられないのおかしいとは思わないのか?村田自身だって波田(はた)さんを殺したことに対する罪悪感が全くないと言うことはないだろ?
それに対して悔やむ気持ちはあるはずだ。もう過去は戻せない。僕自身も何故君を早く止めれずに、波田(はた)さんの自殺を止めれなかったのか?今になってようやく覚醒(かくせい)したのを悔やんでいるが、もう過去を取り戻せない。
今からでも間に合うから罪悪感を持って波田(はた)さんの元で懺悔(ざんげ)をしよう。君の場合は本当に心から悔やめば、まだ間に合う。
だから、言いたいことは、いちいち言わなくても確実に悪いことや、よいことがわかるはずだ。あんないじめは、誰が見ても悪いことだし、村田だって悪いというのは分かるはずなんだ。だから、君は罪悪感を持っていると僕は信じているし、波田(はた)さんの両親に謝らなければならない。わかるか?村田」
それに村田は死んだ魚のような静寂さを貼り付けて(はりつけて)、僕に背を向けた。
「知らない。そんなものは知らない。波田(はた)だって悪い所があったはずよ。なんで、わたしばかりせめなければならないの………………………」
「一樹!」
村田が僕から離れるのと同時に入れ替わるように美春達が現れた。
特に美春が心配そうに駆け寄ってくる。
「リンちゃんから聞いたよ?大丈夫?いじめられていたんだって?痛いことされたの?」
「ああ、大丈夫さ。これから鞄を取って警察に行こうと思う。ちゃんとした傷がある打ちに言っておかないといけないしな。………ッ!つつ、まだ痛みが引かないな。ちょっと取ってくるよ」
だが、僕が教室に向けて穂を突き出そうとしたら一つの声が止めた。
「待って、一樹。鞄ならわたしが取っておくわ。今は警察に早く行くべきよ」
そのあとにつづくようにもう一つの声がつづいた。
「確かにそうだな。鞄はキャサリンに頼もう。少し遠いかも知れないが俺が肩を貸してやるから早く警察に行こう」
そう言って、真部は肩を着きだした。僕もその好意に甘え、キャサリンに向かって言葉をかける。
「わかった。じゃあ、後は頼んだ。……………………っつつ、まだ体を動かすといてえな。悪いな、光」
そう僕が言うと光はその獣のような濁り(にごり)のない明るさでにやりと笑った。
「なあに、お礼は結構(けっこう)さ。それより、早く警察に行こう」
「ああ」
そして、僕達は残光の夕焼けに痛みと心配をあとにしてその場から離れた。
これでよかったのだろうか?
今、ぼくは波田(はた)さんの家の目の前に立っている。貞さんから連絡があって、何か用件があってうちに来てくれと言われたので、せっかくの日曜日だが、その日を自分のために使う時間をつぶしてこの家にまでやってきたのだ。
それはともかく、僕は家のチャイムを鳴らしたら、ほどなく多佳子さんが現れた。
「ああ。どうぞ、お入り下さい」
「はい。失礼します」
それでぼくは家に入っていった。僕が通されたのは居間のある部屋だった。そこには貞さんもいた。
「こんにちは、笹原」
「はい。こんにちは、貞さん」
そう、僕たちは挨拶(あいさつ)をした。貞さんは挨拶(あいさつ)をした瞬間は普段通りの貞さんに見えたが、それが終わった瞬間、ふっ、と急に5〜6年老け込んだ顔つきになった。
僕がそんな観察をしていると多佳子さんが声をかけてきた。
「笹原君はそこに座ってしばらく待っていて、さあ、あなた行きますよ」
「ああ、わかった」
いったい何の用事で僕を呼んだのだろう?そして、多佳子さんは何をしに出て行ったのだろう?
そんな疑問を思いながら僕は待った。それから、しばらく待ったら多佳子さんと貞さんが服がたくさんは言った透明の箱をを持ってきた。
「…………これは?」
それに多佳子さんが答える。
「これは貴理子の服です。さあ、お父さんもって持ってきて!」
「ああ」
貞さんは肯いて、また2階に上がっていった。僕は席から立ち上がって部屋に置かれてある服を見に床の上に座った。
「これはなんですか?僕に波田(はた)さんの服を見せてどうするのですか?」
僕がそう言うと、多佳子さんは淡々とした、しかし、真っ暗の洞窟のなか使い捨てのたいまつを使う人のように、希望の残滓を感じさせる口調で言った。
「これは貴理子の服です。あなたに見せてどうにかする気はなかったのですが、最近自称貴理子の友だちが大勢やってきて、形見を下さいというのです。
私はその自称友だちを信じておりません。だって、貴理子が自殺したときは誰もそんなことを言っていなかったのですから、それが、笹原君が事件のことを暴露(ばくろ)した、一ヶ月ぐらい頃から、そういう形見を下さいという生徒が急に増えてきたんです。この事件を忘れないことに対する、記念として取っておきたいのらしいです。
記念ですって、バカをいうのもほどほどにしてください。記念て、なんですか。貴理子は、貴理子はあなたたちの記念として死んだんはないのです!そんなことを思っていると心がいらいらして、腹の奥底が煮えくりかえるような怒りを覚えます。それで、私は考えました。
せっかく形見というのなら、もっと貴理子が聞いて喜ぶような人。貴理子のことをしっかり覚えてくれる人に頼もう、って。そうして、主人と相談したのですけど、その相手は一人しかいませんでした。それがあなたです。あなたの行動には相づちをうてない部分もありますが、あなたならしっかり貴理子のことを覚えてもらえる、と思ったのです。それであなたを選びました」
そう、多佳子さんはまっすぐ僕を見ていった。それに僕も肯く。
「はい、わかりました。それでどこから知ればいいのでしょう?」
それに貴理子さんは一つの服を取り出して、僕に向かって差し出した。
「これを見て下さい」
「何ですか、これは?」
そう、僕は言ったもののそれは子供服であることは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。黄色い服だが、いささか、色があせている。
「これはですね。貴理子が10歳の時に着ていた子供服です。あの頃が一番かわいかった。貞さんの後ろにいつもいてね。そして、貞さんに遊んで、遊んでと言っていたんですよ。それでいつも友だちとままごとをして遊んでいてね、泥とかついていたこともありましたから、とにかく手洗いうがいを徹底させましたっけ」
多佳子さんは幸福そうに話していて、時折微笑んだ。
「それと、貴理子はにんじんがダメでしたね。ハンバーグ料理を出したときに、ハンバーグは元気よく食べるけれど、にんじんは残していましたね。そういう所を何度注意しても直らなかったな、あの子は」
僕はそれに何度も相づちを打って肯いた。
多佳子さんは本当に幸福そうに話していた。だが、その真昼の光はいつまでも続かず、やがて黄昏に入っていった。
「本当に、あの子は死んでしまったんですね」
そう、多佳子さんはぽつりとした口調で言った。最後のしずく。つららは昼になると溶けて、陽気に負けて最後のしずくを放す。その、最後のしずくを多佳子さんが発していた気がした。
僕がしんみりと多佳子さんを見ていると、多佳子さんはふっと唇を引き締めこう言った。
「すみません。なんだか湿っぽい話になってしまって、もっと、美しく語ろうと思っていたのですけど、あのこの事を考えるとつい、こうなってしまうんです」
「いえ、構わないです。それが当たり前な事ですから」
僕はそう言った。それに多佳子さんがあごを少し引いた。
「ええ、そうですね。……………じゃあ、次に行きますか」
そうして多佳子さんが次に取ったのは制服だった。おそらく、中学校の時の。
「これは中学校の制服です。あの頃から、あの子。私たちのことを避けだしていたんです。ささいなことで避けだしてきてね。ご飯も一緒に食べたくないということを言い出したんですよ。それでご飯を部屋に持っていて大変でしたよ。本当に。特にお父さんをよく嫌っていてね。お父さんと接触することをひどく嫌っていたんですよ」
多佳子さんはこの内容を話すことがいやな話しなのに、やけに楽しそうに話した。もう、今となっては反抗したこともいい思い出の一つなのだろう。
「うん。そうだったんですね。波田(はた)さんも普通の女子中学生だったんですね」
「はい。そうだったんですよ」
僕の言葉に多佳子さんはにっこり笑った。初めて、多佳子さんの笑顔を見た気がした。
しかし、すぐに多佳子さんは幽鬼のような暗い表情に戻って波田(はた)さんの制服をじっと見ていた。
そうやって僕が言葉を考えあぐねていたら、その時どたどたと音がして貞さんが入ってきた。
「おーい。多佳子、持ってきたぞ」
多佳子さんが貞さんのほうを振り向いた。
「ええ、それをここに持ってきて下さい」
貞さんが持ってきたのは一つのアルバムだった。それを僕に見せるように広げる。
「笹原君。よく見て欲しい。これが貴理子なんだよ」
そこにはハイハイをする赤ん坊の姿があった。
「お母さん、これは何ヶ月でハイハイをしたっけ?」
「それはですね。多分8ヶ月ぐらいの時だと思います。ハイハイをしてね。うちの子は早熟かも知れないと思ってえらくお父さん喜んでいましたよ」
「そうだったけな?」
貞さんも多佳子さんと同じように波田(はた)さんの思い出を懐かしんでいた。だが、それはいつか陰りが見える、砂時計の幸福だった。だからこそ、貞さんはその砂時計が底をつく前に早く台を反転させたのだ。
「お母さんはこれは初めて貴理子がフォークを持ったときだったっけ?」
貞さんが次に指さしたのは、女児がフォークを持った姿だった。
「そうそう、初めて貴理子がスパゲッティを食べたときだったわ。ほんとかわいらしく食べていたわね」
「そう、だったな」
貞さんと多佳子さんはそう言って笑いあった。貞さん達は琥珀(こはく)色の湯船に沈んだ蟻のように幸せな時間を過ごしていた。それがやがて消えゆくものでもそれは幸福の湯船だった。
次に貞さんが広げたのはどこかの公園にいる女児の姿だった。
「お母さん、これはどこかな?どこで取ったっけ?」
「それは更紗公園ではなかったかしら?ほら、山容の山沿いにある公園だったわ。よく覚えてないけど、確かそんなところにあったわね」
それに貞さんが肯く。
「そうそう。そんなところだったな。それで、公園で遊んでいるとき貴理子が転んで頭を打ってすごく泣いていたっけ?あの時は大変だったなぁ」
うんうん、と多佳子さんが肯く。やはり多佳子さんも貞さんもいつもよりも心なしか若返っているように見えた。
それで次の写真を貞さん達は僕に見せた。それは江東小学校と書かれてある門をバックに貞さんと多佳子さんとそして女児、おそらく波田(はた)さんが写っていた。波田(はた)さんは目がかゆいのか目をこすっている表情で写っていた。
「笹原君。これが貴理子が小学校の入学式の写真だ。この時は貴理子の成長をまぶしく見ていたよ。この子が成長して、どんな女性になるんだろうと、いつも思っていたよ」
そう、貞さんは目を細めていった。多佳子さんもそれに肯く。
「うん、うんそうだったわね。貴理子が成長して彼氏とか連れてきたら、といつも思っていましたよ」
そうやって多佳子さんと貞さんは肯いていた。
「笹原君、これを見てくれ」
次に僕が見たのは波田(はた)さんの家の前で撮った波田(はた)さん家族だった。その写真を見ながら貞さんは懐かしそうに話した。
「この時、貴理子は小学3年生でね、同じクラスの恵子ちゃんと仲良くできたって、家で話していたんだよ。そうだったよな、母さん?」
「はい、そうでしたよ。あの時の貴理子の楽しそうな笑顔のことは今でもよく覚えていますよ。よっぽどうれしかったんですね」
次に写真が写ったのは動物園で写っている波田(はた)さんの姿だった。
「それで、この写真が貴理子が小学6年生の時に動物園に行ったときの写真でね。貴理子はよくキリンを見に行って大はしゃぎしたっけ。とにかく、あの時が一番、楽しかったなぁ」
「そうそう、そうだったわね。あと、貴理子はカバも見たいといってね、3人で見に行ったわね」
それにうんうんと肯く貞さんだった。
「これが卒業式の写真か………………」
それはまた江東小学校をバックに貴理子が写っている写真だった。貴理子は小学一年の時から成長しているのだが、その顔色はどこかくらい影を帯びていた。
「これが小学生最後の時の写真か……………」
貞さんの顔も曇りを帯びてきたし、多佳子さんの顔も同様だった。
「お二方、どうしましたか?それとこの写真のなかにいる波田(はた)さんの顔も優れない表情をしていますが」
「いや」
そう言ったきり貞さんは黙ってしまった。それを多佳子さんが説明をする。
「あのですね、笹原君。この頃から貴理子は急に気むずかしくなったんです。私たちと間を避けるようになったので、この頃の貴理子には家族の思い出はないんですよ」
「ああ、そういうことですか」
そう言って僕は納得したように見えたが、腑に落ちなかった。さっきは波田(はた)さんが反抗をした様子を懐かしそうに思い出していたではないか?本当に反抗してもう思い出す思いではないのか?
そう僕は思いながらも、次のページをめくろうとした。そうしたら、あ!と言うような顔を貞さん達はした。
しかし手を止まらず、僕は次のページをめくってしまった。そこには…………。
中学校の入学式を迎えた波田(はた)さん家族の写真があった。晴れ晴れとした貞さん達とは逆に波田(はた)さんは小学校の卒業式より顔が曇って見えた。
ぼくはどうしたのだろうと思った。この写真は確かに前の写真と同じで波田(はた)さんは暗い顔をしていた。しかし、それを言うなら前の写真も同じではないか。しかし、貞さんは前の写真を見たときとは全く質感が違っていた。前は少し欠けたことがある陶磁器を見る目立ったが、今は無数のひびが走って形を保っているのが奇跡なような陶磁器を見る目になっていた。
そして、貞さんがぼとりと重い荷物を下ろすように言った。
「………………。笹原君、実は中学校の卒業式と高校の入学式の写真はないんだ。貴理子が嫌がってね、撮ってないんだ」
場が晩秋の湖みたいな雰囲気になる。冷たく、錆ついている湖に。
僕はこの間、何も言うことはできなかった。何を言えばいいのかわからない。晩春の錆びついた空気が僕の頭に入って思考を錆びつかせたように僕は感じた。
そう、僕が何も言えずにいると多佳子さんが貞さんにこう言った。
「ほら、あなた。笹原君も見てくれたことだし、この荷物片付けましょうか?笹原君はしばらく座っていて」
「わかったよ、片付けるよ」
「はい」
貞さんは肯いて、荷物の片付けをした。僕はそれを黙ってみながら待つ。
一人で待っている間に僕は波田(はた)さんのことを想像してみる。波田(はた)さんはどんな気持ちで成長をしていったのだろう?小学生の時は写真から見れば活発な方だったけど、小学6年の時から次第に暗くなっていた波田(はた)さん。僕はその波田(はた)さんの気持ちの断片がわかるような気がした。僕も親を容認しないように思っていたので波田(はた)さんの行動はわかるが、しかし、もう波田(はた)さんはいない。もう、どんな気持ちかは確認できないし、村田に関わっている僕がその気持ちを確認してはいけないような気がした。
そうやっていくらか時間が過ぎた。そうしたらすっかり波田(はた)さんの遺物が片付け終わった。
「笹原君、話しがある」
貞さんはそう言うと自分も椅子に座った。これは重要な話しだな、と思って僕も席に座る。多佳子さんは立って後ろに控えている。
「2月30日。大手の放送局が家に取材にやってくる。今まで、取材のむごさに心を切り裂かれてきたけど、この番組のプロデューサーはこちらに電話をかけて丁重に取材の申し込みをしてきた。そこでの取材は私たちと笹原君を一緒にして取材をして欲しいということだ。笹原君には、笹原君なりの考えがあると思うが、私たちは来て欲しいと考えている。どうかな?笹原君?」
考える余地はなかった。
僕はまっすぐ貞さんを見ていった。
「行きます。行かせて下さい」
貞さんがそれに肯く。
「わかった。じゃあ、家から先方に言っておく。今日はこれで帰るか?笹原君」
「はい」
僕がそう言うと貞さんが少し考えるように自分の組んだ手を見ていたが、すぐにこちらへ向いた。
「よし、送っていこう。ちょっと、笹原君を玄関まで送るから、あとはよろしくな、多佳子」
「はい。行ってらっしゃい」
そして、僕たちは今を出て、玄関へ出た。僕が廊下を歩いてるとき、貞さんが後ろについていたのだが、僕は貞さんの気配を日本兵士の幽霊のように僕は感じた。
そして、僕たちが外に出て、僕が貞さんのお辞儀(おじぎ)をして自転車に向かおうとしたとき、貞さんは僕を止めた。
僕が振り返ると貞さんは糸が張り付いたような雰囲気を漂わせ、その言葉に渾身の一刀を振るような心構えと、何かの緊張を伴って振り下ろした。
「笹原くん。君は今も『犯人』と付き合っているのか?」
それは聞くもの胸をえぐる厳しい言葉だったが、少し語尾が震えていた。僕は貞さんを見ると僕に対して厳しい視線と、どこか、この事をいう緊張があった。
僕はこれには生半可な気持ちで答えてはいけないと思い、真剣に答えようとした。
「はい」
僕がそう答えると貞さんは氷山の頂のような厳しい表情をした。
「なぜだ!なぜ、そこまで関わるのだ!私からしてみればあいつが生きているだけで許せない!貴理子を奪った『犯人』だぞ!それなのに、どうして君はあいつと関わりを持つのか!」
そう、貞さんは怒鳴った。憤怒(ふんぬ)の怒りが貞さんの体から沸騰(ふっとう)して、その場の空気を飲み込んだ。僕はそれに心が折れそうになりながらも、何とかこう言った。
「いえ、この事件のことは詳しく聞く必要があると思います!だから、僕は村田にこの事件のことを語らせます!そして、村田には謝らせます!心から悔いて、いつも自分の犯したことを悔いながら生きさせます!だから、今は村田と関わることは必要なんです!」
僕がそう言うと、貞さんは風が一瞬(いっしゅん)やんだ氷山のような表情をした。そして、ぽつりと言う。
「私も事件の真相が知りたい」
「はい」
それは湖に落ちていったしずくだった。そのしずくが波紋を広げてさざ波を立てる。僕はそのさざ波を注意深く感じていた。
しかし、貞さんは僕に背を向けてこう吐き捨てた。
「しかし、『犯人』から謝罪の言葉なんて聞きたくない。もう、何を言っても貴理子は帰ってこないのだからな」
そう吐き捨て、貞さんは家の中へ入っていった。僕はその背中を黙ってみることしかできなかった。体の芯が凍えそうな冬の出来事だった。
ぴたっ、ぴたっ、ぴたっ。
………………………。
午後の穏やかな日差しの中、僕は自分のそばでまるで影のようにぴったりとくっついるガーディアンに話しかける。
「なあ、光。なんで、お前はくっついてくるんだ?」
それに今まで張り付いていたガーディアン、光はさも当然というように答える。
「そんなのは決まっているだろう。一樹がまたいじめられないようについてきたんだ」
「いや、いじめられないようにって………………。そもそも、僕と光のクラスは違うクラスだし、いじめはほとんど授業中に行われるし、今来ても意味はないだろ」
光は皺(しわ)が一本寄った水かきの表情をした。
「それはそうだが…………。しかし、ほっとけない。キャサリンだけでは安心して任せることができない。確かに授業中のいじめは多いと思うけど、こうやって第三者が守っていくぞ、という姿勢を示すことでいじめをするインセンティブが弱まるかも知れないだろ。だから、これは意味のあることなんだ。それにやっぱりキャサリンはこう言うときには守る姿勢が欠如(けつじょ)しているしな」
光のその言葉に、僕は清流の苔(こけ)むす石に一時的になった。
「いや、キャサリンに守ってもらうのも困る。いじめる側を阻止したら、今度はキャサリンがいじめられるかも知れない。そんな危ないことを女子にやらせるわけにはいかない。本人は逆立ちしたってそれはないと思うけど、しかし、もしその意志が現れても僕は止めるな。まあ、何にせよ、キャサリンが関わらなくてよかったと思ってるよ」
光はぐっと何かを表出しようとしたが、飲み込んで安静の状態にした。
「…………確かにそうかも知れない。女子を危険にさらすのはよくないかも知れない。しかし、いじめをただ、見過ごすというのは、友達の危機を見過ごすというのは、自分の感性から外れている………………って、ちょっと待てよ!一樹!一人でそんなに先に行くな!」
ぶつぶつ言っている光の言葉を聞かずに僕は中庭に向かって歩いた。
今、僕がいるのは二階の渡り廊下にいる。まず、向こう側に言ってから降りて中庭で残りの昼休みの休憩時間を過ごそうかと思ったのだ。
ちなみに光は躊躇なくひょっこり僕の所にやってきて、一緒に食べて、そして今も僕のそばに纏わり(まと)付いてきたのだ。
まあ、良いさ。男二人、中庭でだべっているのも悪くはない。これを機会に光といろんな話をしよう。
そんなことを思っていると、向こうから幽霊の影がふらりと現れた。
その影の存在を認めると、僕は話しかけようと思ったが、その影は僕に視線を一瞥(いちべつ)したあと、僕という存在が、いやこの世界が丸でないようにふらふらした視線をおよがした。
「お〜い。村田!こんにちは!」
しかし、影。村田は僕の挨拶(あいさつ)に全く返さず、まるで幽霊のような自然さで通り過ぎようとした。
何か、おかしい。いつも村田は僕を嫌悪していたけど、今日の村田は何か様子がおかしい。
僕は素早く走って村田の目の前にやってきた。村田は僕を避けて通ろうとしたが、僕はすぐぴたっと早足で寄せて話しかける。
「村田、何かあったのか?」
「……………」
「何かあったなら話してくれないか?」
「……………………」
「君が僕を嫌っているのはわかるけど、僕は君を助けたいんだ」
「……………………………」
「話しても力になれないことかも知れないけど、でも話して欲しい。また、新たないじめだとしたら、自分では無理でも警察に行けば何とか力になれるかも知れない。だから、村田……………」
だが僕の言葉が終わらずに高速で走ってる車のタイヤがスピンするように急速な早さで振り返った。
「うるさい!いじめなんてなにもないわよ!……………ただ、わたしのお父さんがうちへでていっただけの話し。
わたしが原因なんだ。わたしがあんなことをしたからお父さんはでていったんだ。
言われていたのに。いつも良い子にしててって言われていたのに、でもわたしはそれを破った。だからお父さんはでていった。
お父さんはでていって、お母さんはいつもわたしを白い目で見るようになってきてる。嫌がらせ電話も鳴りっぱなしだし、猛取材でお母さんはなにも気力がなくなっているし、もうだめだ。もう全部終わりだよ。わたしは。
これがあんたの望みでしょ?天罰を与えたかったんでしょ?なら思う存分笑えばいいわ。良い気味でしょ?」
村田は決然とした勢いと断斬(だんざん)とする破壊力を持って切り払い。去っていった。
そして、僕はその破壊の言葉に自分の天に昇る清浄な上昇心が破壊しつくし、正常な思考が戻らなかった。
…………………………ぽん。
ふと見ると自分のかたわらに光の手が置かれていた。その光が硬質な視線をこちらに向け言った。
「まあ、何だ。元気出せよ、一樹。俺たちのやったことは間違えた道ではなかったはずだから、元気出せよ」
「………………ああ、そうだな。僕もそう思う。自分のやったことは間違いはなかったと思う。だけど、必要以上に、本来の罰以上に村田に罰を与えている気がする。自分がやったことは間違いなかった。だが、その結果に人間に自然に与えられた尊厳をすっかり破壊し尽くしたことは果たして良いって言えるのか?
そういうことが未だ自分のなかで収拾(しゅうしゅう)が付かない。しっくりこないんだ。自分のやったことはベストだと思うけど、その結果が納得ができない。なあ、光はこれについてどう思う?」
光は僕の言葉を苔(こけ)が少量の水を吸収するようにじっくり聞いていたが、ぼそりと一つの言葉を言った瞬間から、滑らかに言い始めた。
「それはわからないが……………だが、俺が言えることは前までの状態は正常ではなかった。人の道を外れた状態だったと言うことだ。
そういう気持ちを持つことは人としてよいことだとは思うが、しかし、時は取り戻せない。人生にもしはない。波田(はた)さんを行き返させる選択肢があるなら、それを取ることが良いけど死者は生き返れないんだ。あとは相応な罪に罰を与えることが最善な道だ。
確かに俺らはベストな方法をとったが、図らずとも相応以上に村田に罰を与えてしまった。それは気にとめておくことも必要だけど、もう時は取り戻せない。最善の結果はもう失われた。そして今あるなかで俺たちは最善の方法をとったんだ。胸をはれ一樹。どれだけ気に病んでも、波田(はた)は取り戻せない」
「そうだな。ああ、そうだな」
僕は光の手をそっと放し、空を見上げた。
空は青く、正午を過ぎて光りの色合いがますます強くなった。
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