第2話2

 おじさんたちが帰ってくる音が聞こえた後も、僕は勉強を続けた。そして、それをしばらくしたあとにおばさんの声が聞こえた。

「一樹くーん!ご飯よー!」

 その声がしたので僕は勉強を中断して、下に降りた。明かりを消す前の傾向との光がじりじりと鈍い光を発していた。




 夕食時、いつも話しているのは康子さんで、おじさんに対していろんな事をいった。職場での出来事や、近所づきあいのこと、そのほか本当に大きい声で、たくさんいうのだ。

 おじさんはそれの相づちをいったり、それについての話しをしたりしていた。

 そのうち、おじさんは僕にはなしをむけてきた。

「一樹君。もうすぐ、高2になるね。どうかな、高校生活を一年続けてみて、楽しかったことはあるかな?」

ー楽しかったこと……………。

 僕は考えた。楽しかったこと……。そんなのがあったか?ほとんど勉強に追われる生活。友達もいない孤独な日々、そんな生活をやめようとバトミントン部に入ったことがあるけれど、それも人間関係がいやでやめてしまった。

 今まで、高校生活で楽しい事なんてぱっと思いつかないくらいに僕の高校生活は、心は、人生は乾ききっている、そう強く感じるのだ。

 一つ、一つだけあるとするのなら、あの夏の思い出だ。

 寺島さんと初めて話した、太陽の黄色と水の青が際立った夏の思いで。よかったことはあれしかない。

「一樹君。何かいいことはあったかい?」

「い、いえ、特にないです」

「そうか。それは残念だな」

 おじさんは残念そうにいった。けれど、その態度にはどこか気恥ずかしい表情があるように見えた。

「まあ、それはともかく。どうだい、一樹君。これから高2になるけれど、何か抱負とかあるかい?」

「いえ、特にないです」

「そうか」

 別に新学年になっても期待していることなんて特にないけど、一つ思いついたことがあった。

「あ、あります。ちゃんと授業についていけれるようになりたいです」

「なるほど、授業についていけれるようにか。それも大切だけど、高校生らしい夢はないのかい?」

「いえ、特にないです」

「そうか、ないか。高校生なんだから一つぐらい夢があった方がいいと思ったんだけどな。ないのか。別に一樹君を責めているわけではないけど、何もないとしたらちょっと寂しい高校生活だね」

「はい。残念ながら何もないです」

 それまで飲んでいた酒をいったん止めて、おちょこをおいた。そしておじさんは黙った。何かがうごめいていた。沈黙という膜を破ろうとなにかが飛び出そう、飛び出そうとしていたが、結局飛び出せずにいたのだ。

 僕はそれを感じながら、何かそれが飛びだてるよう手伝いたかったが、やはり何も思い浮かばなかった。

「そうそう、一樹君高校生活といえば、彼女とかはできないの?」 

 そんな二人のもどかしい沈黙に康子さんがそんなのをはなから気にせずに割り込んできた。

「な、何を言っているんだ!おまえ!」

「あら、別にいいじゃあ、ありませんか。高校生なら彼女のひとりくらいできても」

「しかしだな」

 そうおじさんが言うと康子さんはこう切り返してきた。

「しかし、何です?」

「………………」

 こういわれるとおじさんはさすがになにもいえなかった。康子さんはこれで自分が勝ったと確信したのだろう。興味津々目を輝かせこう言ってきた。

「それでどうなの?一樹君。彼女できたの?好きな女の子はいないの?キスはした?あ、でも、男女の秘め事はまだ若いからやめてね」

 矢継ぎ早に聞いてくる。僕は動揺した。僕は寺島さんが好きだったので、いきなりこういう事をいわれて動揺したのだ。でも、それを悟られるわけにはいかないから、顔を俯け否定した。

「いえ、いません」

「そう、残念ね。………………一樹君、いろいろ聞いてごめんなさいね」

「い、いえ。別に謝られることではありませんよ」

 まさか謝られるとは思っていなかった。あんなに先ほどは野次馬根性で聞いていたのにいきなり謝られるとは思っていなかったのだ。でも、先ほどのおばさんらしさと礼儀正しさの同居がなんだか康子さんらしかった。

「いいえ、私もただ、個人的な興味で聞いたわけではないのよ。ただ。若いうちはやっぱり彼氏、彼女を作っといた方がいいと思うのよ。その方が人間性の幅が広がると思うのよ。………………いえ、それも違うわね。ただ、……………恋はいいものよ。体験した方がいいと思うのよ。これは私の個人的な意見だけど、覚えておいても損はないわよ」

「そうですか…………」

 僕そんなものだろうかと思った。正直言って、彼女など作ったこともないし、できる見込みもないのでそうなのだろうかと思った。しかし、僕にも康子さんの考えに少し疑問ができたのでそれを言うことにした。

「あの、康子さん」

「ん?何、一樹君」

 康子さんも聞いてくれそうだったので遠慮(えんりょ)なしに言おう。

「康子さん、確かに恋はすてきなものかも知れませんが、でも、もし万が一好きな子ができたとしても恋は成就することができるのでしょうか?僕にはとても告白なんてできません。考えただけで足がすくみます。恋はいいものかもしませんが成就させるのが大変そうです」

 そう僕は言った。これは僕の偽りのない本音だ。

「そうねえ、そういうこともあるかもねえ……………」

 僕の回答に康子さんはすこし戸惑っている風だった。まさか、こんな風に言われるとは思っていなかったのだろう。

 康子さんは少しと戻ったあとこんな事を言ってきた。

「まあねえ、一樹君。そういうこともあるかも知れないけど、でも案外(あんがい)何とかなるものよ。これはただの楽観論じゃなくて。恋をするとね、いてもたってもいられなくなるものなのよ。それで我慢できずに告白をしてしまうのよ。だから一樹君、そんなに悩む必要はないと思うわ」

 僕は清冽な風が駆け抜けていくのをかんじていた。ここに来てからこういう事は何回かあった。これは決して家では得られない刺激的な体験だった。こうやって親ではない大人と話すのが僕にとって新しい世界の発見につながるのだ。

「わかりました康子さん。どうなるかわからないけど、とりあえず、恋については少し楽観視してみます」

「ええ、それでいいわ」

 その後いくらか談笑したあと、僕は部屋に上がった。



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