第41話 41
8章 新しい、いじめ。
清らかな朝。地上でどんなことが起きていても朝それ自体は清らかな物だとぼくは信じている。その昨日と変わらない清冽さを感じさせる朝に、村田は孤立していた。
明らかにだれも村田に話しかけなかった。ぼくは村田に蝉(せみ)の抜け殻みたいだと感じた。
みんなが村田のほうを見向きもせずにおしゃべりをしている、あの金村もだ。村田はそれにうつむく姿で応じていた。これは村田なりの彼らに対しての宣戦布告なのか。それとも、ただ暗くなっているだけのことなのか。
ぼくは、今、村田に話しかけようかどうか思った。ここで話しかければぼくもハブられる結果になるだろうが、それでも、ここで話しかければぼくはもういじめに荷担しないという意思表示になるし、何よりそれで村田の心の苦しみが少しでも抑えられるのなら、やるべきではないか?
ぼくはそう思いそれをやろうと思ったが、ぼくを闇から出た一つの手がつかんできた。
ーおい、兄弟、それは正気の考えか?
ーああ、正気の考えだよ。
ぼくは闇に答える。
ーいや、全く、俺にとっては正気の考えとは思えん。おまえはなぜ、わざわざ血が見る茨(いばら)の道を進もうとする?ここにいれば安村田だ。
ー痛いのは承知のことだ。痛い道こそが善なる道なんだ。快楽ばかり追ってはどうしようもないし、何より村田は苦しんでいる。ここは助けてやるべきではないのか?いや、助けるべきなんだ。
そう思いぼくは体を動かそうとしたが、闇の手はまだぼくをつかんできた。
ー待て待て、何でおまえはそんなに短気なんだ。いいから落ち着け、兄弟。おまえはそんなに粋がっている気持ちでいるかもしれないが、しかし、肝心の村田がその援助の手をほしがっているとは限らないだろ?
ーえ?村田が?
確かにその可能性があり得た。肝心の村田がそういう手を払いのけるかもしれなかった。そうしたら、どうする?
ーそうだ、どうする?その可能性を考えたら。
ぼくはぐるぐる考えたが、やがてある結論にたどり着いた。
ーいや、それは可能性の話だし。相手に必要としないかもしれないけど手をさしのべることこそ、善意と呼ばれる物ではないか。ぼくは、ぼくはそれでも村田に手をさしのべよう。
そう思いぼくは立とうとしたが、そのとき予鈴が鳴った。
「よーし、おまえら、ホームルーム始めるぞ」
成田先生が早めに来て、そして僕らのクラスがホームルームを始めることとなった、結局ぼくは彼女に話せなかった。
「よし、ここで授業終了」
予鈴が鳴り昼休みになった。黄色の光中でこの光の気温が段々と気温が下がっていることは、肌で感じる。今回の秋は普段通りの秋であるらしかった。
窓の外を見ていた僕はふと村田のほうを見てみると、村田に金村さんと複数の女子が村田を取り囲んでいた。村田の顔面は蒼白だった。
やばい、これはいじめだ!早く、助けに行かなければ!
しかし、また闇の手がぼくをつかむ。
ーまあ、待てよ兄弟。これはいじめでないかもしれないだろ?これは友人達同士のつるみではないのか?
ー馬鹿言うな、村田は傍目(はため)からわかるほど、顔面蒼白だ。
ぼくの言うとおり、村田は顔面蒼白であった。
ーなるほどな、しかし、ここで冷静に考えてみてくれ、兄弟よ。今のおまえには何ができるのか?
ー何ができるか、だって?
ぼくは考えた、いったい何を言おうとしているんだ、こいつは?
ーそうだ。よ〜く、考えるんだ兄弟。今、兄弟が村田を助けようとしても、どうやってそれを助けるんだ?
ーそれはおまえら、村田に近づくな!とかそういう物だろ?
ーいや、わかっていない。わかっていないよ、兄弟。そう言ったとしても、金村達が私たち友だち同士では話すんですけど。といったらどうするんだ?
ーあ!
確かにそれは盲点だった。ぼくはてっきり話せばいじめを止めることができると思っていたのに。
ーああ、そうだぜ。わかってくれたか、兄弟?おまえには村田のいじめを止める事なんてかなわないのだ。
村田と金村さんがどんどん遠ざかっていく。そして、教室から消えてしまう。
ーどうだ、兄弟。わかってくれたか?だから、村田を救おうなんて事はあきらめな。
そういう闇の声がぼくを放さなかった。ぼくは逡巡(しゅんじゅん)した。確かにぼくは村田の何ができるかは知らないが、それでも。
ーいや、行こう。どうすることもできないかもしれないけど、それでもぼくはまず、やってみよう。
そして、ぼくは飛び出した。机の整理もせずに空中に跳ね上がる魚のように飛び出したのだ。
それでぼくは廊下を見た。廊下にはおしゃべりしている女子とはしゃいでいる男子が見えるだけで、村田はどこにもいなかった。
また、別の日。放課後のときにぼくは真部たちとTSUTAYAに行く約束をしていたのだが、その日は先生に頼まれた雑用を思い出して、真部たちに待ってもらっていたのだ。そのためぼくは雑用をさっさと終わらせようと思ったのだ。
雑用は簡単な物でプリントを職員室に運ぶという物だった。ぼくはすぐにそれを済ませて教室に戻ろうとして職員室とは反対側の教室の前の会談に来たとき、彼女がそろりと現れた。
秋の風が蕭々と吹いているときに彼女は服や体を泥だらけにして、顔を俯けて全身を霧雨を降らせながら歩いていた。どこから見てもその霧雨は悲しかった。
ぼくは、また話しかけよう。今度こそ、話しかけようと思った。が、またやつが現れてきた。
ーよう、兄弟。待つんだ、まだ彼女が泣いているのはいじめだと決まったわけではないだろう?
ー何を馬鹿な、あれはなんと言ってもいじめだ。そうに違いない。
ーいやいや、待て兄弟。女が泣いているんだからいじめ以外にも、失恋だという可能性もあるだろう?
ー馬鹿な、失恋だったら、あんなに泥だらけになる意味ではないよ。あれはどう考えてもいじめだ。
村田の姿は泥姿であって、どう考えても失恋で泣いているとは思えない。ーいや、しかしだな。兄弟よ、ここで考えてもらいたいのは。
ーいや、もう行くよ。
それでぼくは足を踏み出す。村田が階段に向かうのを見ながらぼくも階段のほうに足を向ける。そうすると村田の背中が見えた。まだ、階段に足をつけたところだ。
ぼくは小走りに村田の背中に追いつく。後は声をかけるだけだ。
なんと、声をかけよう。村田、どうしたの?か?それとも、その泥どうしたの?か?それとも、どうして泣いているの?か?
ぼくは考えながら村田は歩く。半分の段に到着する。ぼくは焦った。このままではいけない。早く、言わなければ。しかし、何を?
いやいや、何でもいいのだ。何でもいいから早く何かを言わないといけないのだ。どうしたの?でいいのだ。何があったかそれを尋ねるだけで。
そうこう考えているうちに村田は2階に到着した。
やばい、早く言わなければ、そうだ、あとちょっと。
背中は見えていた。暗く曇天(どんてん)が張られた背中を。ぼくはその曇天(どんてん)を晴らすことをしなければならない。その背中はもう一人、死んでいくのを止められなかった過ちを犯さないために
しかし、あと少し、もう少し胃から何かがせり出して、あとちょっとで言えるそのときに、村田は教室に立った。
ぼくは反射的に下がった。それは本当に反射的な物だった。2ーBの教室から下がった、ぼくを本当に気づいていないように村田は教室に入っていった。
ぼくはさがった。心臓の堰(せき)を切ったかのような鼓動を聞きながら黄金色に染まる秋の彩雲(さいうん)がぼくをしめやかに照らし出していた。
村田は出てきた。彼女の目にはなにも映っていないだろう、とぼくは直感する。そのまま、彼女は階段を下りていった。
僕は村田が出て行ったのを見て、教室に入り、カバンを取り出して、真部達がいる方へ走って向かう。
「うふっ、うふふふっ」
寺島さんがいかにも幸福の水がいっぱいになって、もはや堰(せき)止められずに、ちろちろと水がこぼれだしているようだった。
ぼくは隣の真部にこう言った。
「寺島さん、幸せそうだね。何があったの?」
「ああ、どうやら恋人とうまくいっているらしい。それで幸せなんだとさ」
「ふ〜ん」
僕は寺島さんを見た。寺島さんは天使の祝福でも受けているかのような輝かんばかりの明るさとうぬぼれを放っていた。
「うふっ。ふふふっ。ああ、この幸せな気持ち恵まれない人たちにも分け与えてやりたいくらいだよ」
などという、至極(しごく)無神経なことをの賜っていた。
ぼくは馬鹿をほっといて、(こんな彼女に少しでも惚れていた自分が不思議なくらいだ)村田のことを考えた。
どうやら、ぼくには村田のいじめを止めることができていなかった。それは事実だ、これは認めなくてはならない。なら、今後は?今後はどうなのだ?
これからぼくは村田をかばうことができるだろうか?それはひどく難しいことだった。これまではできなかった。今度こそは!できるようにしたい、と思いつつ。それはなかなかできずにいた。やはり、それは自分の怯懦(きょうだ)心が原因だった。その場で行動しようと思うと心臓が高鳴って、行動できないのだ。
今度こそ、しよう。
そうぼくは密かに自分の誓いを立てた。そして、そのかたわら、寺島さんが幸福に満ちた鈍感な言葉を吐いていた。
「ああ、幸せだな〜。この幸せで今、不幸に陥っている人を救えない物かしら?」
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