シンクホール

 事件から三日が経った。

 花織ちゃんは、まだ、見つからなかった。

 インターネットに、花織ちゃんのお父さんが、目撃情報を投稿できるサイトを立ち上げたけど、ぼくは恐くて見ることができなかった。

 リビングに入るとお母さんが、テレビを見ていた。お昼のニュースだった。

「世界中で、シンクホールと呼ばれる巨大な穴が出現し、大変なことになっています」

 テレビに大穴の映像が流れ、アナウンサーが深刻な面持ちで被害の状況を伝えていた。 ニュースを聞いているうちに、ぼくは気分が悪くなり、部屋に閉じこもった。 

 その後、シンクホールは、鏡池を一晩で呑みこんで、東に向かって広がった。そして隣町の住宅地も公民館も市民プールも何もかも呑みこむと、直径二キロメートルもの巨大なクレーターになった。 

 事件が大きくなればなるほど、ぼくは、本当のことをいえなくなった。

(ぼくも花織ちゃんと一緒に死ねばよかったんだ)

 夏の暑さや蝉の鳴き声が無性にいらつく。

 夕方、お母さんからお使いを頼まれた。

「チキンライスを作るから、スーパーからケチャップを買ってきて」

 無造作にお金を手渡される。

「はい……」

 ぼくは、嫌々お使いに出かけた。

 スーパーに着くと、お米、お肉、野菜、五時のタイムセールに多くの人が殺到していた。ぼくは誰かに会いやしないか、びくびくしながら売り場に行き、ケチャップを一個とって、レジに並んだ。

 混み合ってレジは長蛇の列だった。順番が来るまでの時間がとても長く感じた。

「買い物袋は、要りますか?」

「はい」

 レジのお姉さんが、レジ袋にケチャップを手際よく入れてくれる。 

「百九十八円です」

 ぼくが二百円を渡すと、すぐにお釣りが自動で出て、レシートと一緒に手渡された。

「ありがとうございました!」

 クラスメイトの誰にも会わなかった。ぼくは胸をなで下ろした。

 スーパーから出て、レジ袋を自転車のハンドルにぶら下げ、サドルにまたがった。

「大輝くん!」

 嫌な声に呼び止められた。心臓が飛び出しそうだった。

「藤見くん」

 ぼくは振り向きながら、ハンドルを固く握った。

「あの日、花織ちゃんと一緒にいたよね」

 藤見くんの目が刺すように光る。

「……」

 体が凍りつく。

「一緒じゃなかったよ!」

 また嘘をついた。

「おまえと花織ちゃん一緒だった」

「花織ちゃんと会ってない」

「横顔を見た」

「ぼくじゃない」

「いや、あれは、絶対におまえと花織ちゃんだ」

「でたらめいうな」

「じゃ、あの日、あの時間、おまえは何処で何をしていたんだ?」

 藤見くんは、刑事にでもなったように、疑わしい目でぼくをじろじろ見た。

「ぼくは一人で祭りを見に行ってた」

「ふっ」

 藤見くんは鼻で笑って、ぼくの目をのぞき込んでくる。

「……」

 ぼくはイラッとして藤見くんをにらんだ。

「やっぱり、アリバイがないわけだ」

 藤見くんは、まるで犯人をおいつめる刑事のような口調でぼくを問いつめた。

「いいかげんにしろよ。お使いを頼まれているんだ」

 ぼくは自転車のペダルを力いっぱい踏み、逃げるように走り去った。

「ただいま」

 家に帰り着くなり、ぼくは部屋に飛び込んだ。胸苦しくて、吐き気がした。

「大輝、気分でも悪いの?」

 お母さんが、部屋に入ってきた。

「なんでもない」

「気分悪そうね」

「何でもないったら!」

 ぼくは、いらっとして、声を荒らげ、トイレにかけ込んだ。

「大丈夫?」

 ドア越しにお母さんの声。

「ほっといてよ!」

 神経がささくれ立って、お母さんの全てにいらいらする。

「そんなに怒らなくてもいいのに」

 お母さん足音が遠ざかる。キッチンに戻ったみたいだ。

「お腹がすいてないから後で食べる」

 ぼくはトイレから出ると、逃げるように部屋に引っ込んだ。

 布団をかぶりスマホを握りしめる。花織ちゃんに電話をかけてみた。圏外のアナウンスが流れる。メールも送ったきり返事がない。

(花織ちゃん、お願いだから電話に出て。神様、花織ちゃんを助けてください)

 どんなに必死に祈っても、心の中で空しくひびくだけだった。

(あの子がそんなに心配なら、どうして正直に話せない)

 神様からそういわれたら、ぼくは、返す言葉がない。

 頭痛がする。みぞおちがキリキリ痛む。ぼくは、苦痛にもだえながら、ベッドの中でのたうちまわった。


「──」


 藤見くんが、鏡池で捕まえてきたカエルの口に爆竹をくわえさせている。

「おもしろいよ」

 藤見くんは笑いながら、爆竹に火を点ける。

「やめろ!」

 シュッと、導火線に火花が散った。藤見くんはカエルをぼくの足下に放り投げた。

「わあッ」

 ぼくは慌てて飛びのく。

「カエルが可愛そうなら助けろよ」

 藤見くんが残酷な笑みを浮かべる。

「花織ちゃんもそうやって見捨てたんだろう」

「ち、ちがう!」

「おまえが犯人だ」

「ちがう!」

「ムキになるとこが、ますます怪しい」

「ちがう!」

「いいかげんに白状しろ!」

 藤見くんが飛びかかりぼくの襟首をつかんでもみ合いになった。

「ぼくじゃない!」

 ぼくはこぶしを握りしめたまま、ベッドから転がり落ちた。


「夢か……」

 

 カーテンの隙間から月明かりが差しこんでいた。額が脂汗でべっとり濡れていた。時計を見ると夜中の三時だった。


 部屋のドアをそっと開けてみた。家は静まりかえっている。お父さんもお母さんも寝室で、ぐっすりと寝っているようだ。

(花織ちゃんを助けないと)

 もう精神の限界だった。命すら惜しくないと思った。

 ぼくは部屋に戻り、素早く赤いTシャツと青の半ズボンに着替えた。

(こうしている間にも、あの穴はどんどん大きくなっている。そしたらますます花織ちゃんの場所がわからなくなってしまう)

 靴下を履く。忍び足で玄関からスニーカーを取ってくる。ベッドの上に置いていたスマホを手に取り、ポケットに入れた。

「おばあちゃん、お父さん、お母さんごめんなさい」

 後ろめたさで一杯だった。花織ちゃんのことで胸が押し潰されそうだった。追いつめられたぼくは、花織ちゃんを助けるため覚悟を決めた。

(お父さん、お母さんに気づかれませんように)

 祈りながら、静かに窓を開け、外に出ようとしたとき、

「大輝、大輝」

 ささやくような声がした。

「あっ」

 振り向くとおばあちゃんから袖をつかまれた。

「しーっ」

 おばあちゃんは唇に人差し指を立てて微笑んだ。

「遊びに行くんじゃないよ」

「わかってるよ」

「え」

「花織ちゃんを捜しにいくんだろう」

 おばあちゃんが小さな目でじっと見つめる。

「どうして知ってるの?」

「大輝の様子を見てたらわかったよ」

 おばあちゃんが優しく微笑む。

「おまえ一人で大丈夫かい?」

「大丈夫だよ。ぼくのせいなんだ。ぼくが助けないと」

「穴に落ちてしまったんだね」

「うん……」

「大輝のせいじゃないよ。お父さんやお母さんがいたって、あの大事故は防げなかった」

「でも、公園に連れて行ったのは、ぼくだよ」

「どうして行ったの?」

「ダイアンが家から逃げ出したんだ。だから花織ちゃんと捜しているうちに」

「そうだったんだね」

 おばあちゃんは、ぼくをギュッと抱きしめてくれた。

 ぼくはおばあちゃんの腕の中で、すすり泣いた。

 胸のつっかえが、お腹にストンと落ちた。

「もう自分を責めちゃいけないよ」

「いいの?」

 おばあちゃんはあっけなく賛成してくれた。

「でもガイドを連れて行きなさい」

「ガイド?」

「この子よ」

 おばあちゃんがぼくの足下を指さした。

「にゃー」

「だ、ダイアン、いつのまに」

「この子は天使の使いなの。ダイアンがきっと花織ちゃんを探し出してくれるわ」

「天使? ダイアンが?」

 ぼくは、おばあちゃんのありえない話にびっくりし、両目を白黒させた。

(まさか、おばあちゃん、病気が悪化して夢と現実の区別がつかなくなったのかな)

 おばあちゃんは、中腰になってダイアンの襟首を優しく撫でた。

「ゴロゴロゴロ」

 ダイアンは、横になって心地よさそうに顎をのばし喉を鳴らす。

「ダイアン、大輝をよろしくね」

「にゃー」

 ダイアンは起き上がり、目を輝かせる。

「大輝、自分を信じるの。何も恥じることはないわ」

 おばあちゃんは、そういって、黄色いリュックをぼくに手渡した。

「うん」

 リュックを背負ったぼくは、ダイアンを抱きかかえ、開いた窓から外に出た。

 振り返るとおばあちゃんは微笑みながら小さく手をふってくれた。

「大輝、行くにゃ!」

「え?」

「レスキュー、ゴーにゃ」

「急にダイアンが喋りはじめた」

「急がないとお父さんとお母さんに見つかるにゃ」

「……」

 気が動転しているあいだに、ダイアンが、ぼくの腕から飛び出した。

「ファイトにゃ」

 ぼくを尻目に、ダイアンはさっと庭を横切り、ブロック塀を乗り越える。

「ま、待って」

 ぼくは慌ててダイアンを追いかけた。もう何が何だかわからない。


 住宅地から一歩出ると、景色が一変していた。道路も公園も池もなにもなく、巨大な隕石でも落ちたような大きなクレーターが広がっていた。

 朝日が昇る。空が黄金色に染まる。急がないとまた大人達に阻まれる。

「こっちからいくにゃ」

 ダイアンが穴の縁にそって緩やかなカーブを描きながら、降りてゆく。

「まって!」

 ぼくも急いでダイアンを追う。

 巨大な穴、シンクホール。底なしの穴だ。

「ここから飛びおりるにゃ」

 ダイアンが穴のふちに立った。

「そ、そんな無茶な」

 ぼくはへなへなと屈み込んだ。

「大丈夫にゃ。花織ちゃんはこの下にいるにゃ」

 ダイアンが行こうと目で合図する。

「むりだよ」

 ぼくは這いつくばって、下を覗き込む。

 近くは太陽の光で見えるのに、穴の底はまるで巨大なクレータのように真っ暗で、しかもヒューヒューと恐ろしげな音が響いている。

「ロープもパラシュートもない。絶対無理だ」

 ぼくは、手足をガクガク震わせながら、ゆっくり立ち上がった。

「いくにゃ!」

 ダイアンがいきなりぼくの背中のリュックに飛び乗った。

「わぁわぁ」

 ぼくは不意を突かれ、よろめいた。なんとかバランスを保とうとしたけど、風にブンと煽られ、頭から真っ逆さまに穴の中に落ちた。

「わあああ」

 ダイアンが爪を立て、ぼくの首にしがみつく。

 恐怖で今にも気を失いそうなのに、ダイアンの爪がチクチクしてそれどころじゃない。

 足の方をみると、空がどんどん遠ざかり、闇がひろがっていく。

「わあああ」

「大輝、しっかりするにゃ」

 ダイアンが妙に落ち着いた声で話しかけてくる。ぼくは不思議と正気を取り戻す。

 あらためて足の先を見た。空があんなに大きかったのに、今は針の穴みたいだ。

「ぼく、もう死んじゃったのかな」

「ばかいうにゃ」

「え、じゃ、まだ落ちてるの?」

「そうにゃ。でも安心するにゃ」

「どういう意味?」

「マントルを通過したら、地球のコアに軟着陸するにゃ」

「マントルだって! ぼくら焼け死んじゃうよ」

「心配するにゃって」

 ぼくらはさらに穴の奥深くまで落下した。穴の入り口から光はまったく差し込まなくなった。真っ暗な空間を、まるで落下するロケットのように猛スピードで落ち続けた。

(ああ、やっぱり、ぼくは、地獄に落ちているんだ)

 毎日毎日、罪の意識に苦しめられていたぼくにとって、神様の罰を受けるのは当然だと思った。だけどこうして死が近づくと、むしょうに命が惜しくなる。

「助けて! 死にたくないよ!」

 ぼくはパニクった。

「大輝、落ち着くにゃ! 前をみるにゃ!」

「えっ」

「いよいよマントルに突入にゃ」

 落ちゆく先に真っ白な光が見えた。しかも光がだんだん近づいてくる。

「わあああ! 焼け死ぬ!」

 ぼくは両目を固くつむった。



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