第23話23

 朝、僕は支度を済ませて自転車に乗る。真部の家に行くために、これから出かけるのだ。自転車を漕ぎながら思うことは今日も朝の日差しが澄み切っていて、清澄(せいちょう)な光で満たされていることに自分のなかにあるものが浄化されていくように感じた。

 今日もいい天気だな。

 そう思いながら漕いでいたらじきに家に着いた。

「おはよう」

「おはよう」

 真部の家に着くと同時期にキャサリンにばったりあって挨拶(あいさつ)をする。キャサリンは黒と白のボーダーのチュニックと黒のパンツをはいていたが、不思議とキャサリンに合っていた。

「今日もいい天気ね」

「ああ、そうだね」

 つい、前までは友人にはなりたくないといっていたのに、いったいどういう心境の変化で話しかけてきたのだろうか?挨拶(あいさつ)ぐらいならできるということか?

 そんなことを考えつつも、自転車を置いて家のインターフォンを鳴らす。そうすると出たのは真部ではなくて、なぜか寺島さんが出てきた。

「お!いらっしゃい。どうぞ、上がって、上がって」

『おじゃましまーす』

 家に上がる僕ら。寺島さんは白のTシャツに赤いガーディガンに灰色のスカートをはいていた。そして僕らは部屋に上がった。

「お!来たか。どうぞ、座ってくれ」

 僕らは真部に挨拶(あいさつ)をして部屋に上がった。真部はデスメタルっぽいプリントのTシャツとジーンズをはいていた。僕らはそのあと、せんべいでも食べながら雑談をしていたが、ほどなく読書会に移ったのだ。

「さて、この『1984年』についてだが、まず何から話そうか。だれでもいいから感想を述べたい人は手をあげて欲しい」

 真部はそう言ったがだれも手をあげる人はいなかった。ぼくはこれについていろいろ言いたいこともあったので挙手をした。

「はい、笹原」

「え〜とですね。ぼくがこれについての感想というのは平凡的であり革新(かくしん)的な話しだと思いました。これは独裁政権下にある人を描いた物ですが、主人公はそれに少数ながらビックブラザーに批判精神を持っている人間です。


 それで独裁政権だから、批判する心を持っているだけでも死刑になるので主人公はそれを隠します。まあ、そういう設定で、主人公はビックブラザーにテロ行為をする組織に接触を図ろうとしますが、それに失敗して捕まり死刑になるという物ですね。これを最初に読んだときはなんて陳腐な話なんだろうと思いましたよ。


 だって、こんな題材どこにも転がっていますから。しかし、だからこそ革新(かくしん)的な小説だと言うことを言いたいです。多分、これが先駆けとなってこういう話が作り出されたと思いますから。だから、総合的に考えるとあまりおもしろくない小説ですかね。と、まあそう思いました。以上です」

「ふむ、笹原の意見に何か言うことがあるか?」

 真部はそう言ったが、特に反対の意見は上がらなかった。

「はい」

 そのときフレイジャーが手をあげた。何か違う感想があるのか?

「どうぞ」

 真部が指名してフレイジャーはこう言った。

「はい、言いますけど、私も別に笹原になにも注文をつけるつもりはありません。ただ、彼、ジョージ・オーウェルが何か女性を蔑視しているような気がするわ。


 ちょっと女性が秩序に対して順々しやすいように書かれてあることが気になるわ。彼は女性に対して侮蔑(ぶべつ)的な感情を持っているような気がして、はなはだ不愉快です」

 そうフレイジャーは言った。フレイジャーの考えに寺島さんもふんふんと頷いている。その話を真部は後を引き継ぐようにこう言った。

「じゃあ、キャサリンの話に反対の意見や、この作品の別の感想を持つ人はいるか?」

 ぼくは手をあげる。

「はい、どうぞ笹原」

「オーウェルは女性を軽蔑してていないと思います。その証拠というのは彼女、作品では黒髪の美人の彼女ですが、彼女は秩序の従順しているというよりは女性はある社会の規範を一元的に受け入れるというものという風に書かれているものという気がします。


 元カノの場合は子供を生むことがビックブラサーの社会のなかの規範だからそれをしようとしたに過ぎず。社会の規範が変われば、また別の行動をするでしょう。だから、単純にオーウェルが女性を侮蔑(ぶべつ)したとは考えられないです。


 彼が考えた女性像という物は、何か、周囲の状況に過剰に適応する物と考えた節があると思うんだ。だから、元カノのように子供を産むためだけのセックスしか容認しない、というようなことが起きるんだ。だから彼はそういう物として女性を書いたんであって、女性を侮蔑(ぶべつ)的な存在して書いたわけではないと思う。ぼくの意見は以上です」

 ぼくはそう言った。

「うむ、笹原はそうと言っているがキャサリンはどう思う?ちなみに俺も同じ意見だ。それほど彼は女性に対して性差別的表現は使っていないように思える。女性をただ、そうある物と書いてあるように思える。これを性差別的というのは行き過ぎだろう。どうだ、キャサリン?」

 真部はフレイジャーに話を振った。フレイジャーはそれに答える。

「言っておきますけど、私には二人の意見が間違っていると思います。なぜなら。なぜならですよ、二人はオーウェルが女性差別的ではなくて普遍的(ふへんてき)な女性像を提出したと言いましたけど、はっきり言いますが、私にはそれ自体が間違っていると思います。


 なぜなら、そういう普遍的(ふへんてき)な女性像を提出すること自体が女性のラベリング的な物につながり、女性の行動の制限につながると思うからです。だから簡単に女性の普遍的(ふへんてき)な姿を描くこと自体が反対です。それがラベリングにつながるから」

 そうフレイジャーは言った。ぼくはそれを聞きながら心の中に湯気のように暑く沸き立つ物を感じた。

「ちょっと!それを言うのなら文学作品のほとんどが制限がかかることになる!それだと全く文学作品の芸術性がなくなって、それを言われると人類の普遍性が欠けなくなるではないか!


 それにこの作品は独裁政権を描いていたのであって、女性を書いた作品ではないことはすぐにわかるはずだ。それで、独裁政権下にある一般的な女性像を描いているだろう。Aという状況下の中で一般の人たちを描くのだから、それは簡潔に書けばラベリング的になるざるをえないだろう。だから、フレイジャーの言ってることは芸術のすべては崩す無茶なことだ」

 ぼくはそう言った。みんなが黙っていた。フレイジャーも黙っていた。

「よし」

 そのとき真部がいった。

「笹原の意見に反対な人はいるか?」

 今度は誰もいなかった。

「じゃあ、ここは笹原の意見でよいとする、いいな?」

 みんなが頷いた。フレイジャーも渋々(しぶしぶ)頷いていた。

「あとは俺がこの本で疑問というか、みんなに考えて欲しいことは最後ビッグブラザーと対決するとき、ビッグブラザーがこの世を支配するのは憎しみであるという台詞(せりふ)があるが、これについてみんなはどう思う?」

 とまあ、真部はこんなことを言ってきた。かなり、無茶な物を引っ張り出してきたな、というのがぼくの感想だった。

「憎しみ、憎しみねぇ。果たしてそれで人をつなぎ止めていくことはできるのか?だって、ソ連は崩壊したしなぁ。独裁政権を維持していくことはできるのか。ムバーラク政権も崩壊したし、カダフィ政権も戦闘中な訳だからなぁ。どう思う、フレイジャー」

「え?わたし?」

 ぼくの振りにフレイジャーは少し戸惑いながら答えた。

「そうねぇ。でも、私が思うにビックブラザーのやり方もわからないことはないわ。一時的にせよ、9・11のとき米国民はアルカイダへの憎しみを持ち、アフガン、イラク戦争をすることとなったわよね。それからもわかるとおり、憎しみというのは一時的にせよ、人を団結させることができるわ。実際に米国でも9・11直後は強権的なブッシュ政権への批判がほとんどなくなっていたし、だから、私はビッグブラザーの言ってることもあながち間違いではないと思います」

 そうフレイジャーは言った。真部はそれを引き継いでこう言った。

「どうだ、これに反対な人はいるか?」

 ぼくはそれに挙手をする。

「はい、笹原」

「はい。言いますけど。憎しみは一時的にはいいのですけど、権力者がそれを利用して自分の利権の強化をし、それが国民にばれたときにはその政権自体の正当性がなくなります。だから、それを使うことにはかなりのリスクな選択肢だと思います。ブッシュ政権も前期と後期でだいぶ、米国民の中で評価が違っていますから」

 そうぼくは言った。

 それにみんなまた黙った。言うべき言葉を見つからないようだった。

「やっぱり無理ね」

 フレイジャーが出し抜けにこんなことを言う。

「私たちは政治学者ではないのだから、独裁政権のあれやこれなんてわからないわ。あまりこう言うことはわからないしね。まあ、でも結論を述べるならば、確かに憎しみで人を団結させることができるが、その団結によってなしたことが失敗もしくは、権力者の権益の強化をしていると発覚したときは国民の期待が一気にしぼみ、むしろその権力者に厳しくなるという訳ね。それで民主主義政権だと交代、独裁者政権だと批判者への弾圧と言うことになるのね。みんな、これでいいかしら?」

「異論はないよ」

 フレイジャーの言葉にんなは異を唱えず、ぼくの賛同にもみんなは肯いてくれた。

「じゃあ、これはこのくらいにしとくか。あまり、長い間討論をすることはなかったが、結構(けっこう)実りある読書会だったと思う。これにて解散!」

 それで、読書会は終わった。結構(けっこう)あっさりした物だったな。それがぼくの感想だった。




 読書会が終わって、ジュースでも飲みながら雑談と今後の予定を立てる。

「ねえ、今度はどこ行く?」

 寺島さんがそんな無垢の表情のままみんなに聞いてくる。

「どこ、どこっていっても金がないしな。倉敷の美観地区には行けるか?」

 ぼくの言葉を今度は真部が後を引き継ぐ。

「それはどうだろうなぁ。あとで調べておくよ。まあ、だけど高校生の小遣いで遊べるところと言ったら、あとは後楽園?」

「そうね、あとはそれくらいなものね」

 そうフレイジャーも言った。

 ほんと、高校生のお小遣いじゃあ、これが限度だな。

 ぼくがそう思っていると、別方向からの声が聞こえた。

「あ、このポッキー美味しい」

 寺島さんがポッキーをポリポリ食べていった。

「このポッキー新製品?」

「新製品ではないがな。確か、ビターチョコだったか、そんなんだ」

「へ〜、でも、美味しいよ」

 そう言って寺島さんはポリポリ食べ始めた。僕たちもポリポリ食べる。冷房が効いた白い部屋の中でポッキーを食べている僕らは何か唐突な物のように感じられる。無機質な冷血な突拍子のない物、宇宙人が懇談をしている場面に遭遇したらこういう風になるのだろうか?そんなことをぼくは考えながらポッキーを食べていた。

「そういえば」

 寺島さんがそういえばといってこんなことを言い出してきた。

「そういえば、笹原君、あれ読んだ?『一瞬(いっしゅん)の光』それ読んだ?」

「ああ、読んだよ」

 そうぼくは言った。つい昨日読み終えたところなのだ。

「そうよかったー。じゃあ、感想聞かせて」

 寺島さんはそう微笑んで(ほほえんで)、子供のように人なつっこい笑みで言った。

「感想ねぇ。まあ、あれだよ。よかったよ、全体的に、今風な小説の流行に乗らない、人間が生きていく上での良き生の追求をしておりよかった。まあ、つまり、良き生の追求というものを正面切って書いたからぼくにとってはよかったよ」

 それがぼくの感想だった。

「ちょっと、待って」

 その発言にフレイジャーがカニがほかのカニをはさみで追い払うように、言葉にとげを乗せて僕に異議を唱える。

「ねえ、笹原。あなたはあの小説を読んだ感想はそれ?」

「ああ、そうだよ」

「そう、では私も言わせてもらうとね」

 そう言ってフレイジャーは一呼吸置いてからこう言った。

「私、あれはないと思うわ。なに、良き生について描こうとしてもこの男、二人の女性の間をふらふらしすぎよ。これはちょっと、あり得ない。小説だからって何を書いても許されると思ったら大間違いよ。とにかく、私はこれはダメだわ」

 フレイジャーがそういったとき、ぼくの鼓動が早くなった。どくどくと鼓動の音がマグマのように聞こえる。それはネズミのマグマだったが、だが、とにかくぼくはそのマグマを逃れるため、早くこう言った。

「しかし、小説にはどんな題材を書いてもいいという自由があるはずだ。確かにその題材で人に批判されることは甘受(かんじゅ)しないといけないが、小説には何を書いてもいい自由がある。それで、フレイジャーが言いたいのはあまりにもこの物語の結論を得るためのストーリー、題材が悪いと言いたいんだね?」

「ええ、そうよ」

 ぼくが言った言葉をフレイジャーは冷気をまとまったままそう言った。本当なら、涼しいと思う所なんだろうけど、今のぼくは言葉に対してアレルギー反応を示しているように少し、感情のぐしゃぐしゃになっていった。Aのスイッチを入れたらaのスイッチではなくてbのスイッチに入るような、そういう混乱している状態にあった。それを周りに悟らせないように大変な思いをしていたのだ。

「じゃあ、この物語の話の結論は?」

「………………」

 ぼくがそう言うとフレイジャーは黙った。眉間にしわを寄せて何かを考えているようだった。

「……………まあ、悪くないわよ」

 そうぼそりとフレイジャーはいった。

「まあ、最後の選択も私的にはありだと思うわ。その理由も良かったけど、でもそこに至るための道筋がね、やっぱり私はダメだったわ。だから、この小説は好きにはなれないわね」

「ふ〜ん、そうか…………」

 フレイジャーの言葉に僕はただ肯くことしかできなかった。小説は何を書いてもいいと思うけど、その結果周りに不快なものを与えるかも知れないというのは一つの事実だった。

「まあ、確かにこの題材は女性に不快感を与えるというのは事実だし、できる限り題材に注意することも大切だな」

「そうね」

 そのことに関して、僕達は合意ができた。前まではウイルスと白血球の戦いがあったのが、今は昼の湖の静けさを僕とフレイジャーは共有していた。

「まあ、いいわ。このくらいにして、食べましょう。それでいいわよね、笹原?」

「ああ、いいよ」

 それで、僕達はまた、お菓子を食べ始めた。お菓子のにおいが僕達を甘く包んでいた。




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