第36話 36


「これ、美味しい!これ、本当にマッハ美味しいよ!」

「その副詞の使い方はないと思うよ」

 あの不機嫌(ふきげん)なクマゼミは料理が来た瞬間、それこそマッハ冬眠をした。

 しかし、まさか、ここまで一気に気分が変わるとは思わなかったな。

 それがぼくの感想だった。人が不機嫌(ふきげん)になったら、そうは変わらないと思っていたけれど、寺島さんの場合は違った。料理を食べた瞬間、蝉(せみ)が脱皮をするがごとく、一気に変わった。

 この事にぼくは少なからぬ衝撃を受けていた。何か、一瞬(いっしゅん)で人の考えが変わると言うことが怖かった。どうして怖いのかがうまく言えないが、生理的にそれがいやだし、怖かった。

 そういう同様をしながらも、それを隠して、普段通りにぼくは寺島さんに話しかける。

「そうだね、よかったね、寺島さん。美味しい、カルボナーラ食べれて」

「うん!これはほんと美味しいよ。ありがとう、こんな美味しい店を紹介してくれて。いきなり、電話が来たからびっくりしたけど、このデートは成功だよ」

 デートではなくて仲直りのイベントなんだけどな。

 そう思ったが口には出さないでおいた。たぶん、彼女はよくデートをするから、そう言ったのだろう。それに。

 美味しい食事を食べただけでデートが成功だなんて、どれだけ食い意地がはってんだおまえは…………。

 そう思ったが口には出さなかった。それを言ったら、また元の阿弥木に戻るのは目に見えていた。

 まあ、それでもこのイベントが成功できてよかった。

 何せ、昨日電話を受け取って即興で考え出した物だからな。ほんと、気に入ってもらえてよかった。例え、食事のためだけでも。

 ぼくも木の実のペペロンチーノを食べる。

 ちゅる。

 唐辛子とニンニクの風味がよく聞いて美味しかった。けど、何か食欲がわかない。猛暑の中を歩き通したのが原因か。

 まあ、それもあるかもしれないけど、なんか食欲がわかない。本当に食べるという欲望が下火になるという感じだ。おなかがすいてるんだけど、食べたくない。不思議な感覚だ。

「どうしたの?」

 もうカルボナーラを食べ終えた、寺島さんがぼくのほうを見て首をかしげた。ペペロンチーノを半分しか食べないことに怪訝な表情をしていたのだ。

「いや、食欲がなくて、ペペロンチーノを食べれないんだ」

「ふ〜ん」

 ぼくの話をババロア時のキャンディーをなめるように聞いていた寺島さんは、一つの考えが浮かんだのか、目を光らせこう言ってきた。

「あのさ、笹原君。そのスパゲッティー、笹原君が食べないのなら……………」

「スパゲッティーはあげないよ、寺島さん」

 美春女神像にひびが入った。

「な、なぜ?何でわかったの?……は!もしや、あなたはエスパー!?」

「寺島さんの性格と話の文脈を見れば中学生でもわかるよ」

 驚いている寺島さんに秒速でつっこんだぼく。何というか、本当にわかりやすい性格。

 寺島さんはひとしお驚いた(おどろいた)あと、少し冷静になってこんな疑問を口にした。

「何で、食べちゃあダメなの?だって、食欲ないんでしょ?」

「ああ、それは僕は今日寺島さんをエスコートする義務があるから、食欲がなくても食べてちゃんと体に栄養を取らせないと。途中で倒れたり、体に力が入らなくなったらいけないからな。だから寺島さんはこれを食べてはダメ」

 ぼくがそう言うと寺島さんも頷いていた。何とか、言いたいことが伝わったようだ。

「じゃあさ」

 寺島さんが洞窟の中にある地下水がひとしずく落ちるような口調で言ってきた。

「そのペペロンチーノ一口ちょうだい」

 そう言ってきた。ぼくはすぐ了承した。

「ああ、いいよ」

 それで寺島さんはペペロンチーノを一口分フォークに巻いて食べた。

 ぱく、もぐもぐ。

「うん」

 寺島さんの表情がタンポポの花のように華やいだ。

「これ、美味しい。ペペロンチーノは文句なしだし、木の実がこりこりしていて美味しいね」

 ご満悦の寺島さん。僕はそれを見て安心する。

「まあ、ぼくは食欲がないんだけど、確かにこれは美味しいよ。じゃあ、ぼくは全部これを平らげるわ」

「うん、ファイトだよ。笹原君」

 そう言って、寺島さんが励ました。まあ、食事でファイトするのは悲しいことだが、事実そうなのだから仕方ない。

 そういうことなのでぼくは気合いを入れて、ペペロンチーノに向かった。




 ペペロンチーノを何とか平らげたぼくは背もたれにぐったりする。 

 ああ、疲れた。

 そう思った。夏は昼食を取るのが難しいな。そう思ってぐったりしていると、寺島さんがそばにいる店員に声をかけた。

「すみませ〜ん。追加注文を一つ。ケーキセットをお願いします」

 その天真爛漫(らんまん)な笑顔は自身の善性になにも疑いを感じさせなかった。笑っていればすべてが許されると思っているのだろうか?自分が相手になにも被害を与えないということを確信している笑顔だ。そして、ぼくはそのことに対して正義の矢で撃ちぬかなければならなかった。

「寺島さん」

「ん?なに、笹原君」

 子供のような純真無垢の笑顔をして寺島さんが聞いてくる。しかし、純真無垢だからといって相手を困らせないとは限らない。むしろ、自分が純真無垢だからこそ、自身の反省がなく無内省のまま相手を傷つけることがあるのだ。

「ケーキ代の料金は自分の金で払うんだぞ」

 ぼくはそう言った。

「ご!」

 寺島さんは驚いた(おどろいた)。

「ちょ!ちょっと、ちょっと!それどういうことなの!」

「そのまんまの意味だよ。それは自分で払ってね」

 ぼくがそう言うと寺島さんは頭をぶんぶん振りながらこう言った。

「そんなの、あり得ない!だって、デートは男が払うもんでしょ!」

「これはデートではない。仲直りのためのイベントだ。だから、ケーキ代は自分で払ってくれ」

 そう言うと、寺島さんは両腕を胸の前に移動させ、かわいい声をして言った。

「ええ?でも、普通ここは笹原君が男気を見せて払ってくれてら、私うれしいかも」

「そういうことをするのは彼女だけだ」

 一瞬(いっしゅん)でぼくはふわふわ人を誘惑する蝶(ちょう)を切り捨てる。

「ええ!?じゃあ、私があなたの彼女になったら払ってくれる?」

「それはお断りだ」

 今度は変化球できたがぼくはその変化球をはじいた。

 寺島さんはぼくの言葉に自分の女のプライドが地殻変動(ちかくへんどう)を起こし、山が噴火を起こしながらこちらに迫ってきた。

「ちょっと!どういうことよ、笹原君!どうして、そんなことが言えるの!私に女の魅力がないわけ!」

「たぶん、十人中7人ぐらいは寺島さんを彼女には遠慮(えんりょ)したいと考えるんじゃあないかな。それに魅力がないかどうかで言えば微妙だけど、とにかく彼女にしたい女子でないことは確かだ」

 ぼくは一気にそう言うと、寺島さんは呆然(ぼうぜん)とした表情を作ったが、やがて、涙をため始めて、どんどん眼からこぼれていった。

「ひどい、ひっく。私、そんなにひどいことを言われたのは初めて。ひっく、もう知らない、笹原君のことなんかもう目も合わせたくない」

 そう言って手で顔を隠して泣き続けた。

 ぼくは動揺をした。まあ、何せそうだ。女の人の涙を見るのは初めてだから、ひどく動揺をしたのだ。だから、ぼくは寺島さんに駆け寄って、こう優しい言葉をかけた。

「ご、ごめん、寺島さん。何せ、そんなに寺島さんが動揺しているとは知らなくて、ごめんよ、寺島さん。どうか、泣き止んでくれよ」

 そう言ってぼくは泣いている寺島さんの方をさすりながら言った。そうすると、寺島さんは手をどかしてひまわりのような明るさでぼくにこう言った。

「じゃあ、ケーキ代払って」

 ぼくはスズメバチのような冷酷さで寺島さんのほほを思いっきりつねった。


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