第22話22
真夏の日差し。それはまるで己が力を存分に地上の人たちに見せつけるがごとく、さんさんと存在感を示していた。まるで、その地上の物の苦しみなどを知らない暴君のごとく。
しかし、民草もその暴君の対処の仕方も知らないわけではない。上流に方策あれば下流に対策あり、は中国の言葉だったかな。とまあ、そういうわけで我らは人の心など知らず、頭上で輝いている太陽をやり過ごすためにプールに来たのだ。
いやー、暑い。どのくらい暑いのかと言えば、今の気温は34度くらいか、そのくらい暑い!
こんなアスファルトがそんなに多くない岡山でもこんなに暑いのだからなぁ。さすが晴れの国だ。
まあ、それはともかく、瀬野の市民プールにいつものメンツで僕たちは来た。本当は『1984年』の読書会をする予定だったけど、いろいろとみんなの予定が入って、読書会ができず。気候が暑すぎて、読書会の前にプールに行くか?という真部の提案で急遽(きゅうきょ)プールに行くこととなった。
それを携帯で聞いて水着を取り出してのなんので大変だったなぁ。それでぼくと真部は着替えを済ませ女子を待つことにした。
ミーン、ミンミン。
蝉(せみ)の鳴く声が今が真夏の真っ盛りだと言うことを教えてくれる。照りつける日差しとどこまでも深い青の空がぼくの頭を活性化させる。
これだ。この暑さが自分を沸き上がらせてくれる。
ぼくは夏が好きだった。夏のこの真昼の聞こうがぼく自身を体の鈍重たる部分を破壊し、澄み渡り、活性化させてくれると思うからだ。
それに夏で何かをするといつもと何かが違ってくるのでは?と思うことも好きだった。夏で読む本やゲームをいつもの物とは違う何かがあった。いや、なにもないけど何かの予感があるような気がして好きだったのだ。
だけど、そんな戯れ言(ざれごと)はおいておこう。ぎらぎらと照りつける日差しの中、ぼくはやることがないので真部に世間話を振ることにした。
「暑いな、真部」
「ああ、暑いな」
真部も普通に答える。
「今日の気温は34度ぐらいらしいな。真部は暑いの平気?」
「ん。普通だ。もう17年ぐらいここに住んでいるからな、もうなれる」
「そうか、ぼくは普通だけど、夏は好きだな」
「ほう。じゃあ、冬は?」
「ああ、寝起きが一番いやだけど、それも普通かな。まあ、寒いけど我慢できないことはない」
「そうか」
今まで首を曲げて、向かい合って話していた僕たちだけど、不意に真部は首を正常な位置に移動させこう言った。
「なら、笹原にとって岡山はいいところだな。晴れの国だけあって、夏は快晴と猛暑だし、冬は東京よりは暖かい。ただし雪は降らないけどな」
「ああ、それなら東京でも雪は降らないよ」
「そうなのか!?」
ぼくがそう言うと真部は驚いた(おどろいた)風にバッとこちらを見た。
「なんか、山の影響で雪は全然降らないんだって、東京。あれ?知らなかった?」
「ああ、知らなかったよ。こっちより寒いから降るのかなぁ、と思っていたけど、降らないのか、東京は」
「ああ、そうなんだ」
真部は心底それに驚いた(おどろいた)ようで首をこくこくと動かしながらこう言ってきた。
「そうか、降らないのか。やはりまだ自分は修行が足らないな。まだ、知らないことがあるとは」
「うん。そうだね。精進しないといけないね。読書にしても何にしても」
「ああ」
そう言って二人は黙った。しかし、またここまで天気で話題が引っ張られるとは思っていなかったなぁ。
「ところでさ」
「ん?」
真部が顔をこちらに少し向けた。真昼の日差しの中彼の端整な顔立ちが精悍さを彩っている風に見えた。
「あのさ、真部。寺島さん達って胸大きい?」
「いや、そうでもない普通だ」
その一言で真部は、男ならなるほど、これを言うだろう。という風に頷いていた。しかし、ぼくはそういう意味を言いたいわけではなかったのだが。
「それならよかった。興味はあるけど、でも、あんましプールでそういうのを見るというのもあまり好きではない。というのはそういうのを見ても中途半端にむらむらしてしまうから、プールにはあんまし行きたくなかった」
「なるほどな」
ぼくの話に真部は耳を傾けていた。したたり落ちる汗の中自分の脂も一緒に蒸発していくようだった。
ぼくの思いをよそに真部はこんな事を話した。
「でも、大丈夫だと思う、彼女たちが着ていくのはたぶんスクール水着だから、胸は隠れていると思うぞ」
「はは、なるほど。わかったよ、じゃあぼくの悩みは杞憂だね」
「ああ、あとはおしりに気をつければ大丈夫だ」
「ああ、そうだな」
それで示し合わせるのでもなく、自然に二人は爆笑した。
「ん?おしりが何だって」
後ろから声が聞こえてきたので振り向くとフレイジャーがスクール水着を、寺島さんが水着の上にパーカーを着ていた。
「お待たせー!それでおしりがなんなの?」
「いや、おしりがかゆいなぁ、という話だったんだよ」
ぼくはあっさりそう言ってごまかした。
「ふ〜ん」
寺島さんはそんなぼくを疑わしそうに見てたが、フレイジャーが遮るように言葉を言った。
「まあ、どうでもいいじゃない。それよりもシャワーに生きましょう。早く泳ぎたいわ」
「ああ、そうだな」
それで僕たちはシャワー室に行くこととなった。
「じゃあ、笹原一緒に泳ぐか?」
シャワーを浴びたあと、真部がこう言ってきた。
「いや、僕はアトピーであんまし水に入ってはいけないんだ。だから、一緒に泳げないんだよ」
僕がそう言うと真部は陰を作るようにうつむき気味に肯いた。
「そうか、じゃあわかった一人で泳ぐよ」
「ああ、泳げばいいよ」
そう、僕はアトピーがあって、それは水に長時間つかるとまずいのだ。長時間水につかると肌を守る油を流してしまう体らしいのだ。
まあ、仕方ないから僕はコーナー側で小説を読むことにしようと思い、コーナー側に行くと見知った顔が一人コーナーで座っているを見たので、話しかけた。
「おーい、寺島さん。キミも休憩?」
僕が話しかけると寺島さんは振り向いて、大きな目で僕を見つめた。
「うん。笹原君も泳がないの?」
「僕はアトピーの関連上長時間水に入ってはいけないんだ。隣いい?」
そう僕が聞くと、こくり、と寺島さんは肯いた。それでぼくは寺島さんの隣に座った。寺島さんは相変わらずパーカーを着ていた。多分日焼け対策だろう。僕は寺島さんの隣に座って、空を見ながら話しかけた。
「いや〜、今日は暑いね、寺島さん。あまりの熱さに体が溶けるようだ」
「うん。超熱い。こういう熱い日はかき氷が食べたいよ」
寺島さんは一羽の小鳥がちちちとさえずるように言った。
「ああ、食べたい、食べたい。ところでさ、寺島さん。寺島さんはどんなかき氷が好き?」
そう言うと、寺島さんばっと手をあげる。
「私、イチゴミルク!とにかく、イチゴミルクが好きなの!」
「ああ、ほんとに!僕もイチゴミルクが好きなんだよ。といっても僕の場合はミスドの安いイチゴミルクしか食べていないけど。でも、そうか、気が合うなぁ。今度一緒にミスドのイチゴミルク二人食べない?」
そう僕が言うと寺島さんはハムスターのような人なつっこい笑顔をした。
「うん!いいよ。一緒に食べよう!でも…………」
そう行って寺島さんは小さく笑った。
「どうした?寺島さん?」
「いや、男子でイチゴミルクが好きな人って初めて見たから驚いた(おどろいた)だけ」
「ああ、確かに。僕はかき氷に500円ぐらい使うのがいやなんだよ。しかも、そういうかき氷って特大じゃん。そんなに食べきれねーよって話しなんだよ。でも、ミスドのかき氷は200円ぐらいでお手頃だし、量もそんなに多くないしいいんだ。だから、いつもミスドのかき氷を食べるんだけど、あそこってイチゴぐらいしか種類がないだろ。だからイチゴミルクがすっかり好きになった訳なんだ。まあ、男子なのにイチゴミルクが好きなのは意外だというのはわかるよ」
そう僕が言うと、寺島さんは百合のように微笑んで(ほほえんで)、僕に向かって言った。
「ううん。別に変だなんて思っていないよ。むしろ、私的には笹原君と親密になれるような気がしてうれしいよ。そうか、イチゴミルクが好きな男子ね。いいね、それも」
ミーン、ミンミン。
蝉(せみ)の鳴く声が聞こえる。それ以降ぱったりと会話が続かなくなった。仕方ないので次の話題を振ってみる。
「ところでさ、寺島さん。あなたって夏ばてする方?」
「え?私!?」
そう僕が振ると寺島さんは素っ頓狂な声を上げた。
「いや、全然。毎日ご飯を美味しくいただいておりますよ。全然食欲なんてなくならないよ」
寺島さんは日々雑務を処理している完了みたいに何とまない顔をして肯いた。
「そういう、笹原君は?夏ばてする?」
「ああ、するする。この時期になるとしょっちゅうする。食べ物を口に入れるだけで吐き気がやって来て大変なんだよ。いつも、おえ〜と思いながら食べ物を口に入れるんだ。食事の時は毎回死ぬ気で食ってるよ」
僕がそういったら、寺島さんはクスクスとおかしそうに肯いた。
「そうか、それは大変だね。笹原君。今日も吐き気に負けずに食事を食べるようにしなくちゃね。そうしないともっと体がばててしまうから」
「ああ、もちろん。ところで、寺島さん。寺島さんはいつまでコーナーにいるつもり?」
「それって、いつ泳ぐ、って言うこと?」
「ああ」
僕がそう言うと寺島さんは困ったように首をひねった。
「う〜ん。考えていないけど、まあ、しばらくここにいるよ。気が向いたときに泳ぐよ」
寺島さんは淡く肯いていった。
「そうか、ところで、今から本を読んでもいい?寺島さんが話し相手が欲しいのなら話してもいいけど」
「いや、私は別に。私も本を持ってきてるし。せっかくだから二人で黙々と本を読む?」
そう茶目っ気のある表情をして寺島さんは言った。
「ああ、そうしよう、そうしよう。じゃあ、取りに行くか」
「うん!」
そうして二人して本を取りに行った。
そして、僕達は二人して本を見せ合った。
「白石一文?ああ、前に直木賞取った人ね。それ、おもしろい?」
僕が『一瞬(いっしゅん)の光』を見せると、寺島さんは不思議そうに見ていった。
「ああ、これって何か人が生きる上で大切なことが書かれてあるような気がするんだ。まだ、最後までわからないけど二人の女性、どちらかを選ぶかで作者が人生にとって何を大切にすべきだ、といっている気がするんだ。こういう古典的な小説は現代小説では珍しいのでぼくは好きになったんです。まだ、最後まで読んでいないけど、読み終わったら貸してあげようか?」
ぼくがそう言うと寺島さんは笑ってこう答えた。
「うん。貸して。私のほうはこの小説だよ」
そう行って、寺島さんが見せたのは山田詠美の『学問』だった。
「ふ〜ん。なんかの書評で見たことがあるよ。少年少女の性を絡めた成長のストーリーだよね?」
「うん」
そう僕が言うと、寺島さんは素直に肯いた。
「これ、よく登場人物の関係が書き込まれて、私、好きなんだぁ〜。これも読み終わったら貸してあげようか?でも、笹原君が理解するのは結構(けっこう)難しいかもね。かなり女性が理解しやすいところが入っているから、男子では読みにくいかもね」
「ふ〜ん。まあ、寺島さんが読み終わったときに、気が向いたら借りるよ」
そう僕が言ったら、寺島さんは肯いた。
「うん。それがいいかもね」
そして、僕らは隣に座って本を読んだ。それは時間の川をゆるゆる渡っていくような悠久の時の流れだった。僕達はその緩くてあっという間の時間を渡った。
「おーい」
その声で僕達は我に返った。
「おーい、笹原、美春。少しは泳がないか?」
声の方向を見ると青いプールの中から真部が手を振って僕達に呼びかけてきたのだ。僕達は顔を見合わせた。
「笹原君、一緒に泳ぐ?」
寺島さんはなじみの客に話しかける店員みたいな表情で言ってきた。
「あ、そうだね。そうしようか」
「うん。わかった。じゃあ、泳ごう」
そして、僕達は本を置いて立ち上がった。立ち上がったとき、寺島さんはパーカーを脱いだ。
そうしたらちゃパンという音がした。おそらく、寺島さんが入ったのだろう。
「笹原君も、おいで」
「ああ、わかった、行く」
僕が振り向くと、青いプールに入った寺島さんが手を振っていた。寺島さんは水中花のように顔と肩を出して、それがある意味、かわいらしかった。
「じゃあ、入ります」
そして、僕もプールに入って、寺島さんのそばに行った。
「寺島さん」
「笹原君」
僕達はたこのように緩やかに進んで合流した。さて、これからどうしよう。
「寺島さん、これからどうやって遊びますか?」
「うん、そうねぇ」
寺島さんは少し考えたあと、にやりといたずらっ子みたいに笑った、と思ったとたん。視界に水が写った。
「ぶは!いったい何をするんだ!」
いきなり水をぶっかけられて僕はびっくりした。
「こうだ、こうだ」
寺島さんはいたずらっ子な笑みを見せて水をぶっかけてきたのだ。ぱちゃ、ぱちゃと水をかけられる。僕もやられっぱなしではすまないので仕返しをする。
「そっちがその気ならこっちも行くぞ!どっせーい!」
僕は一気に水の帯を寺島さんに掛けると寺島さんはかわいい悲鳴を発した。
「きゃー!きゃー!ちょっと、やめてよ!」
「問答無用!」
そう言って、僕が大量の水をかけると、寺島さんは身を小さくした。
「ちょっと!やめてよ!笹原君!」
結構(けっこう)せっぱつまっていた様に見えたので、ちょっと暴れすぎたかな?と思いやめた。そして、僕は寺島さんのそばに行った。
「ごめん。ちょっとやり過ぎたかな?」
僕は見ずにしたたる寺島さんを見た。寺島さんは捨てられて子犬ような目をした。
「笹原君、私……………」
そういった瞬間、寺島さんはまたいたずらっ子の表情に変えた、そのときにはもう遅かった。
ばしゃあ!
「笹原君、ここまでおいでー!」
また、水をかけられた。
そして、逃げていく。寺島さん。この女はどうしようもないな。
「ちょっと待てやー!」
「ははは、やだよー」
そう言って、僕達は追いかけっこをした。こういう遊びをしているとなぜか僕の目には大きなグラウンドで犬にフリスピーを投げている情景がうかんだ。
「はい、捕まえた!」
僕は逃げていた寺島さんの肩とおなかをつかんで捕まえた。
「ぎゃー!捕まえられた!」
そう、寺島さんは悲鳴を上げた。捕まえたけどすぐ僕は離した。
「じゃあ、次なにする?寺島さん」
「う〜ん、じゃあ、笹原君、泳ぎの競争をしようよう」
「突然そういうことを言うね。まあ、いいか。あそこで競争をしようか」
ぼくが指を指したのは端っこにある2コースだ。
「うん。いいよ」
寺島さんも同意してくれたので係の人に言ってそのコースを貸してもらうことにした。
「笹原君。用意、いい?」
「ああ、いいよ」
僕はプールの取っ手をつかんで足を壁につけた。
「先にどちらが向こうに着いたかで勝敗を決めるのよ。それでいい?」
「ああ」
真昼の日が輝いている。陽光が水面を輝かせ、波が人達と踊っていた。ぼくはその日差しを受けて頭が白くなっていくことを感じた。
「よーい」
合図について、話し合うことはしなかったが、ぼくが合図をすることにした。それでぼくはドンを言おうとしたのだが、その瞬間こんな声がかかった。
「あ、そうだ!笹原君は泳ぎ上手?」
思わずつんのめる。それからすぐ体勢を立て直していった。
「笹原君、大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ!こんなときに聞かなくてもいいじゃない。なんでいまさら………」
ぼくがふてくされていると、寺島さんは、ごめーん、といってこう言った。
「だって、気になったんだもん。それで泳ぎ上手なの?」
「一年の時同じクラスだったでしょ。思い出せばわかるんじゃない?」
「え?どうだったけ?思い出せないよ」
「思い出せないと言うことはあんましぱっとしないことだと言うこと。まあ、いいや。この話はおしまい。次は何が起きてもよーいどんしたら泳ぐから。はい!よーい……」
「わかったよ。構えるよ」
寺島さんが渋々(しぶしぶ)頷いて構える。それで寺島さんは真剣な声でこう言った。
「じゃあ、私マジで泳ぐから、笹原君もマジになって」
「どん!」
ぼくは青の世界に飛び込む。水をかき、足をばたつかせる。青の世界は言ったのもつかの間、すぐ息継ぎをしてまた戻るから視界がなにも見えない。
普通の人は4回かいでから息継ぎをするがぼくは2回だ。特に理由はない、こっちのほうがしっくりくるからだ。そのため青の世界と、白の泡と地上の世界がすぐ交互に来てなにも見えない。あるのはジャバジャバとする音と、自分の体の感覚だけ。
それでもう、ゴールが見えた。ぼくは青の世界から、地上の世界に浮上した。
ぼくがゴールに着くと寺島さんは微笑んで(ほほえんで)ぼくを見てた。
「おそ〜い」
「ごめん」
「私がゴールしたときは近くにいたけどね、それでも遅いよ」
「遅いと言われても、別に水泳には興味ないし、そんなに早くはなれない」
「それでも女の私よりずっと遅いというのはどういうことよ」
「…………速くして欲しいの?」
ぼくがそう言うと寺島さんはきょとんとした顔をした。
「え?」
僕は寺島さんの顔を見る。
「寺島さんが早くして欲しいというのなら、プール上借りて泳ぎを練習してみるけど、寺島さんはどうしたい?」
「え、ええとね」
寺島さんはぼくの顔から目をそらして、目を斜め上の方向に向けた。それで視線が彷徨していたが、やがてこう言った。
「なし!だって笹原君、かゆくなるんでしょ?」
「ああ、3分ぐらいならいいけど5分過ぎると無性にかゆくなるな」
「なら、これはなしだよ〜。そこまでしなくてもいいよ」
「じゃあ、そういうことで」
それでぼくは青空を見た。青空はどこまでもすんで、植林は連なり、これを見ると自分が夏にいると言うことを実感した。
ぴーん、ぽーん。ただいまを持って本プールを閉館させていただきます。場内の皆様は帰宅の用意をして下さい。繰り返し言います。ただいまを持って………………。
ぼくがその放送を聞いたときは寺島さんと追いかけっこをしていてその寺島さんの背中にぶつかったときだった。
「放送が入ったね」
「ああ。そうだな帰らないと」
僕たちは放送が入り上に上がっていくみんなを見ながらそう言った。それでぼくは最初に異変に感じたのは臭いだった。何かいいにおいがする。これはよくかがない香しい臭いだ。何だろ、どうしてこんな臭いがするんだろう。
それに最初に気づいたのは寺島さんがクスクス笑っていた事を気づいてからのことだ。
はじめは何で笑っているんだろう?と思ったが、よく見るとぼくが寺島さんを抱きしめていたのだ!それで寺島さんがクスクス笑っていた事をみつけたのだ。
「ご、ごめん!寺島さん!」
ばっと、寺島さんを話す。寺島さんは相変わらず笑っていた。
「いや〜、まさか笹原君が抱きつき魔だなんてねぇ〜。私、知らなかったわ」
「ごめんだって、寺島さん。本当悪気がなかったんだって」
しかし、ぼくがいくら弁明しても、寺島さんは幼い子をからかうような笑い方をしていた。
「そうやっていつも女の子に抱きついたりするの?いや〜、こんな所に肉食系男子がいるなんて知らなかったよ〜」
「だから違うってば!」
「そうやって、幾人のも女の子を手込めにするのね。はっ!もしかして!女性に抱きつくのは、幼少のとき、何かのトラウマで!きっとお母さんに構ってもらえなかったから、それで母性を求めて女子に抱きつくのね!かわいそうにそんなにも笹原君が愛情に飢えていた男の子と言うことにわたし気づいて…………」
「いい加減にしろよ!くそアマ!」
ぼくは知らず大きな声を上げた。自分の中で小さな溶岩がごろりと動いたのを感じた。
「こっちはそうじゃないと言っているだろちょっとは人の話を聞きやがれ!」
そう言って、ぼくは寺島さんに水をかけた。ちょっと、ぽかんとした寺島さんもやがて笑ってこちらに水の波を返してきた。
そうやって少しな間遊んでいたが、人たちがどんどん上に上がっていくのを見てぼくは寺島さんに言った。
「はいはい、遊ぶの終了。そろそろみんなも上がっているから僕たちも行くよ」
寺島さんの手を止めてぼくは言う。寺島さんはまだ、きゃっきゃっ、していたが、すぐわかって頷いた。
「わかった、じゃあ行こう」
「ああ。そうしよう」
そうして僕たちはプールのあがり口に来た。あと、2,3人上がれば僕たちの番だ。
「お先にどうぞ、寺島さん」
「え?いいの?サンキュー、この恩はたぶん一時間後に忘れるよ」
「忘れるんかいな」
そんなことを言って二人で爆笑した。だが、すぐに寺島さんの番が来たので寺島さんはスロープをつかんで上っていき、シャワーを浴びて、更衣室で着替えた。
市民プールの中の控え室にぼくと真部がいた。控え室はタイルの床に壁沿いに椅子が併設されている場所で、僕と真部はそこに座っていた。寺島さんとフレイジャーはまだ来ていない。控え室でやることがないのでソファーに座って足をぶらぶらさせたが、暇だったので真部と話をすることとなった。
「真部、今日どうだった?楽しめた?」
真部はぼくをちらりと見て、いつものクールと言うには寒くない、涼やかな笑みを見せていった。
「ああ、今日はフレイジャーと一緒にいろいろ遊んだ。そっちにはすまなかったな。プールには入れないんだって?尋ねなくてすまなかったな」
「いや、いいよ。別に。言わなくても楽しめたし。寺島さんには最後遊んでもらって楽しかったから」
それに真部はふっと、少し安心したかのような顔になってこう言ってきた。
「ありがとう。笹原。そう言ってくれて、こっちも笹原が楽しめなかったらどうしようかな、と思ったんだが、そう言ってくれて助かったよ」
そう、真部がほっとしたような表情をしていった。
「まあ、気にしなくていいよ。真部。とにかく僕は十分楽しめたから気にしなくていいよ」
「おっ待たせー!待ったー?」
そのとき、寺島さんとフレイジャーが2階の階段からこっちに向かって歩いてきた。2階に男女の更衣室があるのだ。プールに出るには一階に戻らなくてはならないのだが。
寺島さんとフレイジャーは階段を下り僕らの前に来た。フレイジャーは黒のポロシャツと黒のキュロットのスカートを着ていた。寺島さんは黄色いTシャツと白のカーゴパンツを着ていた。二人とも女性にしてはやけにシンプルな服装だ。ただそれでも十分華やかなので別に構わない。
「どうも、待ったー?」
「いや、特に待ってないぞ。それじゃあ、帰るか」
そうして真部はリュックサックを持ってそう言った。みんなもそれに頷いて後に続こうとしたが、また、一人黄色い声をしてあげた物がいた。
「あ!ちょっと、まってよ!そこにアイスの自販機あるよ!それ買おうよう!」
そう言って、僕たちが何か言う前に寺島さんは自販機にダッシュをした。僕たちは目を合わせて、仕方ないな、という表情を作った。
僕たちは駐輪場にいる、寺島さんがアイスを食べることをひとまず禁じて、僕らの今後を話し合った。
「予定と言っても明日、『1984年』の読書会をすることでいいな?」
みんなが頷く。
「じゃあ、そういうことで解散だ。いいな」
「いいよ」
「オーケイ」
それで解散となった。解散となってフレイジャーと真部が帰っていった。寺島さんは持っていたアイスを破いて食べようとしていた。
ぱく、ちゅるる。
寺島さんはアイスをかじったりなめていた。4時ぐらいの夕日に近づく陽光の中、アイスを頬張っている寺島さんはリスに見えた。
「寺島さん、それ美味しい?」
アイスを頬張ったままこくこく頷いていた。
「ああ。頬張ったまま首を振ると汚れが服につかもしれないでしょ。頷かない」
それにまたこくりと頷いた。
だから、それがいけないんだって。
寺島さんはぼくの話を聞き終わったらまたアイスに食べることに集中した。
ぼくはそれを見ながら自分も缶コーヒーを買っていたのでそれを飲むことにした。
ごくり。
一口飲むとコーヒーの苦みが口に広がった。僕は寺島さんがアイスを食べるのに逢わせてのんだ。ほどなく、寺島さんがアイスを食べ終えた。
「美味しかった?寺島さん?」
そう言うと寺島さんは大きく肯いた。
「うん!」
「じゃあ、捨てるか」
僕達はゴミを自販機のそばにあるゴミ箱に捨てて、自転車に乗った。
「ねえ、寺島さん」
「ん?」
僕たちは自転車にまたがりながら足で地面を蹴って話した。
「今日、楽しかった?」
ぼくがそう聞くと。
「うん!」
天真爛漫(らんまん)な表情で寺島さんは言った。その笑顔は水晶のように曇りがない。こう言うところを見ると寺島さんはすごいなぁ、と思ってしまう。
「うん、ぼくも最後の短い時間だったけど、寺島さんと遊べて楽しかったよ」
「ほんと!」
水晶が燦々(さんさん)とした陽光を受けてさらに輝きを増した。
「ありがとう、笹原君。そう言われてすごくうれしいよ」
ぼくの感謝の言葉を養分にますます成長する向日葵のように寺島さんの快活(かいかつ)を増していた。
「ほんとにそうだよ、生涯生きていた中で一番楽しかったよ」
「え〜、うそ〜。それは大げさだよ〜」
寺島さんはぼくの言葉を冗談と思っていたのか、適当に笑ってやりすごしていた。
ぼくは自転車を止めてこう話した。
「冗談じゃないよ。今まで友だちなんていなくて、すっと一人ですごしていたから、こんな楽しい事なんてほかになかったよ。だから、今日が生涯で一番楽しかったと言うこと!」
そうぼくは赤くなりながら後半を一気にしゃべった。なんか、こう言うことを人に話すと言うことがなれてないので無性に恥ずかしい。
寺島さんは明るかった笑顔をパタ、とやめて、顔に表情がない冷静な顔つきになった。その無表情の顔から真剣に聞いてくれているというのがよくわかる。
その寺島さんの口が慎重二丁のブローチを作る職人のようにその口で精確な言霊(ことだま)を発しようとしていた。
「まあ、そういうことがあるかもしれない。まあ、だからその………………」
寺島さんは言葉を止めつつもブローチを作るためまた慎重な言葉で彫っていく。
「その、それはただの過去だからそんなに気にしないで、未来はもっといいことがあるよ。少なくとも過去に戻ったりしないから。今の笹原君には私がいるし、光もいるからもう気にしなくていいよ」
そう、寺島さんは言った。ぼくはその言葉をこけが付着する水分を取るように吸収していった。
「あ」
分かれ道に到着した。市民プールのすぐ出入り口でもう分かれ道になっていて、右側の山のあるほうが寺島さん家で、左側の国道がある方面がぼくの家だった。
「じゃあ、分かれ道だね。ここでお別れだ」
ぼくはすっと右手を差し出した。
寺島さんはその手を見てすぐ了解したのか、右手を差し出しつかんだ。
「どうも、今日はありがとう笹原君。あなたといれて楽しかったよ」
「ああ、こっちも楽しかったよ。今日はありがとう。じゃあ、さようなら」
それでぼくは自転車に乗って左側に向かった。
「こちらこそ、ありがとねー!」
振り返ると寺島さんが大きな声で手をワイパーのように大きく振っていた。ぼくはそれに手で少し応えてから家路を帰ることにした。
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