第21話21
これはきついな。
8月三日。僕たちは真部の家にいた。前もって言っていたオーウェルの『1984』をみんなで買って、それをみんなで読んでいるのだが、これはかなりきつい。
一応20世紀の作家だからドストエフスキーに比べればまだ、ましになっているけど、何だろうこれは。
ビッグブラザーの独裁体制に疑問を投げかける男が主人公で、独裁政権だから、体制に疑問を覚えるだけで死刑になる体制な訳だ。
それなんだけど、何だろうこれは、かなり凡庸と言うより、この作品が革新(かくしん)的なのか、ほとんど似たような話を見たようなそんな作品だ。
もちろん、その作品は『1984年』のぱくりなんだろうが、そのせいでひどくこの作品が凡庸な作品に覚えてならない。
ビッグブラザーに捕まったときに愛の大切さを強調しつつも、最後には反転する様も本当にどこかで見たことのある設定だ。
ただ、この作品で一つ見るべき物があるとすれば言葉だ。独裁政権の言葉の軽視を扱っているのが興味深い。
彼は実際に独裁政権を見たことがあるので説得力があるが、全体主義になったら言葉の軽視か、もしくはなる可能性があるときに言葉の軽視かが進むとすると今の日本の状況もまずいのではないだろうか?
小泉純一郎のときは小泉劇場と呼ばれる、ただの政治をエンターテイメントの具に落とすほどのおもしろおかしく、単純で幼稚な言葉を使っていた。東北大震災のときも、もっとほかに言葉があるだろうに、と思うほどのがんばろうニッポン、がんばろう東北のラベリングみたいな言葉を使っていた。いや、実際にラベリングをしているだろう。
東北の被災者にはもっと多様な考えを持っている人がいるはずだし、みんながみんながんばろうなどと思っているわけではないだろう。それを何だ、肉親が死んで悲しみに染まった人か、住む家や仕事がなくて困窮している人か、東電の管理責任に怒っている姿しか見せない。あと、現在の政治に対して虚無感を抱いてる人か。
しかも、マスメディアはそれをさらっと伝えているのが一番いけないと思う。一時間ぐらい番組を作って一人の被災者を丹念(たんねん)に取材するだけでだいぶ、東北以外の日本人の意識が変わるのではないだろうか、と思う。
一つのニュース番組で5分か10分ぐらいしか伝えず、コメンテーターもちょっとしたコメントしか残さないから全く被災者のことを丁寧に扱っていないと言うことを感じる。
それに僕自身、ニッポンという言葉が好きじゃない。何か今までの1500ねんぐらいの歴史を感じさせない言葉だから好きじゃないしな。
それはともかく、僕たちが読み終えるともう、時刻が6時になっていた。
「よし!もう、6時になったとこだし、ここいらで解散するか?」
真部が足を変えながらそう言った。昨日から読んでいたとはいえ、さすがに一気読みで体の所どころに怠さが感じられる。
だが、真部の台詞(せりふ)に手をあげる物が一人。
「はい、美春」
真部が指さすと、寺島さんはすっと立って言った。
「あのですね、6時になったからと言ってはい、帰るというのはあんまりだとは思いませんか?それはあまりにも、いえ、官僚的です!ここは若者らしく、もっと開放的に若者の春を謳歌(おうか)しようではありませんか!脱官僚です!私はそう思います」
そう言って寺島さんは座っていった。その姿勢は年金記録問題に対する静けさのある怒りを発露させる告発者の様相を示していた。しかし、何でこんな風に言ったんだ?
「どうしたんですか、寺島さん?何かいやなことがあったんですか?」
そう言うと寺島さんはおどけた表情でこう言ってきた。
「いやだな〜、笹原君、あれしゃれよ、しゃれ。適当に茶化してみただけだよ〜」
「そうなんですか、いや、安心しました。てっきり、寺島さんが何か悪いものを食べたんじゃないかと思って、結構(けっこう)びびりましたよ」
そう、ぽろっと本音を言うと次の瞬間、寺島さんはイタチのように攻撃性がありながらどこか愛嬌(あいきょう)がある怒り方をした。
「もう!なにそれ!笹原君、私を何だと思っているのよ!変なものなんて食べないし!それに食べたらあんなになるって、笹原君が考えている、私って何なのよ!」
「いや〜、まあ、その。ちょっと、明るい女子と思っているのですよ」
「もう〜。なにそれ」
それで寺島さんはそっぽを向いてしまった。そう、そっぽを向かれたが、でもこの事を案外(あんがい)楽しんでいる自分も発見した。
「しかしだな」
寺島さんの言葉に真部が異議を唱える。
「しかしだな。今から遊んでいるともう遅くなるわけだし、おまえやキャサリンもいるわけだし、今から帰った方が無難ではないか?」
「それは大丈夫だよ〜。私の家は近いし、リンちゃんは光が送っていけばいいよ」
「いや、しかし」
それで真部とフレイジャーが目を合わした。
「いいか、キャサリン?」
「ええ、構わないわ。確かに安全に配慮するに越したことはないわよね」
これで二人の間の合意ができた。
「よし!じゃあ、おまえも笹原に送ってもらえ」
「ええー!何でー!」
「いくら近いと言っても安全に配慮するに越したことはないからな」
「ううー、わかったよ。送ってもらうよ」
そういうことになった。
「じゃあ、よろしく寺島さん。超近い距離だけど」
「うん、そうだね、よろしくね、笹原君。超近いけどね」
それで二人してフッと風が吹くように自然と笑いあった。
「よし!話は決まったことだし、みんな家の人に連絡をするように。それじゃあ、俺はなんか遊べる物を探してくるわ」
そう言って、真部は出て行った。キャサリンと寺島さんは携帯をとりだして、通話をしようとしているし、ぼくもしなければならないけど、携帯、持っていたかなぁ?
ぼくはカバン中を探してみた。
………………。ないな。
これまで友だちがいなかったので携帯を持ち歩く事なんてなかったから、時々、その存在を忘れる。
ぼくは真部を追って一階に下りていった。
「真部」
「ん?何だ、笹原」
真部が物置が置かれている部屋でゲームを探しているときにぼくは声をかけた。
「あのさ、ぼくは今携帯持ってないから、電話、貸してくれないかな?」
「ああ、いいよ」
拍子抜けするほど、あっさり返事をもらって真部が歩いて行った。ぼくはすぐに後を追いかけた。
「え、いいの?そんなに簡単に」
「ああ、友達の電話を失敬する事なんて当たり前なことだ。俺も携帯を忘れたときはよく友達の電話を借りた物だ。母さん、電話使わせてもらうよ」
真部の母さんが台所にいた。真部のお母さんはかなり、ふくよかな体型をしていて、たるんだ頬をにっこりさせて僕に話しかけてきた。
「ああ、どうも」
「ええ、どうも。光の友だちかい?」
「はい、そうです」
「どうも、それじゃあ、お使いになってね」
「はい」
それに真部も。
「ほら、どうぞ使え」
そう言って、真部は電話を指していった。
「じゃあ、使います」
それでぼくは家に電話をかけた。
『はい、もしもし、小城ですけど』
「あ、おばさん。ぼくです。一樹です」
『ああ、一樹君!どうしたのかしら?』
「あ、それはですねえ、今真部の家で友だちが集まっているんですけど、それで夜遅くまで遊ぶことになったから帰り遅くなるんだ。それを伝えておこうと思ったんだ」
『ええ、そうなの。わかったわ。じゃあ、お夕飯はいらないと言うことでいいかしら?』
「はい、そうですね。それじゃあ、そういうことでお願いします」
『はい。了解しました』
それで電話が切れた。ぼくは受話器を置いて真部に言った。
「おわったよ」
「ああ、わかった」
それでぼくは2階へと上っていこうとした。
「ああ、ところで」
「ん?何だ」
「夕飯はつくんだよね?」
「ああ、つくよ。さっき母さんに言ったから」
「ああ、わかった」
それで2階へと上ろうとしてるとき、ふっと真部の方に向いていった。
「何か手伝えることはない?なんか運ぶ物があるなら運ぶけど」
それに真部は手を振ってこう言った。
「いや、大丈夫。そんなにみんなで遊べるゲームなんてないからな。笹原はうちの中にあるお茶を持って来といて。ペットボトルのウーロン茶と緑茶があるから、それを持って来といてくれ。あと、紙コップを4つ。場所は母さんに聞いてくれ」
そう言って真部は物置に向かった。
真部にそう言われて、ぼくは冷蔵庫のあるキッチンに向かった。
「おばさん」
「はい、何でしょう」
僕はおばさんをよく見た。
「おばさん。冷蔵庫借りていいですか?」
「ええ、どうぞ」
ぼくは緑茶とウーロン茶を取り出した。
「あの」
「ん?なんだい?」
ぼくがおずおず尋ねるとおばちゃんはにっこり笑った。
「紙コップ、どこにありますか?」
「ああ、それね。…………はい、これだよ」
おばさんは食器の下に置いてある棚から紙コップを出した。
「あ、はいありがとうございます。そうですね、4つあればいいです。はい、ありがとうございます」
「ええ、しっかり遊ぶんだよ」
おばちゃんはまるで田舎のばあちゃんみたいな気さくな感じで言った。(ところで、岡山は田舎なのだろうか、都会なのだろうか?都会とは思えないけど、ど田舎な訳ではないよな。まあ、所によれば自然しかないと思うけど、でも、一応岡山市は田舎風の都会みたいな所だし、ちょっとよくわからん)
それを抱えぼくは2階に行った。
真部の部屋の前に来たので、まずペットボトルを置くとぼくはドアを開けようとした。
ドアの向こうから笑い声が聞こえてくる。
「あー!なにこれー!これ、チョーなつかしーぃ」
ドアを開けると寺島さんが何かを見ていた。ぼくはそれよりもまずお茶を運んだ。
「お茶をお届けに来ました」
「あ、はい、お疲れ様です」
ぼくの猿芝居に早速ノリの良い寺島さんが飛びついてきた。
「いやー、今日も暑いですね、配達員さん」
「ええ、まあ。だけど、これも仕事ですから。あ、ここにサインをお願いします」
「ああ、はいはい」
寺島さんはサインするふりをした。
「品物はこれらです」
そう言って緑茶とウーロン茶をわたした。
「あ、はい、どうもありがとうございます。…………ねえ、どう落ちをするの?」
「ああ、ぼくが入るから、そこで『どうしているんですか』て聞いてみ」
それでぼく真部の部屋に入った。寺島さんの隣に座る。
「あの、配達員さん、どうしてうちに入ってくるの?」
「ああ、うちら、配達員でもこの酷暑の中動き回って、疲れているんですわ。それで休憩しようかと思いましてな。ほら、あれですわ。企業戦士にも休息が必要ですわい」
それに寺島さんが一言。
「配達員さん、古い」
そのあと、二人して爆笑をした。
「いや、古い、古いかぁ。でも、即興コントって難しいな。落ちがなかなかうまくできない」
「うん、そうだね」
僕たちはそう言って笑いあったあと、ぼくは寺島さんに聞いた。
「そういえば、さっきは何を見て騒いでいたの?」
「うん、それはね、これなの?」
そう言って、寺島さんはテーブルを指さした、そこには。
「これは、ダイヤモンドゲーム?」
「うん、そうなの〜。すっごくなつかしくて思わず叫んじゃったの〜」
「へぇ…………」
名称はよく覚えてないが、確かダイヤモンドゲームというのは菱形上に玉が一つずつ並んでいて、それで真ん中のを一つ抜いて、それで一つの玉をほかのたまをくぐらすとくぐらされた玉が一つ抜けるという物だった。それでこれは最後に玉が残っていない状態になった方が勝つという物だったはず。
「へ〜、なつかし〜」
ぼくはそう言った。本当にこれは懐かしかった。小学生やった以来かな?
「さて、これするか、それとも大富豪やるか、どっちがいい?」
見るとトランプもおいてあった。
「これ!これこれ、大富豪いつもやっているから、これがいいよ〜。みんなはどれがいい?」
「私もダイヤモンドゲームでいいわ。大富豪はまたの機会にしましょう」
「ぼくはどちらでもいいですよ」
「じゃあ、ダイヤモンドゲームで決まりだね!私一番手ー!」
そう言って寺島さんは元気よく言いつつ、盤を自分の所に持ってきた。
「まあ、いいけどな。でも、俺の意見ぐらい聞いたらどうなんだ?」
「ええ?でも賛成2で棄権が1なんだから反対しても変わらないよ〜。………ほっ!」
と、寺島さんは玉をくぐらせながら話していた。
ごぉぉぉぉ。
クーラーの効いた部屋は涼しい。四角の区切られた部屋と外にある闇の世界、それに白の蛍光灯のある部屋はどこか非生活的で、まるでこの部屋以外にどこにも世界はないようなそんな気をさせてくれる。一面の宇宙に一つだけこの部屋があるような、そんな気分だ。
それはともかく、蝋燭(ろうそく)のような無機質の部屋で寺島さんはダイヤモンドゲームに熱中していた。ただ、残念なことにあと、10コぐらいでそれもほとんどばらばらなところが残念なところだ。本人は熟考しているが、ここで熟考してもどうなんだろ、と思ってしまう今日この頃だ。
「あちゃー!7つしか残らなかったよー!」
そう言って寺島さんは頭を抱えていた。
「ある意味、7つも残せるのはすごいわね」
「ああ、そうだな。じゃあ、次はだれがやる?」
「そうね、私がやるわ」
「じゃあ、次はキャサリンだな」
それで今度はフレイジャーがやることになった。
かた、こと。
フレイジャーは堅実に球を取りながら縁を描くように少しずつ外縁へ玉を移動させていく。
かた、こと。
「ほう」
「ええ!」
その結果フレイジャーが残した玉は三つと言うことになった。
「う〜ん、久しぶりだからなかなかこういうのはできないわね〜」
3つかすごいな。
ぼくは素直にそう思った。これを三つというのは久しぶりでできることではないよな。
ぼくはそう素直に納得していたのに対してそれに納得できていない人が一人いた。
「何で、何で!ねえ、どうしてリンちゃんがこんなにできるのに私はあんなに残ったのよ!」
「そうだね」
寺島さんの言葉にぼくはふとある疑問を覚えた。
「寺島さんはあんなに勉強が出来るのにこのゲームであんなに残すなんて意外だよね」
そう言うと、寺島さんは慌てたそぶりを見せた。真部とフレイジャーは寺島さんを両脇からつつきながら皮肉げな口調で言った。
「どうすんの美春?あんたの馬脚がそろそろ現れているんじゃないの?」
「そうだな、笹原にはいいところしか見せたくないとよく言っていたしな。どうするんだ、美春?」
「え、ええと」
そう言って寺島さんは少ししていたがやがて、こちらに出会ったときの優等生スマイルを見せながら言ってきた。
「あのね、笹原君。これは違うの。賢明(けんめい)な笹原君にはわかってもらえると思うけど、これは私の本当の実力じゃないの。わかった?」
寺島さんは一面に満開の笑みを貼り付けたまま、ぼくを圧迫するかのようにこちらに迫ってきた。
「え、ええと………」
ぼくは寺島さんの圧倒的な迫力にしどろもどろになった。ぼくがそうなっているうちに真部とフレイジャーが茶々を入れる。
「美春、脅迫はいけないぞ」
「そうそう、笹原がびびっているわ」
「な!脅迫じゃないよ!私はね、さっきのが私の実力じゃないって言いたかったの!よ〜し、もう一回やるか!」
それで寺島さんは番に玉を戻していた。しかし、助かった。さっきは本当に怖かった。
「よ〜し、やるぞー!」
そうやって寺島さんが取りかかろうとすると真部がこんなことを言ってきた。
「いや、待て、美春」
「ん?」
寺島さんが何の疑問も持たずに振り返った。
「俺もしたいから美春の番は当分先な」
「ええ!そんなの聞いてないよー!」
「いや、こう言うのは友だちで順番道理にするのは小学生高学年を過ぎたらだれでもわかるはずだよ」
「ええー!…………ちぇ、仕方ないな〜」
渋々(しぶしぶ)寺島さんも理解してくれたのか、真部にわたした。
「よし、それではやるか」
腕をかぎ括弧(かっこ)のように組んで真部は軽く気合いを入れて言った。
寺島さんが落ち込んでいる。
ぼくはそれに気づかないふりをして番に玉を戻していた。全部戻し終えて、ふっと顔を上げて横を向くと、そこに寺島さん身を乗り出してぼくを見ていた。
「え!」
ぼくはぎょっとして後ずさる。寺島さんはそれを追いかける。
「ねえ、笹原君。私たち、友だちだよね?」
「え、ええ、まあ」
ぼくはそう同意しながらまた、後ずさる。
「私ね、友だちになったからといって、何でもしていいという訳じゃないと思うんだ」
寺島さんがしゃべっている中あまりの迫力にどんどん後ずさるが、この部屋はそんなに広くない。すぐにぼくは背中に壁を感じた。
「だからね、友だちだからってね、好き放題やっていいわけじゃないの。友だちだったら、相手のことを思いやる、優しい心が必要だと私は思うの。つまりね、おめえ、今、私が何が言いたいのか分かってんだろうなぁ!!」
スパン。
フレイジャーが丸めた新聞紙で寺島さんの頭をはたいた。
「いったーい、痛いよリンちゃん」
寺島さんが大げさにリアクションをする。
「美春、あんた自分がもしかたら、やった中で最下位だからといって八つ当たりしてんじゃないわよ。さっきのスコアは自分の物だからはっきり受け止めなさいよ」
「ええ、でも、これおかしいよ〜。何で真部も3つなの〜!それに、それに。…………笹原君があと七つなんて絶対おかしい〜!!!!!!!」
そう行って寺島さんは嘆いた。いや、おかしいと言われても。
「負けそうだからといって脅かさないの。勝負は厳粛に浮けと召さないとね」
「ええ〜!?でも〜〜」
そう、あと僕は七つの玉が残っている。そして、どの玉も連立している、寺島さんの最終的な成績は七つだった。だから、僕が玉をくぐらせれば………………。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
背中から無言のプレッシャーを感じる。
僕は迷ったが、覚悟を決めて玉をくぐらせる。
「ぎゃああああああああああ!!!!!!!」
ばた。
寺島さんは死んだ。
寺島さん。初恋の人でした。友達になってもその明るい性格でいっしょにいても楽しかったです。どうかあの世で安らかに眠って………………
「こらああ!!勝手に殺すな」
むくりと起き上がって寺島さんは叫んだ。
「別に僕は寺島さんが死んだなんて言ってないよ」
寺島さんは狐の目をする。
「でも、そう思っていたでしょ?」
「うん」
今度はエイの目でこちらをにらめつけていた。
「ま、でもこれで美春がびり確定だな」
「そうね」
真部とフレイジャーさんが口々に言ってるそばから、寺島さんは頬を膨らませた。
「でも、でもさ、笹原君だけには負けたくなかったよ」
そう行って、寺島さんは床にのの字を書いていた。いったい、どうしてそんなに僕に負けたくなかったんだろう?
そう思ったので僕は思いきって寺島さんに聞いてみた。
「なあ、美春。どうして、そんなに僕に負けたくなかったの?別にたった一つのゲームの勝敗ぐらいどうでもいいじゃないか。どうして、そんなに勝敗をこだわるの?」
そう僕が言ったら、寺島さんはうん、と唸った。そのあと、指をもじもじさせていった。
「いや、だって。笹原君にはいつも一歩リードした状態で、話しかけたいし、いつもお姉さんの状態になりたいの!とにかく、私が笹原君に負けるわけにはいかないの!」
寺島さんはイタチが天敵に牙をむくような黄色いヴァイオリンの声を出した。
そう言われても、どうすればいいんだ?
そう僕は思ったし、真部やフレイジャーも戸惑った空気を出していた。
「それよりさ」
そのとき、フレイジャーがマンボウの泡のようにぽつんと言う。
「笹原が手をぬかかったことがなんか私にとって意外だったな」
「え?」
「いや、だからね。何だろ、ただ、笹原君が私は手を抜くかと思っていたから、それだから手をぬかかかったことにびっくりしたの」
「そうだな、玉が少なくっているときにあれだけ美春が脅していたのに、結局手を抜かなかったことは俺も意外だったな」
そうフレイジャーと真部は意外そうな感慨(かんがい)をした。しかし、そう言われても。
「まあ、公正な勝負をするのは当然だからね。だから、僕は手を抜かなかったわけだよ」
僕がそう言うと二人とも納得したように肯いた。
「ふ〜ん。あなたがそういうことをいうなんてね。………………。じゃあ、第2回戦行こうか?」
「やる!」
フレイジャーが次の試合をしようというと、真っ先に寺島さんが手をあげた。
「やるやる!私、一番にやる!今度こそ………。今度こそ、笹原君には負けないんだからね!わかった!笹原君!」
そう、犬の東吠えを言うような口調で寺島さんは言った。僕はその言葉に寺島さんの関係のさざ波が走ったことに戸惑った状態のままでいることしかできなかった。
「さて!結果発表と行こうかな」
そう言って真部は立ち上がった。
「寺島さん、たかが、ゲームじゃない。そんなにいじけることはないよ」
寺島さんは部屋の片隅でのの字を書いていた。こちらの慰めにも無反応だった。
「さて、一位から行こう。一位は私とキャサリンの同率首位だな」
「………………」
キャサリンは無反応だった。まあ、こんな物で喜ぶのもねえ。
「それで2位は笹原だ。笹原2位になった感想を」
「ええ、勝負は時の運であり〜、これまでの訓練と時の運が勝負を決めるでしょう」
ぼくは適当なことを言った。
「なるほど!豪将笹原監督の言葉でした」
真部ははレポーター風に言った後、ジャッカルの狩りのようにフェイクを捨てて本命を狙うがごとく、ターゲットに狙いを定めた。
「さて、次は。最下位寺島選手です!寺島さん、最下位になった感想を一言」
そう言って真部は寺島さんにエアマイクを向ける。寺島さんは寺島さんで真部の話猛然と抗議をし始めた。
「ち、違うよ!最下位じゃないよ!3位だよ!三位!三位と言ったら銅メダルじゃない!表彰台に乗れるよ!」
そういう話に真部達は笑いつつこう言った。
「でも3位でもすべての出場選手の中で最下位であることは間違いないぞ。それは否定できないだろう」
そう真部は冷静に言った。真部はすごいな、と改めて思うことがある。寺島さんのこのへりくつに普通の人はとにかくあざ笑うか、説教をするかのどれかなのに、論理的にこう言ったことを話をするからな。
寺島さんは真部の言葉にしょぼーんと落ち込んでいた。
「さて、最下位になった寺島さんは何か罰ゲームをしてもらいましょう!」
「ええ!」
「ああ、それはいいわね」
寺島さんの悲鳴とフレイジャーの賛同する声が聞こえた。
「大丈夫?寺島さん?」
寺島さんは崖っぷちに追い詰められた鹿のように顔面を蒼白にしていたが、僕に手を振ってこう言った来た。
「だ、大丈夫、大丈夫。私、こういうの得意だから、心配しないで。それじゃあ、寺島美春行きます!一番!成宮清隆のまね!」
それで寺島さんは顔を覆って気合いを注入したあと、顔をどこかひょうきんな、岸部一徳みたいな顔をした。ただし、全然にてないけど、そこがどこかおかしいし、次に言う台詞(せりふ)もおかしかった。
「ええ、またおまえはこんな事件に首をつっこむの?少しぐらいはいらないことに首をつっこまなくてもいいと思うけどね」
何だろ、全然にてないけどそこがどこかおかしい。みんなもこれにクスクス笑っていた。
「ブラボー!よかったよ、美春!いやー、久しぶりに見たけど、また腕を上げたな、それ!」
「いやー、そうかなー?」
「そうよ、美春、おもしろかったわ」
「いやー、ありがとうみんな」
そうして、なんだかぼくがこれまで遭遇した場の盛り上げとは何か違った。どうしてこう違うのか当時はよくわからないまま、こうやって時が過ぎていったのだが、今ならどうして違っていたのかよくわかる。それは人との信頼関係だろう。
普通は信頼関係がないからとにかく場を盛り上げるために必要以上に笑ったり盛り上げるのだが、でも、美春と真部とキャサリンの間には信頼関係があるから、適度な盛り上がりですぐ次の場に移せるのだ。
ということは、やはり人にとって一番大切なのは人との信頼関係ではないだろうかと思う。
ぼくの考えだと人の生活にとって重要な物の一つにイデオロギーだと思うのだが、それだけど、どこか先ほどの場の盛り上げのようにそれだけを至上として暴走することがあるから、どこか、それを中和するような物が必要となってくる。いや、どう言えばいいのか、それの必要な論理を保存したまま毒性を和らぐそんなことが必要なのだ。
その緩和させるものの一つが人間との信頼関係ではなかろうか、と思うのだ。
ともかく、このあと真部のお母さんがカレーを持ってきて、それを食べた。
人の家で食べるカレーはいつも食べているカレーよりもどこか風味が違うように思えた。
カレーを食べたあと真部は僕たちに解散と言って帰らせた。帰らせたと言っても真部はフレイジャーを送りに行くのだが、しかし、ぼくにとって人のうちにこんなに長くいる経験は今までなかった。真部の家から出ようとして階段を下りるとき、キンモクセイのような古くて人の生活がする臭いをぼくは忘れないだろう。ぼくはそう思った。
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