第40話40


 放課後。僕たちはTSUTAYAの珈琲(こーひー)館に来た。今日はお茶を飲むだけなのだ。

「いや〜、びっくりだね〜。三枝先生が辞めて、新しい先生が来たなんて。でも、なんだか新しい先生って厳しそうだね」

 そう、寺島さんはアイスコーヒーにストローに口を突き出してくわえながら言った。

「うん、そうだね。実際に厳しい先生だよ」

 ぼくもグラスを持ってアイスコーヒーを飲んだ。9月とはいえ、まだ夏の暑さが名残惜しそうに残っているのだ。

「確かに、あんなに厳しい先生は最近は見かけないわね」

「………………」

 キャサリンもこの話には乗ってきたが、ただ、真部だけは腕を組んで無言に押し黙っていた。

「ところでさ」

 寺島さんが場をまじめな話から、話しの奔流に移し替えようとした。女性によくある会話だ。

「こないだ青山七恵の最新刊が出たじゃない。あれについて、どう思…………」

 ぼくは寺島さんがはなす話の本流を話半分に聞きながら、残暑の空を見て、まだ、この暑さは続くな、と思った。




 成田先生が最初のホームルームを起こした。成田先生が教室に入ってきてでかでかとホームルームと書く。それは僕たちが何かクラスの決めごとを決めるのだろうが、いったい何がある?文化祭はもうつぶれてしまったし、なにもやることはないだろう。と思っていたのだ。

 しかし、成田先生は違った。あの人はホームルームと書くなりこんなことを言い出した。

「おまえら。今、このホームルームの時間を使って丸ごと、おまえ達に俺が問うことをしたいと思う。おまえら、クラスで困ったことや、昔これが困っていたことはないか?」

 成田先生の言葉にクラスはざわざわし始める。この人は何を言っているのだろう?と思ったのだ。成田先生は壇上(だんじょう)に両手を広げるように置いていた。成田先生がそうするとその両腕の筋肉から、自然と威圧感が生まれてくる。

「そうか、分からんか。そうだな。これはかつて困った事態に陥ったことでもいいぞ。たとえば、誰かがやんちゃをしたとか、誰かが、迷惑な発言をしたとか………」

 そこで成田先生は少し口どもった。何だろう?成田先生のような人でも口どもる事はあるのだろうか?クラスのみんなも水面に落ちてくる虫をじっと見つめる魚のような沈黙をした。みんなも何かあると思ったのだ。

「たとえば、このクラスでいじめがあった、とか」

 皆のコウモリが飛び放った。コウモリは最初は少しずつだったが、やがて大きなスタンピードになっていった。

「静かにしろ!」

 しかし、成田先生の一声でそれも収まった。

「おまえら、静かにしないか!いいか、これはただの仮定だ。学校ではこう言うことに対して注意をしていかないといけない。だから、万が一の話だ。万が一のな。おまえら、そういうことがないかどうか今から無記名のプリントを配る。それに書くことがあれば書くように」

 そうして僕たちは先生からプリントをわたされた。そこにはいじめがあったかどうか、いじめの気配があったかどうかが、ひと枠を使って書くようになっていたがぼくはそれを今、書くべきではない、と思った。

 こういうことはこんなプリントに書くべき話ではない、と思ったのだ。

 そして、成田先生はプリントを回収した。成田先生の表情を見る限り、どうやら成田先生が欲する情報はないようだ。

「おまえら、ざっと見たがほとんどの人が白紙のようだった。先生はいじめがこのクラスになかったと言うことが、想像の上での話を抱かなくてうれしいと思っている。もし、これから、こういう風潮があったなら、職員室にまで来て話して欲しい。こういうことは早めの相談が一番だからな」

 そう言って、成田先生はこれでもって解散をした。成田先生が出た後、クラスは全体が直射日照に置かれてある、水で膨らむおもちゃのように、その緊張の水を抜かしていた。









 それに最初に気づいたのは金曜日のことだった。

 9月の少しずつ、夏の天候が秋の天候へと移り変わるとき、それを知った。

 体育の授業。二人ひと組になって、体操を行うのだが、そのときに村田が金村のペアにならなかったのだ。

 本来なら金村が村田の所に行くのだが、金村はほかの女子の所に行った。

 そのことについて、ぼくは深く考えなかった。そういうこともあるだろうぐらいにしか考えられなかったが、あとにそのことがどんな意味をもたらすかわかっていなかった。

 そのことについて、革新(かくしん)的に今ある事態をつかんだのはその五日後であった。

 その日の世界史の授業村田は教科書を忘れていた。それで先生が誰か見せてやれ、ということを言ったのだ。

 ぼくは村田に教科書を見せようとした。いじめの問題があるけど、それはぼく自身の手で告発すべきであって。今の授業とは関係がないと思っていたからだ。

 そう思い、席を立とうとすると、一つの紙が後ろの席に届いた。そこに書かれてあったのは。

 見せるな。これを回せ。

 だった。そのときに今、ぼくはクラスの状況を理解した。そういうことだったのか、と思ったのだ。

 結局、村田はある女子生徒が教科書を見せることになったが、その女子は村田に可能な限り離れて、教科書をつきだしていた。




 とんでもない事態になった。

 それがぼくの感想だった。まさか、ここまでの事態に発展するとは。

 ぼくはその日の夕方に家に帰ってきて、じっとベッドの上をうずくまっていった。

 これはとんでもない事態になってきたぞ。まさか、村田がいじめられるだなんて。それでどうする?ぼくはどうする?波田(はた)さんのいじめを告発しようと考えてきたけど、その告発したい相手が今度はいじめられるなんて、どうする?

 しばらく考えたが、ほどなくぼくはすぐ結論を出した。

 やはり先生に相談するのが一番だな。

 ぼくはそう思った。ひとまず、村田のいじめをかばって、そして先生に相談するのがベストだ。人をいじめていたとはいえ、人にいじめられていいわけがない。

 ただ、自分にはそれができるのか?という疑念(ぎねん)が突如(とつじょ)わいてきた。

 そうだ、波田(はた)さんのときにはできなかった。ぼくがそれをできるのか?いや、違う。やるんだ。そうしよう。

 闇のうちにいるコオロギの鳴き声がいつまでもこのぼくの部屋に響いていた。

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