第56話56

僕が波田(はた)さんの家に行ってから三日たった。その間に特に変わったことはなかった。

 まあ、三日しかたっていないから当然か。

 そんなことを思いながら、僕は自転車を学校の駐輪場に止めて、教室に向かって歩いて行く。

 曇天(どんてん)とした雲が今にも雨を降らせようとしている。雨になることはないと思うけど、でも覚悟はしてこう。

 そう思いながら僕は下駄箱を履き替え、廊下に出た。この学校は下駄箱から一直線に向かった先に職員室があるのだが、その職員室の近くで、成田先生と金村の姿が、ふと見た気がした。

 ただ、僕はあまり気にせずにすぐ横手にある階段を上って教室へ向かった。




 日本史の授業の前の休み時間。とは言ってももうすぐ始まるのだが、僕は普通に座って日本史の授業を待っていると、予定の予鈴が鳴り成田先生が少し遅れて教室に入ってきた。

「すまんな、遅れてしまって。実はみんな、これからやらなくてはならない予定があるんだ。だから、今日の授業は自習だ。プリントを配るからそれをやってくれ、以上だ」

 先生がそういった瞬間何人かの男子が歓声の声を上げた。そのクラスの反応に僕はあれ?っと思った。

 人数が少ないのだ。本来なら、もっとたくさんの男子がお祭り騒ぎのような騒ぎ方をするのに、今は数人の男子が歓声の声を上げるだけで、まるでぱんぱんがしを配る屋台で菓子をもらっている子供のような騒ぎ方しかしなかった。

「それじゃあ、これをしろよ。じゃあな」

 そう言って、成田先生は教室を出た。僕はプリントを見る、4枚のプリントでこれまでの授業の復習編みたいなプリントだった。

 僕はそれを見ていたが、やがて、クラスの空気が変わったことを感じた。冷気が肌を侵入してくるような、その感覚を覚えた。だから振り返ってみると僕の周りを囲むようにみんなが立っていた。さっき、歓声を上げなかったひと達だ。

 ぼくも立って、その円の外にいて、一目でリーダーとわかる人に向かって言った。

「これはなんだ、金村?」

 金村は僕を虫でも見るように見た。みんなはその金村の姿勢にじわり僕に近づいた気がした。

「これはあんたの最後だわ」

 金村はそう言ったら、包囲網がまた一つじわりと場を狭めた。

 僕は後ろに下がろうとしたが、後ろにも人がいた。そして、ぼくはその場で立ちつくしたとき、金田が言った。

「かかれ!」

 そのとき、洪水のような圧倒的な気配が僕の体を押し流し、激流が僕の体を奪う!それは一瞬(いっしゅん)のことだった。

 僕は近藤君に押し込まれて首に近藤君の腕が絡んできた。そのまま教室に突っ伏される。そんな僕を金村は見下ろしたまま言った。

「あんたに聞きたいことがある、笹原。もし、答えなかったら…………」

 金村はくい、とあごをあげる。そのとき、近藤君の腕が僕の首を締め付けた。

「!!」

 頭に火花が満開したようなすさまじい激痛が僕の首に走った。それはすぐのことだったが、僕はむせかえるように息を吸った。

「こうなることなのよ」

 そう、金村は言った。その瞳にはゲームを楽しむ子供の充実した表情があった。そして、周りのみんなも祭りを楽しむ子供のようなささやきが随所(ずいしょ)に漏れ出していた。

 何も変わらない。

 僕はすぐにそう思った。この人達は何も変わっていない。みんなはあくまでもみんなだった。

「さあ、さっさと答えてもらおうか。質問、その一、波田(はた)さんの家にあんたは行った?」

 金村は本人は敵のスパイを追い詰める拷問係のような冷静な口調で言ったつもりだったろうが、その通気口から、この役に乗っている、という空気が随所(ずいしょ)に漏れだしていた。

 僕はそんな金村の様子を見つつ、それはそれで金村の質問を考えた。というより、囲まれたときからこの事を考えていたのだが、今、思いついたので言った。

「行った」

 ざわ。

 周りの空気が一つの有機加工物が水を受けて加水分割するように、みんなの統率(とうそつ)が揺れた。いや、みんなには統率(とうそつ)というものはないかも知れない。その場の空気だけで自分の行動の指針を決める人たちだから、各個人が自立してその場の集団の秩序に貢献するという考えではないから、どのように取り繕っても彼らは烏合の衆(うごうのしゅう)でしかないのだ。

「な!?」

 驚く、金村に僕は続けて言葉を言った。

「いじめのことは全部話した。両親はまだこの事を教育委員会に話すか決めかねているけど、今日僕に起きたことが知れ渡ったら、言うかも知れない。ちなみにこの事はほかのクラスの真部光と寺島美春に全てを話している。もし僕に何かあったら、どうなるか、わかっているな?」

 僕は金村の目を見てハッキリと言った。金村はその瞳にハッキリとした動揺と僕の言葉を否定する精神があったが、それさえもその動揺を裏付ける一つの憶測が、それが膨らみ確信に近いのもつとなって彼女の心にずしりと重みをつけさせた。

「うそよ!うそ!みんな信じないで!!」

 金村はそう慌てた口調で言ったが、その混乱した口調がみんなの足下を液状化していく。

 あと、少しだな。

 そう僕は思ってこう言った。

「今はいじめをしたのは村田と金村だけだけどな、もし僕にいじめをしたら、みんながいじめをしたと言うことになるぞ?僕に何かあったら波田(はた)さんの両親に届くことはさっき話したばかりだからな」

 場の空気が変質する。赤から黒、そして青になり白になっていく。

 近藤君が僕を放した。それに周りのみんなも別にとがめる雰囲気にはならなかった。

「ちょっと、近藤君!なんで放すの!!」

 そのとき、金村は気づいた。さっきまで僕に向かっていた冷気が金村に向かっているということを。

「何?何みんな、どうしたの?どうして私はそんなふうに見るの?」

 金村が顔にあるニキビを神経質そうな調子で掻く(かく)。みんなはそんな金村にあくまでも冷たい視線をみんなで一致団結するように一斉にじっと見つめる。

「私、いつも金村さんのことをおかしいと思っていた」

 ぽつりと一人の女子生徒、三草清美が行った。この少女は波田(はた)さんが心で初めてのホームルームの時、波田(はた)さんのことで泣いていて、成田先生のいじめ根絶の授業の時、『うそー』と言って笑っていたのを成田先生に叱られて、今もついほんの前までは僕が近藤君に捕まれていたとき、楽しそうに笑っていたことを僕はよく覚えている。その少女が言う。

「金村さん、おかしいよ。どうして、そんなに人をいじめてうれしそうに笑っていられるの?私には信じられない。波田(はた)さんの時だって、私、影ながら、波田(はた)さんのことがかわいそうでならなかったわ。どうして、そんな残酷なことできるの?あなた、心の大事なところが欠落しているんじゃないの?」

 そうそう、という声が女子が同調した。アメーバは同調しやすい、のでこのようなことも当然行われる。

「金村さん、私もあなたのことどうかな、と思っていた。そんなに人をいじめていて楽しい?いつも行動していておかしいと思っていたよ」

「そうそう、それにあんた、いつもちょろちょろと行動していてさ、陰気だよ。そういうやつがいじめをするのかねぇ」

 里見と千早がそう言った。この人達も金村と一緒に村田をいじめていた人たちだ。

「え、だって、…………え?」

 みんなが冷たい視線を浴びせつつ、自分の席に戻っていく。僕も自分の席に戻った。あとには立ちすくむ金村だけがぽつんと一人立っていた。




 11月の寒い風が灰色の均質な町並みに吹き散らす。その均質な町並みのなかの一角に、つまり珈琲(こーひー)館の中に僕達はいる。珈琲(こーひー)館は清潔なエレガントさ、言うなれば無味乾燥とし、清潔さだけがその場を支配する喫茶店だ。その中で僕達はまったりとお茶を飲んでいた。

「いやー、本格的に寒くなってきたね。そろそろカイロとか使わないといけないよね」

 今は幸せのまっただ中にいるような満面な笑みを浮かべて、寺島さんは言った。

「ああ、そうだな」

 それに光が同意をする。僕はそれを見て、自分のコーヒーを見る。コーヒーはブラウンになりミルクが沈殿していった。僕はそれを見て彼らに話す決意を固めた。

 フレイジャーを見る。フレイジャーの瞳は凍った湖の張りがあった。

「いいよな、フレイジャー?」

「ええ、いいわ。私は別に彼らに話してもいいと思っていたし、あなたがいいのなら。構わないわ」

「わかった、なら、話す」

「え?何?何?」

 僕たちがあのことを美春達に話すことを決意をしていると、美春が僕たちの顔を見渡した。光は。

「…………………」

 黙っていた。居間まで疑念(ぎねん)に思っていた答えが与えられる予感を感じ、身を引き締め待っていた。

 僕はあたりを見渡す。店内は幸いなことに誰もいなかった。だからこそ、僕は今、言う決意をした。

「光、美春。声を大きく立てずに聞いてくれ。波田(はた)さんのことなんだが、彼女は死んだのは知っているな?」

「うん」

「ああ」

 二人は肯いたが、まだ、何か言いたいのかよくわかっていない美春に対して、光は何か僕が言わんとしていることが予見できたような顔をした。

「その彼女はただの自殺じゃない。いじめで自殺をしたんだ」

 その瞬間、一つの水が落ち、湖に波紋が何層も広がったように静かになった。そして、その波紋が無くなった頃、美春は立ち上がった。

「ええええぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」

 甲高い声を美春は出した。何事かと、店内にいる人たちはこちらを見る。僕は彼らに会釈をして、三春に言った。

「静かに!」

「だって、だって……………」

 美春はおろおろとした仕草を目を行ったり来たりさせる。光はそのことがわかっていたのか肯いて、言った。

「やはりか」

「ええ!!光、わかってたの!!」

「静かに!」

 僕は再度、美春に警告(けいこく)する。それに、美春はしゅんとした。

 光を僕のほうに顔を向けていった。

「笹原、それは本当なのか?」

 僕は肯く。そうすると光は、そうか、といった。

「いろいろと紆余曲折があったんだけど、学校側はいじめを黙殺しようとしている。僕はそれに逆らって、波田(はた)さんの両親に全てを話したんだ。それで、また学校側は先生を使って生徒に僕をいじめさせようとしたんだ。一応、僕に何かあったら、光、美春。波田(はた)さんの両親に伝えてくれ、波田(はた)さんの家の電話番号はこれだから」

 そう言って、僕は携帯を出して、二人に見せた。光はそれを自分の携帯に登録していたが、美春はまだ、うろちょろと混乱をしていた。

 僕は光が登録しているならいいか、と思って、携帯を回収する。美春は混乱のまっただ中にいるようだったから。

「それで、これからどうするつもりだ?一樹」

 光の目は黒の沈殿で僕の瞳に入り込むような瞳をしていた。

「まずは波田(はた)さんの両親次第だよ。ご両親が迷っているようだから、今は何もしない。僕はあの人達が行動を決意するまで待っているんだ、だから、光達もこの事を黙ってほしい。ご両親が行動を決意するま……………」

 そのとき、携帯が鳴った。僕は携帯を取る。発信先は『波田(はた)貞』と書かれてあった。

「はい、もしもし」

『笹原君か?』

「はい、そうです」

 波田(はた)さんは黙っていたが、やがてこう言った。

『決心したよ。あのことを話す。私たちは教育委員長に話すから、君はマスコミへの文書を送ってくれ。簡単にこんなことを言いたくないが』

 そう言って貞さんは一つ区切って話した。

『いろいろと話してくれてよかったよ。聞いているときはつらかったけど、やはり、私たちには真実が必要だったから。私たちはこのいじめを認知してくれるまで戦い続けるよ。改めて、お礼を言う。ありがとう笹原君』

「いえ、こちらも人として当然なことをしたまでです。僕もそちらのお手伝いをできる限りしたいと思います」

 貞さんは、ああ、ありがとう、といって、電話を切った。

 僕は携帯をしまい、みんなを見渡していった。

「さっき、波田(はた)さんのお父さんから電話があった。いじめを話す決意をしたようだ。僕にもマスコミに対して文書を送ってほしいと言うことを頼んできた。みんな、この事に協力してほしい」

 僕がそう言うと、光が顔を引き締め、美春はあまりの展開に混乱して、フレイジャーは遠目で僕を見ていた。

「みんな、協力してくれるか?」

 重ねて言うと、まず光が手をあげた。

「ああ、協力する。美春はどうだ?」

 美春は自分に水を向けられると驚いた(おどろいた)顔をしたが、あわてて肯定をした。

「う、うん。いいよ」

 僕は最後にフレイジャーの方を向いた。

「フレイジャーはどうだ?」

 フレイジャーはじっと僕の瞳を氷山に吹く風のように入り込み去っていった。

「私はしないわ」

 それが、答えだった。

「よし、わかった。じゃあ、美春、光。今から僕の家に行って文章を作るけどそれでいいかな?」

 それに二人が肯いたので僕たちはコーヒーを慌ててのんで立ち上がった。




 僕たちが僕の家に行くために自転車置き場に行くと、その前にフレイジャーが僕を呼び止めた。

「ちょっと、笹原。いいかしら?」

「ああ、いいけど」

 そうして僕はフレイジャーのそばに来た。フレイジャーは店の西側に移動した。フレイジャーは呼び出しておいてしばらく僕に背中を見せて黙っていたが、やがて振り向いてこう言った。

「ささいなことなんだけど、私たちも名前で呼び合わない?」

 そうフレイジャーは言った。やはりその瞳は氷山の頂を授かっているように冷たかった。

「ああ、別にいいけど、しかしなんでこの時に?」

 僕は当然な疑問を言う。フレイジャーはその瞳に少しのノイズが入ったかのように小さく眉をしかめた。

「う〜ん。まあ、あなたが変わったから、かな?名前で呼び合う理由は。それに美春と光が名前で呼んでいるのに、私だけが名字で呼ぶのは少し面倒になってきた。だから名前で呼んでおきたいの」

 そう、フレイジャー。いや、キャサリンが言った。僕もそういうことならと肯いて言う。

「ああ、いいよ。キャサリン」

 僕がそう言うとキャサリンは冷たい寒波の中の小春日和(こはるびより)のようなかすかな輝きを瞳に見せていった。

「じゃあ、握手をしましょう」

 そう言ってキャサリンが手を差し出す。僕もその手を握って上下に動かした。

「一応、名前で呼び合うからには私たちは友だちということいきましょう。そんなに深い仲を目指しているわけではないけど、一応長いつきあいだからね、そうしましょう。これでいいかしら?」

「ああ、わかったよ」

 それに僕も肯いた。これで僕とキャサリンは名前で呼ぶこととなった。12月の曇天(どんてん)とした空で起きたことだった。




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