第7話7
僕はそのまま2ーBに入っていく。フレイジャーも一緒に入ったが、僕たちは目を合わせずに入ったのだ。まだ、仲良くする気はない。二人の距離はこれから自然に決まっていくだろう。それはともかく、僕は真ん中の列のまえから2番目の席で、フレイジャーは僕と同じ2番目の席で左側の席に座っていた。その中で周りは千鳥のような黄色いざわめきがあたりを包む。そのざわめきは一つに集約されずにビリヤードの最初の一打のようにばらばらに動き回っていた。
これからどうなるんだろう?
それがおそらくみんなの気持ちだった。その気持ちが動き回っている小鳥のように安心という地に足がつかないのだ。
そのときにがららと扉が開いた。入ってきたのは30ぐらいの若い女性の先生だった。
「皆さん、おはよう」
『おはようございます』
それにみんなが先生に挨拶(あいさつ)を返す。みんなといっても全員ではなくて半分ぐらいなものだったが、先生は気にせずに教卓に上がった。
まずは先生からの自己紹介。カタカタと先生はチョークで自分の名前を書いていた。
「はい。ここに注目」
それで先生は黒板の自分の名前を書いてあるところに指さす。
「私の名前は三枝絵里です。皆さん、一年間よろしくお願いします」
—ぱちぱち。
先生の言葉に教室のみんながまあ、だいたい拍手してくる。
「それじゃあ、私の自己紹介をします。私の好きな食べ物は冷や奴です。あの冷たい感触は先生にはたまらないの。それで趣味は槇村さとるの漫画を読むことです」
クラスのみんなはしんとして先生の言葉を聞き、態度を注視している。先生の一挙一動を丹念(たんねん)に注意深く見ているのだ。この人が先生なのか?この人はうちのクラスのリーダーなのか?そういうようにこの人が自分たちを率いることにふさわしい器なのかをみんなは見ているのだ。
この新学期が始まってすぐのこのことに僕はあほらしくなってしょうがなかった。先生になぜそこまで期待をしなくてはならないのだろう。先生はただ、授業をしてくれるだけでいいだろう。いや、先生のみならず、自分たちにも新学期が始まったので、クラスの力関係の格付けが始まるだろう。僕はそんなのをいつも見るたびにあほらしくて仕方ない。気が合う人たちとつきあえばいいだけの話ではないか、なぜ、そこまで格付けが必要なのか理解に苦しむ。
今は高校生の時の話だけど、大学生のときに藤原和博の『新しい道徳』という本を読んだのだが、その本にはこういう力関係の把握はどこの世界でも必要だから、子供達にもそれをさせる必要があると書いていたが、僕はそれは必要なのことだとだいたい頭の中で結論を得ているけど、自分はそんなことはやらないと思う。世界のどんな職場でもそれが必要なら、そこから距離を置くだけ、僕はそう思うのだ。
それはともかく、先生の自己紹介も終わってみんなも自己紹介をしていった。僕もした。そしてフレイジャーさんも。
フレイジャーさんがしたとき。みんなはしーんとしていた。ただ、先生が声をかけて、みんなが拍手をしたのだ。
自己紹介はそれで終わった。さすがにここまでみんながクラスの儀式をしたら少しは不安がなくなっていたようで所々にひまわりの笑顔が見られた。
放課後、寺島さん達と待ち合わせをしなくちゃいけない。それで携帯を見たら真部からメールが届いていた。
—下駄箱で待ち合わせ。キャサリンも連れてくるように。
了解。メールの返信を書いて、フレイジャーさんの所に行く。
「フレイジャーさん」
「はい」
フレイジャーさんは鞄に教材を入れているときだった。
「さっき、真部から連絡があって下駄箱で待ち合わせだってさ。だから、一緒に行こう」
「わかったわ」
フレイジャーさんは思いのほか素直に返事をしてくれた。それで、僕たちは一緒に歩き出した。なのだが、廊下を出て下駄箱の方に向かっていると、すっとフレイジャーさんが止まってこちらを見て言ってきた。
「ああ、前から気になっていたのだけど、さん付けはやめてくれないかしら?」
「?それはどういうこと?」
前はあんまり親しくならないかも知れないと言っていたではないか。それなのにどういうことだ?
「たいしたことじゃあないわ。ただ、個人的にさん付けはいやなだけなのよ。しかも、あなたとはこれから長いこと付き合うかも知れないから、ずっとさん付けを考えるだけでいやなの。だからさん付けはやめてくれないかしら?」
「そうですか。わかりました」
僕はそういうものかな?と思ったが、僕自身もフレイジャーさんを、さん付けにするのは何か妙な気分だったことも事実だ。
「フレイジャー、でいいですよね」
「ええ、いいわ」
それで僕たちは下駄箱に向かった。その間、僕たちは何も話さなかった。
下駄箱に行くともう、真部と寺島さんがいた。寺島さんがぶんぶん、手を振ってくる。
「おおー!リンちゃーん!それと笹原君も。今日は疲れたね」
「ええ、疲れたわ」
「確かに、いろんな授業の説明を聞きましたから」
「じゃあ、今日はお疲れ様と言うことでアロイに行くか!」
「アロイ?」
僕は真部を見る。そうすると真部は応えた。
「アロイというのはここの近くのスーパー『フジウラ』の隣にある喫茶店だ。あまり味はよくないけど、でもここら辺で近くだとそこしかないんだ」
「じゃあ、それでいいですよ。フレイジャーはどうする?」
「私もいいわ」
これでみんなの意見が一致したので、寺島さんは元気よく言った。
「よし!行こう、そこに行こうよ!」
そういうことなのでみんなで移動した。
「ここがアロイですか」
アロイは本当にただの小さなださい喫茶店だった。90年代にありそうなコンクリートの壁に下半分覆われ、見窄らしいまどがある、本当にださい場所だった。
「そうだよ、ここがアロイだよ。さ、入ろう」
それで寺島さんとフレイジャーが入っていく。真部が僕のそばに来てこんなことを言ってきた。
「東京に比べたらこんなださい場所では不満か?」
「いいえ、ただ、本当に田舎くさい喫茶店なので驚いた(おどろいた)だけです」
「そうか、でも、メニューも外見相応にあまりおいしくない物だから、期待を裏切ることはない」
「そんなにまずいんですか?」
「まずくはない。ただ、あれに700円も金をかける意味がはかりかねる。そんな、店だ。…………そうだ!笹原はこの街に来たばかりだったのだな、今度ここではない美味しいとんかつ屋を知っているから、そこに食べに行かないか?二人で」
「ああ、それはいいですね、じゃあ、近いうちにまた」
僕らがそんなことを話していると、店から寺島さんがひょっこり出てきてこう言った。
「もう、何やってるの。早く来ないとお金そっちに払わせるから」
「わかった、わかった。じゃあ、笹原行こう」
それで僕たちはそこに入った。
アロイに入ってみると本当に小さな所だった。テーブルが4つぐらいしかない小さな場所にレッドの蛍光灯と、古めかしいレイアウトにしておしゃれを演出するあとが伺われるが、床が汚いとこと、レジがスーパーのレジ風になっているところが全てを台無しにしている。
そういうださいところだったが、でも、僕はだいたい、喫茶店ぽくてもコーヒーが飲めれば十分なので、別に平気だった。
「じゃあ、何を頼もう」
寺島さんはメニューを開いた。何って………。
「別に僕はコーヒーを頼むけど、というか今食事なんてしないから、コーヒーぐらいでいいんじゃないか?」
「いいえ!笹原君、このメニューが見えないの!」
突き出されたメニューを見る。
「えーと、ケーキセット?」
それを言うと、寺島さんは握り拳を握ってこう力説した。
「そう、ケーキセット!数多の乙女が酔いしれ、ときには地獄に落とされるというあのケーキセットよ!これを頼まずして、女子高校生ライフが語れられるだろうか?いや、語れない!ということでた〜のも」
寺島さんが力説したあと、どのケーキを頼もうか選んでいる様子に、僕は一言言わなくては気が済まなかった。
「地獄に落ちるのだったら頼まなくてもいいんじゃないか?」
それを言うと、寺島さんがぶんぶんと頭を振ってこう言った。
「だめだよ、笹原君!女の子にそんなことを言っちゃあ!あのね、笹原君、これは甘美な甘さに酔いしれようとする、女の子の当たり前な感情と、でも、それをつづけると脂肪が増えるかもしれないという恐怖のときが重なり合うという、とてもアンビバレントで、繊細な乙女心なの。簡単に太るのがいやだったら食わなきゃいいって言うものじゃあないんだからね!」
「す、すみません」
そう言って寺島さんは本気で怒っていた。僕はその怒りに気圧されて思わず謝ってしまった。
しかし、美春はもうこの時からアホなことを言っていたんだな〜とつくづく思ってしまう。今の僕なら、それはただ食い意地が張ってるだけだろ!と突っ込めれるが当時の僕はそれができなかった。まだ、みんなと言い合えるようになるためにはもう少し時間が必要なのだ。話を戻す。
「でも」
でもと僕はつづける。
「でも、実際そういうものを食べると太るよ?それはどうするの?」
「う〜ん、そうだよね〜」
寺島さんがそれについて悩んでいたら、真部が一つ提案をした。
「美春、こうしよう。二人ケーキセットを頼んで、それを一つのケーキを二人で食べて、みんなで割り勘にしたらどうだろう?そうしたら、ケーキを半分にするから、カロリーも抑えられるだろう」
「う〜ん、それが妥当かも」
ということでそういうことになった。
それで注文を終えて、これからの話をする。
「はぁ、もう高校2年生かぁ〜。時間がたつのは早いなぁ〜。ついこないだまで中学生だったのに」
「あのね、それはそうでしょう。時間はどんどん流れるものなんだから、時がたつのは当たり前でしょう。それとも、なに美春。あなた、このままずっと高校生や中学生やりたいの?」
それに寺島さんが元気よく答える。
「うん!」
それにフレイジャーはあきれた様子を見せていた。
「あきれたわね、美春。あなた、大人になりたくないの?」
「なりたくないよ。だって、絶対、今の方が楽しいよ」
寺島さんは口をすぼめていう。寺島さんのそんな子供じみた仕草でもかわいかった。そんなかわいい寺島さんは次の瞬間には消え去って、今度はフレイジャーを糾弾するような表情をしてこんなことを言ってきた。
「じゃあ、リンちゃんは大人になりたいの?大人になってなんかいろんなことにがんじがらめになりたいわけ?」
フレイジャーは寺島さんの詰問に平静な顔をして答える。
「ええ、そうよ。だって、学校なんて窮屈な場所早く出てもっと自立した女性になりたいわ」
「ええー!いやだよ、そんな働くなんて。今、成果主義だよ、そんなノルマこなししながら、ほかの人たちと競争させられことなんて考えただけでも胃が痛くなるよ」
寺島さんは全身にはっきりといやという文字を出していた。
「でも」
でもと、フレイジャーは遠い目をしながら言う。
「でも、学校はときに恐ろしい場所になるものなのよ」
「?」
どことなくフレイジャーの透徹した雰囲気に僕たちは疑問符をつけていたが、ほどなくコーヒーとケーキがやってきて、すぐにそのことを忘れた。
「わーい!ケーキだ!」
「今の話はこのくらいにしてケーキを食べるか」
「ええ、そうね」
それで僕たちはケーキを食べることにした。
「じゃあ、真部。一緒に食べるけど、男二人で食べれる?」
「問題ない」
「リンちゃん!一緒に食べよう!」
「ええ、そうね。美春、あなた丁寧にケーキを掬ってね」
僕と真部はチーズケーキを、寺島さんとフレイジャーは抹茶のロールケーキを注文した。
そして、それぞれ僕たちは食べるのだが、その前にフォークを二つずつにしてもらうようにお願いをしたのだ。
「じゃあ、食べるか笹原」
「ああ」
ぱくり。
そのチーズケーキは生地は柔らかくなくぱさぱさしていたし、チーズの甘みもいまいちだったが、ケーキはケーキだったので美味しくいただいた。
「どうだ、笹原?美味しいか?」
「う〜ん、いまいち。真部も食べてみるといいよ」
「どれどれ」
ぱくりと真部も食べる。その食べた瞬間の顔は微妙なものを食べさせられた、と言う顔をした。
「ああ、そうだな。これはいまいちだな」
そう、真部は言った。
「うん、そうだね」
そのあと、僕たちチーズケーキを食べあ宇。黄色い光沢が自分の体を照らすように、オレンジ色のまったりとした空気に包まれながら食べ、話した。
「なあ、真部。チョコレートケーキとチーズケーキ、どっちが好き?」
「チーズケーキ」
「ああ、そうなんだ。僕もだよ。チーズケーキは美味しいよね。何というか、チョコレートケーキはチョコの甘みがえぐいというか、強烈な味でいやになるときがあるけど、チーズケーキはチーズの程よい甘みがちょうどよくて、そんなに食べにくいことはないよね」
「ああ、そうだな。チョコレートケーキはほんと甘すぎる。チーズケーキぐらいがちょうどいいよな」
「うんうん」
僕たちはそうやって話しをしている間にあっという間にケーキを食べ終えた。
「いや、でも、なんだかんだ言って、ケーキはケーキだな。笹原」
「ああ、そうだね、美味しかったよ。真部」
「うい〜!美味しかった!」
見ると寺島たちも食べ終えていたようだった。
「寺島さん、ケーキ美味しかった?」
僕の言葉に寺島さんはひまわりのような笑顔を見せた。
「うん!」
「それはよかった」
そして、キャサリンが立ち上がった。
「そろそろ、出ましょうか。もう、あらかた食べたし、終わってもいいよね?」
「ああ。そうしよう。みんなもそれでいいか?」
それに僕たちは肯いた。そして、僕たちは値段をワリカンして店から出た。そのまま、談笑して自転車に乗る僕ら。そのあと、僕たち瀬野の駅あたりで別れた。真部と寺島さんは草ヶ部あたりにいくし、キャサリンは瀬野のすぐのマンションにすんでいたし、僕は宗堂に向かって帰って行った。
家路に帰る道。なんだか夕焼けがいつもより優しい光を放っているように見えた。
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